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M.シュナウザー・チェルト君のパパ、「てつんどの独り言」 

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河童の屋敷を探して

2020-10-04 | エッセイ

 僕が書き残しておきたいと思っている恩師、つまり先生は、大学も含めてたくさんいらっしゃるが、中でも高校時代に親切にして頂いた先生がとても印象深い。

<奥野先生>

 一人は僕が卒業した洲本高校の奥野先生。もう何度かブログに書いている。僕の一番の友達だった炬口勝弘が亡くなった1年後に 先生は亡くなってしまった。それで、僕には洲本に旅するという理由はなくなってしまった。

 もう一人高校時代の先生を紹介して僕の文章として残しておきたい。

 洲本高校は一年と二学期を過ごしたことになるが、その前は岡山の田舎にあるO高校で一年一学期を過ごした。その時、本当にお世話になったのが妹尾先生で、あだ名は 「河童」だった。なぜ河童だったのかは先輩に聞くしかないが、もう聞く相手もいない。この先生には、公私共に本当に親身になって私を支えていただいたことを覚えている。

 ニックネームは河童(カッパ)でしたが、本名は与三次で、高校の数学の先生でした。

 そのころ僕は一人でO高校に通っていた。ある時、親父のおかげで、一人で引っ越しが必要になった。その際、リヤカーで何往復かしたが、その引越しを肉体労働で手伝っていただいた。またある時は、僕が体育の授業でサッカーをやっていて、僕がボールをキックした瞬間、友達が残った軸足を同時に蹴飛ばして、僕は宙に舞い腕の骨を折った。その時、妹尾先生は、僕を高校から僕の下宿まで自転車で送っていただいたこともはっきり覚えている。

<O高校>

 この与三次先生に出会ったのは、僕が16歳だから1958年だと思う。そのころ、先生は30歳を超えたばかりの年齢だったから、おそらく生まれは1928年ぐらいだ。論拠は、僕が17歳、そのころ先生は最低30歳だったから、逆算して1928年と言ったわけだ。

 実は妹尾河童先生は、近くの村の大地主の末裔で、元々、妹尾屋敷と呼ばれるとてつもなく大きな敷地と大きな二階建ての建物、大きな池、そしてそれを取り巻く林、さらには周囲には畑が作ってあった。

 堀に囲まれた屋敷に入るには石橋を渡って、大きな長屋門をくぐっていかなければならないくらい大きな建物だった。地元では 妹尾屋敷と呼ばれていた。この屋敷は戦後、 新制中学校の校舎として使われるほどの大きさがあった。この屋敷に、僕は下宿する羽目になって、毎朝学校に行く前に幅一間以上ある、長い濡れになった廊下を雑巾掛けをやらされていた。僕を一人で置いて奈良の方に入った、親父との取り決めだった。だから辛い嫌な思いもある屋敷でもあった。

 この妹尾屋敷の絵とか写真とかを入手しようと努力したのだが、後で述べる経過で入手に至っていない。想像から絵をかいてみようと試みたが、やはり力不足だった。

 実はこの先生とは後日(約20年は経っていた)、親父を連れて僕の子供たちとともに我が家のルーツを調べておこうと岡山に帰郷した際、与三次先生を思い出し、僕が車を運転していたので、じゃあ寄ってみようと、そのへ向かった。妹尾先生は右か左かどちらかの腕を骨折していて、肘関節がくの字に曲がっていたので、自転車を運転していても河童だということがすぐわかる。まさにそんな格好をした先生が自転車に乗ってこちらに向かっていらした。すれ違った際、あっ先生だと気づいて、僕は慌ててUターンして、先生追っかけて途中で捕まえた。

 おやじも社会文化活動の関係で、河童と顔見知りで、(僕よりも先に先生を知っていた)3人で懐かしい昔話をした記憶がある。その時、先生は娘さんの結婚のために、町に買い物に出掛けられるところだった。そして、それが先生に会った最後だった。

 そんなこともあって、どうしても妹尾先生のことを書きたいと思ったわけだ。

 

 妹尾河童といえば、別に有名な人がいる。フジテレビ「ミュージックフェア」の舞台美術で、1960年代には、日本の舞台美術を素晴らしいものに完成された芸術家、妹尾河童だ。彼は、1930年生まれで、1954年にデビューされたとある。彼は、妹尾肇さんで、今年(2020)90歳とある。先の妹尾河童と、つながりがあるかどうかわからない。

<河田町のフジTV>

 実は僕は、フジテレビが新宿の河田町にあったころ、深夜の台本作りのアルバイトをしばらくやっていた。そして、妹尾河童さんの舞台芸術にあこがれて、何としてでもフジテレビに入社したいとの思いで、畑は違うがアナウンサー試験を大学卒の時に受けて、4次試験まで合格したが、最終5次で終わった残念な思い出がある。彼の書いた「河童が覗いたヨーロッパ」のイラストも楽しくて、夢中になって読んだものだ。

<アマゾンの中古本として、本が売られていた>

 なんだか、僕は妹尾河童には深い縁がある、いやあったらしいのだ。

 

 そんなこともあって、なんとかその後の妹尾屋敷のことを知ることはできないかと、ググってみたり、妹尾屋敷のあった村(今は町村合併でM市となっている)の生涯教育・村史に詳しいというT.Moさんに電話インタビューをして取材をしてみたが、屋敷の絵や写真は得られなかった。

 同じ市のIiさんの紹介で、昔の妹尾屋敷を知っている85歳のS.MYさんとも電話インタビューをしてた。妹尾屋敷は僕の記憶通りに存在していて、姿は僕の記憶通りだったと裏は取れた。今は、妹尾屋敷跡地には、ソーラーパネルが立ち並ぶ姿が見えると話していただいた。

 皆様のご協力に感謝です。


日本の民主主義は世界ランキングで何位?

2020-09-20 | エッセイ

  皆さんは、世界の国々を同一基準で調査し、各国に民主主義のランキングをつけているリストがあるのご存知ですか?

 それはイギリスの「エコノミスト」のコンサルティング・グループ、EIUが2006年以来、継続して行っているデモクラシー・インデックスです。

<2019年版Democracy Index by EIU>

 英語版のみです。PDで無料公開されています。下記リンクより、どうぞ。   

 https://www.eiu.com/topic/democracy-index

 

 このインデクスの概略を、整理して書いておきます。

 民主主義国家にも2種類あって、1.完全な民主主義国家2.欠陥のある民主主義国家に別れています。その他、民主主義ではない国々も、同じインデックスで評価されてランキングされています。その最下位は167番目の北朝鮮です。

<世界地図 民主主義ランク付き>

 

 では 気になる日本はどう評価されているでしょうか?

 日本は残念ながら「完全な民主主義国家」のグループの中には入っていないのです。

 「欠陥のある民主主義国家」の2番目、世界ランク24位に日本は評価されています。つまり日本の民主主義には欠陥があると彼ら、EIUは見ているわけです。

 このインデックスの存在に気がついたのは一昨年1月、こういうものがあるのだというのは発見でした。興味のあるインデックスですが、日本ではあまり紹介されていませんので、どのくらいの方々がご存知か分かりません。

 下記、北欧をはじめとする国々が1位から10位までを占めています。

Democracy Index 2019 トップ 10 

国名                点数   順位

ノールウエイ         Norway        9.87    1

アイスランド        Iceland          9.58    2

スエーデン                     Sweden           9.39    3      

ニュージーランド    New Zealand          9.26    4

フィンランド              Finland           9.25    5 

アイルランド             Ireland            9.24    6

デンマーク            Denmark          9.22   7=

カナダ               Canada           9.22   7=

オーストラリア          Australia          9.09   9

スイス            Switzerland       9.03  10 

  11位から国を順番に述べると、オランダ、ルクセンブルグ、ドイツ、イギリス、ウルガイ、オーストリア、スペイン、マルティネス、コスタリカ、フランスで、これが20位です。さらにチリ、ポルトガルが続き、ここまで22か国が完全な民主主義国家です。U.S.A.は25位で欠陥のある民主市議国家と評価されています。

評価ポイント

下記の項目にある各々の質問について、EIUの複数のコンサルタントが各国ごとに評価したものです。

1.選挙プロセスと多元主義 質問数12

2.政府が機能しているか  質問数14

3.政治参加        質問数 9

4.政治文化        質問数 8

5.市民の自由       質問数17

ではどういう項目を測りながら、点数を与えているのでしょう。下記が着眼点です。

着眼点

国の形態が、次の4種類のいずれかに配置するために使用されます。

 

政権の形態

1.完全な民主主義8より大きいスコア :Full democracies

2.欠陥のある民主主義:スコアが6より大きく、8以下. :Flawed democracies

3.ハイブリッド体制:スコアが4より大きく、6以下. :Hybrid regimes

4.非民主義体制:スコアが4以下. Authoritarian regimes 

 

 下記4つの評価領域の各質問について、点数を0.00~0.50~1.00のどれかを与え、10.00が満点です。 

 Ⅰ.選挙プロセスと多様主義;electoral process and pluralism x12質問 

 Ⅱ.政府が機能しているか; the functioning of government; x14質問

 Ⅲ.政治への参加; political participation x 9質問

  ・国民投票への投票参加・投票

  ・議会の女性率

  ・市民の政治への関与

  ・合法的なデモに参加するための人口

  ・成人の人口で、ニュースで政治に関心を示し、政治をフォローしている程度

  ・政府は政治参加の促進に真剣に取り組んでいるか

   など

(下記はオリジナルの英文です)

・Voter participation/turn-out for national elections.

・Women in parliament

・Citizens’ engagement with politics.

・The preparedness of population to take part in lawful demonstrations.

・Extent to which adult population shows an interest in and follows politics in the news.

・The authorities make a serious effort to promote political participation.

 Ⅳ.政治文化;political culture x 8質問

  ・安定した社会を支えるのに十分な社会的合意と結束があるか

  ・専門家が参加して民主主義は機能しているか?

  など

(下記はオリジナルの英文です)

・Is there a sufficient degree of societal consensus and cohesion

to underpin a stable,

・Perceptions of rule by experts or technocratic government; functioning democracy?

 Ⅴ市民の自由; civil liberties x 17質問

  ・表現や抗議の自由はあるか

  ・メディアは強固ですか? 合理的な意見の多様性をもった、諸問題について

   のオープンで自由な議論はありますか?

  ・司法は、政府の影響力から独立していますか?

  など

(下記はオリジナルの英文です)

・Is there freedom of expression and protest

・Is media coverage robust? Is there open and free discussion of public issues, with a reasonable diversity of opinions?

・The degree to which the judiciary is independent of government influence.

 

アジア・オセアニアを見てみましょう。

<日本24位:過去のインデックスと2019年アジア・オセアニアのデータ> 

 日本は、の点数が低くなっています。これは、若者の政治参加率が悪いことを意味しているといわれています。全体に、政治に対する関心が低いことでもあると思います。日本国民にとって、国は「お上」だという意識があるかもしれません。任せておけばいいやと思われているかもしれません。

 私見ですが、自由な論評ができない日本のジャーナリズムの現状は問題だと思います。ジャーナリズムは、本来の権力に対するWatch-Dog(番犬)の役割を持っていますが、それを放棄しているように見えます。もしくは、政府に飼いならされているともいえます。

<ウオッチドッグ:番犬 :Wikipediaより パブリックドメインです>

 こういうインデックスがあるのだとも知らずに過ごしてきた自分は、全く視野が狭かったのだと反省してます。皆さんはどうでしょう?

 

クレジット:

犬以外の図表などは、Democracy Index 2019 by EIUからお借りしました。引用した本文は、Creative Commons の“BY-SA 継承”です


もとに戻る?

2020-09-06 | エッセイ

 依然として、「昔に戻る」、「戻りたい」という発言が結構ある。

  

 コロナ以前の世界に戻りたいという気持ちの表現だ。しかし、よく考えてみるとコロナ発生の原因と思われるのは、人間社会の膨張が新しいウイルスとの遭遇を招き、それが世界的なコロナの蔓延を生んだのであり、さらには異常気象という大きな環境変化がコロナの裏にはある。簡単に時間がたてば元に戻る…というわけにはいかないのだ。

 <CO2: By Great Acceleration>

 基本的な異常気象の原因は、空気中のCO2の増加であり、地球の温暖化による氷河の融解であり、南極の氷の融解であり、結果として人間にとっては、吸える空気、飲める水が足りなくなるという将来があることを認識しなければならない。水資源の枯渇ということを考えると、もう過去に戻ってはならないのです。

 戻らないで、進化している部分も結構あると見受けます。

 例えばテレワーク、オンライン診療など、物理的なディスタンシングを保つこと、つまりコロナの感染から逃れるため、物理的な三蜜からの逃避が余儀なくさせたものでしょう。

 残念ながら 従来通り、全く変わらない部分も結構あります。例えば、満員電車。なぜ無くならないのでしょうか。不必要な出社を抑えれば、満員電車で定時に東京駅に着く必要は本当にはないのです。しかし、以前として昔を懐かしく思う会社の風土、部下を見渡したい中間管理者、これまでの仕事のやり方を選択するきもち、もしくは出社することを当然の社会生活だと思っていることなどに、元に戻るという動機があるようです。同時に、自宅で働くことの難しさがあるとも思います。仕事と家庭の切り替えがあいまいになって、精神的に不安定になるとか。

 <丸の内北口:東洋経済>

 コロナによって大きく変わったことが、いくつかあります。解決していかなくてはならない問題も見えてきました。

 大学の姿は、授業がオンラインになったことで、人と人とのつながりが密から疎に代わって、結果として友達が作れない、友達とワイワイやれないということが大学教育の問題として現れているようです。

 大学時代を思い出せば、非常によくわかるのですが、大学の先生との議論、友達との議論、友達とのサークル活動、大学祭などは、人が物理的に集まって、ワイワイガヤガヤやることによって、始めてその人々の内面を知ることができ、親しくなれるのです。逆に、この人は、僕が付き合う相手ではない、などという動物的な勘も含めた判断ができたのですが、それはオンライン教育では全く不可能だということでしょう。

 <大学祭>

 これは発達心理学から見ても、大きな問題で、特に小学校、中学、高校においては、まだ大人としての自己が確立してない時期に、感情と匂いと雰囲気を感じるこができないオンライン画面でのやり取りとでは、社会の中に生きる人間を育てるという社会の重要な使命から見ても、欠落するところが大きいと明らかになっていると思います。

 <社会心理学によるEGOの発達>

 それを、例えば心理学的なカウンセリングでカバーするとしても、それがまたオンライン診療 オンラインのカウンセリングということになると ボディランゲージを含め、人間の動物としての行動をカウンセラーとやり取りすることが不可能になり、的確な反応ができなくなるとと思います。

 やはり、経験から見ても対面でのカウンセリングしか考えられません。この辺は本当に手を打たないといけないことだと思います。子供たちの将来がかかっています。

  テレワークでモラルが下がっているということが伝えられます。当然のことながらジョブ・ディスクリプションに従って会社と繋がり、その成果で評価されるということだけになると、人間味のある仕事にはならないでしょう。またそのジョブ・ディクリプシオン自体を作成する際にも、その人の特性、モチーフ、独立性、将来の希望などの各要素を総合して考えないで作ってしまったら、仕事を始めたとしても 決してモラルは上がるわけがありません。

 <テレワークvs出社:H.B.R.より>

 一つの実験としては、決められた記述された仕事以外に、冒険的な、もしくは野心的な新しいことへの挑戦を含めてアサインすることが重要だと言うことが認識されてきました。言われたことだけやってればいいやでは、人間のモラルは上がらないのです。 ちょっと高い目標を目指して、できれば、ほかの人たちとの意見を交換しながら、より高い目標にチャレンジすることが、モチベーションアップの基本的な重要な要素です。それを、どうオンラインの社会で作っていくのか、これも大きな課題だと思います。

 <野心的な目標とモラル:H.B.R.より>

 もっと手短な問題としては、新入社員をどう育てていくのか、従来のOJTに代わるものがあるのか、それともハイブリッドにするのか、大切な問題も残っています。

 日本の会社全体の旧来のビジネスプロセスの再構築ではなく、リ・エンジニアリングを行って、仕事のやり方の変革が絶対に必要でしょう。もちろん、ツールとしては、DX/AIなどが現れてくるでしょう。基本は、新しい社会を作るという心構えが大前提です。

 皆さんは、どんなことを考えていますか?

 

クレジット :H.B.R. Hurverd Business Review

 


最近、味がなくなってきた

2020-08-23 | エッセイ

 新型コロナの症状の話ではない。

 最近、まあ数年と言うか、もっと長い間かもしれないが、食べ物の味や、香りがなくなってきた気がする。

 一番感じるのは、果物・野菜だ。トマト、キュウリ、りんご、ピーマンとか、本来の味はどんどん失われていると思う。

 最近、特に感じることがあったので、それを述べてみる。先日、ヨーグルトで有名なMJ社の「お客様係」と話す機会があった。このヨーグルトの箱には 「ヨーグルトの本場、ブルガリアで育まれた風味、製法を大切にして作る、日本で最も歴史ある正統派のプレーンヨーグルトです」 とある。

<ヨーグルトの説明文>

 しかし この数年、もう5年以上になるかもしれないけれど、このヨーグルトの味はどんどん変わってきていると感じている。もともとは、ヨーグルト独特の酸っぱさを補完するために、小さな袋で砂糖をいっしょに梱包したパッケージで売っていた。 そのうちに、砂糖をなくして、ヨーグルトそのものが酸っぱくなくなってきた。まあ許される範囲かと思って我慢をしていたけれど、最近とみに酸っぱさが無くなった。最近のヨーグルトは、本来の味がしない。甘ったるく、しかも水っぽい(ホエーが多い)ヨーグルトになってきたと思って、MJ社のお客様係にメールを送った。

 ヨーロッパで食べるヨーグルトは、プレーンヨーグルトでも、深みのある酸っぱい物が多い。調味料として使っている国があるくらいの味の濃さがあるが、日本のヨーグルトは、おしなべて味が薄く、甘くなってきている。これは 代表的なMJ社のヨーグルトだけではなく、競争相手である MN社やY社などの味も、その傾向にどんどん向かっているようだ。

<ベンチマークのヨーグルト>

 その傾向に向かっているのは昔からのユーザーとしては、不満だということをお客様係に述べると、彼女は酸っぱさを無くして子供たちにも食べてもらえるように努力して味を変えてきたという。それでは、日本のヨーグルトのベンチマークとなっている御社としての位置づけから見れば、問題だと思うので賛成できないと話した。御社を追いかける競合他社も同じ傾向に向かっている。これでは、日本の全てのヨーグルトが、本来の味を失っていくことになると言った。

 彼女は、製品開発の人たちに、こうした意見があったということを伝えますということで終わった。応対としては決して悪いものではなかったが、僕には内容的に非常に残念な感じが残っている。なぜかと言うと、子供達に味を教える時、今のプレーンヨーグルトがヨーグルトの味だと、大人たち、親たちは教えるのだろうか。それは間違っていないのだろうか。僕は、ヨーグルトはヨーグルト本来の味と風味をもっているものを、子どもたちにも知ってもらいたいと思う。

 日本ではおいしいと表現するとき、必ずつく形容詞が二つある。一つは「甘くて美味しい 」、二つ目は「柔らかくて美味しい」という。でも、これは何か間違っているのではないかと思う。

 これは単にヨーグルトだけの話ではない。もう一つ具体的な例を挙げてみると、僕が残念だと思っているのは、リンゴの紅玉という種類が消えてしまったことだ。本来、紅玉はリンゴの中では、酸っぱさがあって、甘さと酸っぱさのバランスがとてもいいのが良さで紅玉の売りだったはずだ。しかし、お客が酸っぱいということを嫌がると考えた生産者は、その後どんどんリンゴを改良して、りんごを美しく見せ、さらに甘くし、さらに大きくするという努力をして現在に至っている。

<紅玉>

  大型としては、ふじとか、サンふじとか、大きくて甘く、見栄えが良い林檎だけになってきた。昔は、あまり好きでなかったけど国光とか噛み付くとガリッと音がするような硬い林檎や、あと名前は忘れたけどデリシャスとかという林檎があったはずだ。こうした傾向は何を意味するのだろう。やはり林檎という本来の味を、子供たちに与えないということを結果として、やっているのではないだろうか。子供達には本来の味と香りをちゃんと伝えるのが、大人の責任ではないかなと思う。

<ふじ>

 冒頭のことを少し説明すると、トマトもそういう傾向だ。トマトもトマトの青臭いにおいがするトマトは無くなった。

 イチゴも同じことだ。今、イチゴで僕が食べられると思っているのは、断然トチオトメだ。その後、トチオトメを追いかけて、色々なメーカーや生産地が、競って赤くて大きくて、見栄えのいいイチゴを追い求めてきた。

 その結果、柔らかくて甘いだけのおいしくないイチゴたちが蔓延してしまった。これは生産者としても問題だと思う。輸送中に、柔らかくしたばかりに、形がつぶれて商品にならないと思われるものが結構あるからだ。だから、酸っぱさと甘さの他に、あるレベルの硬さも、商品として必要なわけだ。しかし、見栄えと、甘さと、大きさ競って、本当のイチゴの味を子供達に忘れさせてしまてっている現状がある。

 このままでいくと何が起きるかと考えると、前にも言った「甘くて美味しい」、「 柔らかくて美味しい」というのが、美味しい味の定義になってきて、香りとか独特の味とか、そういう独自性なあるものは排除され、日本人はそうした味を失っていくという道をたどるのではないだろうか。まあ言えば、一般的な貧弱な味に向かい、味音痴になっていくのかもしれない。

 話が変わるが、日本のフランスパンの味もどんどん変わってきたと思っている。僕はフランスにいたことがあるが、フランスのバゲットは、日本にはもうなくなったといってもいい。

 比較的良心的だと思って、僕が付き合ってきたパン屋さんも、ご多聞に漏れず、なかがフワフワで、甘さが少しあって、モチモチ感がパンの売れ筋だということに合わせて、パリとした、中もドライなフランスパンは、フォションでも見かけなくなった。 ここでも、店の店長や日本の本社とやり取りをしたが、彼らは売り上げが大切だから、昔の味には戻れないと抵抗があった。最後に残ったのは バゲット・オリジナルという名前で、従来に似たパンを残した。だいたいフランスパンは、モチモチしてるものではないはずだ。

<バゲット>

 残念ながら、日本人の味の水準がここまで落ちているということだろう。残念なことだと思う。こんなことを、子どもたちに伝えていって、本当にいいのだろうかと思う昨今だ。


コロナと5か月  

2020-08-09 | エッセイ

 7月が終わって、これまでのカレンダーを振り返ってみると、今年はコロナ騒ぎで、全く何もやってないということがよくわかった。

 やりたくないからやっていないわけではなくて、やりたくてもやれないことばかリが続いているわけだ。例えば3月から4月への桜の花見、残念ながら例年の花見は出来なかったし、その帰りの大戸屋での鯖定食も食わずに終わった。

<去年の(2019)の桜>

 4月になると、本当だったら、毎年上野の都美術館にモダンアート展をたずねて、初恋の人の絵を見るという楽しみがあったのだが、今年は展覧会が中止となって、それも無くなってしまった。上野に行くと、僕の決まりなのだが、帰りには浅草に行って、古くからの飲み屋の女将さんを冷やかすか、もしくは、生まれ故郷の谷中銀座に降りて、古くからの親しい店達を懐かしんでみたりするのだが、今年はそれもなかった。

<谷中銀座:谷中銀座商店街HPより借用>

 5月になると、毎年数寄屋橋のマリオンで行われるイタリア映画祭を、この何十年、必ず見ていた。日本未公開のイタリア悲喜劇を見るということをやってきたが、残念ながら今年は、この映画祭も中止になってしまった。したがって、そのあとの銀座をのんびり歩くとか、昼間から酒を飲むとかの楽しみは持てなかった。

<イタリア映画祭中止の知らせ:イタリア映画祭HPより作用>

 4月から5月にかけては、例年、横浜にある二つの大学の公開講座を受け始めるのが習わしだった。昨年のカレンダーを見ると、横浜市立大学と関東学院大学の公開講座を受けていたようだ。楽しかった授業も取り上げられて、ステイホームの生活になってしまっている。

<大学の公開講座 2019>

  そういえば、大学からの同期三人組の会合も、今年はモテそうもない。これからも期待できない。お互いにもう年だから、くたばるのだからやはりやっておこうと思っているのだが、コロナはそれを許してくれないようだ。もっと言えば、春には2、3泊の小さな旅行をすることがイベントだったけれど、それも今年はできず、欲求不満が溜まっていく。あーつまらない日々がすぎるなあという感じだ。

 日常生活では週に二回、食料品を中心とする買い物に出かけ、すぐ帰ってくる。ほんとうだったら、その帰りに、どこかによってうまいアイスクリームでもナメていたのだが、それもできない。

 変な話だけれど 僕は心臓君に病気を持っているので、お医者さんに二月に一回は、でかけて定期検診を受けている。しかし、この頃はテレワーク診療ということになっていて、先生にも、看護師さんにも、顔を合わすことはなくなってしまった。まあ薬だけは貰っているだけで、幸せなのかもしれない。病院には行きたくないというのが本当の気持ちなのだが、時には元町まで出かけることは大切な時間の過ごし方だったのだなあと振り返ったりする。

<テレワーク診療:日経新聞より借用>

 帰りにフォションのパンを買いに行くのが習わしだったが、それもなくなってしまった。やはり、RFのお惣菜ぐらいは食べたいものだ、なんて思う。もうこれからはそういう機会はできないのかなあと思っている。でも作らなくちゃなーとも思っている。

 今年、前半7月まで楽しかったことは、僕の娘が誕生日を迎えたことだ。毎年、誕生日には彼女の家族4人用に、僕に言わせれば高級なステーキを買って、送るのが習わしになっている。今回も東京・江戸川区の牛肉専門店に頼んで、何年も続いている恒例のステーキを4枚送ることにした。こんな高級な肉は自分では食わないのだが、今回は気晴らしも兼ねて食べてみようということにして、自分用も買って焼いて食べてみた。

<赤身ランプ肉>

 赤身のランプ肉のステーキだ。250gはあるから、十二分の量になったようで、子供たちも、孫たちも喜んでくれたと知らせてきた。嬉しかった。

<金沢動物公園:HPより借用>

 この夏は、特にやる予定はない。動物公園に行きたいという希望はあるが、実現できるかどうかわからない。もう一つの目論んでいることは、上野の美術館に一度行ってみたいとは思っている。しかし上野までだが、電車に乗りたくないから車でということになる。

  会場での、ソシアル・ディスタンシングがどのぐらい徹底して行われるかによって、素敵な行動になるか、つまんないものになるかが決まってくる。けれど、今は分からない。まあ何かやっておくのが、自分にとっていいことだろうと僕は思っている。

 このコロナはいつまで続くのかわからないが、今、第二波がきているようだから、特に東京には 、感染者が470人台という数字になって、小池さんは孤軍奮闘している。一方、政府では本当の責任者が決まらず、官房長官は「東京の問題」と限定して突き放している。

 これが東京の問題で終わるわけはないだろう。東京というより、東京を含む神奈川、埼玉、千葉の4つの都府県で対応することが要求されていると思う。が、 政府はそれを地方自治体に丸投げしている。聞くところによると、国立感染症研究所の仕事のやり方(サンクチュアリーと呼ぶ人もいた)を変えることができてなくて、保健所の窓口は旧態然として人力によって処理している影響もあり、「調整中」という自宅待機の感染者は1000人強もいるようだ。これも早く片付けてもらわないと、この第二波の準備は進まないと思う。今がやる時なのだ。

<東京の感染履歴:朝日デジタルより借用>

 まあそんなことで、時間が過ぎていく。仕方ないと思いながら、こんなのは“つまらない”とつぶやいてみる。人間という動物にとって、動いて自由に歩けないというのは懲罰です。早く、楽くに動ける時間が作れるといいなと思いながら、我慢しながら生活しています。

 皆さんはどうですか。お大事に!