今年(2018)も、忘れられない日の一つ、9.11をアメリカのTVで見た。日本では、ほとんど特集は組んでいないようだった。
2001年9月11日の夜、TVを点けると、すぐには理解できない映像が流れていた。ニューヨークのワールドセンタービル(WTC)二棟に旅客機がためらいもなく突っ込んでいた。しかも、連続して二機もだ。ペンタゴンにも、一機が突っ込んだというニュースも流れた。アメリカがテロ攻撃を受けているのだと理解するには、ちょっと時間がかかった。これはリアルなのかと、何度も画面を見直した。

<攻撃直後のWTC>
ハイジャックされたUnitedとAmericanの4機のうち2機がコースを変えて、WTCの北棟(#1)と南棟(#2)に順次ぶつかって、二棟とも焼け落ち、3000人以上の犠牲者を出した事件だった。

<宇宙から見た燃えるWTC>
ここで書きたいことは、この事件が最終的にアメリカ人にどういう影響を残したかを推測してみることにある。
世界的規模での話をすれば、ご存知の通り、アメリカ人の持つ「America is No.1」という安心感から、政治的にも社会的にも「見えない不安」への転換のトリガーになった9.11だったようにみえる。
犯人は、ビンラディン率いるアルカイダの仕業とアメリカ政府は決めつけた。そして、これがアメリカ本土への最初の武力攻撃だと、アメリカ国民の気持ちを不安から怒りに変えた。太平洋戦争の日本軍の真珠湾攻撃は、あれはあくまでハワイという孤島であり、アメリカ本土への攻撃はこの9.11が初めての事だったから、ショックは大きかった。同時に、アメリカ人の怒りはアラブに向けられ、イスラム原理主義、そしてアラブ社会、そののものに向けられた行った。
結果、イラクに矛先は向けられ、フセインを倒せと戦争を始め、さらにはアフガニスタン攻撃にまでエスカレートして、世界をテロと戦争の世界へと向かわせることになったのはご存知の通り。イラク戦争でブッシュがフセインを倒したことで、それが「アラブの春」の引き金になり、アラブの世界の全体を不安定にし、今も続く混乱が多数の難民の流出をもたらした。
この間アメリカ国内では、「なんとなく大丈夫だ」という空気を、「見えない不安」へと、国民を導いていったようだ。
そして、多民族・多宗教・文化の多様性を標榜していた民主主義の代表だったアメリカを、より偏狭な非民主的、恐怖心に満ちた世界、孤立の世界へと変えていった。復讐心は、暴力を生み、テロの連鎖につながって今日がある。
ついには、トランプ大統領の就任で、教育と宗教により育っていた許容にあふれた礼節の心は、その歯止めを失い、セルフィッシュな思った通りのことを公に言っても、行動してもいいのだ、とアメリカ人の半分は考え始めた。僕が尊敬していた民主主義の代表であるアメリカは変質したと見える。
価値観的に見れば、アメリカは多文明を否定し、多文化を容認せず、多極化やグローバル化を排し、モンロー主義的なような偏狭な孤立国家の方向へ入り込んでいるように見える。
国際社会におけるアメリカの大国としての存在感など気にもしないで、CCPパリ協定(地球温暖化対策)から脱退した。これ以上、地球の温暖化が進めば、世界中がアメリカを含めて、被害を受けるかもしれないとは考えなくなっているようだ。

<9月の熱帯低気圧 左から2っ目:台風22号、右から3っ目:フローレンス>
個人レベルで見れば、アメリカ人には何でも許され、自分の幸せだけを追求していく権利があるのだと考えているようにも見える。

<肥満のニューヨーカー>
これには、9.11が大きく影響していると、僕は思う。
1990頃まで、アメリカの社会では肥満の人を、自己コントロールができない人と普通に考えられていた。だから、肥満は自分で厳しく管理して行くのが当然だと、広く信じられていた。しかし、最近のニューヨーカーを見ると、結構な肥満体を見る。これは何だろうと考えた。
僕には、こんな考えが浮かんだ。9.11以降、「明日のことはわからない」という気持ちが、従来コントロールされていた食欲の開放へとつながり、生きている今のうちに、自由に好きなだけ、楽しんで食べればいいや、と変化してきたのではないかと思う。データは、結果の肥満の増加を示している。

<肥満度の推移>
こう考えると、敬意をもって見ていたアメリカも変わったものだと思ってしまう。

<グランド ゼロ>
3000人の鎮魂は、これで終わったのだろうか?そして、アメリカはどこに行くのだろうか?