ハイジの宿題が今朝遅刻寸前まで頑張ったのですが、終わりませんでした。
きっと、学校へ行って、かなりこってりと絞られていることでしょう。
今の子どもは大変ですよね。
私など、あまりした記憶がないのです。
漢字とか、計算はあった気もしますが、
たまにだった気がします。
漢字に計算、音読、読書、日記
いろいろ大変です。
その点、国立大附属のドロは良かったと思います。
まず、宿題がほとんど出ません。
すべては本人の自主性に基づいて、
自主学習ノートがあるだけです。
出すも出さぬも自由です。
うちは、勤勉性に掛けているので、6年間で、何冊出したものかも分かりません。
ただ、確か、3年生のとき、
自主ノートの提出者を、先生が、週刊のクラス通信に載せたことがありました。
そのとき、
たまには出していたドロは、
やっているのに、全く出さない
と言う行動に打って出たのです。
私は、彼女の行動に、かつての自分を見た気がして、ずっと見守りました。
最初のころは出していなかった子が、どんどん、毎週提出するようになり、最後には、毎週、わが子の名前のみが載らないという日が続きました。
きっと、保護者の間では、誰が載っていないと突き止められ、噂になっているのだろう。
果ては、勉強しないドロちゃんとは付き合わないほうがいいとか・・・・。
なんて、予測しながらも、
黙って見守るしかありませんでした。
「どうして、やっているのに出さないの?」
と聞いたら、
あんな先生って思ったから
というドロの返事でした。
思えば、私も、反抗的な生徒でした。
そっくりですね。
私は、小学校5年のときの先生と相性が合わず、
その日の朝、一番によそ見をした人を先生が指名します。
すると、そのよそ見をした人は、教室の床を雑巾がけをしなければならず、雑巾がけをしながら、よそ見をしている人を見つけて、指名すると、自分の席に戻れるという、罰ゲームでした。
ほかにもたくさん、罰ゲームがありました。
そこで、私は、友達のミスをついて、自分が戻れるというやり方が気に入らず、私がよそ見をして、指名されると、私は、その日の最後まで雑巾がけをしました。
とにかくその先生の異常とも思われる行動に反抗し続け、通知表は、ものすごく悪かったです。
特に、行動面でCCCCCCCCC
のオンパレードでした。
その通知表をめぐって、今度は家で、両親が育て方の責任の擦り付け合いの喧嘩が始まるのです。
それが一番嫌でしたし、その頃から、私は、いつも、親のことも冷静に見ていた気がします。
所詮、人が人を点数でつけるなんて、当てにはならないものだし、低俗だと感じていたと思います。
なので、私は、今、自分の子どもには、通知表のことでとやかく言うことはしていません。
夫の両親は、通知表で、お金をくれたり、上がった下がったとか、この成績だと、○○高校だなとか、××大学だな。ということを子どもに言うので、困惑しています。
自尊心を保てるように、努力してはいるつもりですが、
それで、その私の5年生のときの先生ですが、
高校の合格発表後に、
その学区内でいける最高偏差値の高校に私が合格し、当時は新聞に名前が載ったりしましたので、
手紙をくれたんです。
当時の私の行動を、褒めるような内容で、その性格と気質から、やはり、○○高校へ行けると思っていた。
というような書かれ方だったと思います。
ほかの人に聞きましたが、その先生から手紙が来たという人はいませんでした。
今、30年以上過ぎて、この間70歳を超えた方にその話をしたときに、きっとその先生は、謝罪の意味をこめての手紙だったんだと思う。
といわれました。
でも、15の春の青二才、真っ只中の私には、
なによ今更!
という気持ちでいっぱいで、すぐに破って燃やしてしまいました。
勿論返事なども書きませんでした。
ハイジにとっては、今年が反面教師の年のようです。
宿題をやり終えられなかったあなたが悪いのですが、
だからといって、
あなたの、価値が低いわけでもなく、
宿題を終えられなかったことが、あなたを否定することではないことを、
分かって欲しいと思っています。
あなたは、とても美しい、優しい心を持った素敵な、世界でたった一人の人間であり、あなたは天才なのだから・・・・。
今頃、学校で、相当、馬鹿だとか、だめな人間だとか、将来殺人犯になるとか、動物園へ行け。とか
、延々と言われているのでしょうね。
でも、これも、私は、試練だと思っています。
きっと、いつか、この先生のお陰で、
善悪の判断力や、慈愛、物事の本質、社会との関わりを学んだと
思える日が来ると思います。
私は、あなたが、この試練を乗り越えられると信じています。
きっと、学校へ行って、かなりこってりと絞られていることでしょう。
今の子どもは大変ですよね。
私など、あまりした記憶がないのです。
漢字とか、計算はあった気もしますが、
たまにだった気がします。
漢字に計算、音読、読書、日記
いろいろ大変です。
その点、国立大附属のドロは良かったと思います。
まず、宿題がほとんど出ません。
すべては本人の自主性に基づいて、
自主学習ノートがあるだけです。
出すも出さぬも自由です。
うちは、勤勉性に掛けているので、6年間で、何冊出したものかも分かりません。
ただ、確か、3年生のとき、
自主ノートの提出者を、先生が、週刊のクラス通信に載せたことがありました。
そのとき、
たまには出していたドロは、
やっているのに、全く出さない
と言う行動に打って出たのです。
私は、彼女の行動に、かつての自分を見た気がして、ずっと見守りました。
最初のころは出していなかった子が、どんどん、毎週提出するようになり、最後には、毎週、わが子の名前のみが載らないという日が続きました。
きっと、保護者の間では、誰が載っていないと突き止められ、噂になっているのだろう。
果ては、勉強しないドロちゃんとは付き合わないほうがいいとか・・・・。
なんて、予測しながらも、
黙って見守るしかありませんでした。
「どうして、やっているのに出さないの?」
と聞いたら、
あんな先生って思ったから
というドロの返事でした。
思えば、私も、反抗的な生徒でした。
そっくりですね。
私は、小学校5年のときの先生と相性が合わず、
その日の朝、一番によそ見をした人を先生が指名します。
すると、そのよそ見をした人は、教室の床を雑巾がけをしなければならず、雑巾がけをしながら、よそ見をしている人を見つけて、指名すると、自分の席に戻れるという、罰ゲームでした。
ほかにもたくさん、罰ゲームがありました。
そこで、私は、友達のミスをついて、自分が戻れるというやり方が気に入らず、私がよそ見をして、指名されると、私は、その日の最後まで雑巾がけをしました。
とにかくその先生の異常とも思われる行動に反抗し続け、通知表は、ものすごく悪かったです。
特に、行動面でCCCCCCCCC
のオンパレードでした。
その通知表をめぐって、今度は家で、両親が育て方の責任の擦り付け合いの喧嘩が始まるのです。
それが一番嫌でしたし、その頃から、私は、いつも、親のことも冷静に見ていた気がします。
所詮、人が人を点数でつけるなんて、当てにはならないものだし、低俗だと感じていたと思います。
なので、私は、今、自分の子どもには、通知表のことでとやかく言うことはしていません。
夫の両親は、通知表で、お金をくれたり、上がった下がったとか、この成績だと、○○高校だなとか、××大学だな。ということを子どもに言うので、困惑しています。
自尊心を保てるように、努力してはいるつもりですが、
それで、その私の5年生のときの先生ですが、
高校の合格発表後に、
その学区内でいける最高偏差値の高校に私が合格し、当時は新聞に名前が載ったりしましたので、
手紙をくれたんです。
当時の私の行動を、褒めるような内容で、その性格と気質から、やはり、○○高校へ行けると思っていた。
というような書かれ方だったと思います。
ほかの人に聞きましたが、その先生から手紙が来たという人はいませんでした。
今、30年以上過ぎて、この間70歳を超えた方にその話をしたときに、きっとその先生は、謝罪の意味をこめての手紙だったんだと思う。
といわれました。
でも、15の春の青二才、真っ只中の私には、
なによ今更!
という気持ちでいっぱいで、すぐに破って燃やしてしまいました。
勿論返事なども書きませんでした。
ハイジにとっては、今年が反面教師の年のようです。
宿題をやり終えられなかったあなたが悪いのですが、
だからといって、
あなたの、価値が低いわけでもなく、
宿題を終えられなかったことが、あなたを否定することではないことを、
分かって欲しいと思っています。
あなたは、とても美しい、優しい心を持った素敵な、世界でたった一人の人間であり、あなたは天才なのだから・・・・。
今頃、学校で、相当、馬鹿だとか、だめな人間だとか、将来殺人犯になるとか、動物園へ行け。とか
、延々と言われているのでしょうね。
でも、これも、私は、試練だと思っています。
きっと、いつか、この先生のお陰で、
善悪の判断力や、慈愛、物事の本質、社会との関わりを学んだと
思える日が来ると思います。
私は、あなたが、この試練を乗り越えられると信じています。