ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ツツジが咲く頃、せつに祈ること

2013年04月30日 | 示されたこと

Tuzuji  今年もツツジが咲いている。東京の方が故郷広島より、ずいぶん早く咲いているような気がする。たぶん当たっているだろう。広島では5月のゴールデンウィークがちょうど見頃だった。

 ツツジの花咲く季節になると、決まって思い出すのは、青年時代、教会の仲間と瀬戸の音戸に観に行ったことだ。平の清盛が、陸と島との浅瀬を開いて海運に寄与したと言われ、わたしはこの高台のパーキングからツツジ越しにらせん状の橋と海峡を観るのがなぜか好きだった。

 桜は春を知らせるがおおむね、まだ寒い時期だ。日本人の季節感はせっかちで少し早とちりだと思う。しかしツツジは、ほんものの春のさ中で咲く。春の暖かさを堪能できるうれしさがツツジにはあるからなんだろうと思う。(写真は今日の蚕糸の森公園)

 いつも不思議に思うのだが、植物には目も耳も脳みそも、もちろん時計とかカレンダーとかネットや携帯は無い。それなのに彼らは実に正確に時を知り、咲くべき時に一斉に咲く。どのようにして「時」を知るのだろうか?大不思議である。
 もちろん植物も神が造られたのだが、この緑の生き物をまずもって地球に生えさせられた。どんなに人間や動物が「動けるぞ」「脳みそがあるぞ」と威張ったって、食物連鎖の最下部は例外なく植物であり、酸素の製造も植物に依存している。いわば頭が上がらない相手なのだ。

 人間社会においても、もっとも下働きの人々こそ、その社会の成否を決める、教会においても、牧師や伝道師というプロより、普通の教会員がどんな信仰をもっているかの方が決定的に重要だ。新しく教会に来た人々は、指導層も見るだろうが、その結果である信徒の有り様こそ「論より証拠」で見抜けるからだ。それは生命の土台、植物のように、大きい。だから教会員一人一人の信仰が堅くされ、実際的にも幸福にされ豊かになれるよう、心から神に祈る。また教会としての有り様は「互いに仕え合える」教会形成だと思う。 ケパ


 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラ 5:13)

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