ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ミッション

2013年04月02日 | 信仰

 ローマ法王の辞任だが、「600年ぶり」と言われている。しかし600年前には、ローマ法王が複数いて、整理統合するために辞任をしたのであって、実際には死ななければやめられない職務だ。なにしろ使徒ペテロの後継者であって「天国への鍵」を持っているので、天国へ行く前に手放すことは考えられないわけだ。

 ともあれ、後継法王を選出する根比べ(コンクラーベ)が意外に早く終わってみると、選ばれたのはアルゼンチン出身の枢機卿だった。今や世界最大のカトリックの地盤である南米が、どうしてそうなり得たのか?そう思った時、映画「ミッション」を思い出し、もう一度みたくなった。Mission

 映画のあらすじなのだが、1750年にパラグアイで起こった事実をもとにしている。イエズス会士たちは殉教者を出しながら未開の原住民を信徒にすることに成功。彼らをジャングルから導き出し、立派な教会堂を中心に産業を興して、地上の楽園を築きかけていた。しかしイエズス会の強大さをねたむポルトガルから、領土変更に伴う移住、土地への一切の権限を奪われ、隷属をさせられそうになるや、現地イエズス会士たちは法王(枢機卿)の命令すら拒否し、自分たちが教導している原住民たちとともに全員が戦って死んでいく。

 「(不正義の世俗と妥協して)生きている者は死んでいるに等しく、神の使命に死んで行った者たちは永遠に輝かしく生きている(枢機卿)」フィナーレのこの言葉が印象に残る。主演はロバート・デ・ニーロ。

 このように、自分たちが白人であることを忘れ、現地人に生命を捧げてのカトリック布教があったればこそ、南米大陸が強固なカトリック信仰の大陸となりえたことは容易に察しがつく。殉教者は命を失うが、その命はその名とともに永遠に輝き、次世代にわたってこのような大きな勝利を得て行く。ところが命を惜しんだ者は、名もなく忘れられ、ただ滅んで行く。

 

 この日本では今、「命、命が一番大事」と、生き様はどうとあれ、とにかく生きることが金科玉条のように言われている。が、それはつまり命を超えるものを持ってない人々の国なのだと、深く考えさせられる。戦前のように天皇のためには二度とごめんだが、「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」類いの、命の真の使い方がわからぬまま、ただただ同胞が生涯を終えていくのを見るのは、本当につらく悲しいことだ。生きている内にこそ、永遠のために命を用いることができるのだ。聖書にはその唯一の道が明確に書かれている。日本人が聖書の神を知ってほしいと痛切に祈る。

 

 まだ「ミッション」を観ておられない方は是非一度、レンタル視聴を。  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする