ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

焦りを感じた時に・・・・・

2013年04月08日 | 示されたこと

   最近、「(後輩が熱心になって進歩しているのに)自分にはそれがなくって」と相談を受けた。これは信仰の世界の話である。御言葉にも「先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです」とイエス様の言葉がある。だから追い上げられた焦りも、この方には少しあるのかもしれない。

 実はこの私だって、少々情けなく思うことがある。それは、いつまでたっても自分の「肉」が亡(な)くならないことである。これまでは「身体が世にある限り仕方ないのかも」とか思うことにしていたが、最近になってこれは、「身体があるための止むを得ないものというより、自分の内にある霊的な悪しきモノもそこにある」と感じるようになった。無論、聖霊様が私を支配していてくださるように私は祈り、実際そうなっているのだが、それでも私の肉なる自我は確かにFire有って、完全には滅ぼされてはいない。それどころか隙あらば・・・とチャンスをうかがっており、霊性が落ちたりした際には、プツ、プツンと出てくるのである。明らかに回復しようと窺っている。

 うっかりすると、本当に乗っ取られそうになるので(その度に私は自分の現状を思い知らされ)、「神様助けてください!」とヘルプコールを要請する。するとまるで火事場に駆けつけた消防隊のようにたちまち、鮮やかに鎮火されるのである。この手の熟練度を上げると、何事も、まだ火勢が弱い時に、気が付き次第神さまに119番するのが肝要であると分かる。教訓、「初期消火第一」(写真は3日前、近所で火事があった時の様子・・・・本文とは関係がありませんが、見事に即鎮火となりました)

 今朝、祈りの中で、私がいつまで経ってもこのような対応に追われる状態であることに少々焦りを覚え、
「神様、これが私の高慢を砕かれるためなら、どうぞこのままに。けれども、何か私の霊に不忠実な悪しきものがあって繰り返しているのでしたら、どうかそれをお取り扱いください
Photo。そしてこの幼子状態から、少しはあなたに安心していただけるような年長の者にしてください」と祈った。・・・・しばらくして次のような示しがあった。
 「無論、悪しき思いは私からのものではありません。それで、神からの助けを、今以上に徹底して求め続け、いささかの悪も思いの内に入らないようにしてみなさい。(う~む、初期消火活動に徹することか・・・・)そうすると開かれるところがあります」と。

   閑話休題

 この日の午後、テニスの壁打ち場に行くと、何年ぶりかだろう、工事中だった橋が部分開通して(写真)おり、これから遠回りしなくて済むと感激して渡った(写真)。また済美運動Photo_2公園(写真)という広大な公園も開通しており、さらに快適に壁打ち場にまで行けるようになっていた。「何という良き日、やった!」と喜んで壁打ち場に着くと、何と肝心の壁打ち場が今日は閉鎖してあった。「な、何だあ」とガッカリし、感謝して帰った。が、「待てよ、これは偶然ではない」と途中で思うようになった。
 今朝の祈り、それが橋の開通とか公園の開園であり、それは素晴らしいことなのだが、どうもそれだけで即開かれるという風にはならない感じだ。そんな示しに思わさせられた。いずれにしても、到達する目標が目に見える所まで行ける希望がわいた。しかし本当に到達するためには、さらに忍耐も今後必要なようだ。感謝。   ケパ

コメント
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