阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(19) ゆく年

2018-12-29 20:33:36 | 栗本軒貞国

栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は冬の部から三首、

 

      遊里餅搗 

  和らかな其上を又よねの手にもまれて丸むさとの餅搗



      煤払 

  そうち際立てきたなし煤払の箒てよこす軒のしら雪



      除夜 

  武蔵野の秋の外にもゆく年の尾花に師走の月は入けり

 

今年もあと二日余りということで、餅つき、すす払い、除夜と続く冬の部ラストの三首を読んでみたい。

一首目の「よね」は遊女のことで、「和らかな」がキーワードになっている。遊女の柔らかな手にもまれて餅が丸まってゆく、世の男性にとってはちょっと気になる表現かもしれない。遊里、遊女は狂歌の題材として多数詠まれていて、狂歌家の風にも数首ある。遊女について改めて書いてみようというモチベーションも元気も持ち合わせていないので、この際まとめて紹介しておこう。

 

      遊里五月雨 

  はまり人の多いか無理か五月雨に恋の淵とも見ゆるいろ里

      遊里菊 

  あかつきの星かあらぬか大尽をおきまとはせる床のしら菊

      遊女年明

  くかいしてつとめの年も十かへりの花やかにして出るさとの松 

      樹下に辻君の絵に 

  辻君と木の下陰を宿とせははなや今宵の名残ならまし


辻君は路地などに店を構えた下級の遊女で、これは画賛の部に入っている。貞国は広島だとどこの遊郭に行ったのかなど気になるところもあるのだけれど、ここはこれぐらいにしておこう。

年の暮の歌に戻って二首目の煤払い、「煤払の箒てよこす軒のしら雪」というのは貞国らしい着眼点だ。ただ、最初の「そうち際立てきたなし」がもうひとつはっきりしない。これは掃除している人が「たちて」なのか、箒を「たてて」なのかどちらだろうか。汚いのは箒だからここは一応後者で読んでおこう。

三首目は除夜という題。旧暦の大みそかならば月は新月に近く、しかも有明の月で眺める頃には年が明けている。すると「師走の月」は単に十二月ということでお月さまは無関係と思われる。「ゆく年の尾花」も一年のラストぐらいの意味で、尾花は武蔵野の縁語、月もそうだろう。武蔵野の秋については狂歌家の風の中に十五夜の名月を詠んだ歌がある。

 

       三五夜

  七草にかゝめた腰をけふは又月にのはするむさしのゝ原

 

これも、草、月、原が武蔵野から連想されている。そして除夜の歌も武蔵野の名月が下敷きになっているのは明らかだろう。貞国に限らず、上方狂歌の系統で武蔵野という言葉は、遠いところのだだ広い野原という風に他人事のように詠まれていて、実際の情景が浮かんでくるような歌は少ない。実はこの三五夜の歌も、元は武蔵野ではなかった。明治41年、広島尚古会編「尚古」参年第八号、倉田毎允氏「栗本軒貞国の狂歌」の中に

 

      吉野山にて花をよめる 

  七草にかゞめた腰を今日は又月に伸ばする見よしのゝ花


とある。これはさすがにピントがはっきりしない歌で直しが入るところだろう。サラダ記念日が実はサラダではなくカレー味のカラアゲだったというような推敲は昔からあったようだ。話がそれた。「狂歌桃のなかれ」にも武蔵野が入った貞国の歌がある。


  むさし野もなとか及はむ空々と真如の月のすめる此はら



「空々」は「空々寂々」と真如の悟りの境地を指す言葉のようだ。武蔵野の原も及ばないと詠まれた大きなお腹は布袋様だろうか、しかしここでも武蔵野は比較の対象でしかない。貞国や上方の人がどういう気持ちで武蔵野という言葉を使ったのか。広島に住んでいる人が東京へ行くと、関東平野の広いところへポツンと置かれた感じで毎日落ち着かないという話はよく聞くけれど、これもそういう疎外感なのか、それとも江戸狂歌に対するコンプレックスなのか、もう少し探ってみたい。しかし、このフレーズを何度も使っているうちに、今年も暮れてしまった。



(以下の追記について、このあと読み始めた大田南畝の類歌を合わせて「大さかつき」として独立の記事としました。同内容ですが、この追記も歌を読み解いた過程として残しておきます。)

【追記】 内海文化研究紀要11号に、屏風に張り付けた懐紙に書かれた貞国の歌の写真があり、武蔵野が入っている。


      酒百首よみける中に
      秋の部 月を

  其名にし大さかつきの影さしてはら一はいにみつる武蔵野  柳縁斎貞国


最初は初句の意味がわからなかったが、「狂歌ならひの岡」に、


       晴天旅          林端 

  やつの詠めなにしあふみの旅路にもひとつはかけし唐さきの景 


という歌があり、「名にし負う」と続いていることにやっと気づいた。この貞国の歌もまた、月、原、そして、名にし負うも武蔵野の縁語だろうか。武蔵野に月影がさして「原いっぱいに見つる」、大盃で「腹いっぱいに満つる」とかけている。スケールの大きさは感じるけれど、やはり武蔵野は漠然としたイメージで詠んでいるような気もする。

追記の追記:大杯を「野見尽くさぬ(飲み尽くさぬ)」と洒落て武蔵野と呼んだという記述があり、これを見落としていた。武蔵野杯という大盃があって「その名にし負う」と言っていたわけだ。するとこの歌では地名の武蔵野はビジョンであって、月を見ながら大酒を飲んでいるのが主題というべきだろうか。

「西鶴織留」で武蔵野が出てくる場面、

「此の御坊酒ずきとみえて、杯小さきをなげき、「我常住のたのしみに是れを飲むより外はなし。昔上戸ののみつくさぬとて名を付けし、武蔵野といふ大盞(たいさん)はないか。」といふ。」

また、狂歌肱枕(明和四年)に武蔵野と大盃の入った歌があった。


         野      韓果亭栗嶝

  すつと出た大盃の月影も千畳敷と見ゆるむさし野


貞国の大さかづきの歌と同じ趣向だろうか。



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