社会科塾講師☆ブログ~しゃかりき!~

元社会科塾講師が勉強方法や社会科について
書いています。

歴史模擬授業も展開中♪

勉強方法について思うこと

2024年11月06日 19時32分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございます。

なかなか更新できなくすみません。
こんなにプライベートで
苦しむことになるとは!という状態ですが、
自分が生きていく中で苦しまなかった時期は
なかったので、
「まあ、また頑張るしかないなぁ」と
いう、前向き?な気持ちはあります。


少なくとも、子供に勉強を教えて、
楽しく過ごせる母子関係を築けていることは
学校側がどれだけ私を悪く言おうと
何も恥じることないと思ってます。 


学校とは対立する関係と
なってしまいましたが、
自分が生徒だったときも
塾講師のときも、
家庭教師だったときも
水面下では対立はしてたので、
また、学校に頼らず
自分で頑張れば良い
というだけです。


世間は「誰かを頼れ!
自分だけで抱え込まないでー」
「学校の先生は教育のプロだから任せれば万事オッケー!
と言う人がいて、
それが善意でのアドバイスだとしても
かえってストレスだったりします。



実際には「1人でがんばらなきゃ!」と
背負っているわけではなくて、
「頼った結果がこれなんだよー!
自分で抱え込んでなく、自分で色々と
思考して考えたいだけなので、
頼りたくなったら、頼りたい相手に
頼るので大丈夫!」
という感じです。


学校の先生だって、人によると思います。




私はかつて
家庭教師や学習塾の塾講師だったとき、
主要五教科すべてを
需要があれば教えていました。
(進学塾では文系科目のみ担当。)

2度の流産、出産、育児、
そして、子供の関係で仕事に復帰できず
とてつもないブランクに
なってしまいました。
(定期テスト直前の授業中に
2度流産してしまい、テスト直前の休講を
してしまったのがきっかけで退職。
その後、様々な要因が重なり、
結果的に復職できず。)


なので、子供が学校に行き始めた時期に
「私のやり方は古いかもしれない。」
「私のやり方では通用しないかもしれない。」と、子供のテスト対策授業を
するのが怖かったのですが、
きちんと努力に連動した結果を
出せたときはホッとしました。

この10年で、
学習環境はかなり変わりました。

しかし、タブレット学習に変わろうが
話し合い学習に変わろうが

「勉強ができるようになる」と
いう根本は、昔から変わってないな、
と実感したのが今年の大きな発見です。


タブレット学習は
あくまで「調べ物」や
「問題演習量をこなす」ためには
大変有効で便利なものだと
思いますが

「理解するため」には
紙での勉強のほうが
有効だな、と個人的には思いました。

紙だと、すぐに書き込めるし、
全体が把握しやすいから。

そして、教科書やノートのように
1つの冊子になっていると
あらゆる情報を自分用にカスタマイズして
いけるので。


あと、これは私や子供の特性なのかも
しれませんが、
光源の光(タブレット)より、
反射光の光(紙)のほうが
頭に入りやすく、長い時間勉強できる気が
します。
光源だと、目に入る情報量が多く、
目や脳が疲れてしまう、そんな感じ?
ですかね。
3時間くらいぶっつづけに
勉強するには紙の方がストレス少ないです。


また、実際に鉛筆やシャーペンなどで
書いてノートにまとめたり、答えを書いたほうが、私や子供は頭に入りやすいです。



タブレット学習で成果を出せる人もいるので
一概に紙の方が良い、タブレットの方が良い、と言いたいわけじゃなくて、


紙の方の勉強が合う子、
タブレット学習の方が合う子、
もいて、

さらに、勉強する内容によって
個人個人で使い分けてもオッケーな
勉強環境が整えば良いなぁ、と
個人的に思います。


教育って、何かをやれば、みんな同じ効果があるわけではなくて、奥深い分野なので。


なので、「今の学校の教育方法が
合わない子は一定数いて、
でも、その子は勉強苦手な子ではない
可能性もある」と。 

今回はただの呟きです。

歴史授業関連も作成中なので
これからもよろしくお願いいたします。




しばらく更新できず失礼いたしました

2024年11月01日 16時13分00秒 | 近況報告
なかなか更新できなくて
すみませんでした。


更新できなかった理由は
プライベートで色々とありまして、
書こうとは思っても書けない、
書いても言い訳じみたものや批判めいたもの
ばかりになってしまい、書いては消して、
書いては消しての繰り返しになってしまって
いました。

プライベートのことは、主に
子育てと学校との関係性での悩みですが

このブログは
「母親ブログ」ではなく
「テスト対策、受験対策」
および
「塾や家庭教師ベースの教育論の展開」
としてのブログのつもりなので

「教育観点」での話はするつもりですが
一人の「母親」としての話はするつもりは
ありません。


屈辱感も罪悪感も怒りも悔しさも、
すべて、「母親」としての私の感情であり
それは「勉強を話す元塾講師」としては
切り離すべき感情だと思っているので。


ただ、今回の一連の悩みを一言で言うと
「学校教育に頼ることの限界を感じたこと」。


自分が小学生のときから、教育実習生、塾講師、家庭教室、母親業のすべてを通して
「学校」には苦しめられてきたけれど
「義務教育の学校ありきの世界」の中で
いかに自分らしく生きるか?
生徒さんたちの期待に応えるか?で
がんばったけれど、
もう、我慢の限界が来ました。


本来は「勉強」は「学校だけが独占して良いものじゃない。独占するならするで、もっと勉強を大切にした授業やテスト作成、生徒指導をしてほしい。」と思ってしまったら最後、なんか、もう無理でした。

これ以上、義務教育の学校に合わせたら
自分が壊れる!と。



義務教育期間中の学校の今の学校教育に合う子は合うけど、合わない子は徹底的に合わない、その合わない子の中には、
「本来、昔ながらの真面目に1人で
黙々と勉強したら才能が開花できた子」や
「誰かと話すことより、本を読むことにより勉強が好きになるはずだった子」
が昔の学校制度よりも多いのでは?と
思いました。


昔は「学校に行きさえすれば」なんとかなった将来が、今は「無理して行っても得られるものはない気がする」とさえ、思えました。


このブログを始めた当初は
「学校の定期テスト対策のため」も
ありました。

でも、
これからは
「定期テストにも対応した記事は
書きたいけど、学校行っている行ってないに関係なく、教科書主軸にしつつ、


受験のための勉強の方に主軸を置きたい」
「学校生活や受験は関係なく、
子どものときに
歴史を学ぶことをしていき、
大人になりたい。」
と思えるような記事を書き続けたいと
思います。

しばらくは、更新が頻繁におこるできる時期、できない時期がでてきそうですが
可能な限り、更新を続け、同人誌を作成していきたいと思いますので、よろしくお願いします。



写真はハロウィンのイラスト。
この1ヶ月、色々とありすぎて
この絵しか描けませんでした。
なんか、悔しいです。



山の上にあるお城に旅行に行ったときのお話マンガ

2024年10月08日 17時49分00秒 | おすすめ☆歴史スポット
みなさま、本日もありがとうございます。

今週はプライベートで忙しくて
パソコンに向かえない日々が続いているため
ブログ更新をマメに行えないとは
思いますが、来週以降に、また定期的更新を
できるようにしたいです。

本日は、以前描いた漫画を
アップしたいと思います。

子供と山城に行ったときの
実録漫画です。























お城でも、バスや電車を降りて
歩いて行くことできる平城もあれば、
山の上まで登って行く山城もあります。


今でこそ、お城は観光名所ですが
元々は軍事要塞であったので
かなり険しいところにあると
ころもあります。


娘と行った山城は、子供でも歩いて行ける
ところなのですが、
それでも、覚悟がないと、キツイですね。


また、お城でなくても良いのですが
展望台などの高いところから景色を
俯瞰して見ることで
当時の歴史の動きがわかることが
あります。 

こういう、「歴史」を360度の視点で
体感する経験も、可能な限り、色々と
していきたいなぁ、と思います。




他人に人格否定され続けて人格を変えようとするのは危険だと思ったこと

2024年10月04日 17時18分00秒 | 私自身のヒストリー
みなさま、本日もありがとうございました。

今週は、なかなか更新できなくて
すみません。



水面下では、色々と次の歴史授業に向けて
準備をしています。
上の絵も、
この画像を資料に入れていこうと
描いています。




今回は自分のお話です。




私は小さい頃から
絵の具での、まじめな絵の色塗りが
好きでした。



でも、小5のいじめ、
小6に学校の先生に迫害されたときに

自分の絵について
さんざんなじられたこと、
そして、
私は盗作していないのに
先生のお気に入りの生徒さんの絵を
他の生徒さんから私が盗作した、
という言葉を信じ込んだ先生が
私をクラスメイト全員の場で
罪人呼ばわり、人格否定
ということをされて以来、


「まじめな絵を絵の具で、
じっくり描くこと」が
恐怖の対象になってしまいました。

でも絵は描きたかった衝動を抑えられず
「簡略化したイラスト」を描いて
逃げてました。


だって、私は絶対に
盗作してないんですよ。
その絵は夏休みの宿題で、
テーマは「近所の風景」だったから
ご近所に住んでいたら
描く場所が同じになることは
あります。公立の小学校に通う小学生の
近所は、ほぼ同じ。

しかし、
私は夏休みにその子に会ってないのです。
いじめられて誰も友達がいない私が
どうしてその子に会えるんでしょうか?

さらに、同じ場所を描いても
私と、その子が描いたタッチや構図は
しっかり見ればぜんぜん違うとわかるのに
どうして、先生は、あらゆることを総合して論理的に考えれば、
私が盗作してないとわかるのに
私を罪人に仕立て上げたのはなぜだろう?
という静かな怒りはずっとありました。

でも、その怒りよりも
「自分が誤解されるようなことをしたから
私が悪い」


「私が誤解されるのは、
先生やクラスメイトが言うように
私の人格が悪いからだ」
という、
自分への人格否定に
努力の方向が向きました。

 
それからは真面目に絵を描くことが
すごく怖くなりました

「簡略化したイラストなら、
本来の私が描いてないのだから
それでどれだけ愚弄されようが
彼らが攻撃しているのは私ではないから
大丈夫」と無意識に思って、
すごくいいかげんに
絵を自分は描いていたことが
最近になって、わかりました。


要は、

私は

人格否定される」ことが怖いこと、

そして、さらに怖いのは


他人に人格否定されたら、
自分の人格
相手が望むように
変えなければならない

いう思考になるのが、
怖くて怖くてしょうがなかったですね。



しかし、あるドラマで、
「境界性パーソナリティ障害」というのを
題材に描いているのを知り、
それで気になって、原作の漫画本を読みました。

また、他にも
「パーソナリティ障害」を自分なりに
調べて考えてみた結果、


「本来の生まれつき備わっている特性
生まれてから周りの人と交流しながら
集団生活で生きていくために
育っていく過程で生まれる性格が、
うまく折り重なってできるものが、
パーソナリティ(人格)である。

多くの人は、その折り重なりが
無意識にストレス少なくできるのだろう。

しかし、中には、

生まれつきの特性による人格と、
育った環境によってその環境下を生き抜くために必要とする人格が異なりすぎて、

環境下を生き抜くために必要とする人格を
優先し、
生まれつきの人格を自分で否定する(抹消する)となると、

そのうち、感情が抑えられなくなる。

と感じました。(ただ、私は医師ではないので、あくまで推測です。)


私自身、発達障害で生きづらく、
周りに自分の言ったことが
うまく伝わらず、癇癪をよく起こすことが
小さいときからよくありました。

だいたいは、
「泣けば自分の思い通りになると思って
やがる!根性ねじまがってる!」
とか
「他人の言ったことに素直に従おうとしない。なんてワガママなやつ」
と言われました。


こちらは
「なぜこの行為をやるのですか?」
というのがわからないから、
ただの質問として聞いていて、
別にその行為をやらないつもりもない、
ただ理由を聞いてからのほうが適切に動けるから理由を聞いただけでした。

でも、その人達からしたら
「質問」は「反抗」に見え、
私がいかに人格が歪んでいるか!を
私に言い続ける。
私の場合は、家族でなく、
だいたいは、母のママ友か、
そのママ友の子供、
もしくは、幼稚園や学校の先生に
言われ続けました。


だから、私は、幼稚園や学校はともかく
母の、そのママ友と、その子供には
会いたくなかった。

でも、その理由を子供の頃は
言語化できなくて、
母のママ友も、母がいないときに
私に言ってくる。

母が必死でママ友と仲良くしているのが
わかっていて、それは私のためだというのも
わかっていたので、
私がそのママ友の意にそまぬことを
したら母がそのママ友に何と言われるか?
が怖くて、
そのママ友たちが望むように人格を
変えなければならない、と
無意識に動いていました。

母のママ友に会いたくない、とは
母には言えませんでした。

今なら自分がASDとわかっているので、
「そんなに私をみんなと仲良くさせようと
努力しても、アナタの努力に見合った結果を得られないから、お母さん、諦めて、
友達とわいわい過ごすという方法以外の
努力で、集団生活が可能になるよう
お互いにがんばりましょう!」
とも言えるのですが。
精神医学の進歩、ありがたいです。



母のママ友が「学校に行くことで勉強できる」と思っている人だったから、
私は、いじめられた後、とくに、
先生から迫害されてからは
学校に行きたくなかったけれど、
行かないと母がママ友に悪く言われる、
と思って、ずっと行き続けました。

小さい頃から言われ続けていると
「私は人格歪んでいる」と
本気で思っちゃったんですよね。



でも、心の底では
「自分の人格のままでいたいし、
私はそんなに人格歪んでない」
と思っていて、
ときどき自分では抑えられない癇癪というのがおきて、
癇癪おこしたことで自己嫌悪に陥り
自分の中で、生きるときの課題で
それが苦しくて苦しくてしょうがなかった
のです。
でも、癇癪おこす自分が悪いからだ、
人格がゆがんでいるからだ、
みんな、私がいないほうが喜ぶから、じゃあ・・、と何度思ったことか。


でも、
「パーソナリティ障害」について
詳しく知るまでは、この自分の癇癪は
発達障害(ASD)ゆえんによるもの、
と思ってました。


でも、心の底では


「この癇癪はASD由来の癇癪でないものも
あるのでは?

パニックになって泣いてしまうレベルは
ASD由来の気がするが、

半狂乱になって、自分の頭を殴ったり、
ペンで自分の手を刺すことまでする癇癪は、ASD由来ではない気がする」
と思ってました。
ずっと違和感があったのです。


そして、その違和感はたぶん合ってて、
パニック→泣く、のはASD由来だけも
ささいなことで突然怒りがおさまらなくなり、大泣きして自分を攻撃してしまうのは
パーソナリティ障害由来のものかもしれない、と私は思いました。
(ただ、まだ心療内科の予約日が先なので、パーソナリティ障害かどうか?は
不明です。)


パーソナリティ障害について知ったときに

「他人が自分を人格否定する」することは
止められないけれど、
その後の自分の思考(自分で自分の人格否定をすること)は
意識して止められるのでは?と思いました。


他人が私を人格否定するのは
私が「発達障害(ASD)」だから
なのは、なんとなくわかってました。
(発達障害の理由で人格否定をして良いわけではない。)


おそらく、リーダーシップをとりたいとき
または主導権を握りたい時、
「なんとなくの雰囲気で動いてくれない」人を動かすには、その人の「人格否定」をするのが、楽なんですよね。
相手を理解しようと努めなくて
自分は被害者意識で相手を攻撃して
相手を自分に服従させることができるので。
私はそんなリーダーシップは
絶対にとりたくないけれど。


だから、あのときの学校の先生は
クラスの中で私がうまく動いてくれないから
私を悪人に仕立て上げて、人格否定して動かそうとしたんでしょうね。たぶん、無意識に。





ご近所つきあい、母のママ友つきあい、
そして、盗作冤罪事件をかけられたときに、
私自身が人格を変えること、
つまり、人格を自分で否定し続けることで
やっと集団生活で、攻撃されずに
生きられる」ということを自分は
誤学習してしまったんです。

今から考えれば
母のママ友さんも、学校の先生も
「発達障害のことに対して知らないのね」
と思って、言っていることは
黙って聞いてニコニコして、
自分の心の中まで
響かせなければよかったんですよね。


だけれど、時々、
感情の爆発がおこることが
しばしば。


感情の爆発がおこるきっかけは

「みんなができることができない(足並みをそろえられない)」とき


「自分は、悪い意味で言ったわけでもないのに、相手は私が悪い考えで言ったと思って、諭したりバカにした態度をとった」とき


「絵を描いた時、何かを指摘された」とき


でした。


つまり、これは、小学校の先生が
私を攻撃した時と同じ場面を思い出され

「やっと、高校や大学で
自分らしく生きても安全と感じたのに
また人格を変えないと攻撃される
という思考と
「もう、二度と人格を変えたくない!
という気持ちで感情が爆発して
しまっていました、ということです。


また、
絵に関しては、一時期、
それでも、同人活動やクリエイター活動は していました。

コロナ禍をきっかけに
急激に売上がガクンと落ちました。
でも、作家さんによっては
人気は衰えず、むしろ、人気があがる人も
いました。
その理由はもちろん、その作家さんに
絵の技術も絵の魅力もあり、
話も面白いから、なのですが、
私の中で、「その作家さんは、
絵が上手く、話が面白いだけでなく、
世間が求める人格だからでは?」と
思ってしまう心があったのです。


それで自分がすべきことは
自分の人格否定とその改訂
だと思ってしまい、

だんだんと、
絵を描くのは
「過去に自分の中で人気のあった作品」
を描かねければならない、となり、
それを描いても売れないと


やっぱり、私の性格を変えなければ!


となって、ますます、絵を描くことが
辛くなってしまいました。

勉強大好きなのに、それじゃいけない!
勉強は辛いものと思わなければいけない。
日々の幸せに感謝して、
みんなでワイワイしたり、
食べ物や自然を
満喫できる人にならなければならない。
そうじゃないと、絵を描いてはいけない!

という思考になりました。



これで、このままだと、昔みたいな癇癪の
大爆発をおこす、と思ったため、
癇癪で家族を台無しにしてはならない!
と思い、同人活動とクリエイター活動を
休止して、今に至ります。


でも、

この「自分の人格否定」
することで
集団生活を
生き延びていたことを

今までは、どれだけ辛くても
「良いこと」「正義」「義務」だと
思っていたけれど、



それは
「悪いこと」「危ないこと」かもしれないと、


パーソナリティ障害の
存在を知って、思いました


「本来の人格と、環境で必要とされる人格、があまりに異なるなら、人格を変えるのでなく、その環境から遠ざかった方が良い。
その環境から離れられない場合は、
自分で自分の人格は否定せず、
表面だけつきあう努力をすれば良い。」
という形にして、
わざわざ、相手の気持ちを先取りして
その人が望む人格に無理やり変えるのは
やめよう!と決心しました。



そう思ったとたん
小5でいじめられる前の絵に
タッチを戻したい」と思い、
先程の絵を描き始めました。

それまでは、そういう絵を描こうとすると

頭がわれるように痛くなり
どこからか
「そんな絵を描いたら、極悪人として
冤罪かけられて地獄に落ちるよ」
という声が聞こえ、
描けなることが多々ありました。


でも、自分の人格を否定しないように、
むしろ、否定しないのが正義」と
したら、一週間くらい、ナゾの声もせず
ずっと絵を描けるんです。






上の絵が、ナゾの声がしず
楽に楽しく描けた絵です。


ただ、やはり「勉強」が何よりも好きです。

それは

勉強は、自分の人格のまま、
むしろ、自分が自分らしくあればあるほど
できるようになった

という経験しかないので、
これからも勉強を続けていきたいし、
その勉強の補助画像としての絵を描き続けたいです。


そして、私のように人格否定しないで
勉強を楽しめるよう、
「自分ができる限りのことをブログで書いて、同人誌を作ることができるようにしたい!」と思います。



長々とご覧いただき、
ありがとうございました。


また、歴史授業の続きをはやくアップ
できるよう、がんばります。

第4回 れくす先生の歴史授業 人類の進化② 猿人・原人・旧人・新人

2024年09月25日 21時50分01秒 | れくす先生の歴史模擬授業

みなさま、本日もありがとうございます。

 

みなさま、本日もありがとうございます。

 

れくす先生の歴史模擬授業シリーズです。

今回は、前回からの続き第4回 人類の進化その2 です。

 

 

 

※この授業のコンセプトは第1回の内容をご覧ください。

 

 

「人類の進化」は、私立中学入試ではあまり出ない分野で、中学になってから初めて習う内容のことが多いです。

(私立中学入試で絶対に出ない、とは言えないので、受験予定の学校の過去問の確認をオススメします。)

 

 

 

テスト勉強のために用語を覚える、という意味では、

最初から用語をしっかりバシバシ入れた方がわかりやすいと思います。

ただ、今回のシリーズは、

「はやく覚えないと誰かに人格否定される、という不安感でパニックになることを

防いで、落ち着いてテスト勉強し続ける」というのが目的の1つなので

「用語を受け入れる前に下地を作る→その後でテストで用語をバシバシ出す」

・・・という形にしています。

 

そのため、前回は人類の進化の導入部分(多くの用語を受け入れる下地部分)のみを扱い、

今回で「テストで出る用語」をメインに話を進めていきます。

 

 

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第4回 人類の進化と、旧石器時代・新石器時代その2

 

前回は、「石器の加工の違いで名称が分かれ、

打製石器を使い始めた時代を旧石器時代、磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言う」

そして

「気候の変動によって、生き残るために環境適応をすることによって人類は進化(変化)をしていった」

という話をしました。

 

今回は、その旧石器時代にどのように人類は進化し、

その後、生き残った人類(新人)が

どのように新石器時代を生きていくことになったか?

の話です。

 

 

 

(1)各人類を見ていく

 

猿人原人旧人新人の順番に、人類の動きを見ていきます。

 

①猿人

 

 

 

 

今の人類の元になったと言われているのが猿人です。

 

最初の人類とも言えます。(※直接の祖先ではありません。)

猿人が誕生した時期には、

アフリカ大陸のみ人類がいたと考えられます。

 

前回(第3回)でお話したように、人類の先祖となる生き物(初期猿人とも言う)は

今の熱帯雨林気候のような気候であった地で暮らしていて、その生活で暮らしやすいような体つきになっていました。

(木登りをしやすい形)

 

しかし、途中で気候変動がおきて、人類(初期猿人)が暮らしていた地が

熱帯雨林気候からサバナ気候(草原が多い気候)になりました。

それで、人類(初期猿人)は、草原を移動しやすい、また、他の動物との生存競争で生き残るために、

二足歩行をする、という身体的変化を遂げました。(→この時期あたりからの人類を「猿人」と呼ぶことが多いです。)

 

その後、長い時間をかけて、猿人は、直立して二足歩行する、という身体的変化をしていきます。

 

 

現在、猿人は存在していません。絶滅しています。

ただ、猿人が絶滅してから、次に習う人類である原人が現れたと勘違いされがちですが、そういうわけではないのです。

猿人の中で枝分かれしていき、その中で、現在の人類と生活形態が近くなり、

また、直接、遺伝子につながった猿人原人と称したと考えた方が理解しやすいです。(旧人・新人も同様)

 

前回、お話した打製石器を覚えていますか?

打製石器とは、石を砕いて作った石器のことです。

そして打製石器を作って、使い始めた時期を旧石器時代と言いました。

 

この打製石器を使い始めたのは猿人か?原人か?は、はっきりしておらず、学者さんによって異なるようです。

(なので旧石器時代が始まった時期もふんわりした言い方になります。)

その理由は、原人が打製石器を使ってたのは確かなのですが、

原人が生きていた時代に猿人系の人類も生きているので、

どちらが先に使ったか?は不明だからでしょう。

(その後、猿人は滅亡し、原人は生き残ったので。・・というか、生き残った猿人を原人と称した。のほうが近いかもしれません。)

 

 

猿人が打製石器を作ったか?は不明ですが、

骨などの推測から現在の人類のように直立二足歩行をしていた人類がいたのは確かです。

直立二足歩行が人類が人類たる証なのかもしれません。

猿人の例としてはアウストラロピテクス・アファレンスなどなど。

 

現在(2024年)の教科書を見る限り、「猿人」という言葉しか出ておらず、

昔(例えば1990年代)は「アウストラロピテクス」という言葉が教科書に出ていました。

そのため、「猿人=アウストラロピテクス」と勘違いする人もいました。

(猿人が日本語で、その外国語に当たるのがアウストラロピテクス

だろうという勘違い)

 

猿人にも色々なタイプがいます。

 

アウストラロピテクス・アファレンス、アウストラロピテクス・アフリカヌス、パラントロプス・エチオピクス、などなど。

アウストラロピテクス・アフリカヌスが初期の人類として最初に発見された人類なので、アウストラロピテクスという用語だけ

昔の教科書には出ていたのかもしれませんね。

 

 

②:原人

 

 

時期的には約260万年前、地球は氷河時代に突入します。

約70万年前には、寒冷な時期(氷期)と比較的暖かな時期(間氷期)を一定の周期で繰り返す時期になりました。

 

このようにお話しすると、次のように勘違いしがちです。

勘違いその1:「氷河時代」を「氷河期」を同じと思ってしまう。

勘違いその2:勘違いその1から、「約1万年前に氷河期が終わって、温暖な気候になる(そして現在はその温暖な気候)」

という記述を見て、「現在の気候は氷河時代でない」と思ってしまう。

 

という2つ。

 

「氷河時代」が始まった、というのは、「常に地球上のどこかに氷河が存在している」という時代のことです。

氷河というのは、一言で言ってしまう、巨大な氷の塊です。

氷は暖かければ、溶けます。

溶けない、ということは、その場所はとても寒いということです。

 

その氷河が多い時期を「氷期」と良い、

「氷期」に比べたら氷河が少ない時期を「間氷期」と言います。

そのため「間氷期」が「温暖な気候」と記述されます。

 

でも、その「温暖な気候」のときの「間氷期」でも氷河が残っています。

 

現在は、「間氷期」に当たります。つまり、原人が誕生するきっかけになった時代の氷河時代は現在もなお、終わっていません。

 

現在がいくら温暖な気候といっても、猿人が生まれたころの世界ほどは暖かくありません。

 

寒くて厳しい世界を生き抜くために人類は進化し、とくに知能が爆発的に発達しました

 

そして約240万年前に人類はついに、を使うようになります。

火をなぜ使うようになったか?というと、狩り・採集で手に入れた食べ物を調理するためではないか?と考えられます。

人間は生肉は食べられないですからね。

(ちなみに、肉を食べると知能が進化しやすい説もあるので、

もしかしたら人類が肉を食べられるようになったことで知能が爆発的に発達したのかもしれませんね。)

 

そして、この時期に、人類は簡単な言葉を使用したと考えられます。

(仲間と意思疎通しないと野生では生き残れないので言語は必須スキルになったのでしょう。)

 

この時期に発達した人類を原人と言います。

原人たちの中にはアフリカ大陸を出て、

ユーラシア大陸(アジアやヨーロッパ)にまで移動しました。

 

その原人の中で代表例として、

中国の北京で発見された北京原人

インドネシアのジャワ島で見つかったジャワ原人

がいます。

 

中国や東南アジアまで原人は移動してきた証拠とも言えます。

 

 

その後も、いろんな人類が生まれていきます。

 

③:旧人新人

 

 

約60万年前に原人より大きな脳&筋肉質の人類が生まれます。そのような人類を旧人と言います。

その旧人から、ネアンデルタール人ホモ・サピエンス(新人)が生まれした。

 

ネアンデルタール人はヨーロッパ周辺に分布し、高い知能、高い身体能力をもっていたとされています。

 

 

 

 

新人ホモ・サピエンスのこと)は約20万年にアフリカ大陸で生まれました。

そしてアフリカ大陸から世界中に広がっていきます。

その中で、ヨーロッパに住み着いた新人をクロマニヨン人と言います。

 

新人は、アフリカ大陸で誕生したが、打製石器をより精巧な作りにして、

狩りや採集を行い、獲物を追いながら、世界中に広がっていきました。

また、時代が進むにつれて、磨製石器を作り、使用するようになりました。

磨製石器を使い始めた時代を新石器時代と言います。

旧石器時代から新石器時代に移行した時期は、新人が誕生した後の時期に当たります。

新人と旧人であるネアンデルタール人は同時期に生きていた人類で、

現在生き残った人類は新人だけですが、この新人の祖先である私たち人類の遺伝子の中には、

ネアンデルタール人の遺伝子もごく少量ですが、含まれているそうです。

ネアンデルタール人の純血種は絶滅しましたが、彼らの遺伝子は新人に受け継がれていったのでしょう。

(人類の中でネアンデルタール人と交流のあった新人のみの話で

すべての新人にネアンデルタール人の遺伝子が入っているワケではありません。)

 

 

(2)テストについて

「人類の進化」は小学校では扱いません。

そのため、一部のの学校をのぞき、私立中学校入試で「人類の進化」を扱うことはしません。

この分野は中学生になって、初めて習う可能性が高い分野です。ただし、旧人については

中学校の教科書では明記されていないことが多いです。

「人類の進化」の分野は、猿人・原人・新人に分けて、

・・・・という図式が頭に入れば大丈夫です。

 

入試については、人類の進化の内容は、「絶対に出る!」という分野ではありません。

入試問題作成は、だいたいはその年の早い段階で完成していることが多いので、

完成後に、新しい発見などがあって、歴史が覆されるようなこともあるのは怖いことです。

なので、新しい発見がおきやすい歴史の内容のものは、極力入試では避けたいところかもしれませんね。

ただ、まったく出ないわけではないので、しっかりと覚えておくことは大切です。

 

 

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今回は以上です。

 

ご覧頂き、ありがとうございました。

 

画像で、もう少し、説明したいものもありますが、コンスタントに更新をしていきたいので

ひとまずアップさせていただきました。

ある程度、まとまったら、「新まとめノート」もアップ予定なので

またそのときに画像追加していきたいと思います。

 

次回予定:日本の旧石器時代と新石器時代の始まり