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歴史模擬授業(第15回 鎌倉時代)②-1

2010年10月17日 12時07分45秒 | 歴史☆模擬授業
今回は歴史模擬授業15回目です。鎌倉時代です。(詳細は、もう1つ前の記事をご覧ください)

鎌倉時代は、平安時代の源平合戦の時期から続いている内容なので、

もういちど平安末期からの説明をし、平安末期よりもより詳しくみていきます。

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キンコーンカンコーン

「さて、今日は鎌倉時代・・・とその前に恒例の前回の復習。

しかも、前の内容をさらに付け加えていく形にするわよー。」

「なんで?」

「鎌倉時代と、平安末期は大きなつながりがあるから、そこから説明した方がわかりやすいんだ。」

「あ、そうなんだ。そうだよね。その時代に生きている人は、「今日から鎌倉時代が始まりました~」て言われて鎌倉時代を始めたわけじゃないもんね。」

「○○時代っていうのは、現代の私たちが少しでも理解しやすいように、分類しているだけだもんね。」

 「そうそう。では、平安末期の源平合戦のころから行くわね。

    下の史料を見てみて。

    源平合戦とは、源氏と平氏の戦いの総称で、

     実際には、何度か戦いをしているの。」





「そうだよね。一回じゃ決着つかないよね。」

「さて、うえの史料を詳しく見る前に、復習!平治の乱で負けた人って誰だっけ?」

源義朝だったよね・・。」

「正解!では、義朝の子供で習ったのは?」

 源頼朝義経!頼朝の方がお兄さんだったよね。」

「そうそう!平治の乱以降は平氏が朝廷の政権を握ったんだけど、平氏は、藤原氏と同じように天皇家と婚姻関係を結んでいって・・・。」

「たしか・・・、それまで力を握っていた摂政・関白をしていた藤原氏には不満があったんだよね。」

「天皇家だって、平家の人形になることを、全員が望んでいたわけではないよね。」

「あと、平氏が結局貴族と同じような政治をしていたから、武士たちは「それじゃあ!平氏が貴族の仲間入りしただけじゃん!」と思って、不満タラタラだったんだよね。」

「みんな、よく覚えているね♪

武士の生活は豊かではないので、平氏が政権を握ったら、すこしは武士のための政治をしてくれるかな~と期待している人もいたかもしれないんだけど、平氏は自分たちが貴族たちの仲間入りして自分たちのことばかり考えている人が多かったようなの。」

「それじゃあ、源義朝の子供たちが大きくなったら、平氏の政治に不満を持っている武士たちと一緒に平氏を倒そうとするのはわかる気がする。」

「そうそう、それで源頼朝は1180年に石橋山の戦いで平氏と戦うんだけど・・・、負けちゃうんだよね。」

「負けちゃったんだ・・。」

「頼朝はあまり軍事関係は得意じゃなかったみたい。それでも戦っていって、結果的に負けなかったこともあったみたいなんだけど、ある人物が登場することによって、源氏が次々と勝っていくの。」

「あ・・それがもしかして弟の・・義経?」

「そうなの。源義経は軍事能力には長けていたので、次々と勝っていくの。

   有名な戦いに、1184年の一の谷の戦い、1185年の屋島の合戦、そして壇ノ浦の戦いがあるわ。」

「上の史料を見ると、だんだんと南の方に戦いが移っていくね。」

「それは何を意味するのかな?」

「平氏が逃げながら戦っているってこと?天皇のいる京都に政権を握っていた平氏たちは多くいたけど、京都から逃げたってことだよね。」

「そうそう。一の谷では、前方には海、後方には山があるから大丈夫だ!と言って気が緩んでいた平氏たちをびっくりさせるような戦い方をしたので有名。なんと、義経たちは山から突撃してきたの。」

「まさか、その日に源氏が攻めてくるとは思わないから、平氏もびっくしただろうね~。」

「そうなの。それで不意をつかれた平氏は負け、源義経が勝利したのよね。」

 「へー。義経の作戦勝ちだね。」

「そして屋島の合戦などを経て、ついに最終決戦。」

「山口県の壇ノ浦の戦いだね。」

「そう。しかし、ここで義経は、大きな失敗をしてしまうの。」

「?」
「平家が政治権力を握っているのは好ましくない、
ってことで源氏は戦っているはずで、平氏そのものを全員殺す必要はないよね。」

「うん。たしかに。平氏が弱くなればいいだけのこと・・。」

「でも、壇ノ浦の戦いで結果的に平氏を滅ぼしてしまうの

しかも、一緒に逃げていた天皇まで一緒に死んでしまって。
まだ天皇はまだ小さい子だったので、よくわからないまま、入水(水に自ら入って死ぬこと。)したそうよ。」

「やりすぎちゃったのね。」

「うん。さらに、義経は、兄の頼朝に無断で天皇から位をもらったりして、ついに頼朝が怒るの。

   「何をやってるんだ!平家を滅ぼし、天皇まで殺してしまって!また無断で位ももらいおって」
(平家滅亡よりも位を義経がもらったことで、自分主導の政治ができないことが頼朝の一番のネックだったと
一説には言われています。)」

「義経はそれでどうしたの?」

「義経からしたら、頼朝の言っていることが不思議なの。「だって、父を殺したのは平氏。だから僕は仇打ちをしただけです。それに、ほら、ぼくが正しいということで、天皇に位を頂けたし!お兄さんほめてよ!」と思うの。」

「たしかに、そういえばそうね・・。それがよいかは別として。」

「さらに頼朝は、
「天皇から位をもらってよろこべと!

おまえは、なぜ俺が平氏を倒そうとしたかわかっているのか?
俺は、平氏とか源氏とかひっくるめて武士という身分の生活が豊かになるために、そうしたんだ!
おまえがやろうとしているのは、平氏が持っていた地位がそのまま源氏にかわっただけで、
これじゃあ、平氏と全然かわんないだろ!」とね。」

「うーん。ビジョンの違いなのね。父の仇打ちとしてなのか、これからの武士の未来を考えてなのか・・と。」


「そうなの。それで、頼朝は義経を追い出すの。平家討伐の英雄の義経は人気があったから、自分の描く武士の未来には邪魔だったのよ。」

「兄弟なのに・・。」

「当時は兄弟で争うことなんてよくあったから、不思議ではないと言えばないのよ。そして、義経は逃げて、最終的に、奥州の平泉というところで殺されたの。」

「きびしい世の中だったんだね。」

「そうね。ちなみにわかりやすい説明をしただけなので、実際に頼朝・義経がこういう会話をしたわけじゃない(実際には会っていない)し、頼朝の義経討伐の理由はさまざまな説があるので・・。」

「はい♪誰にも指摘されないようにしてほんわかした輪郭の見えない授業より 1つの筋をたててもらえたほうが、理解しやすいから、大丈夫だよ、先生。」

「そう言ってもらえるとうれしいわ。では、次は、頼朝がどのように政治権力を握っていくかをやっていくわ。」

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文字数の関係で、別の記事(②-2)で続きを書きます。

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。不
平氏については、悪気があってこのように書いたわけではありません。平家も大好きで尊敬しているところもあります。
不快な気持ちになった方には大変申し訳ありません。













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