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戊辰戦争白河口の戦い

2005年07月02日 | Weblog
2005/07/02のBlog
戊辰戦争白河口の戦い
[ 22:53 ]
白河市の南湖公園にほど近い町角の古戦場。

会津藩戦死墓。



道路を挟んで、西軍(薩長大垣)の戦死墓。




東軍戦死者300余名。西軍6名。
この差は一体....。
現代でいえば、イラク戦争の様相に近いのでは。

いかに精強な会津藩といえども、アームストロング砲を始め、最新兵器を有する西軍にはかなわず。





藩の家老を始め多数が死亡。
西軍に捕らえられた会津藩士は首を刎ねられましたが、みな死の直前、会津に向かって手を合わせ、その後斬られたとのことです。

首は川に打ち捨てられましたが、住民によって葬られています。
会津藩士 田辺軍次の墓。



西軍協力者に対する会津藩士の遺恨はすさまじく、斗南藩という今の青森県からやってきた田辺軍次は、ぼろぼろの風体になりながらも当地に到着。

その風体をからかう者には一喝。その後目的を果たす。

斗南というところは、会津藩が懲罰のため移転させられたところです。
寒さが厳しく、生活をするにはあまりに過酷な環境で、藩主の体にも虱がわくほどだったと言いますから、新政府の報復がいかに過酷だったかがわかります。

他にも、会津藩士による西軍協力者の処刑があったことが伝わっています。




道路を挟んだ反対側。 西軍戦死墓。
[ 更新日時:2005/07/03 14:58 ]
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