Cのぶらぶら歩き

ツーリング記事を中心に

2012年11月26日 | Weblog


今月初めに地元古墳の史跡公園に行ってみた。

古墳をぶらり見物した後、ガイダンス施設へ。

年の候60代後半か、ボランティアの方々の説明を受ける。いずれも大変親切で、分かりやすかった。

入場料は無料だし、なかなか充実した施設である。


この日はちょうど古墳の主に関する企画展をやっていた。

近くの古墳を発掘したら成人男子の頭蓋骨が出てきて、復元したのが上の写真

弥生系というか、これを見る限り現日本人と全く変わりない。近所で見かけるような顔をしている。

1600年前には既に縄文系の人々は駆逐されてしまったのだろう。蝦夷と呼ばれる人々がそれだったのか。


我のっぺりした顔はどちらかといえば弥生系

でも、眉は太い方だし、けっこう毛深い。

母方は彫りが深いので、縄文系の血を色濃く引いているのかも。

気のせいかもしれないが、北へ行くほど顔の彫りが深い人が多いような気がする。

似たようなDNAの分布はどうなっているのか興味のあるところだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ランチはV

2012年11月24日 | Weblog


先日、ある有名な大衆食堂に行ってみた。

注文したのは「オムのっけ」。

ケチャップで炒めたライスをぶ厚い玉子焼きで包み込み、その上に手作りハンバーグを乗せている。

この店の料理は大量に作るせいか、チャーハンでも何でも美味い。

特徴は料理のボリュームの多さ。

テレビ局の取材はしょっちゅうで、壁には芸能人の写真やサインがびっしり貼ってある。

初めてこの店に来た時にカツ丼の大盛りを注文しようとしたら、店の人から「大盛りでいいんですね?」と聞かれ、カウンター席の隣の人が「ええっ!」という顔でこっちを見た。

後ろの席を振り返れば、先に頼んだ人のテラ盛りのどんぶり。

あ、ありゃ無理だと並盛りで注文し直す。

でも、出てきたカツ丼を食してみれば、食っても食っても減らない感じ。

他の食堂の倍はあるか。

最後は食うのが苦しくなってきたのである。

こちらの方の記事参考までに。

このお店のすごいところは、ボリュームが倍だから値段も倍かと思いきや、全く普通の値段であるところ。

採算取れるのかなあと余計な心配をしてみたりして。

とにかく、今まで経験したことのない“闘うランチ”であった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テーマ曲

2012年11月18日 | Weblog


you tubeを眺めていたら、小学生の頃のテレビ番組のテーマ曲を見つけた。

小学5年生社会科「テレビの旅」

これ、すんごく懐かしい。小学校の夏休みの頃、この番組を見ていたような記憶がある。あの頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。

この動画をアップした方に感謝。よく記録に取っておいたものだ。

それにしても、NHKのテーマ曲は秀逸だと思う。この曲しかり、 「新日本紀行」しかり。重厚なメロディはNHKならではか。

これも我が国の文化財産と言ってよいのではないか。



ついでにその他のテーマ曲。

「刑事コロンボ」
じわじわと容疑者を追い込んでゆくさまがみごと。

「木枯し紋次郎」
この番組の前は必殺シリーズだった。楊枝を飛ばすマネしたけど、あそこまで飛ばすのは無理ね。

「11PM」
親に隠れてひっそりと。

「ヨドバシカメラ」
これ小学校の運動会の応援歌として歌っているのを見たよ。

「スーパーマリオブラザーズ」
しばらくこれにはまっていた。

「非情のライセンス」
最期は国家権力に立ち向かう壮絶な闘いだった・・かな?

「キューピー3分クッキング」
軽妙なメロディがよろしいですこと。

「できるかな」
のっぽさんはお元気かしら。お話するのっぽさんが新鮮だった。

「オールナイトニッポン」
あの頃はラジオが友だったな。

「金曜ロードショー」
洋画はほとんど見なくなった。


あの頃、娯楽の中心はテレビであった。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉

2012年11月17日 | Weblog


田舎道をだらだら走っていたら、みごとに紅く染まったカエデを見かけた。

クルマに乗っていたので、停まるのは面倒。しばし通り過ぎた。

でも、あまりの美しさが忘れられず、また戻ってしまったのでアル。




う~む、美しい。

花咲き乱れる5月もよいが、この時期はまた違った趣がある。

落ち着きのある美しさ。

それはまるで美しく歳を重ねた女性のよう。と、ワケの分からない感想を述べてみたりして。



しばし感傷に浸ろうかと思ったが、道路の向こうには写真待ちの人が。

カエデにむさくるしいオヤジは無用。ササッと場を譲る。



稲は既に刈り取った。

もうすぐ雪の季節。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひたちのあたり

2012年11月11日 | Weblog


先月、日立周辺をぶらついてみた。

ここは大洗港

このあたりも津波の被害があって、近くの寿司店には「この高さまで津波がきました」とテープが貼ってあった。

あまり報道はされなかったが、茨城県もかなりの被害があったと聞く。(こちらの記事)

千葉以北の太平洋側はどこも大変だったんだな。

地震はめっきり減ったが、あの震災とその後のパニックを忘れてはなるまい。

平穏な日々が記憶を薄れさせる。



かもめは何を見ておる。



あちこちぶらついて腹がへったので、山田うどんでコロッケ定食を食す。揚げたてのコロッケが美味い。

隣の席で、赤ちゃん連れ夫婦の若奥さんがひとりでぺちゃくちゃしゃべっている。

だんながミルク作っているのを見て、「お湯は100ccだって言ったでしょ!」とか「これおいし=!」とかなんとか。

聞いてて面白かった。

うちもあ~いう時期があったんだろうな。

平和なひととき。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

kaki

2012年11月10日 | Weblog


白河郊外のとあるラーメン店に行ったら目の前にみごとな柿の木があって、大きな実がたわわになっていた。

柿の木自体久しぶりに見たが、縦に長いこの柿は蜂屋柿か。

そのまま口にしたらすんごく渋い柿。

小1の頃、近所のハルミちゃんと一緒に他人さまの庭になっていた美味そうな柿を1個無断で頂戴したことがある。

で、思いっきりかじってみたら渋いこと渋いこと。

たまらず吐き出した上に、そのお宅のおじさんに見つかって怒られた。

ハルミちゃんを見てみれば、悪戯っぽい笑い。

ハルミちゃんはかじった振りをして、実はかじっていなかったのだ。

なぜかというと、渋いのを知っていたから。 おのれ~とは思っても自業自得なのであった。


とかなんとか、果物にも小さな思い出があるわけで。

でも、この柿は焼酎で渋抜きするとすごく甘くなる。

あんぽ柿にすると、まるで上品な和菓子のよう。

渋いお茶でこれを食すのが好き。

というと今どきあまり人気はないようであるが、果物の中でも特に栄養価が高いらしい。

美味いのになんで人気ないんだ?



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遡上

2012年11月04日 | Weblog


海辺の町をバイクで走っていたら、橋の上から数人が川を眺めているのを見かけた。

バイクを停めて、何かいるんですか~と聞いてみたら、が遡上しているのだという。

見てみれば、確かに大型の魚影。

よく見ると、2匹がペアになって、メスが産んだ卵にオスが精子をかけている様子が見える。

こんな小さな川で、しかも海からは結構距離があるのだが。

鮭というと福島県では請戸川というのが遡上で有名であるが、他の川には来ないか来てもちょぼちょぼだと思っていたのだ。

産卵場所は小石がたくさんあって流れが緩やかなところ。卵にとって心地よいところは本能的に分かるんだな。

調べてみたら、この川では一昨年3万匹の稚魚を放流して、3千匹帰ってきたのだという。

生存率は10分の1か。まあ、そんなもんか。

それにしても、自分が生まれた川を目指して戻ってくるというのも大したものだ。



堰があると遡るのも大変そう。ここでも2,3匹見かけた。



これは魚道かな?



産卵の激務を終えて力尽きた鮭が横たわる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年11月03日 | Weblog


「歌は世につれ、世は歌につれ・・」という言葉をガキの頃幾度となく聞いたが、この歳になってようやくその意味を実感できるようになった。

「ロッテ 歌のアルバム」。

この番組はTBSで日曜の午前11時あたりからやっていたのではないかな。

その前に「ミユキ 野球教室」とか。

昭和40年代、あの頃の歌には「男に嫌われた・・捨てられた・・私をぶって・・」とかのフレーズがこれでもかと盛り込まれていて、どう考えても女が弱い立場の歌が多かった。

ぴんからトリオの「女の道」は爆発的に売れて、近所の婆さんらがこぞって口ずさんでいたんよ。

いま思うと、なんだありゃ的な社会現象であったが、当時は今ほど娯楽は多様化してなくて、歌に限らず売れるものは一気に売れる時代だったような気がする。

当り前のことであるが、歌には作詞家の人生経験や人生観、その時々の世相が反映されているわけで、この頃は女性の社会的立場がまだ弱かったんだろうな。

男と女の間には雇用や給与体系で明確な格差があったし、それより前に戦争で多くの若い男子が戦死して、結婚適齢期の男女の人口バランスが崩れたというのも影響しているのかもしれない。(こちらの記事)

結婚したら会社を辞めて専業主婦が当り前のご時世。働く女性は少数派で、アフタヌーンはメロドラマとか「3時のあなた」とかの主婦向け番組が盛りだくさんであったのだ。


時は移り、バブルの頃。

テレビではトレンディドラマが大流行。歌はといえば、“ボクはキミを愛している”的な、男の方から積極的に女のご機嫌をとる感じの歌詞が多かったような気がする。

この頃の時代背景を考えてみると、男女雇用機会均等法が施行されて、仕事をする男女の地位はほぼ対等。バブルで景気も良くなり、女性も完全に自立できる世となったのである。



先日街なかで見た庄野真代「飛んでイスタンブール」

観客は、ほぼ40代以上。70代と思しき人もかなり多かった。

20代から見れば、我ガキの頃の懐メロのイメージに近いのかな。

1978年(昭和53年)のリリース。

昭和50年代前半であるが、この頃はどういうイメージなのだろう。高度経済成長も一段落したせいか、歌にはおおらかさを感じるが。


もう豊かではなくなったというか、貧困に向かいつつあるニッポン。

テレビでは1万円でひと月暮らすとかの番組も目にする。

これから歌もどう変っていくのか興味あるところである。
















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする