Cのぶらぶら歩き

ツーリング記事を中心に

Google Earthの旅

2007年01月21日 | Google Earth
キューバ。

最高指導者は、ご存知カストロ議長。

かつては、ミサイルの配備を巡って米ソ全面衝突の瀬戸際まで危機が進行しました。

アメリカとキューバ、地理的には日本と北朝鮮の関係に近いと思うのですが、北朝鮮がミサイルに搭載可能な核弾頭を開発した場合日本はどういう対応をとるのでしょう。


キューバ南東部の端の方にグァンタナモアメリカ海軍基地があります。

基地の成り立ちについてはウイキペディアをご参照下さい。

アメリカ側はここの永久租借権を主張してますが、現政権はそれを認めておりません。
ただ、アメリカ相手ではキューバも軍事侵攻というわけにもいかず、現状追認という状況でしょうか。


湾全体をアメリカが支配してたのですね。

滑走路もありますし、相当大規模な基地です。
ここでのイスラム過激派テロリスト容疑者の虐待疑惑が明らかになったわけです。

それにしても、憎しみの連鎖というのはいつまで続くものなのでしょう。


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Google Earthの旅

2007年01月14日 | Google Earth
カンボジア。

かつては、「微笑みの国」と呼ばれていたという話も聞いておりますが。
ベトナム戦争に巻き込まれて不幸になった国の一つですね。

あの時シアヌーク殿下が追放されてなければ、ここまでひどい状況には陥らなかったのではないでしょうか。


ポルポト政権時代に、200万とも300万とも言われる大量虐殺が行われたのは30年ほど前。

当時カンボジア国内で虐殺が行われているのではないかという噂に、日本国内の左派系と言われる政党とかマスコミ、労働団体なんかから、「労働者の国でそんなことが起きるわけがない。」などという論調が巻き起こったのを覚えています。

ところが、それは事実だったわけで。

ポルポト軍の人の殺し方はすさまじく、例えば、前政府軍の兵士を効率的に殺すのに兵士を体育館に集め、それから一斉に周りの窓から手榴弾を投げ込んで殺すというようなやりかたです。





大量虐殺の現場の一つ。

約17000人がここで殺されたようです。
たしかこの当時の新聞報道では、死体の処理法というのか利用方法として、死体を池に漬けてそれを肥料にしたなんて話もありました。

なんともおぞましい話ですが、人間というものは、一度どこかで切れるととことん残酷になってしまうものなんでしょう。

ここのとこ多発しているバラバラ殺人事件にも通じるところがあるようです。

※1週間ほど更新お休みします。


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Google Earthの旅

2007年01月06日 | Google Earth
北朝鮮。金正日邸と思しき建造物。

位置情報はこちらの本から入手しました。「世界の機密基地」。
軍事問題に興味ある方におススメです。


三方を山に囲まれ、前方は水面。
警戒はかなり厳重そうです。

昨年11月だかのある月刊誌(どこか忘れた)に興味ある記事が載っていました。
たしか、こんな内容だったと思います。
“F-117ステルス攻撃機が金総書記の住居と思われる建物の上空で爆音を轟かせながら急上昇と急降下を繰り返し、その時の地上の動きにより米軍は総書記の避難経路を詳細に把握した。”

真偽のほどは確かめようがありませんが。






場所はピョンヤンの北東方向でしょうか。

朝鮮戦争ではアメリカの大規模空爆に痛めつけられた北朝鮮。
総書記の住居とか防空壕は空爆にも耐えられるよう、十分堅牢に作られているのでしょう。

巨大な記念碑とかこんなところに大金をかけているのでは、一般国民の食糧確保まで手が回らないのは当たり前ですね。





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Google Earthの旅

2006年12月29日 | Google Earth
硫黄島。
東京から南へ約1250キロのところにあります。

今、この島が日米両軍が激しい死闘を繰り広げた島であるということを、どれほどの人が知っているでしょうか。

また、1万3千名余の兵士の遺骨が残されていることを。


島全景。

下方のほぼ直線状のところが、アメリカ海兵隊が殺到した南海岸。
アメリカ軍の指揮官は「5日で落ちる」とたかをくくっていたそうで。






ところが島は易々とは落ちませんでした。
日本軍は栗林中将の指揮のもと大規模な地下壕を構築、36日持ちこたえたのです。

中将はそれまでの、死を前提とした「バンザイ突撃」を厳禁。
将兵はいわゆるゲリラとして戦い抜きました。


島の最高峰、「擂鉢山」。
あの、6名の海兵隊員がアメリカ国旗を立てたところ。



水平方向から撮った擂鉢山。


この島を含む小笠原諸島を日本側に返還するに当たり、アメリカ側はアメリカ国旗を立てておくことを提案、日本側はそれを断固拒否したとの話が残っています。



この島には、いま自衛隊員が300名ほど駐留しているんだそうで。

アメリカ海軍の空母艦載機の夜間離発着訓練が行われています。

家族と国を思い、闘い死んでいった日本軍の将兵が眠るこの地、静かにできないものでしょうか。


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Google Earthの旅

2006年12月03日 | Google Earth
福島県広野町にある“j-village”。

日本サッカー協会、東京電力の肝いりでできただけに、さすがに広大かつ豪華です。












場所は、東京電力広野火力発電所のすぐそば。

jヴィレッジ建設の際、プルサーマル計画導入承認の見返りではないかとの批判があったらしいですけど、常識的に考えればその通りなのでしょう。
要はプレゼント。

私は、日本のエネルギー確保の上で原子力発電はやむを得ないと考えていますが。

ま、事の経緯はともかくとして、ナショナルチームの育成のため有効活用してほしいところです。



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Google Earthの旅

2006年11月11日 | Google Earth
モーリシャス共和国

インド洋に浮かぶこの島、面積は東京都ほど。
約120万人が住んでいます。

いわゆる西欧列強の支配を受けてきた歴史があって、人種はインド系、中国系、フランス系、混血系が入り交ざっています。

宗教もキリスト教、ヒンズー教、イスラム教、仏教とさまざま。
一般的には民族抗争が絶えないような構成ですが、さにあらず。
みんな仲良く暮らしているのです。



お互いの宗教を尊重する。
ある宗教の祝日には他の宗教の信者たちも祝う。

治安も安定して、警察官も拳銃は持っていないそうです。

この島国は、日本のマグロ漁船の寄港地だそうで。
けっこう日本にもなじみのある国だったのですね。

一度行ってみたい。


※明朝単身先へ向かいます。
時間ありましたらモブログで更新します。



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Google Earthの旅

2006年10月29日 | Google Earth
北朝鮮。

中国国境に平安北道があり、その道都は新義州市。


月刊誌「丸」の10月号に載っている記事によれば、北朝鮮国内の噂として、横田めぐみさんは「義州」の施設に軟禁されているとのこと。




「義州」は平安北道の元の道都。




ここにいるのか?

いずれにしても、生きていることは間違いなさそうです。

ご両親が健在なうちに早く救出したいものです。

北朝鮮崩壊までカウントダウン開始。


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Google Earthの旅

2006年10月22日 | Google Earth
フォークランド諸島。

昭和57年、アルゼンチンとイギリスが2ヶ月間死闘を繰り広げ、イギリスが奪還に成功した島です。




フォークランド紛争ではフランス製の対艦ミサイル「エグゾセ」により駆逐艦が撃沈されるなどイギリスも大きな損失を被りましたが、紛争当初のイギリス海軍の迅速な出動によりイギリスの勝利で終結しました。

詳しくはこちらのサイトを。

さすがはイギリス海軍です。

わが海上自衛隊、インドネシアの大津波の救援の際、ヘリ部隊との連携が悪くて、出動まで1週間ほどかかったそうで。
実戦で大丈夫なのかな。

それでは、来週土曜日までごきげんよう。


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Google Earthの旅

2006年10月21日 | Google Earth
ビルマ(ミャンマー)。

かの悪名高き「インパール作戦」の舞台となった国です。

私の中学時代の社会科の教師が早大在学中に学徒動員を受け、この作戦に参加しています。
当然一兵卒ですから、過酷な行軍を目の当たりにしており、繰り返しその時の惨状を話していました。
私が軍事問題に強い興味を抱いたきっかけです。




作戦中心地域。

インパールに立ちはだかる山々。


アラカン山系。

これらの山を越えてインパールを攻略しようとした。

この作戦の悲劇は、撤退時におけるアラカンの山越えの際に起きたもの。

8万5千人の作戦参加兵士の損耗率は実に70%に上り、その多くが戦闘ではなく病気と飢餓に斃れています。


素人目で見ても峻険な地形であるということが分かります。

当時の補給を軽視した無謀な作戦は多くの人命を失わせることになりました。
作戦を指揮した牟田口中将、戦後兵士の葬儀への参列を遺族から断られたという話が物の本に書いてありました。
身を震わせて帰っていったそうです。


この作戦については、日を改めて再度記事にしてみたいと思います。

あ~、時間がなくなってきた。
来週土曜日にまたお会いしましょう。




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Google Earthの旅

2006年09月19日 | Google Earth
University of Hawaii

校舎がいくつもあるんですね。
さすがアメリカの大学。

UCB(カリフォルニア大学バークレー校)にも旅行で行ったことありますけど、まるで一つの街のようです。
あれを見ると、日本の大学はかなり貧弱。


ここだったのかなぁ。

ホノルルからバスで行ったんですけど。
学食でメシでも食ってみっかと入ってみれば、お昼時で席が見つかりませんでした。
私はといえば、いかにも日本人ですという風体で、ちょっとドキドキ。

観光施設でなく、こういうとこで食べてみたい。


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