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SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

TERENCE BLANCHARD 「LET'S GET LOST」

2007年08月23日 | Trumpet/Cornett

歌モノをもう一枚。
とはいっても主役はテレンス・ブランチャード。彼のトランペットにダイアナ・クラール、ジェーン・モンハイト、ダイアン・リーヴス、カサンドラ・ウィルソンといった今をときめく女性ヴォーカルが絡んでいくという何とも贅沢なアルバムだ。
女性ヴォーカルとトランペットの共演といえば、何といってもクリフォード・ブラウンが思い出される。ヘレン・メリルやサラ・ヴォーンとのセッションは、ジャズヴォーカル史上、最も刺激的な出来事だった。
トランペッターなら一度はこうしたクリフォード・ブラウンのような演奏を行ってみたいと思うだろう。しかしこれはかなり勇気のいることだ。どうしても比べられてしまうからだ。しかしそれでもなお果敢に挑戦したテレンス・ブランチャードに「よくやった」と拍手を贈りたい。怖じ気づいていては大物にはなれないのだ。

最初に登場するのはダイアナ・クラール。
相変わらず彼女のクールな歌声が全編に渡って続いていく。ブランチャードはそのムードを壊さないように40%くらいの力でソロを取り始める。ずいぶんと気を遣っているなと感じるが、後半のソロになると短いながらも熱い演奏でラストを盛り上げている。
次に登場するのはジェーン・モンハイト。これ以上ないといえるほど澄んだ歌声だ。彼女のアルバムではこれが当たり前だが、他の3人と比べるといかに透き通った美しい声の持ち主かがわかる。ブランチャードは遠い空の彼方で響くような吹き方をする。この絶妙なバランスにうっとりだ。このアルバム一番の聴かせどころ。
一曲ヴォーカル無しの曲があってその後にダイアン・リーヴスが登場する。彼女の声はソウルフルだ。一番生の声に近いかもしれない。ブランチャードはうねるような吹き方で粘っこさを表現する。なるほど考えた吹き方だ。
そして最後にカサンドラ・ウィルソンの登場となる。もっともジャズヴォーカルらしい深く沈んだ歌い方が通を唸らせる。ブランチャードも流れに乗って自然なアドリヴを展開している。

このアルバム、バックも私好み。ピアノにエドワード・サイモンが入っているからである。
一枚で何枚分も得するアルバムだ。

HOWARD McGHEE 「The Return of Howard McGhee」

2007年07月31日 | Trumpet/Cornett

ずいぶん前の話だが、ジャズトランペッターは誰が好き?と聞いたら「ハワード・マギー」と答えた友人がいた。
思わず私の口から「ほぉ~」と驚きの声が出た。
普通ならマイルス・デイヴィスだとか、クリフォード・ブラウンなどと答える人が多い中、ハワード・マギーは予想外の人だったのだ。
もちろん彼の名前は知っている。チャーリー・パーカーのグループに所属し、ガレスピーやナヴァロなどと共にビバップの全盛期を支えたトランペッターだ。
しかしガレスピーやナヴァロほどの個性を感じなかったのは、私が彼のトランペットを充分に聞き込んでいなかったことが原因である。いわば適当に聞き流しただけで知ったつもりになっていたというわけだ。
この友人の一言がなければ今でもそのままだったかもしれない。事実手元にあったアルバムといえば「DUSTY BLUE」が1枚だけだった。そこで買い込んだのがこのベツレヘムの「The Return of Howard McGhee」だ。

まずバート・ゴールドブラッドによる印象的なカバーデザインが目に付く。できそうでできないレイアウトだ。
1曲目はいかにも彼の復活を感じるようなハイスピード演奏。対照的なサヒブ・シハブのバリトン・サックスとの掛け合いが嬉しい。
この録音は1955年だから既に時代はハードバップ全盛期に入ろうとするころだ。その息吹がここにも感じられるが曲想そのものはビバップである。何となく懐かしい雰囲気が漂うのもそうしたせいで、必ずしもメロディだけの問題ではない。
白眉なのは3曲目の「LOVER MAN」や続く4曲目の「LULLABY OF THE LEAVES」、7曲目の「RIFFTIDE」での演奏だ。
特に「LULLABY OF THE LEAVES」はデューク・ジョーダンのピアノソロも見事で一聴の価値がある。

彼のトランペットの特徴を一言でいうと「小気味いい」が適当だ。
常に歌心を忘れず、どんなに早い演奏でも一音一音大切にした吹き方なのだ。この吹き方がクリフォード・ブラウンに決定的な影響を与えた。
友人の気持ちが少しだけわかってきたように思っている。


〈残念ながらまた明日からしばらく留守にします....〉

DOMINICK FARINACCI 「BESAME MUCHO」

2007年07月26日 | Trumpet/Cornett

いきなりのバラード、これは彼の自信の現れだ。
ドミニク・ファリナッチはウィントン・マルサリス以来、久々に登場した天才トランペッターである。
傾向としてはクリフォード・ブラウンに似て、よく歌うトランペットを吹く。ただブラウンよりもやや甘い感じだ。優しいという表現の方がいいかもしれない。
バックも控え目に彼を盛り立てる。このバランスがアルバムの共通するコンセプトだ。
これによってファリナッチのトランペットが見事なコントラストを得て色っぽく浮かび上がる。実に明快な作品だ。

タイトル曲がそうであるように、この作品はラテンフレイバーに染まっている。全編に渡って哀愁が漂っているのはそのせいだ。
以前もお話ししたが、私はラテンの曲が大好きだ。
2曲目の「Caminamos」、4曲目の「Besame Mucho」、6曲目の「Libertango」など、どれもこれも絶品で、とても冷静に聴いていられない。本当にこれが二十歳そこそこの若者の演奏かと思ってしまう。
しかしそれ以上にグッとくるのは8曲目の「Nostalgia」である。
この曲はいわずとしれたファッツ・ナヴァロの名曲だ。いわばトランペッターの登竜門的な曲なのだ。
あのリー・モーガンもデビューアルバムでこの曲を取り上げ、存在感を誇示していたのを思い出す。
この曲でファリナッチは、ピーター・ワシントンのベースだけを相手に静かな吹奏を見せる。「う~ん、こうきたか」といった感じである。この冷静さも彼の特徴の一つだ。

彼がデビューした時の衝撃はマルサリスの時に勝るとも劣らない。
両人ともかなりのインテリであることもオーバーラップする原因だ。
但しマルサリスの場合はインテリであったがために離れていくファンも多かった。トランペッターとは時に感情の赴くまま爆発することも必要なのだ。
ファリナッチにはマルサリスと同じ道を行ってほしくない。若いうちはもっと熱くなれ、と妙なエールを贈っている。

KENNY DORHAM 「AT THE CAFE BOHEMIA」

2007年07月12日 | Trumpet/Cornett

カフェボヘミア、一度でいいから行ってみたかったクラブだ。
ニューヨークのグリニッジビレッジにあったこの店は、1950年代中期から後期にかけて僅か数年間しか開業しなかったジャズクラブだったと聞く。その短い間に様々なプレイヤーがここでアルバムの録音を行った。
有名なのはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャースやジョージ・ウォーリントン・クインテットあたりだが、このケニー・ドーハム率いるジャズ・プロフェッツのステージも忘れられない出来事としてジャズ史に残っている。
彼らメンバーに派手さはない。
ケニー・ドーハム(tp)の他、J.R.モンテローズ(ts)、ケニー・バレル(g)、ボビー・ティモンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、アーサー・エッジヒル(ds)といかにも渋い面子が揃った。

針を落としてまず最初に聞こえるのが「モナコ」というドーハムのオリジナルだが、このイントロ、どこかで聴いたことがある。そう、キャノンボール・アダレイ(実質はマイルス)の「サムシンエルス」に収録された「枯葉」のイントロとよく似ている。
このアルバムが録音されたのが1956年5月だから、「サムシンエルス」が発表される前ということだ(「サムシンエルス」は1958年3月の録音)。つまり、マイルスはちゃっかりこのイントロをパクったのではないだろうか。
そういえばこのカフェボヘミアにはマイルスのグループもよく出演していたようだから、この場にマイルス本人がいたとも考えられる。単なる偶然かもしれないが、それにしてはそっくりだ。たぶんそうだろう、そうに違いない。
「モナコ」に続く演奏が「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」。マイルスの十八番といってもいい曲だ。彼らの演奏はマイルス・クインテットに負けていない。こちらは逆にドーハムがマイルスの演奏を意識しているように聞こえる。
同じトランペッター同士のこうした駆け引きが実に面白い。

別に自慢するわけではないが、ジャズを心底楽しむためにはそれなりにリスナーとしての経験が必要だ。
古いジャズのアルバムは一枚一枚、何かしらの曰くがあると思っていい。
そのプレイヤーやプロデューサーの人間性が見えてきて初めてその音楽が理解できるものなのだ。


【また明日から出張です...】

FATS NAVARRO 「NOSTALGIA」

2007年06月29日 | Trumpet/Cornett

ファッツ・ナヴァロは蒸し暑い夜なんかに聴くのが最高だ。
まるで当時のライヴハウスにタイムスリップしたような気分を味わえる。ビ・バップは本当に熱いのだ。
私は最近のアルバムを何枚か聴いた後に、こうした古い作品を聴くのが好きだ。どちらも新鮮な思いに浸れるからである。同じ人ばかり、同じ年代のものばかり、同じ系列の音ばかり聴いていると、耳も頭も偏ってしまう。
もちろん好きなプレイヤーをたくさん聴くのはいい。でもあえて時々は異質なものを聴くことによって、常に柔軟な感性を持っていたいと思うのだ。
音楽を死ぬまで楽しむには、ある程度のテクニックが必要なのだと思っている。

さてこのアルバムは3つのレコーディングを一つにまとめた作品である。
最初の4曲は1947年12月5日の録音だ。表題曲にもなっている名作「Nostalgia」で始まり、天を突き抜けるようなナヴァロのアドリヴがその後も続く。これを聴いてクリフォード・ブラウンもリー・モーガンも彼に憧れたのだろうと思う。これこそ間違いなく彼らが目指した理想のスタイルだ。
次の4曲は1947年12月22日の録音。ここでは若きデクスター・ゴードンが大活躍。彼の初期の頂点がここにある。タッド・ダメロンのピアノもなかなか快調だ。
最後の録音は1946年12月18日と約1年前にさかのぼる。テナーはエディ・デイヴィス、ピアノはアル・ヘイグになっており、ドラムスもデンジル・ベストが務めている。ここの録音ではトリッキーなトーンもあちこちで見られ、自由奔放なそれぞれソロとユーモア溢れる掛け合いが味わえる。

全体を通して演奏そのものを楽しんでいることが伝わってくるアルバムだ。
ジャム・セッションとはこういう演奏スタイルを指していうのだと思う。そこがタイトル同様にノスタルジックで痺れるのだ。


【明日からまた出かけ留守にします...】

NICHOLAS PAYTON 「GUMBO NOUVEAU」

2007年06月13日 | Trumpet/Cornett

アーリー・ジャズといえばニューオーリンズ・ジャズを真っ先に思い出す。
あのルイ・アームストロングを生んだジャズのメッカがニューオーリンズである。
ニューオーリンズ・ジャズでは、トランペットやトロンボーン、クラリネットが主役だった。彼らの底抜けに明るい音楽はあっという間にシカゴへと飛び火し、世界を席巻したのである。
しかしあれからかなりの時間が経っているわけだから、さすがのニューオーリンズも当時の勢いがなくなってきているのではないかと勘違いしていた。
ところがどっこい、何年か前、ニコラス・ペイトンの存在を知って驚いた。ニューオーリンズ・ジャズはまだまだ死んではいなかったと実感した。
死ぬどころかますます元気溌剌だ。このアルバムの冒頭の曲、「Whoopin' Blues」を聴けば誰でも頷く。「これだ!」といえるニューオーリンズ・ジャズのエッセンスがたっぷり入った現代版サッチモの登場である。
続く「When the saints go marching in(聖者の行進)」の思いっきりスローな陽気さも新鮮だ。
この他にも往年の名曲「Down in Honky Tonk Town」や「Li'l Liza Jane」、「St. James infirmary」など嬉しくなるナンバーが目白押しで、最後まで楽しめるアルバムだ。
演奏はというと、彼の太く力強いトランペットが全編に渡って流れている。ここでの彼を聴いていると、彼は現代において最も優れたトランペッターの一人だということが確認できる。特にリズム感覚の良さは他の追従を許さない。
バックもなかなか好演しており、聴いていて気持ちがいい。
ニューオーリンズ・ジャズと聞いて退いてしまわずに聴いてほしい。新たな魅力を発見できること請け合いだ。

2005年のハリケーン「カトリーナ」の襲来により、街の約8割が水没するという甚大な被害を受けたニューオーリンズは今も復興のさなかである。ジャズ発祥地の一日も早い全面復活を願うばかりだ。
以下はハリケーン「カトリーナ」募金支援サイトである。覗くだけでもぜひ!
http://office-karasuma.com/katrina/

THAD JONES 「THE MAGNIFCENT THAD JONES」

2007年05月18日 | Trumpet/Cornett

「ハトのサド・ジョーンズ」で有名な作品である。
こんな風にアルバムに愛称がつくというのは、それだけ多くの人がジャズ喫茶などでリクエストした人気盤であるという証である。
この他にも「小川のマイルス」とか「猫のマクリーン」、「シマウマのベネット」、「海岸のコニッツ」など、どちらかというと大名盤の陰に隠れた通好みの作品にこうした愛称をつけるケースが多いようだ。
考えてみればジャズアルバムのタイトルの付け方は、案外いい加減だ。
例えばズート・シムズだが、彼の「ズート」という作品はレーベルの違いで何枚も存在する。仕方なく我々はそれを区別するために「アーゴ盤のズート」とか「リバーサイド盤のズート」とかいい分けているのだ。全く迷惑な話だと思う。
それと多いのが曲名をそのままタイトルにしたケースである。そのアルバムの中で最も良くできた演奏や、一番アピール度の高い曲名を、そのままアルバムタイトルとして付けることが多い。当然同じようなタイトルの作品があちこちで生まれることになる。
ライヴの場合は「アット・○○○ホール」とか「○○○ホールの○○○」といった言い回しが定番だ。全くもってひねりがない。
このアルバムの正式名は「ザ・マグニフィセント・サド・ジョーンズ」。正直呆れてものがいえない。ジャケットもいいし、リラックスした演奏にも品がある。我が家の愛聴盤であると同時に、さすが50年代を代表するブルーノート1500番台の作品だ。そう考えるとタイトルだけが返す返すも残念だ。
この当時グラフィックデザイナーはいたが、言葉をデザインするコピーライターは存在しなかった。ここが最大のウィークポイントである。

FABRIZIO BOSSO QUINTET 「ROME AFTER MIDNIGHT」

2007年04月24日 | Trumpet/Cornett

私にとっていいアルバムの条件は、〈演奏〉〈選曲〉〈録音〉〈メンバー〉〈ジャケット〉がいいことである。
これは最近手に入れたアルバムだが、全ての条件において高レベルな作品だと思う。
まずジャケットから行こう。ダブルトーンは珍しくないし、演奏風景だって特別大騒ぎするほどのものでもない。では何が気に入っているかということだが、それは写真の角度である。約30°くらい右に回転させた位置で水平にトリミングしてあるのだ。これがいい。たったこれだけの処理で躍動感が出ているし内容をうまく伝えている。これがプロの仕事なのだと思う。しかも体裁がブックレット入りのデジパックときた、これはますます嬉しい。
次に演奏である。
これが実にフレッシュなのだ。リー・モーガンを彷彿とさせるハイスピードな演奏も、クリフォード・ブラウンを連想させるメロディアスな演奏も完璧にこなしている。全体に生き生きとした躍動感でいっぱいの演奏なのである。
このところのイタリアジャズシーンには勢いがあるが、このファブリッツィオ・ボッソはその象徴のような存在である。
次に選曲はどうかということだが、これも悪くない。珍しく癖のあるウェス・モンゴメリーの「Road Song」を取り上げている辺り、或いはサキコロにおけるロリンズの名演と張り合うかのような「You Don't Know What Love Is」を配置するなど挑戦的な選曲が多く、これまた躍動感につながっているのである。
この他、録音も充分に満足できる水準だ。

ついでながら「ROME AFTER MIDNIGHT」というアルバムタイトルも気に入っている。
これのどこがどういう風にいいかって? う~ん、これは感覚の問題だ。

DONALD BYRD & PEPPER ADAMS「MOTOR CITY SCENE」

2007年04月19日 | Trumpet/Cornett

モーターシティとは自動車産業で有名なデトロイトのことだ。
しかしデトロイトはソウルミュージックのモータウン・レコードも一世を風靡したように音楽の街でもある。事実この街出身のジャズマンは数多い。その代表選手が一同に集まってプレイしたのが本盤である。

ジャズの世界にはどうやら「白いジャズ」と「黒いジャズ」があるようだ。
我々のイメージではアメリカは黒くヨーロッパは白い、アメリカだけを見ても東海岸は黒く西海岸は白い、といった分け方が一般的だろう。これは単純に人種の違いということに留まらず、音楽に関する考え方の違いがそう呼ばせているのではないだろうか。そう考えると淡泊なのが白いジャズで、粘っこいのが黒いジャズ。或いは軽めの音が白いジャズで、重い音が黒いジャズなのかもしれない。

因みにデトロイトは黒人の多い街だ。だからソウルミュージックにも花が咲くわけだが、このアルバムの出だしがこのアルバムの色を決定づけている。何とこの出だしの曲は「STARDUST」である。それだけ見れば白いイメージの曲なのに、ドナルド・バードが吹くトランペットの音は限りなく黒に近い。まるで黒人霊歌を歌い上げているようだ。しかもポール・チェンバースの弾くベースの音が思いっきり重い。
その後の曲にはペッパー・アダムスやケニー・バレルといった白い面々が登場してくるが、黒い印象はどこまでも続く。
出だし数秒で白いキャンバスは黒く塗られたのである。一度塗られるとなかなか白くはならないものだ。

CLIFFORD BROWN 「JAZZ IMMORTAL」

2007年04月03日 | Trumpet/Cornett

若くして亡くなったジャズマンは数多い。
その中でも最も惜しまれるのがこの人、クリフォード・ブラウンだ。享年25、自動車事故だった。
ジャズ界において彼の死は大きな出来事だった。前年にはチャーリー・パーカーを失い、大きな方向転換を強いられた中で現れたこの天才トランペッターに、多くの人がジャズの将来を感じていたからである。
彼にはまず第一に歌心があった。
ジャズのアドリブとはあくまで即興で行う演奏ではあるが、そのミュージシャンが持つネタの引き出しがどれだけあるかで勝負が決まる。もちろんその引き出しに入っているネタの内容にもよるが、その多くはその人の「癖」がフレーズ化したものだともいえる。
彼の場合、その引き出しの数が圧倒的に多かったことと、癖そのものにも品があったことが天才たる所以なのである。それもそのはず、彼はドラッグ漬けだった周りの多くのジャズマンと違い、麻薬はもちろん、酒もタバコもやらないという優等生だった。このアルバムで共演しているウェストコーストの面々とも何ら違和感なくプレイできる背景には、そんな彼の性格の良さと引き出しの数がものをいったのだ。

ここでもまた彼の雄弁なアドリブが他を圧倒している。それに引きずられるように他のメンバーも普段以上の演奏をする。
これは天才一人が全体のレベルを引き上げたいい例だ。