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SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

CHET BAKER 「IN EUROPE」

2009年04月09日 | Trumpet/Cornett

とうとうCDでの再発となった。
まさにファン垂涎の的、チェット・ベイカーの「イン・ヨーロッパ」である。
中身は「イン・パリ」でもお馴染みだったが、やっぱりこのジャケットでないと魅力も半減するというものだ。
パンナムの権利問題で、絶対に再発は不可能といわれていただけに、この紙ジャケを手にすると万感胸に迫るものがある。
この喜びはコレクターにしかわからないだろう。
レコードを持っていてもなお、CDもほしくなる。これはそんな作品なのだ。

この写真を撮ったのは、もちろんウィリアム・クラクストンだ。
彼は昨年10月に80歳で惜しくもこの世を去ったが、この人もまたジャズ史に輝かしい足跡を残した名カメラマンだった。
ウエストコーストジャズのイメージを作ったのは明らかに彼である。
彼がひとたびシャッターを切ると、そこには生き生きとしたジャズメンの輝きや当時の世相が写し出されていた。
特にチェット・ベイカーのアルバムにいい写真が多いが、この他にも先日ご紹介した「リー・コニッツ with ウォーン・マーシュ」や、「オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット」、ソニー・ロリンズの「ウェイ・アウト・ウェスト」などは傑作中の傑作といえる。
そういえばジョン・ルイスの「グランド・エンカウンター」に写っている少女は、この 「イン・ヨーロッパ」で抱き合っている女性と同一人物なのだとクラクストン自身が話していたのを思い出す。
コレクターというものは、こういった些細な話をまるで宝物のように大事にする人種なのである。

このアルバムは1曲目の「Summertime」が有名だが、私は3曲目の「Tenderly」が大好きである。
いかにもチェット・ベイカーらしく、切々とトランペットを歌うように吹く。
ただアルバム全体を通してアンニュイなムードが続くので、この雰囲気を楽しめる人でないとお薦めしない。
とはいってもやっぱりこのジャケットだ。
中身の善し悪しはともかく、一ジャズファンとして、これだけで手に入れたくなるという感覚を大切にしたいと思うのである。

ART FARMER & GIGI GRYCE 「WHEN FARMER MET GRYCE」

2009年02月11日 | Trumpet/Cornett

ジャケットに写るのは1954年の冬だろう。
厚いコートを着た地味な二人の黒人ジャズメンが公園で出会い、しっかり握手する。
まぁ年季の入ったジャズファンなら、これだけでどんな音が流れ出るかを想像できるというもの。
50年代のジャズはこういう楽しみがあるから好きだ。
現代のジャケットには残念ながらこうした味わいがない。
ジャズ批評では数年前から年に一度マイ・ベスト・ジャズ・アルバムを選出しており、その中に「ジャズジャケット・ディスク大賞」という部門を置いている。
私も興味があるから「どれどれ」と手にとって眺めて見てみるのだが、だいたいがっかりする。
「本当にこれがベスト10なの?」というものばかりだ。審査員のセンスのなさにも腹が立つ。
特にお色気たっぷりの女性をあしらった通俗的なジャケットにはうんざりだ。もういい加減にしてくれといいたい。
デザイナーはいつまでこんな手抜き作業をする気なのだろうか。レーベルはいつまでこんなマンネリを続けるのだろうか。
彼らはもっと50年代のジャケットづくりを見習うべきである。

さてこのアルバムは、典型的な初期のハードバップである。
ハードバップ誕生の記念碑的な作品と目されるマイルスの「ウォーキン」や「バグス・グルーヴ」も、ちょうどこのアルバムが発表された時期と重なっており、アート・ファーマーとジジ・グライスが、いかに早い段階でこうした時流に乗ったかを思い知らされる。
ただこの作品はトランペットとアルト・サックスという高音域中心の2管編成だから、どちらかというと軽めのハードバップだ。
アート・ファーマーもこの頃はまだストレートに吹ききっているし、ジジ・グライスも軽快にファーマーと渡り合っている。
全体にハードバップ特有の泥臭さがなく品のある演奏だ。
曲は何といっても7曲目の「Blue Lights(ブルー・ライツ)」が黎明期のハードバップを象徴している演奏だと思う。
フレディ・レッドのピアノも快調だ。
このリズム、この雰囲気が一世を風靡したジャズシーンの幕開けを飾ったのである。



RUBY BRAFF 「BRAFF!」

2008年04月05日 | Trumpet/Cornett

私が中間派のファンであることは以前にも書いた。
ジャズの中でも一番人間くさい音がするから好きなのだ。
巷はやれバップだのスイングだのと騒いでいても、彼らは何食わぬ顔をしてトラディショナルな匂いがプンプンする演奏を続ける。
このひたむきさ、頑固さに胸が熱くなるのである。

私はいつも頭の中を空っぽにしてこのルビー・ブラフが奏でる「純粋な音」を楽しんでいる。
例えば1曲目の「Star Dust」。
夜空に向かって高らかに響き渡る彼のトランペットを聴けば、誰だってジャズは理屈じゃないことがわかる。
私たちはジャズをもっと動物的な本能で聴く必要があるのだ。

このアルバムは1956年6月26日、28日、7月10日の3つの録音をまとめたもので、中間派ジャズを代表する名盤の一枚である。
6月26日のメンバーはデイヴ・マッケンナやスティーブ・ジョーダンらが参加しているが、ベースが入っておらずシンプルな構成だ。「Star Dust」はこの日の演奏である。
続く6月28日のメンバーは打って変わってコールマン・ホーキンスやローレンス・ブラウン、ナット・ピアース、ドン・エリオット、フレディ・グリーンなどによるぶ厚いサウンドになっている。フレディ・グリーンの弾くギターがいいリズムを生み出している。
また7月10日のメンバーは、6月28日の構成からコールマン・ホーキンスが抜けているが、それによってドン・エリオットのヴァイヴがより一層際立っている。

懐かしさと職人たちの心意気と熱い魂を感じてほしい。
そうしたらあなたもジャケットに映っているおばさんのように心から拍手を贈るはずだ。

DIZZY GILLESPIE 「SONNY SIDE UP」

2008年03月29日 | Trumpet/Cornett

ジャズの楽しさを存分に味わえる作品だ。
リラックスした「On The Sunny Side Of The Street」で始まるこのアルバムは、大御所ディジー・ガレスピーが二人のテナーマンを競い合わせ楽しんでいるという感じの仕上がりになっている。これはプロデューサーであるノーマン・グランツの仕掛けによる企画モノだが、ディジー・ガレスピーという圧倒的な存在を中心に据えることで成功した類い希な作品だといえる。

この作品の目玉は、何といっても2曲目の「The Eternal Triangle」である。
延々と続くソニー・ロリンズとソニー・スティットのテナーバトルは、ジャズ史に残る名演奏である。
とにかくアドリヴの凄さにおいては他に類がない。
どうしてそんな流れるようなフレーズが瞬時にして次から次へと思い浮かぶのか、シロウトの私にはとても理解できない。正直言ってこれは神業だ。
ロリンズは言うに及ばずという感じだが、驚くのはスティットの存在である。
ロリンズ全盛期のこの当時も、スティットはロリンズと対等に(或いはそれ以上に)競い合える腕の持ち主であったことを証明している。
ロリンズが絡んだテナーバトルでいえば、まず真っ先にアルバム「Tenor Madness」が思い浮かぶ。
ここではジョン・コルトレーンと一戦を交えるわけだが、この時は結果的に横綱と平幕力士くらいの差があって、コルトレーンはあえなく土俵の外に押し出されてしまった。しかしここでのロリンズとスティットは正に横綱同士の相星決戦だ。互いに土俵際まで追い込むも結局最後まで勝敗がつかない。そんな手に汗握る演奏なのだ。
因みにウェットで包み込むような音色を発しているのがロリンズ、ややささくれ立って渇いた音色を響かせているのがスティットだ。この微妙な違いを聴き取るのも楽しい。

続く「After Hours」ではレイ・ブライアントのブルージーなピアノを楽しめるし、ラストの「 I Know That You Know」においても3人の見事なアドリヴを聴くことができる。ガレスピーお得意のすさまじいハイトーンも聴き応え充分だ。
とにかくスカッ!としたい時にぴったりのアルバムである。ぜひ大音量で聴いてほしい。


WALLACE RONEY 「Intuition」

2008年02月28日 | Trumpet/Cornett

ウォレス・ルーニーはマイルスの後継者と言われる人だ。
確かにバリバリ吹いていた頃のマイルスによく似ている。これがどこかでかかっていたらほとんどの人がマイルスだと思うだろう。
音の伸び、ための利かせ方、曲のムード、どれもこれもマイルス流の硬派なストレートジャズである。
ここまでそっくりだとそれはそれで「オレはこの道を行くのだ」という信念のようなものを感じる。
バックだってそれに充分呼応している。
サックスを吹くゲイリー・トーマスやケニー・ギャレットはウェイン・ショーターのようだし、ピアノのマルグリュー・ミラーはハービー・ハンコックのようにキレがよく、注目の美人ドラマー、シンディ・ブラックマンにはトニー・ウィリアムスのような躍動感がある。唯一ベーシストには本家本元マイルスグループのメンバーだったロン・カーターを起用しており、全体をビシッときめている。

とにかくこのクインテットは真剣そのものだ。
演奏が前屈みになりグイグイと突っ込んでくる。まるで切れ味のいい鋭い刃物のようだ。
これは全編に渡って大活躍しているシンディ・ブラックマンのドラミングに寄るところも大きい。
そういえばこのシンディ・ブラックマンというアフロヘアーの女性、なかなかの才女である。
このアルバムにも2曲ほど曲を提供しており、これが両方ともいい出来映えだ。
彼女はレニー・クラヴィッツのバンドにも在籍しており、彼女をジャズドラマーだとは知らないファンも多いようだ。あの出で立ちで器用に何でもこなすからそれも頷けることではあるのだが。

話をウォレス・ルーニーに戻そう。
マイルスの音楽を受け継ごうとする彼のような人間がいてもいいとつくづく思う。マイルスだってきっと草葉の陰で喜んでいるに違いない。ルーニーを通じて自分のことも再認識してもらえるからだ。
こうやって先人の精神が次世代に受け継がれていく。これでいいのだ。





TILL BRONNER 「OCEANA」

2008年01月27日 | Trumpet/Cornett

正直言って聴く前は彼の存在を低く見ていた。
何となく今風の軟弱な流行り音楽のような気がしていたのだ。
正しく食わず嫌いってやつだ。
大体ジャケットがいけない。これではジャズを聴くぞというモチベーションが下がる。クリス・ボッティらと同じ路線で売り出そうとするヴァーヴの下心だけが見え見えなのだ。
ティル・ブレナーのルックスやファッションもイマイチ気に食わない。こういうモデルのような人が本物のジャズをやれるのかという疑念も生まれる。まぁこれもやっかみ半分だ。

ティル・ブレナーをスムースジャズのアーチストだという人もいるだろう。
確かにメロウな雰囲気が全編に渡って流れていて、実に聴き心地がいい。
但し、よく聴いてみると彼が醸し出す雰囲気はむしろチェット・ベイカーに近いことがわかる。
彼のトランペットからはアンニュイでどこか冷めたようなムードが漂う。ヴォーカルもまた然り。
この作品にはカーラ・ブルーニやマデリン・ペルー、ルチアナ・スーザといったノラ・ジョーンズ系のヴォーカリストをゲストで招いているからますます都会的な感覚が増幅されている。

彼のミュート・トランペットはマイルスをも彷彿とさせる。
どちらかというと曲のテーマ部分をメロディアスに吹ききるタイプではあるが、マイルスに似た独特の哀愁感が全体を包み込んでいる。
考えてみればチェット・ベイカーもマイルス・デイヴィスもその時代を象徴する音を創り出していた。
そういう意味でティル・ブレナーのこの作品も今の時代を的確に表現していると思うのだ。
半ば諦めかけている時、遠くに一筋の光を見つけまた歩き出す。私はこのアルバムを聴くといつもそんな風に感じてしまう。
ウイリアム・クラクストンはこのアルバムを聴いて「海のような音楽だ」といったそうだ。確かにそんな風にも感じる深さである。
やはりこれは純粋なモダンジャズなのだ。


FREDDIE HUBBARD 「blue spirits」

2008年01月16日 | Trumpet/Cornett

フレディ・ハバードはブルーノートが似合う人だ。
「Open Sesame」がそうだったように、ジャケットのダブルトーンはこの色の組み合わせこそ彼なのだと思う。しかも彼の場合は横顔の大写しが多い。ここに撮影したフランシス・ウルフの鋭い眼力を感じる。
この表情の奥に何が隠されているかは、音を聴けばある程度理解できるかもしれない。
一言でいってしまえば内向性の強い音なのだ。
このある種の寂しさは単純に曲想がブルージーだからという表現で片付けるわけにはいかない。それは彼の人間的な本質から滲み出てくるものだと思いたい。
彼はもともと吹きまくるタイプのトランペッターである。にもかかわらずここではあまり熱っぽさを感じない。
かといってクールに決めているわけでもなさそうだ。
全体の音の流れに身を任せて沸き上がるフレーズを無心に吹いているような気がする。
この音だけを聴くと、彼がフリージャズに走ったのも何となく頷けるのである。

昨日から本格的な冬になった。
窓の外は今朝から細かい雪が絶え間なく降り続いている。こんな日は家でじっくりジャズを聴くのがいい。
アンプのボリュームは10時方向。私は今、かなりの音量でこの「blue spirits」を聴いている。
音が小さいときにはあまり気にも停めなかったビック・ブラックのコンガがやたらと前に出てくる。しかもかなりアグレッシブなリズムである。
それとジェームス・スポルディングのフルートとアルトもなかなか前屈みで強烈だ。
どうやらこのアルバムの深い色は彼ら2人の存在にも大きく影響されているようだ。ここにメロディアスなハバードとジョン・ヘンダーソン、ハロルド・メイバーンらが絡む。構図としてはそんな感じなのだ。
ブルーノート・ファンにはこれもたまらない演奏だろう。

BOBBY HACKETT 「Live at the ROOSEVERT GRILL」

2007年12月17日 | Trumpet/Cornett

ジャズのメインストリームはどこにあるか。
確かにモダンは大河のように幅広い。しかしながらジャズの本流は確実にニューオーリンズから流れている。
このアルバムにはそれを証明するかのような優れた演奏が記録されている。

ボビー・ハケットといえば1930年代から活躍してきたディキシーランドスタイルのトランペット&コルネット奏者である。
彼が残した作品は数多くあるが、中でも「コースト・コンサート」が有名だ。
この作品で彼のファンになったという人を何人も知っている。内容もさることながら、録音状態がよかったために非常に聴きやすいアルバムだったことが起因しているようだ。
このルーズベルト・グリルでのライヴはその「コースト・コンサート」に勝るとも劣らない彼晩年の代表作であり、モダンジャズ一辺倒の人にも充分楽しんでもらえる内容になっている。
このライヴは4枚のアルバムに分けて発売されており、ここでご紹介するアルバムは、その内の1枚目ということになる。
その4枚の内の2枚がレオ・メイヤーズドルフのジャケットデザインになっており、彼の描いた躍動感溢れるイラストとタイポグラフィが、ルーズベルト・グリルでの熱く楽しい雰囲気を私たちに伝えている。
このルーズベルト・グリルでの演奏にはゲストとしてヴィック・ディッケンソンが迎えられている。彼は中間派の代表的なトロンボーン奏者であるが、彼の参加によってこのアルバムの価値が大きくなったことはいうまでもない。

このアルバムがすばらしいのは何も演奏だけではない。
食器やグラスがふれあう音、客の大きな笑い声などがよく捉えられており、ステージと観客席が一体となっている雰囲気が伝わってくるからである。ジャズのライヴ録音はこうでなくてはいけない。
私も以前サンフランシスコのライヴハウスで、こうしたディキシーランドジャズの演奏を聴いたことがあるが、店に入って席に着いたものの、30分もしないうちに隣の見ず知らずの客と意気投合し、一緒に肩を組んで踊ったことがある。ハケットによる彼流ディキシーランドジャズもそんな底抜けに楽しい音楽であり、人種や言葉を超えて繋がりあえる魂の音楽なのだ。
あなたもどっぷりと浸かっていただきたい。

BOOKER LITTLE 「BOOKER LITTLE」

2007年10月07日 | Trumpet/Cornett

実に伸びやかなトランペットだ。
これこそ23才で亡くなったブッカー・リトルその人の吹奏だ。
25才で亡くなったクリフォード・ブラウン、26才で亡くなったファッツ・ナヴァロ、44才で亡くなったリー・モーガンよりさらに若く旅立ったことになる。なぜ天才トランペッターはこうも早死にする人が多いのだろうか。
因みにここで共演しているスコット・ラファロも25才で亡くなった天才ベーシストだ。
このアルバムは夭逝した二人の天才が残した貴重な録音なのである。

リトルのトランペットは、まるで空に向かって声高らかに歌い上げるような響きである反面、ラファロのベースは勢いよく地を駈けるようなリズムを刻んでいる。このコントラストが実にスリリングであり、若々しさがみなぎっている。
この二人にウィントン・ケリー、トミー・フラナガンといった人気ピアニストが絡む。
ケリーのピアノは、彼独特の飛び跳ねるタッチによって二人の気持ちをさらに高揚させる効果がある。逆にフラナガンがピアノを弾くと、緊張感が解きほぐされ二人とも冷静さを取り戻す。どちらも甲乙つけがたいバッキングで、この聞き分けもリスナーの醍醐味の一つである。ロイ・ヘインズの安定感あるドラムスもいい。

曲は最後の「Who Can I Turn On」を除いてどれもブッカー・リトルの作である。
どれもこれもメロディアスでわかりやすい旋律を持った佳曲であるが、感動的とも思える彼のダイナミックな吹奏によって、全ての曲が大きなスケールを感じさせる。
これぞジャズトランペット、これぞジャズベース、といったベストの音がここに収録されている。
返す返すも惜しい人材を亡くしたものだ。

WYNTON MARSALIS 「STANDARD TIME Vol.1」

2007年09月18日 | Trumpet/Cornett

どうしても名前に引きずられる人だ。
ウィントン・マルサリスというだけで、何か聴く前から過剰な期待を持ってしまうのは私だけだろうか。
そのせいもあって今まではがっかりさせられたことも何度かあった。駄作が多いということでは決してない、期待し過ぎる私が悪いのだ。
まぁそれだけ彼の名がビッグネームになってしまったということなのだろう。
ジャズの専門誌などを見ると、ウィントン・マルサリスはマイルスやコルトレーン、ビル・エヴァンスなどと肩を並べる現代の巨人として扱われている。しかしいったい彼のどこがそんなにすばらしいのかをきちんと話せる人は少ないのではないかと思う。

彼の一番の功績は、80年当時メインストリームジャズがフュージョンの台頭によって書き換えられようとする動きを阻止したことである。
彼はジャズのリスナーに対して、ストレートな4ビートジャズの良さを強くアピールした若きヒーローだった。その呼びかけにみんなが応え、ストレートジャズが現代に再度受け入れられるようになったのだ。
そうした意味でも彼はジャズ界にとって救世主のような存在だった。
しかし彼は単にオーソドックスなジャズを演じているわけではない。彼の音楽はかなり実験的で挑戦的だ。
このアルバムの2曲目に入っている「April In Paris」を聴いてほしい。彼が吹くテーマとバックのリズムが時間が経つに連れ次第とずれていくことに気づくだろう。これは間違いなく計算済みの行為である。ラストにはまたピタリと合うのだから、いかにコントロールされた演奏であるかがわかる。こうした新しい試みが彼の評判を普通以上の人間にしているのだ。

ウィントン・マルサリスといえばインテリで有名である。ジャズの歴史や楽器の能力、音楽理論等を可能な限り分析し、そこから新たなミュージックシーンを創り出そうとする意欲が見てとれる。演奏の能力も桁外れだ。とにかく努力の人なのである。
ジャズの巨人といわれた人たちはそのほとんどが過去の人だ。となると彼に託された期待と責任は限りなく大きい。それを一番感じているのは彼本人だろう。がんばってほしい。