buriのフリーランスな日々 

東京武蔵野、赤松や桜、ドングリの木々に囲まれて育ち、原宿で青春をすごした後、中国と深く関わったburiのメモブログ

御雇い外国人 ガードナーの軌跡

2011年04月02日 | 歴史の中の1ページ



明治時代に日本にやって来た外国人(御雇い外国人)
ジェームズ・マクドナルド・ガードナーについて調べてみました。
ガードナーは『宣教師、教育者、建築家』という3つの肩書きを持ち、どの分野にあっても
秀逸であった人です。
(もしかしたら、ガードナーは宣教師なので、御雇い外国人には含まれないかもしれませんね。)

1857年、米国セントルイスで生まれで、ハーバード大学建築科に入学するも、1877年(明12年)に中退してしまいます。
その後、聖公会宣教師で立教学校の創設者であったチャニング・ウィリアムズの要請で、
アメリカの聖公会伝道局から宣教師として日本に派遣されることになりました。
1880年(明治15年)に東京築地の外国人居留地にやってきたガードナーは23歳。
すぐに立教学校(立教大学の前身)に校長として赴任します。

23歳の若きガードナーは教育者として立教学校を経営しましたが、同時に建築家としての意欲も高かったのだと思います。
1891年立教大学校を退任し、建築家として本格的に仕事を始め、洋風建築の建物を作っています。

1894(明治27年)年6月20日の明治東京地震でガードナーが設計した立教学校校舎などの建物が被害を受けました。
その後、ガードナーは建物の耐震性も考慮した設計を行うようになったといわれています。

1894年には一時アメリカに帰国しました。
その際、中退してしまったハーバード大学に論文を提出し学位を受けます。
すでに建築家としてのキャリアを積んでいたガードナーですが、20年近くかかって大学を卒業したことになります。
その後、また日本に戻り、古巣の立教大学で英語・英文学の教授となりますが、1903年にはガーディナー建築事務所を開業します。
ガードナーの足跡をたどると、教師、建築家、教師、建築家とキャリアを重ねていることがわかります。
どちらにも惹かれるものがあったのでしょうね。

ガードナーの家族は奥さんのフローレンス・ピットマンと3人の子どもです。
フローレンスとは日光市で出会ったそうです。
彼は日光に「ガードナー日光山荘」を建て、ここで夏を過ごしたそうですが、、、
きっと奥さんや家族を連れて来たのでしょうね。
日光にはもうひとつ、ガードナーの作った建物、ロマネスク風、石造りの聖公会日光真光教会があります。
のちにガードナーの遺言により、ガードナー夫妻はこの教会に葬られたということですから
ガードナーと彼の家族にとって日光は『故郷』だったのかもしれません。

ガードナーは1903年、ガードナー設計事務所を開設します。
その後、邸宅や教会堂の設計に力を入れますが、彼の作った建物は関東大震災の時にかなりの被害を受けたそうで、
現在は10棟ほどしか残っていないということです。

ガードナーは1925年築地の聖路加病院(現在の聖路加国際病院)で亡くなります。68歳でした。
ガードナーは宣教師として来日、立教学校での教育、そして数々の洋風建築を日本各地に残し、
その一生を閉じました。
彼はなんと68歳の生涯のうち、45年間を日本で過ごしたのです。


私も知らず知らずのうちにガードナーの作品の建物を日本各地で見ています。
まずは京都にある日本聖公会聖アグネス教会。
京都御所のそばにあり、茶色いれんが造り、ゴシック風の教会堂で、1923年に建てられました。
(最初の写真)

外交官の家(旧内田家住宅)は、1910年(明治43年)に建築された塔屋付き木造2階建の西洋館で、1997年に、国の重要文化財に指定されました。
もともとは渋谷区南平台にあったものですが、現在は横浜の山手イタリア山庭園に移されています。




日本聖公会弘前昇天教会教会堂(下の写真)も大正12年建造のゴシック風の教会堂です。
ガードナーはもともと聖公会から派遣された宣教師でしたから、日本各地の聖公会の建物を作っているのです。
この教会には日本最古のリードオルガンがあり、現在も活躍中です。






残念ながら日光の真光教会教会堂は何度も日光を訪れていながら、行ったことはありませんでした。
次に日光に行く時はぜひ訪れてみたいと思っています。


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明治の時代に日本にやって来たお雇い外国人は1万人近くいるとのことです。
今日はそのひとり、ジェームズ・マクドナルド・ガードナーについて、調べてみました。
最後までおつき合いくださりありがとうございました。

ところで、明治時代の横浜と東京築地はお雇い外国人にとっては切っても切れない場所だったようです。
次回はそのあたりを趣味の領域で調べてみたいと思っています。


御雇い外国人の他のブログは「カテゴリー 歴史の中の1ページ」を参考にしてください。


出典・参照:
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ガーディナー
http://www7a.biglobe.ne.jp/~masayuki/nikkoshinkochach19850802.html日光真光教会
http://maskweb.jp/b_nikkonskk_1_1.html近代建築散策
http://ja.wikipedia.org/wiki/チャニング・ウィリアムズ






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1 コメント

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ガードナー (Ohgi)
2011-04-14 22:23:56
はじめまして。参考にしていただきました、Wikipediaの記事を書いた者です。出典としてご利用いただけたということで、ありがたいかぎりです。
さて、私は件の記事を書いたときに、いろいろな文献を確認したのですが、名前を「ガードナー」と表記している文献は私が見た文献の中にはありませんでした。(ちょっと古い資料で、ひとつだけ「ガーデナー」と表記しているものはありました)

この「ガードナー」というお名前の表記なのですが、どちらからきたものでしょうか。
もしも、そのような表記をされている資料がありましたら、教えていただけないでしょうか。
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