『大坂の陣』
改めまして、皆さまこんばんは。
この1年間、毎週楽しみに見てきた大河ドラマ『真田丸』も残すところあと2回となりました。
このところ抜群の安定感を誇る徳川方に比べて豊臣方の烏合の衆感が甚だしく、信繁の表情にも悲壮感が漂ってきて、正直言って、観るのが少々辛くなってきております。
それでも、最後まで見届けるために、夏の陣の前に、是非、信繁最後の戦いの現場を目に焼き付けておきたいと、ハルカス展望台にやってまいりました。
茶臼山。
前回の『引鉄』でも登場しましたね。冬の陣では徳川家康が、夏の陣では信繁が陣を張りました。茶臼山の上方、木がこんもりと茂っているあたりが信繁最期の地、安居神社です。
大阪城と真田丸(*真田丸の位置はパンフレットを参考に位置を示していますが、はっきりと確認出来たわけではないので推定箇所です)
茶臼山と大坂城の位置関係がわかりますでしょうか。
俯瞰で見ると、堀を埋められた豊臣方(信繁)たちが決死の覚悟で前線に出撃し、最後の勝負に出ようとしたのがよくわかります。
中央を通っているのが谷町筋で左側が松屋町筋、谷町筋を挟んで反対側がわかりづらいですが、上町筋です。大阪城へ向かって真っすぐ伸びているのはきっと秀吉建設の痕跡ですね。今目にしている場所が、無数の兵士で埋め尽されていたかと思うと、大坂の陣がいかに大きな戦いだったか分かります。
地図上で布陣などは確認できても、実際に目にするのとでは全く臨場感が違います。この景色を司馬遼太郎氏や池波正太郎氏が見たらどんな感想をもたれるのでしょうか。聞いてみたいものです。
九度山から戻った後の信繁は、おそらくほぼ目に入るこの景色のなかで過ごしたと思われ、真田丸大勝利の喜びや、夏の陣の苦しい戦いなど、彼の最後の日々が凝縮されている気がして見ているだけで圧倒されます。大坂城から真田丸、茶臼山、そして安居神社と信繁の軌跡をたどることは、信繁が必死に考え、行動し、自分の人生を最後まで生き切ったその様を追体験することに他なりません。
こうやって、少しだけ神に近い目線で眺めていると、信繁の一生も掌ですくい取れるような気がして、最後まであきらめず、家康の喉元にまで詰め寄った闘志をねぎらいたくなります。でも、傍観者の総括なんて信繁の望むところではありませんね。
とはいえ、数百年の時を超えても迫ってくる信繁の生き様に、自分の中で共鳴するものがあるのも事実です。
大河ドラマの最終回はタイトルがないそうです。1年間、共に時間を過ごして来た信繁の最期。さて、自分はどんなタイトルが思い浮かぶのでしょうか。