元サラリーマンの植物ウォッチング第6弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part6
ウメガサソウ・1~開花
大塚東公園の林内で見られる「ウメガサソウ(梅笠草)」。ツツジ科(←イチヤクソウ科)イチヤクソウ属の常緑低木で薄暗い林床に生育している。背丈はわずか6~7センチで草本のように見えるが茎は木質化し真冬でも常緑の葉が見られる。
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サイハイラン・3~こうせん塚
五反田谷戸から“こうせん塚”に向かう山道で見掛けた「サイハイラン(采配蘭)」。ラン科サイハイラン属の多年草で草丈は50~60センチ。このすぐ近くにも2株開花している。5~6月に総状花序を付けひとつの花の長さは3~4センチになる。通常は1株に1枚の葉があり冬でも残っている。
ちなみにこの塚には東京都による案内板があり、それには
『スダジイの大木の根元にある塚は“こうせん婆さん”と呼ばれており、小さな石祠には“文政10年(1827年)10月施主天野勘左衛門”と刻まれている。昔、麦こがし(=香煎)にむせて死んだ老婆を祀ったもので、咳の病が治るように茶碗や封筒に茶を入れて奉納し祈願するようになった。小野路城の関門があって“通せん場”と呼ばれたのが“関の神”から“咳の神”と変じたという説や、落城の折、ここで交戦があり死者を祀った墳墓が“交戦場”と称せられ、その後“こうせん婆”と変じたとする説もある。』
とある。今は通る人もほとんど無い緑多き森である。
ちなみにこの塚には東京都による案内板があり、それには
『スダジイの大木の根元にある塚は“こうせん婆さん”と呼ばれており、小さな石祠には“文政10年(1827年)10月施主天野勘左衛門”と刻まれている。昔、麦こがし(=香煎)にむせて死んだ老婆を祀ったもので、咳の病が治るように茶碗や封筒に茶を入れて奉納し祈願するようになった。小野路城の関門があって“通せん場”と呼ばれたのが“関の神”から“咳の神”と変じたという説や、落城の折、ここで交戦があり死者を祀った墳墓が“交戦場”と称せられ、その後“こうせん婆”と変じたとする説もある。』
とある。今は通る人もほとんど無い緑多き森である。
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イトツメクサ・3~種子
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キクムグラ
蓮生寺公園の石垣に生えている「キクムグラ(菊葎)」。アカネ科ヤエムグラ属の多年草で山地の林縁などで見られる。葉はヨツバムグラに似て4輪生で草丈は20センチほど。枝先や葉腋に直径2~3ミリの小さな花を1~3個付ける。花序の基部には小さな苞葉がある。
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