元サラリーマンの植物ウォッチング第7弾。写真はクリックすると大きくなります
多摩ニュータウン植物記Part7
奮闘記・6~2024総括

2009年2月の青梅マラソン10キロが人生初めての公式レースで、公道の真ん中を大勢の声援を浴びながら走るのにすっかり嵌り、その年の11月には府中多摩川ハーフマラソンにチャレンジ、翌2010年2月には東京マラソンを完走した。それ以降、毎シーズン、10キロ、ハーフマラソンを6~7レース出場し、2015年3月には横浜マラソン、還暦記念では2016年12月にホノルルを息子と走った。公式レースは5キロ駅伝6回、10キロレース40回、ハーフマラソン14回、フルマラソン4回となり、その他、個人的には箱根駅伝10区間(217.9キロ)、鶴見川(43キロ)、境川(52キロ)、多摩川(87キロ)、相模川(60キロ)、玉川上水(46.5キロ)や“24時間テレビ”のチャリティマラソンコースなどもチャレンジした。
サラリーマン時代の週末の植物観察&ランニングで2009年から2020年まで年間1,000キロランを続けていたが、2020年のコロナ禍最中のトレイルランで右膝の半月板を損傷しランニングはドクターストップ。2021年からは整形外科医の勧めでサイクリング(電動自転車だが)を始め今は年間3,000〜4,000キロを走破している。
右膝には月1回のヒアルロン酸注射をしているが、整形外科医から『少しならランニングもOK』との許可が下りたので、膝と相談しながら今年6月からジムのトレッドミル(ランニングマシン)で1回2~3キロのランニングを再開し合計336キロ走った。トレッドミルには毎回5%傾斜の負荷を掛け3キロ走ると150メートル登る設定にしている。膝には登り坂は負担にならず、下り坂は楽に思えるが膝への衝撃は大きい。
ちなみに昨日開催された富士山女子駅伝の最終7区では3キロ過ぎから厳しい登り坂が始まり4.6キロで169メートル登るので傾斜は約3.6%になる。また正月の箱根駅伝5区では小田原中継所(標高36メートル)から16.2キロ先の1号線最高地点(標高874メートル)まで駆け登るがその平均傾斜は5.2%。15キロ過ぎからは最大傾斜13%が2キロ続く。
定期的に計測している今月の数値は下記の通り。
(カッコ内は2023年12月←2022年12月←2021年12月←2014年12月←2008年6月)
体重61.5kg(←61.7←61.4←62.6←63.9←63.0)
骨格筋量29.2kg(←29.2←28.7←29.2←30.5←30.0)
体脂肪量9.1kg(←9.3←8.9←10.1←9.4←9.1)
体脂肪率14.8%(←15.1←14.6←16.0←14.7←14.4)
基礎代謝量1,501kcal(←1,501←1,485←1,505←1,544←1,534)
両脚筋肉量17.5kg(←17.3←17.1←17.2←17.7←17.9)
16年前、10年前と比べて体形や筋肉量など何とか維持できている。来年もサイクリングで年間4,000キロ、ジムのランニングで年間500キロを目指したい。写真は堀之内沖ノ谷戸公園から見える富士山。
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奮闘記・5〜カレンダー写真

レースは午前5時にワイキキの向こう側のアラモアナをスタートしワイキキのホテル街を抜けてダイヤモンドヘッドの裏側を右方向に進む。写真の右横を走る頃に夜が明けその先は単調な高速道路のカラニアナオレ・ハイウェイ(Kalanianaole Hwy.)を進む。ハワイカイ(Hawaii Kai)で折り返して再び高速道路を戻り37キロ付近で写真のダイヤモンドヘッドの左下に見える海沿いの登り坂のダイヤモンドヘッド通り(Diamond Head Rd.)になる。ゴールはダイヤモンドヘッドの向こう側の濃い緑色の部分のカピオラニ公園で私は午前11時前にたどり着いた。
ダイヤモンドヘッドを上から見ると大きなお鉢状のクレーターになっている。オアフ島を形成したコオラウ火山が260万年前に活動開始してその後休眠し50万年前に再活動。そしてダイヤモンドヘッドは古くても15万年前以降にできたという。標高は232メートルで火口の内側までは自動車で行くことができ、そこから頂上までは1時間ほどの登山道がある。前回のホノルルマラソンではダイヤモンドヘッド登山ができなかったが、もし次の機会があるならここに登ってみたい。
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奮闘記・4~ランニング再開

2月だというのに気温は4月下旬の暖かさになり走り出すとすぐに汗が出てくる。サイクリングでは味わえない発汗だ。自宅から別所やまざくら公園、蓮生寺公園、別所公園、長池公園、大平公園、清水入緑地をぐるりと回ってトータル8キロ。途中で植物観察で立ち止まることが多く本格的なランニングには程遠いがまずはジョギングが再開できた。走った後の太ももの軽い筋肉痛が心地良い。これからはランニングとサイクリングと植物観察を上手く組み合わせていこう。
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奮闘記・3〜国立競技場ラン

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奮闘記・2~府中多摩川かぜのみち

第1回大会は1946年(昭和21年)に大阪市で開催されたが、1962年(昭和37年)の第17回大会でびわ湖コースとなり、1965年(昭和40年)の第20回大会からびわ湖コースが定着した。歴代優勝者には、君原健二、アベベ・ビキラ、宇佐美彰朗、宗猛、宗茂、瀬古俊彦など錚々たるランナーが名を連ねている。2002年(平成14年)の武井隆次を最後に日本人選手の優勝が途切れていたが、今日の鈴木選手の優勝は19年振りになる。
“びわ湖毎日マラソン”と言えば1973年(昭和48年)のフランク・ショーターが忘れられない。前年のミュンヘンオリンピックで優勝し絶好調のショーターは10キロ過ぎまで快走していたがお腹に異変が生じた。そこで沿道の観客が持っていた小旗を数本取りそのまま脇道に逸れて草むらに消えた。そして用を済ますと再びレースに戻り先を走っていた選手を次々に抜かして最後は独走でゴールイン。ロスタイムはわずか20秒という早業だった。
余談だが、マラソンではコースによって条件が異なるため、従来の記録を破っても“新記録”ではなく“最高記録”とされていた。しかし2004年(平成16年)、国際陸上競技連盟(IAAF)は記録公認諸条件を整備し“新記録”と表現するようにした。それ以降、日本でも“日本最高記録”を“日本新記録”と称している。
写真は毎年11月にハーフマラソンが開催されている“府中多摩川かぜのみち”。私は2010年(平成22年)から毎年出場していたが、一昨年は台風によるコース損壊、昨年は新型コロナで中止になってしまった。現在右膝治療中のため今日はeバイクを漕いで懐かしい道を走ってきた。走行距離は38キロ。
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奮闘記・1~eバイク

私の自転車歴は大学1年の夏休みに友人と東海道、山陰道を1,300キロ走り、翌年は北海道を函館から帯広までグルっと700キロほど走ったが、社会人になってからはマイカー利用が多くなり自転車に乗ることはほとんど無くなった。数年前に“eバイク”登場のニュースを見て『リタイア後はこれかな?』と思っていたが、今回、良い機会なので早速“eバイク”を購入した。スポーツタイプの自転車を持つのは何と43年振り。
“eバイク”のルーツとなる電動アシスト自転車登場は1993年まで遡るが、2010年頃から欧米諸国でスポーツサイクル用の“eバイク”がブームになり、2015年頃からは国内メーカー各社が競って販売し始めた。当然オートバイとは異なり走るのは人力だが、急坂ではギアを軽くせず“立ち漕ぎ”もしないで楽に登ることができる。多摩ニュータウンは丘陵地のため坂道が多く、1時間、20キロほど走ってくればアシストがあっても太腿はパンパンに張りかなりの筋力強化になる。
当面は筋力維持・向上のために5キロ程度のジョギング、10キロ程度のウォーキング、20キロ程度のサイクリングなどその日の膝の状態を見ながら選んでいこうと考えている。
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