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サイハイラン・3~こうせん塚

 五反田谷戸から“こうせん塚”に向かう山道で見掛けた「サイハイラン(采配蘭)」。ラン科サイハイラン属の多年草で草丈は50~60センチ。このすぐ近くにも2株開花している。5~6月に総状花序を付けひとつの花の長さは3~4センチになる。通常は1株に1枚の葉があり冬でも残っている
 ちなみにこの塚には東京都による案内板があり、それには
『スダジイの大木の根元にある塚は“こうせん婆さん”と呼ばれており、小さな石祠には“文政10年(1827年)10月施主天野勘左衛門”と刻まれている。昔、麦こがし(=香煎)にむせて死んだ老婆を祀ったもので、咳の病が治るように茶碗や封筒に茶を入れて奉納し祈願するようになった。小野路城の関門があって“通せん場”と呼ばれたのが“関の神”から“咳の神”と変じたという説や、落城の折、ここで交戦があり死者を祀った墳墓が“交戦場”と称せられ、その後“こうせん婆”と変じたとする説もある。』
とある。今は通る人もほとんど無い緑多き森である。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
コウセン (ぶちょうほう)
2021-05-31 10:27:37
多摩NTの住人様 こんにちは
この記事で「こうせん塚」と読んだときに、これは「庚申様」を祀った「庚申塚」の変化かと思いました。
記事を読み進めるうちにいろいろな故事・諸説が出てきて面白いですね。
子供の頃に麦こがしのことを”こうせん”とも言っていたのを思い出しもしました。
まさか「天勾践を空しゅうすることなかれ 時に范れい無きにしも非ず」からの引用ではないでしょうね。

サイハイランもあまり見ない花ですが、もしかしたら日本海要素なのでしょうか。
 
 
 
ぶちょうほう様 (多摩NTの住人)
2021-05-31 14:12:02
コメント有り難うございます。その地区独特の逸話がありますね。ここに城があったのは間違いないようですが、まさか勾践は出てきませんね。
 
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