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スギナ

 トクサ科トクサ属の「スギナ(杉菜)」。この時期の午前中に観察すると、枝先にたくさん水滴が付いているのに気付く。スギナが生えている草むらに入るとズックが水浸しになることもある。これは朝露ではなく、スギナの枝先の“水気孔”から余分な水分を出す排水作用。根に水分が多い時や空気中の湿度が高い時に内部の水分をそこから排出している。
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ヤマグワ

 その昔、八王子市は“桑都”と呼ばれていた。この地は関東山地と武蔵野台地の境に位置し、山がちで耕作地が少なかったため、養蚕や機織りは古くから農家の大切な仕事だった。そして八王子は次第に周辺の村々から繭や生糸、織物の集積地となり、江戸時代末期に日米修好通商条約が結ばれると、北関東や山梨で生産された絹が、八王子から“絹の道”を通って横浜港まで運ばれ、世界に輸出された。当地の鑓水地区を通る“絹の道”は我が家から3~4キロに位置しており、お気に入りのランニングコースのひとつである。
 さて八王子のご当地ゆるキャラは“松姫マッピー”だが、私はこれまで全く興味が無く、松姫のことも詳しく知らなかった。ところが、先日、直木賞作家中村彰彦著の『疾風に折れぬ花あり 信玄息女松姫の一生』(PHP研究所)を読み、八王子と松姫の繋がりを遅れ馳せながら理解した。
 松姫は武田信玄の五女として生まれ、7歳の時に織田信長の長男、信忠(当時11歳)と婚約したが、その後、織田、武田両家が対立し婚約は解消された。そして皮肉にも織田信忠率いる軍の武田攻めにより、高遠城からの逃避行で、甲府、大月を経て八王子まで辿り着き、22歳で出家し信松尼と名乗った。
 そしてともに逃げた3人の幼い姫たち(武田勝頼の娘、仁科盛信の娘、小山田信茂の養女)を養うために自らの手で養蚕を始め、元武田家重臣などの援助を受けながら自立し、また徳川家康の孫にあたる幸松(のちの会津藩主保科正之)の誕生の際には、秀忠の正室のお江与(お江・小督)からの迫害から守るため、幸松を預かり育て上げた。
 信松尼の存在は、武田家旧臣の多くからなる“八王子千人同心”の心の支えにもなり、56歳の生涯を終えるまで多くの村人から慕われ続け、得意であった絹織物技術を教え伝え、八王子の養蚕業の礎になったともされている。甲州街道の本郷横丁から南に向かい信松尼が創建した信松院(八王子市台町)の前を通る道は“松姫通り”と名付けられており、3年前の2017年4月16日が没後400年には“四百年祭”が開かれたそうだ。知らなかった。
 八王子にとって松姫は忘れてはならないお方であり、ゆるキャラに選ばれるのも当然。信松院は八王子七福神のひとつでもあるので機会があれば訪れてみよう。中村氏のこの小説は、八王子在住の方だけでなく歴史ファンにはお薦めである。
 写真は裏高尾“日影林道”で見掛けた「ヤマグワ(山桑)」。クワ科クワ属の落葉低木で花期は4~5月。花後に果実が赤黒く熟す。マグワの花柱は短くヤマグワの花柱は長いので、写真はヤマグワと判断した。
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カニクサ・3~成葉

 カニクサ科(←フサシダ科)カニクサ属の「カニクサ(蟹草)」。夏緑性のシダ植物で、地下にある根茎から蔓を伸ばして、成長すると長さは2メートル以上にもなる。茎のように見えるものは葉軸であり、地上部にあるものすべてで1枚の葉になる。これは長池公園“つくいけの道”のもの。
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