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迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

Day10・スコールのち雨たまに晴れ・那覇~宮古島(来間島)【沖縄9月】

2012年09月20日 | 旅する。

9月20日 木曜日 那覇→宮古島(来間島)

朝、まぁさがストロング酎ハイを飲んでいた。午前4時着の飛行機で帰還したそうだ。こういう朝にはさっそく飲み始める人々がいて、泥酔して飛行機に乗れなかったらどうするんだろう? とひとごとながら心配する。誰とは言いませんが。

朝食は〈ハイウェイ食堂〉で焼きそば(平麺)480円。荷作りをして9時半過ぎには月光荘を出た。今日は宮古島へと渡る日だ。

【着陸した途端にスコール】
11時05分発宮古行きスカイマークは10分遅れになっていた。離陸してからほとんど寝ていたが、着陸するころには眼下に東平安名崎や来間島が見下ろせた。

何の因果か、着陸した途端に雨がふりだした。しかも結構な勢いのスコールだ。

預け入れ荷物の海道具をピックアップして空港を出るとバンがとまっていて、これが今晩からお世話になるホテルハイビスカスのお迎えだった。てっちゃんとは初対面だが、彼が宮古島で宿でいごをやっていた時から勇名は聞いている。

【来間島、ホテルハイビスカス】
そのまま来間大橋を渡ってホテルハイビスカスへ。ヘルパーのうめちゃん(奈良出身)に出迎えてもらい、ドミトリーに荷物をおいて宿泊カードに記入し、2泊+送迎で4500円を前払いして、館内を案内してもらう。

外に出て雲を見ると黒い雲が多い。間違いなく雨が降る、とは思ったが、「お昼がてら、散歩に行ってきます」と外に出た。初めての宿に来た時に周辺を歩くのはもはや習慣みたいなものになっている。橋方向に降りていく。お店はこのへんにかたまっているようだ、というか以前(6年前)来た時からそれほど増えていない。

来間島守くんは、2次元だった。

 同じ道を戻って集落に入ったところで案の定雨が降ってきた。無理せず雑貨屋〈ゆーびんやー〉で雨宿りして、小ぶりになったところでいったんハイビスカスに戻る。

同宿のみなさんはランチ中で、そのあとのゆんたくでは「パチンコ屋バイトあるある」が展開され、本家アメトーク以上に面白かった。

【ムスヌイ浜まで】
さて、雨もあがったようなので散歩に再チャレンジして、店が閉まらない前に来間味噌そば700円をいただく。

今度は集落に入る前に左折して海へ向かう。ムスヌイ御嶽のそばに浜があり、島人がひとりで日光浴していた。

集落方向に戻り、竜宮展望台へ。この展望台には6年ぶりに上ったが、来間大橋から与那覇前浜を見下ろす景色はやはり素晴らしい。天気は悪いけど。

【長間浜で泳ぐ】
少し日が差してきたので「泳ぎに行く!」と決めてハイビスカスで着替えて改めて長間浜への道をうめちゃんに聞く。

15分くらい歩くと、わナンバーのクルマがいくつも停まっていた。海を眺めているだけの観光客が多かったが、何人かはシュノーケリングしていたので海に入ってみる。

波は荒れていたがけっこう透明度は高い。

たまに太陽の光が海の底を照らすと、神秘的な光景が広がる。

白い砂にサンゴ礁、ツノダシ、チョウチョウウオ、クマノミを見ることができた。

ハイビスカスに戻って機材を洗い、シャワーを浴びるとすることがない。蚊に刺されたり、ギターを弾いたり。

【お好み焼きと泡盛と】
来間小中学校の校内放送のマイクが入りっぱなにしなっていて、室内の会話がそのまま島中に流れていた。のどかな島である。

やがて空港に送迎に行っていた一行が帰ってきた。石垣島に帰るはずだったのに空席がなくて乗れなかったり、多良間島が八月踊りで宿がなくて帰ってきたり、いろんなハプニング満載だった由。

夕食はお好み焼きパーティー、ビールに泡盛。カウンターで飲むのもいいし、大テーブルを囲むのも楽しい。

勝手にお互いを「富永愛」「上村愛子」「宮川大輔」「オードリーの春日」「声は千原ジュニア」「ジャン・レノ」などと言い合う。

さらに学生の面々のバイト先での恋や、別れた元カノジョの話なんかを酒の肴にする。

そして夜半、てっちゃんの「飲みに行くで!」の一言でほぼ全員が西里へタクシーで飲みに行く。残ったのは翌日にダイビングを控えた二人とヘルパーのうめちゃん、そして私だけになり、せっかくなのでしみじみと飲む。

「めっちゃ星がキレイやで~っ!」とうめちゃんが外から駆け込んできた。みんなで外に出る。満天の星空だったが、目一杯蚊に刺された。


Day09・コトブキで始まり、つきのわで終わる・那覇【沖縄9月】

2012年09月20日 | 旅する。

9月19日 水曜日 那覇

【あまり正しくない朝】
〈ハイウェイ食堂〉のテレビでは「おはよう日本」をやっていた。もうよいこは起きてお仕事に出かけるころである。

月光荘にもどって歯を磨いて寝た。たぶん、5時半くらいか。

850分、まもるが弾く三線の調弦が合わず、気になるので起きてちんだみを直してあげる。
(寝る)
10時20分、ご無沙汰している知人から間違い電話。こちらは寝ぼけまなこ、先方は失礼ながらやや耳が遠くなってらっしゃるのか、事情を説明するのに時間がかかる。
(寝る)

【いつものコース】
〈コトブキ〉で昼食、三種麺で醤油ラーメン。

〈ひばり屋〉でアイスカフェオレ。那覇でも一銀通りが冠水したそうだ。実に久しぶりに陸奥A子の話をする。

桜坂劇場、招待券で《さらば復讐の狼たちよ》を見る。

馬列主義がマルクスレーニン主義で、冒頭に線路の上を馬が(!)曳く列車が豪快に襲撃されるところから始まる。随所にそういうシャレというか皮肉やオマージュ(「鴻門の会」やら「レッドクリフ」やら)がちりばめられているのだが、中身は義賊と悪徳地主の抗争である。

チアン・ウェン監督は《鬼が来た!》で骨のあるところを見せたが、こういう痛快時代劇も作れるんだなぁ。

【そうめんは音を立てて】
398円のワインを買って月光荘で乾杯する。夕食は400円でそうめん、セロリサラダ、紅芋サラダ、カクテキ、チキン、ナス炒めなどなど。

トッドは海兵隊でニューハンプシャー州出身、まったく日本語が喋れないが、なかなか学習能力が高そうなので「日本でめんを食べるときには、威勢よく啜って音をたてるように!」と練習させる。欧米では忌避されるこの啜る音だが、日本では音を立てないとおいしくないのだよ。意外に難しいようで、数回のトライで見事「ズズッズズーッ!」と気持ち良い音が出て、みんなで拍手した。

〈つきのわ〉で、今晩もジャックダニエル。

 


Day08・南へ・もとぶ~那覇【沖縄9月】

2012年09月19日 | 旅する。

9月18日 火曜日 もとぶ→那覇

【中味ラーメン】
洗濯物を回収し、packingし、シーツを出して、モツ煮を煮返しておく。

屋上で三線を練習してから、朝食にマルちゃん正麺を作ってモツ煮をのせる。

中味ラーメン、旨し。

【海洋博公園を無料で楽しむ】
精算してから荷物を置いたまま散歩に出かける。畑の中の一本道。

海洋博公園に中央ゲートから入り、大濱信泉像や水の階段のあたりを歩く。

とくに施設に入らなくても、ただの公園としてよく整備されたいい場所だと思う。もっと活用しないと、もったいない。

オキちゃん劇場に行く。

ここはかつて1日に3回見たこともあるのだが、今回はイルカよりも、イルカの一挙手一投足に感動する観客に感動した。どういう心境の変化なんだろうか?

イルカラグーン。

8月に生まれたばかりの海亀の子どもたち。

そしてマナティ館で涼む。

さて、いつもお世話になっている某所から「おいでなさい」ということだったのでバス停に行ったら10分前に出ていた。仕方ないのでめったに乗らないタクシーに乗る。

島バナナやマンゴー糖をいただき、昼食に豆腐チャンプルーご飯、中味汁にアイスコーヒーまでいただく。なんだかいつもお世話になりっぱなしだ。

さらに梨までもらい、もとぶゲストハウスまで送っていただく。ここで休憩しつつ、荷物をピックアップして浦崎でおろしてもらう。

【歩いたり、送られたり、バスに乗ったりして那覇へ】
ちょうどいい時間のバスがないので、歩いてみる。メージャフ、浜元、本部高校入口。そこに、向こうからニヤニヤ笑う男が現れた、と思ったらチカラくんだった。ちょうど作業中だったらしい。軽トラックで渡久地のバス停まで送ってもらう。

渡久地からのバスは16:22発の66番、16:26発の70番があった。せっかくなのでまちぐゎーへ行ってみると、みなさんが片付けやら機材チェックをしていた。営業再開は明日からというところがほとんどのようだ。実はこれで15日から4日連続でまちぐゎーに行ったことになる。自慢にならんか。

渡久地バス停ではたくさんの人がバス待ちをしていた。ちょうど下校や買い物の時間帯だった。バスは名護の中心部を一周してバスターミナル方向に戻る。時間とお金を節約するなら宮里あたりで降りて歩けば差額140円と10~15分程度をカットできる。今回は寝ていてタイミングを逃したが。

17時30分に発車した那覇行きは「那覇バスターミナルまでは2040円になります」「これより高速、渋滞が予想されております」とていねいなアナウンスをしてくれる運転手さんだった。

ゆいレール沿いに歩き、公園を抜けて月光荘に着いた。台風で月光荘裏の小道は例によって川になったとか。冷蔵庫を上に上げたり、それなりに大変だったようだ。

【栄町で飲む】
さて、スクランブル交差点で待ち合わせして、栄町へ。メンバーは隊長とほっちゃん、隊長に元気がないので、持っていた栄養ドリンクを献上する。

〈あだん〉に初めて入ってみる。自分で串を選んで焼いてもらう方式で、これがなかなかうまい。

つづいてほっちゃんの言う栄町市場の中の「外で飲むバー」に向かうが、ほとんど満席。そしてこのあたりには小さな店が増殖していた。

あてずっぽうで〈蓮華〉というカウンターだけのバーへ。ジンジャーハイボール350円、久米仙グリーン200円。ソーセージ&チーズ、梅なめろうとおつまみもなかなか、隣の2階に泊まっている(!)おじさんとお話したり、やはり栄町市場はディープにして面妖である。

【深夜の彷徨】
月光荘に戻り、〈つきのわ〉に顔を出したらゆきみが泥酔していた。

ふーみんにジャックダニエルを所望したら、例によって超盛りだった。そしてギターを弾いて「ドカドカうるさいR&Rバンド」を歌ったような気もするが、夢かもしれない。

夜が更けてイチくん、ふーみんも倒れ、店主がいない店で暴れようかとも思ったがお腹がすいたのでゆうきと「そば食いに行くか?」と出かける。

頼りにしていた24時間のはずの〈まきし食堂〉がやってなくて、〈SAKURA〉に行ったら「4時までだよ」と軽くあしらわれる。ラーメンなら〈ちゃんやー〉も終わってるし、〈康龍〉もギリギリ。結局58号線まで歩いて〈ハイウェイ食堂〉へ。

ここはステーキがウリらしいが、なぜかカレー炒飯を食べてみる。うまかった。


Day07・台風の後始末・もとぶ【沖縄9月】

2012年09月17日 | 旅する。

9月17日 月曜日(祝日) もとぶ

【外壁掃除】
朝、三線を持って屋上で練習していたら水洩れを発見した。貯水タンクの配管から「シューッ」と小さな噴水が上がっている。寝ているニクちゃんを起こして知らせる。今度の台風、なかなかやってくれる。

朝食はパンとミニラーメンですませる。

午前中は外壁、窓、テラスに放水して掃除。台風で粉々になった葉っぱが大量に付着し、海の塩もついているので、高圧で落とす仕事である。

一見ラクそうだが、この汚れはなかなかしつこく、途中で海パンに着替えて本格的に取り組む。足拭きマットをどかすのを忘れたり、手順がイマイチだったが、どーにか終了。少しはお役に立てたかしらん。

【お昼のお誘い】
『深夜食堂』を読んだり、爪を切ったり、洗濯をして忙しく過ごしていたら、いつもお世話になっている某所でお昼を食べることになり、急いで来れないかということだったが、諸事いろいろあり、結局1時間後に着く。それでもわざわざかっしーが出迎えてくれ、沖縄そばの超盛りをいただく。

ゆっくりしてから〈natural cafe haru〉に寄ったらお母さんが掃除中だった。

その後は市場(まちぐゎー)へ。浸水したおうちにうかがうと、「小犬が溺れかけて、その鳴き声で目が覚めた」そうだ。床板を剥がして救出し、今も畳をあげて床板を剥がした状態だった。「ついでだからビフォーアフターするさあ」と、その明るさに目が眩みそうになる。

さて、ニクちゃんは子どもたちに人気絶大なので、子どもを二人連れてクルマでもとぶゲストハウスに戻り、一緒に屋上のハンモックをつける作業をしていた。

【台風を打ち上げる】
みんな揃ったところで、今度はもちろん差し入れを持参してまちぐゎーへ。昨日酔いつぶれたコをいじり、本来は手作り市の打ち上げのはずが、台風後片付けの打ち上げとなって、夜は更けていく。

もとぶゲストハウスに戻ったあと、某所からいただいたモツで煮込みを作る。沖縄でいう「中味」だが、本土風にニンニクと味噌で煮込むとおいしい匂いが立ち込めた。


Day06・台風来襲・もとぶ【沖縄9月】

2012年09月16日 | 旅する。

9月16日 日曜日 もとぶ

【台風の目】
窓のガラスが不気味に揺れる。明け方、急に静まりかえり、その後また強風が吹き荒れた。どうやら台風の目が通過していったようだ。

7時過ぎに起きたら、ニクちゃんが死にそうな顔で「コニク(知らない人のために。飼い犬です)の小屋が飛んだ。コンテナは大破。一睡もしていない」と言って、そのまま目を閉じた。合掌。

朝食に昨夜のチキントマト煮にスパゲティを折って入れてミネストローネに仕立てる。別に水菜にうどんスープの素でドレッシングを作ってかけ、韓国海苔をトッピングしてサラダをつくる。

【停電はつづく】
学生たちに朝食をふるまい、ニクちゃんは起こさずに寝かせておく。この間、実はずっと停電しているのだが、日中なのであまり不便はない。もうやることもないので、またベッドに戻って寝る。

昼過ぎ、復活したニクちゃんを手伝って倒れた木を伐採して道を確保する。

午後になっても停電は復旧しない。テレビ、ネットは使えないし、ラジオもないので情報がない。携帯は停電が長引いたときのために節電しておく。

さて、台風で停電になったら、やるのはUNOなんだそうで、6人でビールを賭けて延々とやり続ける。

実はこのゲームをよく知らないのでルールを把握し、戦術を理解するまで3ゲームかかったが、10回を1クールとして第一クールで3位、第二クールで1位になり、ビール2缶をゲット。ビールがかかった勝負事には負けられない。

【渡久地の被害】
18時過ぎ、みんなでまちぐゎに様子を見に行く。すでに掃除が済んで浸水被害の様子が分からなくなっているが、実は大潮と台風が重なって市場周辺が床上浸水したそうで、大変な被害が出ていた。

信号のカバーが取れ、青信号からは電球がぶら下がっている。

しかし、沖縄のまちぐゎーの底力はすごい。本土とは戦災でも自然災害でも比べものにならない破壊を経験しながら、あっという間にに日常と笑いを取り戻してしまうのである。

「あのカツオのベンチが泳いでいたよー」

我々一行はちょうど「お疲れさまビール」の頃合いに来てしまい、まったく働いていないのに結局乾杯する。かたじけない。

【今夜も夕食をつくる】
さて、サンエーに買い出しに行ったら、スーさんに偶然会えた。しばし世間話。その後もとぶゲストハウスに戻って学生を助手にろうそくの灯りで料理をつくる。

豚肉、ニラ、もやし、ぶなしめじで常夜鍋。豆苗を塩で下ごしらえし、カニカマと野沢菜でサラダ風に。チキンを焼いて下に豆苗をひく。

食卓が出来上がったころ、「すみません、本当にすみません」「つかまって。まっすぐ」という声がする。市場でおじさんにラムコークをごちそうになった学生がつぶれてしまい、フラフラでニクちゃんに支えられながら帰ってきた。

そんなこんなでいろいろあったが、いい加減おなかが減ったので「食べよう!」と、夕食を始める。後半、鍋には沖縄そばを投入し、2250分には電気が復旧して拍手喝采、ようやくテレビで台風の経路を確認できた。


Day05・台風接近・今帰仁~もとぶ【沖縄9月】

2012年09月15日 | 旅する。

9月15日 土曜日 今帰仁→もとぶ

【台風対策】
朝から大雨、というより暴風雨になった。天気が少し落ち着いたところで台風対策を開始。テラスのテーブル、ベンチ、椅子、遊具を屋内に運び込む。こういうことにスタッフもゲストもない、と思うのでとにかくやることをやる。

テラスの床板をはがして雨戸に落とし込む。はしごにのぼり、ハンマーでたたく。新婚のオリバーもたむりんも手伝ってくれた。そんなときに消防士かっちゃんは爆睡していた。あとで「きみの活躍は忘れないよ」とねぎらうと、実に恥ずかしそうにしていた。台風関係はまさに担当範囲だそうだ。

遅い朝食にエスニック風ソーミンチャンプルー、つまりそのへんの余り食材からニンニク、ニラ、サツマイモ、空芯菜、そうめん、エスニック系の辛いスープキューブをピックアップして作ってみる。

【本日から避難】
新婚夫妻が那覇で台風を避けるというので、那覇のホテルをいくつか推薦する。台風でも楽しめるように(飲み屋に近い、ゲームやDVDがある、部屋にこもれる、大浴場がある)ところを探す。実はホテルなんて最近泊まったことがないが、情報だけはもっているのである。

結家は今日から台風対応で宿泊客を他のホテルに転出してもらうことになり、私は予定を1日早めてもとぶゲストハウスへ行くことにする。かっしーのクルマでもとぶゲストハウスに送ってもらう前に記念撮影。

出がけにでびーるから缶ビール4本もらう、実にいい奴だ。

【昔、市場が浸水した話】
もとぶゲストハウスでは「ニクのおなかをさするとご利益がある」という信仰を広めておいたので、そのうち参拝客が殺到するのではないかと思う。

ニクちゃんとお昼に出かける。海に近い〈みなと食堂〉は強風で閉まっている可能性が高いので、〈お多福食堂〉でトンカツ定食、600円。ちなみにニクちゃんはご飯おかわり3杯まで無料だそうだ。この人は食堂関係に愛される人格だからなぁ。

まちぐゎーに行き〈みちくさ〉でバリ島キンタマーニのコーヒーを淹れてもらう。自家焙煎のおいしいコーヒーがわずか300円。昔、本部小学校が避難をぐずぐずしている間に堤防が決壊し、浸水して先生たちが消防や警察から怒られた話を聞く。このときは笑い話でしかなかったのだが。

【「めんかた、こってり、やったー!」】
サンエーで買い物をし、もとぶゲストハウスに戻ってみんなの分の料理をつくる。チキンのトマト煮、ツナと水菜のサラダ、豚肉とナスのスタミナ炒めで若者の胃袋を満たす予定だが。

チキンのトマト煮は撮影を忘れた。

学生が何人か美ら海水族館や熱帯ドリームセンターに実習に来ていて、「ヒト科の種の少なさ」「カンブリア爆発」「ボトルネック理論」「フィンチの嘴」と知っているだけの生物学の議論をふっかけてみる。なかなか楽しかった。

そして宴はDVDの嵐になり、ケツメイシやマキシマムザホルモンやファンキーモンキーベイビーズをしこたま見せられる。その結果、「めんかた、こってり、やったー!」「三度のメシよりメシが好き!」を覚えてしまう。洗脳とはこういうことか。


Day04・台風の気配・那覇~今帰仁【沖縄9月】

2012年09月14日 | 旅する。

9月14日 金曜日 那覇→今帰仁

【正しい朝食(和食)】
台風は900hpa! 猛烈に強いヤツが本島を直撃しそうだ。船や飛行機がだんだん怪しくなってくる。

今朝は大ちゃんの〈だい処〉で、朝ごはんセットにサバの塩焼きをつけて300円。

【台風がやって来る】
電話があり、台風のため結家は16日休業するそうだ。15日は天候次第。ふむ。とりあえず14日15日の2泊の予約にしてもらう。ニクちゃんに電話したら「17日のもとぶ手作り市は中止」ということなので、もとぶゲストハウスには16日17日の2泊にして、場合によっては15日から泊まることにする。

〈ひばり屋〉に綾ちゃんを連れていく。話題は飛行機が飛ぶかどうか、飛んだとしても帰ってこられるか? 綾ちゃんは宮古島に行く気満々なのだが、沖縄ローカルの方々の意見は「行かないほうがいいんじゃないの?」が大勢を占めた。時間に余裕があるのならともかく、仕事が待っている人は無理しない。散々台風でひどい目にあってきたみなさんは、自然には逆らわないようだ。

【今帰仁へ】
さて、今日は南部に向かう綾ちゃんを開南のバス停まで送り届け、そこから那覇バスターミナルに向かい、高速バスに乗って北へ。

寝て起きたら世冨慶だった。ちょうどこの辺から左側に海が広がるのだが、今日は白波がたって荒れ模様の日本海のようだ。

名護バスターミナルから11分の待ち合わせで66番に乗り、与那嶺で降りたら雨が降ってきた。

ううむ。歩くつもりだったが雨では仕方がない、結家にお迎えをお願いする。

結家でベッドを決めたらとくにやることはない。買い物はヘルパーあ~やに連れて行ってもらってA-COOPへ。

浜に出てみる。無理すればシュノーケリングできないこともなさそうだが、自重しておく。

【テラスに食卓を】
さて、夕食に作るのは今回も沖縄そばの焼きそばである。最近はこればっかり。ニラとツナ缶でワイルドに行こうと思う。コンセプトは「シュノーケリングツアーで無人島に上陸してスタッフがその場で作ってくれたランチ」である。

そうこうしているうちにかっしーが到着し、でびーるたちもやってきて、急に賑やかになってきた。かっしーが作ってくれるのは上等なタイーカレーだし、でびーるからはビールが差し入れられるし(このコはケースでオリオンを買ってきよった)、ボケは突っ込んでもらえるし、コテコテの小芝居を突然ふられるし、気分は大阪である。

今晩同宿の方々は消防士とかまだ新婚のご夫妻とか髭さんとか同級生3人組とか、なかなか楽しそうな面々が揃ったみたいだ。

焼きそばは「勢いのあるやきそばですね」と賞賛(なのか?)され、タイカレーは偶然に2種類も揃い、刺身から何からレベルの高い夕食がテラスで展開されたのであった。

さらに浜飲み、キッチン飲み、と延々飲み続けて話の内容はほとんど覚えていない。


Day03・青空と骨壷・那覇【沖縄9月】

2012年09月13日 | 旅する。

9月13日 木曜日 那覇

【正しい朝食(洋食)】
台風16号サンバが急に強くなった。

近所なのに行ったことがなかった〈サウスウインズ〉に行って、由緒正しい洋風モーニング500円をいただく。

【くせものの映画】
桜坂劇場で《それでも、愛してる》を見る。

監督がジョディ・フォスターというだけあって、一筋縄ではいかない。メル・ギブソンを主演に据えてダメ男をやらせる時点で、すでに規格外の気配が漂う。

「ダメ男がパペットの力で再生し、 家族は幸せを回復する」というありがちな流れを裏切り、壮絶な決断からやがて家族は和解らしき方向に向かうのだが、決して明るい結末ではない。

ここで重要な役割を果たすパペットが何かの暗喩であることは容易に想像できるが、おそらくそこから先は観た者ひとりひとりが考えなければならない領域だろう。この映画には印象的なエピソードがちりばめられているが、そのひとつひとつが観客の前頭葉を活性化させるための仕掛けのようにも思える。

たぶん、監督はひとつの結論に安住するよりも、より多くの人に悩んでほしいのだ。そんな映画が人気を博す時代ではもはやないことを知りながら。

【青空と骨壷】
やちむん通りから長い散歩をしてみる。古民家にからむ緑、青空に湧き上がる白雲。

色鮮やかな大きな壺は「骨壺」である。こちらは専門店。

〈MOONBOW〉へ。森クンが外でタバコを吸っていた。

ランチにミーゴレンとアイスコーヒー。10月の結婚式サプライズの話をしていたら、そこに仕掛け人当人が現れた。6時までダラダラと過ごす。 

【冬瓜と餃子と】
月光荘でシャワーを浴びて洗濯をして、冬瓜の料理をミキティにまかせてみたが、結局心配になって自分でスープをつくる。その代わり、乾燥機はミキティにまかせた。

で、ミキティとあべちゃんは楽しそうだ。

本日は餃子パーティだそうで、後で聞いたところでは650個作ったそうだ。〈つきのわ〉キッチンがメイン会場だったが、あまりの量なので月光荘キッチンでも焼く。冬瓜スープを作ってその後ひきつづき餃子も焼く。飢えた連中がギラギラと餃子を待つが、普通のフライパンで一度に焼ける量には限界がある。しかも初期に作られた餃子はまだコツをつかんでいないせいか大きさはバラバラ、焼く前からくっついていたり、具がはみ出ていたり。ひーひー言いながら焼いていたら、マモルがレモンハイをおごってくれた。

〈つきのわ〉にはバースデーケーキも。

いったん〈MOONBOW〉に「出張」し、また〈つきのわ〉に戻ると、シーサーさんがハーレム状態になっていた。今夜は3時半まで。


Day02・夕暮れのてんぷら坂・那覇【沖縄9月】

2012年09月12日 | 旅する。

9月12日 水曜日 那覇

【小禄探検】
8時過ぎに起きてゆいレールに乗り、奥武山公園へ。1日乗車券は最初の乗車から24時間有効なのだ。例によってなんのあてもないが、「山下町第一洞穴遺跡」なるものを探すことにする。

駅にある地図を眺めてだいたいの見当をつけて坂を上り、茂みをかき分けるが、見つからない。あきらめて駅へ戻る途中、唐突にプレートが見つかった。

そうか、ここか、と洞穴を探してみれば、それらしき洞穴は見当たらない。聞くところによれば、那覇市が買い上げるという約束を果たさないのに業を煮やした地主が穴を塞いだ、とか。

このへんにはラーメン屋が多く、〈天下一品〉もあるのだが、開店にはまだまだ時間がある。

【公園で朝食】
漫湖公園のシオマネキの下で休憩し、国場川を渡ってマックスバリュで朝食を買う。肉団子199円、ジューシーおにぎりとコロッケのセット210円、カフェオレ946mlが88円で計497円。

さあ、公園で食べようと思ったらちょうど幼児が外で遊ぶ時間らしく、幼稚園の団体が2小隊やってきた。純真な子どもたちが遊ぶどまんなかで、なかなか食べづらいものがあるが、どうやら非常に行儀の良い園児たちのようなので(空腹もピークだったし)がしがしと食べたのであった。

【何もしない午後】
歩いて月光荘に帰る。雨が降ってきた。それでなくても出不精でゴロゴロする性癖の人たちには出かけない理由として好都合である。

あべちゃんが撮った写真を見せてもらう。ほとんど美少女図鑑である。500円でできるtolot写真集を紹介したら、「ぜひ作りたい」というので、今後に期待しよう。

はるちゃんたちが買い出しに出かけるというので、用はないけど同行する。A-PRICEでてんこちゃんは餃子の材料を買い出し。はるちゃんはラザニア。

夕方、何気なくあっちゃん、あべちゃん、ふーみんと「そばでも食べに行く?」と出かけたら280円そばは閉まっていた。仕方ないのであっちゃん、ふーみんと〈大東そば〉へ。40代男性と20代女性の恋愛の難しさとか、日本人にはなぜ痛税感が強いか、その思考停止と依存体質(誰かが、何かを、なんとかしてくれる)について語り合う。

【夕暮れ時の散歩】
戯れにひとりで散歩する。桜坂劇場でかかっている映画を調べ、壺屋につながる新しい道を検分し、わかりやすくなったてんぷら坂をのぼる。夕暮れの闇が濃くなってきた。

やちむん通りまで行ってから、ビッグ1で買い物をして戻る。月光荘はいきなり人口過密になっていて、若い学生のひとりがはるちゃんの餌食になっていた。

今晩のメニューは激辛白菜サラダ、マグロのユッケ、ラザニアなどなど。

【パーティの夜】
あべちゃんのバースデーパーティということで、プレゼントや歌がつづく。ワタクシもその余波でギターや三線を弾く。あまりに久しぶりでどーしようかと思ったが、意外に指は覚えているものであった。

その後も〈つきのわ〉でパーティはつづき、中抜けしてひとりで〈MOONBOW〉で飲み、たぶん3時過ぎには寝たと思う。


Day01・夜明け前の滑走路・那覇【沖縄9月】

2012年09月11日 | 旅する。

9月11日 火曜日 成田→那覇

【成田空港、夜明け前】
早朝6時00分発のJetstarに乗る。そのために成田の友人宅に前泊し、朝4時30分にクルマでおくってもらう(ありがとうございました)。

自動チェックイン機が3台あるのだが、手こずる客が多く、困惑の雰囲気が漂う。予約番号を入力してみたら「これは搭乗券ではありません」というプリントアウトが出て、カウンターで手続きする。これはたぶん、webチェックインしたのにプリントアウトを持っていかずに空港で出力しようとしたから。

まだ5時だが、セキュリティーが混むのですぐにゲートへと急がされる。ちなみに、売店は開いていて、軽食やコーヒーや崎陽軒のシウマイもある。こんな朝なのに。

5時20分には搭乗開始、バスに乗って空港内を延々と10分も走る。車内で夜が明けてきれいな朝焼けが滑走路を照らす。定刻に離陸、機内誌をチェックし、少し寝たら奄美大島の上空だった。しばらく眼下の島々を見下ろして過ごす。

これは沖縄本島、本部半島のあたり。古宇利島、羽地内海がよくわかる。

【那覇の朝】
8時35分に那覇に着陸。預入手荷物は有料なので預けずにデイパックと小さなワンショルダーだけの身軽な旅である。

今回は思惑があってゆいレールの1日乗車券600円を買っておく。いつものように月光荘に行くと、渡嘉敷島キャンプにスタッフもお客さんも出払っているようで実に静かだった。まあ、午前中はだいたい静かなことが多いが。

預けてある海道具を2階から発掘し、サンダルを出してからシャワーを浴びて短パンに着替えると沖縄仕様になる。

〈コトブキ〉で今日まで特製ラーメンが食べられる、というのでふーみんやマーキンと出かける。

「あさりの血まみれ」750円、あさりの塩ラーメンとトマトソースがおのおの存在を主張しつつ、いい試合をしていた。

【怠惰な午後】
ひとりでむつみ橋通りを抜けてカフェ〈プラヌラ〉へ、マサラチャイ。「ダメ大人でも、そのダメっぷりが人を勇気づけることもある」というポジティブな自己弁護を展開してみる。それはそうと、糸満には「ロボットコンビニ」があるそうだ。

月光荘に戻ったら、おかちゃん、あべちゃん、マーキンにあっちゃん(寝ていて写真には間に合っていない)がいて、「オトナのゲストハウス」になっていた。

マーキンが帰るので、空港まで送る。なんせ、ゆいレール1日乗車券があるのだ。

【明治橋探検】
空港からの帰りにゆいレールを壺川で降りて58号線の起点を探す。明治橋のどこかにあるはずなんだが……。

あった。

明治橋の南端で58号線から331/332に変わるようだ。

【首里探検】
つづいてゆいレールに旭橋から乗って首里で降りる。とくにあてはないが、たとえば聞得大君御殿跡(チフィジンウドゥンアト)という解説プレートを見て想像力を働かせてみる。そこは首里中学校の校門で、他には何もない。

歩きまわっていたら「泰山石敢當」といういかにも古い石敢當を見つけた。

儀保駅に上ると、ちょうど日が沈んで夕暮れになった。

この駅はゆいレールの中でも高い位置にあり、夕日の名所でもあるらしい。

【那覇の夜】
さて、今晩はさいたまスタジアムで日本対イラク(ワールドカップ最終予選)があるのだが、月光荘にはテレビがない。スポーツバーに行こうかとも思ったが、じょっちゃんやコージ・クルーニーとビールを飲む流れになり、そのままもうい(という野菜)やオムそばや今津さん差し入れの刺身を食べ、まぁさのワインをもらったりしていたら、試合は終わって1-0で勝ったらしい。

〈つきのわ〉でジャックダニエルをストレートでもらうと、ふーみんから愛情過多な超大盛りで出てきた。この1杯を飲むのに2時間くらいかかったような気がする。


9月の予定

2012年09月05日 | 旅する。

9月5日 水曜日 山形県某市→東京、横浜

ただいま、18きっぷで南下中。今日は西荻窪あたり、明日は元町あたりに出没するかもしれません。今回は用事が済んだらとっとと帰ります。

9月11日から沖縄です。JETSTAR成田発早朝(06:00発!)便。14日から北部に行きます。

20日から来間島2泊、続いて伊良部島3泊。

27日には本土に戻り、また野暮用その他。

以上、業務連絡でした。


死ぬ運命。

2012年06月23日 | 旅する。

6月23日 土曜日 山形県某市

沖縄慰霊の日。沖縄では梅雨が明けたそうだ。

黙祷とともに、いくつかの本を再読する。

仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』角川文庫
池宮城秀意『戦争と沖縄』岩波ジュニア新書
大田昌秀『沖縄のこころ』岩波新書

 

…………(略)…………
 外間安子さんはいつもしずみがちで、中央の米俵のおいてあるそばにうなだれていた。突然、「あなたは生きる運命よ。私は死ぬ運命! 私の母は今帰仁の大井川にいる。私がここで死んだことを知らせてね」とまっさおになり、眼を槍のようにとがらせてさけび、半狂乱になって、私にしがみついた。ぞっとして、つき離そうとしても、どうしても離せない。

 私はおびえて助けを求めた。衛生兵がなかにはいって、やっとなだめて手を離させた。やがてその眼からぽろぽろ涙がこぼれた。「安ちゃんどうしたのよ」と、その手をとってあげると、やさしく美しかった安子さんは、背を波うたせてむせび泣いた。
…………(略)…………

(『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』「座波千代子の手記」から一部抜粋)

 

6月23日は節目の日ではあるが、この日で沖縄戦が完全に終わったわけではなく、むしろ凄惨な悲劇はこのころに多い。 

いろいろ書くよりも、象徴的な引用でもしようかと本を読みはじめたが、生々しい証言にうちのめされる。ここに抜粋した部分だけではわかりにくいだろうが、かといって状況を説明しようとすると、筆がとまる。願わくは、それぞれの本を読んでいただきたく。

合掌。


【京都沖縄京都】12・エピローグ

2012年04月10日 | 旅する。

4月10日 火曜日 横浜→山形県某市

横浜駅の手前、帷子川にかかる桜がきれいだ。

 

18きっぷの5日目、横浜から湘南新宿ラインの宇都宮行きに乗るが、しょっぱなから遅れた。今回は宇都宮駅で昼食休憩の時間をとっているのでどーにでもなるが。

宇都宮駅で今日も吉野家の270円牛丼、そして黒磯、郡山、福島と乗り換えていくが、この時間帯だとロングシートに座らなくていいし、朝の横浜~渋谷間以外は混雑しないので、非常に好都合である。

峠にはまだ雪が残っていた。

 

米沢を過ぎると、日が暮れて夜になった。そして旅がいったん終わる。

 


【京都沖縄京都】11・祈帰路平安

2012年04月09日 | 旅する。

4月9日 月曜日 京都→横浜

朝から〈コトブキ〉のポン酢つけめんが振る舞われ、イチくんは徹夜で飲んだ〈村屋〉から直送されてきていた。

泥酔のまま、空港に行けるのか? そんな心配にだめ押しするかのようにテキーラを3杯も飲まされてから出発したのだが。

 

結局バス停にもたどり着けずに路上に倒れてしまい、救出隊によって月光荘に凱旋。飛行機は翌日の便になったとか。

 

 

さらに鞍馬口通りの名店〈茶洛〉のわらびもちとあんみつをごちそうになる。口福なり。

 

帰路も18きっぷだが、今日は普通に横浜まで。出かけようとしたその時にはるちゃんが沖縄の大ちゃんとfecetimeをはじめたものだから、ついでに顔を出してみる。

市バスで二条駅へ、ここで日付スタンプを押してもらい、京都、米原、大垣と順調に乗り換えていく。豊橋駅からロングシートの車両になり、浜松で途中下車して吉野家の270円牛丼で遅い昼食にする。沼津からはクロスシートのある車両に乗って横浜まで。

 


【京都沖縄京都】10・祭とさくらと鉄道と

2012年04月08日 | 旅する。

4月8日 日曜日 京都

祭囃子が聞こえてきた。やすらい祭り、昨日行った玄武神社の例祭がこのあたりを回っている。

 

近所だというので、少し追っかけてみた。

 

狂乱の花見のあと、みんなやや放心している。なんだかお腹がすいた。で、平野神社の桜を見に行って、〈ガネーシャ〉でカレーとナンを食べようという企画が持ち上がる。

男4人で歩いて行く。

 平野神社はしだれ桜が多いこともあってもう満開に近く、有料の桟敷も賑わっていた。

なぜか、鹿や猪やパンダがいる。

 

〈ガネーシャ〉ではいつものBセット(900円)にナンをお代わり(300円)。チャイで仕上げて満足。

 

ついでに北野天満宮に行くが、さすがに梅は見頃を過ぎていた。

赤ちゃんと記念撮影するご家族から、少し幸せをおすそ分けしてもらう。 

ここには「御土居」が残っていて、豊臣秀吉が築いたお堀を見下ろして土堤の上を歩ける。

 

マーキンが京都駅に向かい、タッキーは月光荘に戻る。いしいちゃんと私は梅小路へ。私はともかく、いしいちゃんは由緒正しい鉄ちゃんなのである。

市バス50系統に乗って六条西洞院で下車、西本願寺に寄り道し、ついこの間開館した京都水族館を横目に見つつ、ひたすら蒸気機関車をめざす。貨物列車の引き込み線跡を推定したりしていたら、ちょうどチンチン電車がやってきた。

もちろん乗る。なんと明治時代に走っていた京都電気鉄道初代のモデルで、終端ではポールを回すタイプである。わずか250m乗って、駅員さんに話を聞く。「駅舎」には社紋入りの飾りまで再現されていた。

 

さて、われわれの目的地は梅小路蒸気機関車館なのだが、実はチンチン電車に乗ったためにわざわざ遠回りしていたようだ。こんなこともある。

この蒸気機関車館は旧JR二条駅を移築したもので、実は学生時代に見ているはずなんだが、記憶がない。

いしいちゃんの解説を聞きつつ、館内を回っていたら、ちょうどSLスチーム号の運転時間になり、もちろん乗る。

短い距離を往復し、さらに転車台に乗って回転し(サービスなのか1回転半してくれた)、石炭を補給し、また転車台に乗り、車庫に入るまで。こんな近い距離で動く蒸気機関車をたんのうできるのがすごい。「生きている」し、さらにみんなに「愛されている」。

 

扇形車庫で機関車を見ていたら、閉館時刻が近づいていた。

 

 

ゆっくり京都駅まで歩く。途中も橋脚やらトンネルやらに昔の痕跡を探して楽しむ。

そして京都駅からわざわざJR嵯峨野山陰線で二条駅まで行く。新旧の二条駅を歩く、という趣向なんだが。駅前の〈コメダ〉でミニシロノワールとアイスコーヒー。

 

バスで月光荘に戻れば、当然のように宴会になっていた。

これから京都月光荘を担うヒロシくんから卒業する(一部は中退?)カモちゃん、大ちゃん、愛一朗へと卒業証書が手渡され、伝統は受け継がれていくのであった。

そして本日も船岡温泉であたたまってから寝る。