goo blog サービス終了のお知らせ 

迷狂私酔の日々(再)

明鏡止水とはあまりに遠いこの日々。

【京都沖縄京都】09・花は凍え、宴は燃える

2012年04月07日 | 旅する。

4月7日 土曜日 京都

そういうわけで、京都月光荘大花見大会の当日になった。この日をもって愛一朗が月光荘を卒業する、というので全国から数百人が集まるらしい。何だか決戦の日みたいだ。

そういう日なんだが、私は今日は別にやることがあり、午後3時に病院にお見舞いに行く予定になっている。酒を飲んでいくわけにはいかないので、それまでは単独行動で。

まず郵便局へ行って野暮用をすませ、その近くの玄武神社や紫式部の墓を回る。

(ここが紫式部のお墓だそうです)

 

そのまま堀川通りを下がっていく。一週間前に咲いていなかった桜が、そろそろ咲き始めている。

水火天満宮で、しだれ桜を愛でる。

 

戯れに御所へと歩く。いろいろな桜が咲いている。

 

 

 なんだか人出が多いと思ったら、春の一般公開をやっていた。ほう。行ってみるか。

 

 

 ちょうど春興殿の前では舞が披露されていた。

 

 

 

出町柳まで歩き、〈ふたば〉の豆餅は列が長いのであきらめ、〈餃子の王将〉出町店でお昼を食べ、餃子をおみやげにして賀茂川沿いを北上する。

出雲路橋南のいつもの場所には、なんとコタツが20台も並べられていた。各種屋台にビール、泡盛、餅つき。移動する祭りを極めたらこんなカタチになるんだろうな。

 いろいろ挨拶しつつ、そそくさと抜けて、病院へ。大学時代の先輩を、かつての同級生と見舞う。その後、木屋町の変貌に驚きながらお好み焼きで一献かわす。

 

夜も更けたが、賀茂川の月光荘大花見に顔を出す。花冷えというにはあまりにも凍える天気だが、泡盛満タンプランで飲む。というか、飲まないと寒くてやってられない。アルコールはそのまま体を温めるエネルギーに変わるみたいで、まったく酔わない。 

暗いこともあり、知っている人も知らない人も関係なく、明るく騒ぐ。「キミの心のダイナモは熱く動いているか?」なんて、しらふでは言えない台詞を口走ってみたり。

やがて履物は行方不明になり、コタツもいくつか破壊され、何人かは倒れて眠り、何人かはエンジンがかかっていく。空気は澄み渡り、賀茂川の向こうに、満月に照らされて東山の稜線が浮かび上がっている。

歌がはじまった。

 

と、宴は夜を徹してつづくのだが、ひとり帰って船岡温泉へ。すぐにはお湯に触れないほどカラダが冷えきっていた。いやはや。

 

 


【京都沖縄京都】08・奇遇と僥倖

2012年04月06日 | 旅する。

4月6日 金曜日 那覇→関空→堺→京都

沖縄を出る前に『錯乱のニューヨーク』を読み終えてしまおうと、スパートをかける。そうしているうちにまたキロ弁をもらいに並ぶことになる。話題のキロ弁は20個か30個ほど用意されているが、いつも最初になくなるので、早めに行って35分前から並ぶ。その間、私は『錯乱のニューヨーク』を読みふける。

で、前に並んだ家族が残り少ないキロ弁をさらえるように人数分をもらっていき、最後に残ったひとつは執念を燃やしていた師匠に渡った。結構タフな勝負だった。そういうわけで、今回の那覇滞在では朝食をすべて無料弁当でまかなう。それもまた乙。

 (これが噂の「キロ弁」、おかずとご飯は別包装)

 

荷物をまとめ、本を読み、気まぐれに撮影し、また本を読む。

〈MOON BOW〉に行ってチャイをいただく。森クン、まぁさと話をしたり、本を読んだり。

月光荘に戻って、爪を切ったり、ギターを弾いたり。

さて、実は堺で今晩ライブに出演するみなさんと、どうやら同じ便の飛行機らしい。奇遇なり。私は例によって「780円」だから那覇-関空便を押さえたんだが、偶然とは恐ろしいものである。

 

あとは、さぁやに借りた『錯乱のニューヨーク』を返してtolot写真集のバンコク編を返してもらえば出発できる段取りなんだが、さぁやが起きてこない。

ううむ。淑女の部屋には入れないし。

飛行機の時間もあるので、大ちゃんにお願いして起こしてきてもらう。しかし、やはりまだ寝ている。

ううむ。お仕事でお疲れか。

結局また大ちゃんの手をわずらわせて、寝ているさぁやの横から本を交換してもらう。

ようやく、空港へ出発。

16:07離陸、17:32着陸

関空で、ライブ出演メンバーと一緒に行動していたら(手荷物を預けていないので、さっさと京都に行くこともできたんだけど)、なんとお出迎えのクルマになりゆきで同乗させてもらい、堺のライブ会場へ。僥倖というべきか。

西に夕日、東に満月という素晴らしいタイミングで橋を渡り、夕暮れの工業地帯が美しい影絵になり、生き物のように煙をはくさまに「工場萌え」を体感する。

 堺のライブでは懐かしい面々とも会えて、なんだか同窓会のようだった。パーティはまだまだつづくが、私は21時過ぎに抜けて京都へ。

今度は南海から天下茶屋で地下鉄に、淡路で阪急に乗り換えて大宮駅下車、〈餃子の王将〉大宮店で夕食にする。ここが実は第一号店で、昔ながらのメニューもあるんだが、私がこの店をよく使うのはバス停が目の前だからなんである。 

金曜日深夜の206系統はけっこう混んでいた。

京都の月光荘は明日の花見に向けて超満員になっていて、「高いところですが」と案内されたのは、通常はスタッフが使うらしい階段上ロフトのような位置にあるベッドだった。もうすぐ日付が変わる時刻だ。船岡温泉に行ってから寝る。

 

 


【京都沖縄京都】07・沖縄の大盛りを甘くみてはいけない

2012年04月05日 | 旅する。

4月5日 木曜日 今帰仁→那覇

朝食に牛肉ともやしのトマト煮を作る。肉のうまみとトマトのさっぱりした酸味に、出汁しょうゆのコク。さらに昨夜もらったパンの耳を軽く焼いて塩胡椒、マヨネーズ、サルサソースで食べる。たまたま同席したゲストの方々に振る舞うと、けっこう喜んでもらえた。

例によって、とくにやることはないが、行きがかりで借りているレム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』を読み続ける。『聖☆お兄さん』も読みたいが、今回も途中でお預け。

那覇まで帰るため、バス時刻表をチェックしておく。13時ころ、昼食にキャベツの味噌炒めなどを作って軽く食べる。そしてまた読書。

例の外国人3人組が起き出してきた。「lazy day.」ということで、どうやら私以上に予定がない。で、遅いランチに行くから一緒にどうか? と誘われ、同行する。

 

沖縄ローカルなものを食べたいということで、〈紀ノ川食堂〉をめざす。しかし、15時を過ぎていて中休み。つづいて〈いちばキッチン〉に行くが、やはりclosed。〈みちくさ〉のさおりさんに相談し、みんなで協議して、〈みなと食堂〉へ。ここは確実に開いているが、なにしろ大盛りで有名なので、その辺を警告しておく。

なのに、ダリウスは「ソーキそばと焼き飯」を注文する。おばさんが「わかってるの?無理」という表情なので、改めて警告するが、「シェアすればいい」と、強行。結果、沖縄そば(小)の私と沖縄そば(大)のサミーは完食。オムライスのオリバーは半分ほど残し、ダリウスが残した焼き飯と合わせて大量の持ち帰りに。沖縄食堂の大盛りは世界で勝てるな。

 

ここから名護バスターミナルまで送ってもらい、時間的にはあまりに微妙過ぎたのでとくに急ぐこともなく走ったのだが、奇跡的に16時45分の那覇行きに間に合う。

バスに乗った途端に睡魔に襲われ、旭橋の那覇バスターミナルで降りて月光荘まで雨の中を歩く。いつもと同じベッドだった。

そういえば、〈コトブキ〉が今だけ味噌ラーメン専門店になっているので、さぁやと食べにいく。

月光荘にアルベルト隊長が遊びに来てくれて、しばし飲む。その後、クーラーボックスを下げて夜の街へ消えていった。

そのあと、久々に再会した師匠と外へ飲みにいく。あっちゃん、たけくんも一緒に。結局〈ぼんじりや〉でさんざん飲み、最後は〈つきのわ〉に行ったがほとんど寝ていたようで、沈没寸前で歯磨きしてベッドで寝る。

 

 


【京都沖縄京都】06・今帰仁散歩

2012年04月04日 | 旅する。

(前半もとぶ篇からつづく)

4月4日 水曜日 今帰仁篇 (後半) 

〈haru〉から歩いて505号線へと降りていく。道の向こうに青い海が見える。

 

505を少し東へ行くと、もう本部町から今帰仁村に入る。いい天気だ。

 

海の香りがする方へ、テキトーに曲がる。親泊海岸に出た。

 

浜辺を歩いてみる。

今泊集落に入った。ここもフクギが密集する古い風情を残した地区である。

505よりひとつ海沿いをいく道を歩く。いくつか橋を渡る。赤墓の標識を過ぎた。

そうこうするうちに結家に着いた。およそ1時間強、たぶん6kmくらいだと思う。ウォーキングには気持ちよい距離だが、沖縄ではこんな距離を歩くと変人扱いされる。

 

いつものようにベッドを決めて、安楽椅子に座って海を眺めていたら、ヘルパーのにゃおちゃんが「買い物大丈夫ですか?」と聞いてくれた。

ちょうど休憩時間でクルマを出すから、ということでもとぶの〈かねひで〉まで行く。にゃおちゃんは隣で給油。JAのSSは水曜日が安いのだ。

せっかくなので、この近くの天然記念物である「塩川」に行ってみる。標識は目にするし、けっこう有名だが行ったことのある人はあまりいない名所? である。

しかし行き過ぎてしまい、戻ってクルマを停め、探索。道路のすぐそばに説明板があり、小さなわき水らしきところと細い川がある。

「これだけ?」と思わず叫んだくらい、地味である。

「塩水の流れる川は世界でもこことプエルトリコの2箇所しかない」「長さ約300m、日本でもっとも短い川」「なぜ塩水が湧き出るのか不明」と、文章で書くとちょっと惹かれるが、実際のところはただの小川にしか見えない。

 

渡久地のもとぶ町営市場に行き、〈コーヒー みちくさ〉でにゃおちゃんにおごる。

「さあ、何でも好きなものを頼みなさい」と見得を切ったら、さおりさんに「まあ、300円と200円しかないけどね」と笑われた。そんなに安いけど、実においしい自家焙煎のコーヒーをいただく。私はタンザニア、にゃおちゃんはマンデリン。

ちなみに、〈みちくさ〉は朝コーヒー200円! をはじめたので、早起きのコーヒー好きはどうぞ。7時からやってるそうです。

 

結家に戻って、早めに夕食の支度にかかる。沖縄そばの焼きそば(最近こればっかり作っているような気がする)を今回は乾麺の首里そばでやってみようと思う。フリー食材にニンニクとサルサソースがあったので、それも活用する。

牛バラ肉ともやしをニンニク炒めにし、麺と絡めてトッピングにはカイワレの緑とサルサソースの赤でキメてみた。

余った時間でタッパーウェアを整理したり、ギターを調弦したり、ボクシングを見たり、キッチンで「ゆし豆腐」に悩む人たちを手伝ったり。

そしていつもの感じで夕食会。某小学校に赴任したての先生、日本を旅して7か月、明日から宮古島へ行く旅人、これから沖縄24日間の旅をするかつてリストラされた人、歯医者の卵、などなど本日も多士済々。

さらに外国人3人組がやってきた。近所の居酒屋へ行く「道を説明して!」というSOSに応えて出動したが、iPhoneでマップにピンをドロップして「near Kaneshi Elemenntary School」ですんでしまった。

その後、似顔絵描き大会で意外な才能が発見されたり、キッチンで件の外国人3人組と泡盛を飲んだり、国籍も民族も出身も居住地もアメリカ、台湾、イラン、イタリア、英国、茨城県とぐちゃぐちゃであったり、なかなか面白い夜になった。

 


【京都沖縄京都】05・飛ぶイルカたち

2012年04月04日 | 旅する。

4月4日 水曜日 もとぶ篇 (前半)

朝、フリーの食材で和風ミネストローネを作る。スパゲティにうどんスープ、ワカメなど。意外というか当然というか、なかなかうまい。

 最近のマイブームで『深夜食堂』を読む。

 

古宇利島に行くクルマに便乗して海洋博公園の北ゲート近くでおろしてもらう。すでに気温が上がっていて、子どもたちがミストと戯れていた。

 ニクちゃんが絶賛するメガマウスサメを見に行く。「総合休憩所(美ら海プラザ)」という位置づけだが、実はマニアにはたまらない標本がズラリと並んでいる(そうだ)。目的のメガマウスサメをはじめ、リュウグウノツカイやら何やらの液浸標本、マッコウクジラの骨格標本、その他いろいろ。

そしていつものようにウミガメの子どもをチェック。さすがに8か月となるとけっこう大きくなっている。

 

ちょうど11時にオキちゃん劇場の初回が始まるので見に行く。春休みで満員である。いったん座ったが、おじいちゃんに席を譲る。当方は何回も見てるしね。

 今回はジャンプ写真を撮ることに集中してみる。カメラの癖をつかめば、連写しなくてもこんな感じで撮れる。

 

 

 

イルカのショーの後は海沿いの遊歩道を歩く。浜辺の上にかけられた桟道を気持ちよく海風を受けて散歩。陸側には池に蓮の花、小さな滝、熱帯の植物群と自然に包まれていく。ここは美ら海水族館だけで帰ってしまうのはもったいない「公園」でもある。

 

〈natural cafe haru〉に行くニクちゃんに中央ゲートに寄ってもらってピックアップしてもらい、〈haru〉でソーキカレー。

 この日はお父さんと、その友人の方と沖縄美術界談義。おふたりとも沖展会員で、抽象画の大家なのだ。昨日見にいった田中一村展の図録にはお父さんの文章も収録されている。

  

 さて、ここから歩いて今帰仁へと向かう。

 

(後半今帰仁篇につづく)

 

 


【京都沖縄京都】04・琉球弧の美学

2012年04月03日 | 旅する。

4月3日 火曜日 那覇→もとぶ

屋根を叩く雨音で目が覚めた。

例によって何にも決めていないが北部には行きたい。シャワーを浴びて、ニクちゃんに電話し、結ねぇに電話して「もとぶゲストハウス1泊、結家1泊」を決める。

荷物を片付けていたら「キロ弁に行く?」と誘われたので、今日も並ぶ。豪雨と強風のために、傘がひとつおしゃかになる。沖縄の雨に傘で抵抗しようとするのが無謀なのかもしれない。

今日は生姜焼き弁当で、ご飯が炒飯であった。いろりの回りでみんなに見せびらかしながら食べる。今回の旅行は「タダ」が多い。

 

紅芋パウダーを探しているこうじ氏をマックスバリュに案内しがてら、沖縄県立美術館に行く。田中一村展と常設展のコンバインチケットで1040円。

田中一村は「死ぬ前に作品を作る覚悟と計画」を持って奄美にやって来た。なんと凄絶な意志であることか。

常設展では森山大道の写真を久しぶりに体系的に見る。「たしかな世界を捨てる」「写真よさようなら」あの時代の気分を思い出す。

 

月光荘に戻る。爆弾低気圧で飛行機が欠航しているそうだ。本土では電車が止まっている。まるで台風のような強烈な低気圧だが、沖縄ではこの程度の風速は日常的なのか、交通機関は乱れていない。那覇バスターミナルまで歩いて高速バスに乗る。

名護から65番に乗り換えてバス停山川から徒歩でもとぶゲストハウスへ。今回は初心に戻って、普通の交通手段でたどりついてみた。

 

そして夕食はいつものところへ。

 

もずく、煮魚、三枚肉をたんのうする。 


【京都沖縄京都】03・キロ弁の行列

2012年04月02日 | 旅する。

4月2日 月曜日 那覇 

「キロ弁」に並ぶ。

えー、説明しましょう。重量が1kgある弁当を売る弁当屋さんが新規開店するらしく、朝11時から「先着100名に弁当を無料配布する」というチラシが出回っていて、暇な5人が「沖縄で、並ぶなんて滅多にないでしょ」と楽観しながらも出かけてみたら。10時50分ですでに50人近くが並んでいた。

噂のキロ弁はとっくになく、普通の(といってもかなり大盛りの)チキン照り焼き弁当などをタダでもらって帰る。このサービスは、これから4月6日まで毎朝つづくそうである。 

月光荘でこの弁当を食べる。かなりのボリュームで、昼前にして満腹になるとやる気が相当失せる。傍らではビールを飲む人たち。

こんな時はやはり、コーヒーである。

〈ひばり屋〉に行って「二日酔いに効くカプチーノ」を所望する。女の子ふたりが実に楽しそうに遊んでいる。だらしないオトナ(私のことである)と元気な子ども、何かの縮図みたいだが、心和むいい風景だった。

さあ桜坂劇場に行くか、と思ったら肝心の会員証がない。泡食って月光荘に戻れば、別のところにしまってあり、ほっとひと安心する。いやはや。

 

さて、少しは新しいところを開拓しようと何かでチラッと見た「楚辺に軽便鉄道の枕木が残っている」という情報を確認しようと思い立つ。

おきえい通りの那覇市観光案内所に立ち寄り、那覇の地図を入手する。係の人がちょうど手持ち無沙汰のようだったので、思い切って「楚辺の枕木」について聞いてみたが「変なマニア」に思われたか、舌打ちの後、テキトーに説明してくれた。

軽便鉄道の路線はだいたいわかっていたので、ゆいレール壷川駅から東北のあたりとわかれば探せる。やる気のない係のおじさんに礼を言って歩き始めた。

県庁前を過ぎ、那覇バスターミナルで「仲島の大石」をキチンと見る。いつも急いで通り過ぎるが、今見ても実に巨大で、風格がある。

壷川通りを東へ、壷川の交差点を過ぎ、さらに次の交差点で左を見たら道の奥に公園が見えた。線路や枕木が保存されているとしたら公園か大規模マンションあたりかと見当をつけていたので、見に行く。東壷川公園。なんと線路の上にトロッコが乗っていて、子どもたちが遊んでいた。

プレートによれば、工事中に線路が出土したので公園内に保存し、トロッコと台車は南大東島で使われていたものをのせている。

 

城岳公園を経て那覇高校前へ、平和通りを抜けて桜坂劇場に着いたのは17時32分だった。ちょうど17時40分から《アニマル・キングダム》の上映がはじまるところだったので、見ることにした。これで無料招待券を使い切る。

 いかにもタランティーノが好きそうなストーリー展開ではあるが、テイストはかなり異なる。ブラックユーモアというよりもシニカル、喜劇的ではなく悲劇的。設定自体が破滅の種をはらみ、必然的に坂を転げ落ちていく作劇の妙、主人公の「成長」、ねじ曲がっていても家族の愛情が至上であったりする独特の価値観、そして苦い結末。

映像のざらつき感が人生の残酷さを暗示するようであったり、冒頭のシークェンスの奇妙な浮遊感、キャラクターの性格を戯画にならない程度に描き分けているあたり、佳作かと思う。

 帰途、「社交街」の通りを散策する。

月光荘ではマッキーによるタイ料理パーティだった。生春巻き、ソムタム、チャプチェ、グリーンカレー、生姜ライスなどなどで400円!

 


【京都沖縄京都】02・那覇でレバノンを考える

2012年04月01日 | 旅する。

4月1日 日曜日 京都→関空→那覇

7時45分に月光荘を出て、市バスで四条大宮へ、阪急で梅田まで。御堂筋線の切符販売機で「ちかトクなんば乗り換え関空行き」980円という連絡切符を発見し、即購入。(実は阪急から淡路、天下茶屋乗り換え関空行き連絡切符もあったらしい)

で、なんばで南海電鉄に乗り換えようと歩いているうちに思い出した。「南海だけ、むちゃくちゃ遠かった」ことを。

9時40分発の関空行き急行を目の前で逃し、10時発ラピートにしようかとも思ったが、結局9時45分発の和歌山市行き急行に乗って泉佐野市で乗り換える。

関空には10時28分着、スカイマークの自動チェックイン機に携帯をかざして手続きは終了。今回は預け入れ手荷物がないので、あとは自由である。

広い関空を周遊して買い物やら昼食やら沖縄月光荘へ電話やらmixiに書き込みやら。保安検査を抜けて搭乗ゲートに着いてしばらくしてからスカイマーク機が着陸してきた。今ごろかよ! と思ったが離陸は約30分の遅延ですんだ。

12:58離陸、14:50着陸)

那覇空港からゆいレール、月光荘にチェックイン。宿泊代を前払いしてベッドを決めるだけだが。いま、県立美術館で田中一村展が開かれているそうだ。

日曜日なので〈コトブキ〉は中休みなしの営業をしている。しょうゆラーメンに無料トッピングパスで味つき卵をつけてもらう。

さっちゃんは「沖縄揚力発電所」に行きたいらしい。それは穴場というより「マニアック」ですな。

桜坂劇場で上映スケジュールを調べ、〈プラヌラ〉でウパ、ミルクティーで。

そして桜坂劇場で映画を見る。今回の沖縄行きは4月4日で期限が切れる無料招待券2枚を使うのが主な目的なんだが、なかなか見る映画が決まらない。 

音楽担当がレディオヘッド、というのが決め手で見たのは《灼熱の魂》。

 描かれている背景はあきらかにレバノン内戦だが、映画ではあえて舞台をレバノンに特定しない。あまりに悲劇的だからこそ、特定の場所ではなく普遍化したかったということだろうか。

「出生の秘密」をめぐる謎解き、あり得ないくらい残酷な運命、最後の手紙の余韻。予期せずいい映画にめぐりあう。

 

月光荘に戻ったら、大ちゃんの天ぷらパーティーだった。だいさく氏に久しぶりに会う。

ジュンク堂地下のA-COOPが3月31日で閉店していた。ユニオンに行って、もはや定番となりつつあるブラックニッカを買って戻る。

その後、だいさく、大地、ミキティの諸氏に「ナイスミドルの魅力」について講義してもらう。ほう、そういうこともあるのか。  

例によって〈つきのわ〉で2杯ほど。

 

 


【京都沖縄京都】01・極寒花見

2012年03月31日 | 旅する。

3月31日 土曜日 京都

どうも朝3時くらいまでカドヤで飲んでいたような記憶がする。

朝は雨だった。予定されていた花見はボウリング大会になるらしい。参加予定の面々の一部は二次会から参加とか。というか、予想された通り桜はまったく開花していない。 

10時過ぎ、準備して階下に降りたらアズマックスがいた。夜行で朝に着いたそうだ。とりあえずローソンで買ったもので朝食をすませ、ゆんたくという名のバカ話に興じる。

12時過ぎ、話のあやで〈ガネーシャ〉にカレーを食べに行こう! ということになり、5人で出かける。盛り上がって歩きはじめたたものの、途中で道案内に自信がなくなってiPhoneで検索してもらったりしながら、〈ガネーシャ〉に到着。いつものようにBセット900円、日替わりカレーとキーマカレー、飲み物はチャイ。

辛さは調整してもらえるのだが、アズマックスは「ホット」にして悶絶しかけていた。ナンが激ウマで、追加注文する人が続出。ここ、おすすめです。 

 

さて、問題の花見だが、結局晴れてきたのでボウリングではなく植物園に行くことになったそうだ。ふうむ、確かにいろんな種類の桜があるから花見にはいいと思うが、しかし、あそこ酒飲めたっけ?

とりあえず月光荘ツアー5名で歩く。さくらの名所、平野神社も当然咲いていない。なので、北野天満宮へ行って梅を見ようということになる。ここでは現役女子大生のPちゃんが解説してくれる。梅苑は満開ではない上に600円もするのでパス。あ、また雨だ。どうやら希代の雨男、やまだゆうが京都に着いたか。

 (さくらではなくて、梅)

 

月光荘に帰るまるちゃんを道案内し、アズマックス、ドラと市バスに乗ってまず北大路バスターミナルへ。賀茂川へ向かって歩きながら差し入れを物色し、北大路橋から南を見たら強風にあおられて右往左往している一団がいた。こんな日に賀茂川へりにいる酔狂な人々は、この集団だけである。

そういうわけで、件の花見に合流したとたんに風でビールがこぼれたシートを洗う。これも洗礼の一種か?

ビールに王将の餃子、ふたばの豆餅と素晴らしいラインナップだが、惜しくもさくらはまったく開花前、雨はこやみだが強風と冷気で花見どころではない。 

結局、SUZYが来たとたんに撤収する。川向こうにきれいな半円の虹がかかる。

ヌートリアの親子が夕暮れ時のえさ取りで巣を出ていた。

少し早いが二次会会場に入れてもらう。この頃から、体調が最悪になる。悪寒、吐き気で中座しようかとも思うが、まずしゃべるのが辛い。飲み放題なのに、最初に焼酎お湯割りを頼んだだけで、思考停止。飲み食いどころではない。かといって、途中で退席するほどでもない。結局、3時間くらいたってからようやく普通程度に回復した。

あー、そういうわけで、同席したみなさん、無作法で失礼いたしました。 

 三次会までおつきあいし、みんなを見送ってから歩いて月光荘へ戻る。出町からは約35分。道でザッキーに会い、カドヤにちひろちゃんがいるというので、カウンターで飲むが、体調を考慮してサンピン茶のみ。

12時過ぎ、とにかく暖まりたいので、船岡温泉へ。おばさんが掃除にかかるのと入れ替わりに出て、すぐ寝る。

 

 


【京都沖縄京都】00・プロローグ

2012年03月30日 | 旅する。

3月30日 金曜日 山形県某市→京都

朝6時13分から夜22時22分までJRに乗り続ける。青春18きっぷで乗れるのは基本的には普通列車、時々快速。

 

米沢駅でおにぎりとコーヒーを買っておく。ここから宇都宮まで朝の時間帯は非常に連絡がよくて乗り継ぎ時間がほとんどない。 

宇都宮駅で途中下車して吉野家で早めの昼食。あえて乗り継ぎ時間をつくり、始発の湘南新宿ラインに乗って東京近郊での乗り換えを避ける。

横浜で熱海行きに乗り換えたが、結局座れなかったので、大船で乗り換えた方がよかったかもしれない。東海道線の早川から根府川にかけては海に近い。週末の昼下がり、しかも春休みなので行楽客が多く、海が見えると歓声があがる。 

熱海からの浜松行きは2時間39分という長時間だが、ロングシートしかない。さらに浜松からもロングシート。豊橋でようやくロングシートから解放される。おにぎりを夕食代わりにして、さらに大垣、米原と乗り換えて京都駅には予定通り22時22分に着いた。

 

さて、京都月光荘にはいつも違う行き方を試しているのだが、今回は京都駅から堀川通りを走る市バス9系統(西賀茂車庫行き)に乗って堀川鞍馬口で下車。

鞍馬口通りを西へ、月光荘に着いてまずはオリオンビール、すぐに12時消灯になり、カドヤで泡盛を4、5杯。

 


京都まで16時間9分。

2012年03月30日 | 旅する。

3月30日 金曜日 山形県某市→京都

実にいい天気だ。

こんな春うららかな日に、延々と各駅停車(一部快速)に乗り続けている。

朝6時台の始発に乗り、東北を南下し、さっきようやく栃木県に入った。

これから湘南新宿ラインで埼玉と東京を一気に抜け、東海道線を乗り継いで深夜には京都に着く予定なんだが、計算したら16時間9分かかる。

ま、分かってはいたのだ。このかったるいしんどさを。まだ4時間たった程度で、いつもの車窓に飽き、寝るには辛いロングシートで揺られている。

常識的には2日に分ける行程を1日に詰め込むと、青春18きっぷ2300円(1回分あたり、11500円/5回)で京都まで行ける。そんな無茶を、ついついやってみた。

ふぅ。先はまだまだ長い。 

 


近況報告;気温差は30℃。

2012年03月16日 | 旅する。

近況報告。

さて、帰国してます。弾丸ですから。

10日にバンコクから帰国し、成田からそのまま青春18きっぷで山形県某市に戻りました。面白いので、この間の気温を調べてみました。

3月5日 横浜 最高気温8.9℃/最低気温2.0℃(以下同様)

3月6日 横浜 19.6℃/7.6℃ 成田 14.1℃/8.0℃

3月7日 成田13.6℃/9.5℃

バンコクは平年値で3月7日~10日は34℃/26℃

3月10日 成田 6.2℃/3.8℃ 山形県某市 3.1℃/0.0℃

いやあ、3月6日7日はたまたま日本も暖かかったのですが、それでも最高気温、最低気温ともバンコクとはおよそ20度の差が。日本の最高気温よりもバンコクの最低気温が10度以上も高い。

帰国日の10日は日本が冷え込んだせいで、気温差は30度近くになりました。機内では「成田の気温は5度」とアナウンスされた途端にうめき声がいくつかあがりましたな。

ちなみに、いま滞在中の山形県某市では最低気温が氷点下というのは普通です。ここ数日の気温は以下の通り。

11日 6.7℃/-1.0℃
12日 3.8℃/-2.7℃
13日 3.6℃/-4.9℃
14日 4.6℃/-5.3℃

そんな毎日ですが、バンコク弾丸旅行をブログになんとかまとめようと鋭意努力中です。しばしお待ちを。

 


【バンコク弾丸日記】10・さよならの挨拶を

2012年03月10日 | 旅する。

39日 金曜日 バンコク→成田

【伊勢丹へ】

BTSサイアム駅から高架歩道を歩けば早いのだが、下の道を歩いてみる。

財布のなかの現金が300THB(840円)くらいしかない。これからおみやげを買い、ホテルに戻って荷物をピックアップし、空港に向かう予算を考えると、最後にプーパッポンカリーを食べる望みは絶たれたといえよう。あ~、食べたかった。

ZEN復活のノボリが風にはためいている。2年前の騒乱で全焼したが、ついに再開したようだ。

そのZENが入っているセントラルプラザの角を左折して伊勢丹へ。ここのスーパーマーケットが実は価格も安く、定価販売だし、日本人向けのお土産が揃い、バーツでも円でもクレジットカードでも買えるので便利なのだ。

試食してみたトムヤムクン、フカヒレスープのレトルトが予想外においしく、これをT氏へのおみやげに決める。VISAカードで支払う。為替レートも悪くない。

紀伊国屋書店でマンガを買おうかと思ったが300THB以上と高いのでやめて、『バンコクバス路線図』を買う。120THBだが、これがあれば複雑怪奇にして予想外のルートを走るバンコクのバスを縦横無尽に使いこなせる!(はず)。実は8年前にも買った。 

 

【エラワンにて】

伊勢丹を出ると、ガネーシャを祭った祠などがある。さらに北に歩くと運河にぶつかり、そのあたりにはイサーン料理の屋台があるらしいが、今回は時間切れのようだ。

屋台が並ぶ道を通り抜け、セントラルプラザ前の蓮池で休む。

高架歩道を歩くとエラワンの賑わいがひときわ明るい。

降りてみたら、エラワンの祠では願いがかなった人たちの寄進で踊りが奉納されていた。

ラチャダムリ駅からBTSに乗る。

クロン・トンブリー駅で降りる。ホテル前のいつもの屋台から酔客が声をかけてくれたが、これから飲んでいたら飛行機に乗り遅れる。

バックパックをピックアップしてクロン・トンブリー駅からサイアム駅で乗り換え、パヤー・タイでBTSからARLに乗り換える。空港には22時過ぎに着いた。飛行機は午前0時50分発なので、余裕があるはずだったのだが。

 

【かくも長き行列】

チェックインカウンターにはすでに長い行列ができていた。しかも、ツアーガイドが客に説明していたところでは、出国審査と保安検査に長い列ができていて、現時点で50分以上かかっているらしい。

30分並んでようやくチェックインが済んだ。預け入れ荷物がない乗客の列を別にしてくれれば早かったのだが。

搭乗開始時刻が2350分、出発の1時間前と早い。そして出国審査、保安検査の長い列が空港内でとぐろを巻いている。とにかくすぐ並ぶ。この時点で22時45分、なんだか嫌な予感がする。

空港である程度の着替えをし、水分を補給して、できれば軽い食事くらい、と思っていたがそれどころではなくなった。

2325分、ようやくパスポートコントロールの室内に入った。それから30分かかって2355分、出国手続きが終わった。いやはや。この遅延というか混乱はどうやら事故ではなく「人手が足りない」せいらしい。これだけ混雑したらもっと窓口を増やせよ、と思う。タイに来て寛容な気持ちになってはいても、さすがにちょっとあせる。

保安検査は問題なく通過し、搭乗ゲートに着いた。すでに0時を過ぎていたが、搭乗開始も遅れているようだ。ウォータークーラーから水をごくごく飲む。トイレから出たら搭乗が始まっていた。

 

【「気温5度」にどよめく】

310日土曜日(バンコク→)成田→山形県某市

01:13、離陸。

軽食はサンドイッチと飲み物。オレンジジュースをお代わりする。Tシャツだけでは寒いのでバックパックから長袖シャツを出して着る。ひたすら寝る。

朝食は「フィッシュorエッグ?」の選択があり、フィッシュは揚げ魚のあんかけと野菜、クロワッサン風パン、バター、フルーツ、ヨーグルトなど。

コーヒーをもらい、税関申告書が配布されたので記入しておく。

08:47、着陸。「気温5度」というアナウンスに機内がどよめく。

 

【おかわりのナン、1枚目無料】

空港内のトイレで着替えて気温差に備える。T氏に空港まで迎えに来ていただき、まずはT氏宅でコーヒーなど。

昼食は近所のインドカレー屋へ。カレーが2つつくBセットで850円、しかもナンがおかわり1枚目は無料という素晴らしいコストパフォーマンス。そのナンが実にうまいので当然のようにおかわりする。仕上げにチャイ150円を頼んでも合計は1000円。

 

【最後までギリギリ】

その店から成田駅まではクルマで10分ということで安心していたが、実はギリギリだった。18きっぷの乗り換え検索で12時45分成田駅発我孫子行きに乗らないと今日中に帰れないことが判明。携帯が電池切れ寸前で使うのを控えていたら、そんな事態になっていた。

12時43分、成田駅着。預かってもらった荷物から18きっぷを探し出すのに手間取る。しかも有人改札で日付スタンプをもらわなきゃいけない。あせって挨拶もそこそこに走る。急いで改札へ、日付スタンプを押してもらい、我孫子行きを聞けば「5番線」と駅員は落ち着いている。始発駅だから我孫子行きは停車中。乗れた。ふーっ。ひと呼吸するかしないかのうちに、発車した。

 


【バンコク弾丸日記】09・死体博物館、水上食堂、そして夕日

2012年03月09日 | 旅する。

39日金曜日バンコク→成田

【「死体博物館」へ】

正午少し前にホテルを出て、また渡し船で対岸へ。サパーンタクシン駅の下、サトーン船着き場からすぐ出る船があって飛び乗った。

乗った船はツーリストボートだった。停まる船着き場が少ないのはいいが、30THBと高いし、解説は誰も聞いていない。

王宮へ向かう観光客はター・ティエンで下船して行く。私はワンランで降りて西へ向かう。このあたりはシリラート病院の敷地で、その中に〈シリラート医学博物館〉がある。別名を「死体博物館」という。

方向を示す標識が病院の構内にあり、名簿に記帳して2階にあがると、そこが〈シリラート医学博物館〉だった。入場料40THB(112円)、撮影不可。 

最初から奇形胎児やシャム双生児の液浸標本が出迎えてくれる。人体の仕組みや、変死体や、津波の際の検死のようす、犯罪者の死体(ミイラ)、ラーマ8世暗殺事件の解剖で使われた道具、などなど。休憩して帰ろうかと思ったらまだ続きがあった。今度は寄生虫の博物館。ちなみに、さらに別棟で解剖学博物館があるそうだ。

 

【船を間違う】

 病院を出てしばらくしたら細い路地の市場に入り込んだ。面白いのでズンズン歩いていたら、左側に川があった。船着き場があり、きた船にすぐ乗ったのが失敗だった。カオサン方面へ北上するエクスプレスに乗るつもりだったのに、ワンロンから対岸のター・チャンに渡ってしまい、ずっと南に逆戻りしてしまった。

同じ船ですぐに戻るのが悔しいので、歩いて北上してみた。落ち着いて考えればわかるが、この暑いバンコクで無駄に歩くのは自殺行為だ。

次の目標はランチ、その後にマッサージ。カオサンの屋台と老舗マッサージ屋が目当てなんだが、近くに安い店があればそこでもいい。

 【リバーサイドのレストランにて】

仏具通りみたいなところを行く。歩いているのも坊さんが多い。歩道に出ている店で商っているのは仏像、水晶、入れ歯などが多い。

 

屋台が連なる埠頭入り口に着いた。ター・プラチャンだ。中は迷路のようになっていた。川に突き出した食堂に入ってみる。店頭の写真ではカオパッ(炒飯)が40THBだったが、英語メニューではカオパッが60/80THB(鶏、豚/海老)になっている。ふむ。タイ語メニューを持って「カオパッ!」で注文してみた。さて、いくらになるか?

川沿いというよりも、川の上に張り出した席だが、「 ♪川沿いリバーサイド~」という哀愁はまったくない。むしろ場末感がただよう庶民の食堂そのものだ。

カオパッはなかなかおいしかった。「タオラァイ?」(いくら?)と勘定してもらったら、無事40THBだった。よしよし。

 

【マッサージ屋を探す】

いったん船着き場の外へ出て、「この付近にマッサージ屋多数」という情報をたよりに探すが2軒しかなく、一軒は厚化粧の年増が薬屋の奥で開業し、もう一軒ではオヤジがふんぞり返っていた。

ううむ。結局カオサンのあの店か。ター・プラチャンから渡し船でワンロンにいったん戻り、ワンロン船着き場では北行きエクスプレスと南行きエクスプレスが別の埠頭だったことが判明し、地図で確認しておばさんに「バイ・バンランプー?」(バンランプーに行く?)と聞いたら「15THB!」と返ってきた。

 

浮き桟橋で待つ。船に渋滞はないが、急ぐ旅は似合わない。

カオサン最寄りの船着き場に着いた。ここをずっと「バンランプー」と呼んできたが、それは古い通称のようで表示では「プラ・アチット」になっていた。でも地元の人間は「バンランプー」ということの方が多い気がする。ま、どっちでもいいということで。

 

【カオサンの老舗で】

すでに夕方が近く、涼しくなる気配に誘われて人出が増える時間帯になっていた。カオサンにあの懐かしい雰囲気が漂っている。無為の時間、酔ったような享楽の匂い。

看板を分析すると、マッサージは200THB/60分が標準らしい。ター・プラチャン近くは150THBだったから、あちらが地元価格か(ただし、表示価格での比較で実際のところは不明)。〈チャイディ〉でフットマッサージ30分+バック&ネック1時間コース(計90分)を330THB(924円)でお願いする。どうやら私のカラダはものすごくかたいようで、お姉さんが時々苦笑いをする。そして、時々ものすごく痛い。しかし最後には気持ちよくて寝てしまった。

ふう。体が軽くなった気がする。

船着き場に戻って船を待つ。上流ではラーマ8世橋が優雅な吊り橋のアーチを夕日にさらしている。船に乗っている間に日が沈んでいった。

30分かけてサトーン(サパーン・タクシン)に着く。BTSサパーンタクシン駅からサイアム駅へ。

 


【バンコク弾丸日記】08・デジャヴュのカオサン

2012年03月09日 | 旅する。

3月9日 金曜日 バンコク(→成田)

【カオサンの朝】

南へ。カオサン通りに入る。朝早いせいか、まだ人は溢れていない。旅慣れないカモと思ったか、トゥクトゥクが寄ってくる。英語を久しぶりに聞いた。

民主記念塔につづく道に出た。2010年の騒乱ではこの付近も荒れた。銃弾の跡が建物にまだ残っているという話だったが、もはや判然としない。

カオサンに戻る。細い路地に懐かしい祠があった。

そこここでデジャヴュに襲われる。朝も昼も夜もこのへんの屋台で飯を食っていた。ひとりでさまよった挙げ句、あまりに便利すぎるカオサンを脱出して北へ向かったのだった。

 

【屋台にて】

カオサン回りでは屋台が減ってカフェが増えたような気がする。あるいは記憶が薄れたか、自分が変わったのか。歩いて民主記念塔へ。満員のバスが遠心力で傾ぎながらロータリーを回っていく。客待ちのモーターサイのドライバーが笑いかける。

トゥクトゥクのドライバーは暇そうに新聞を読んでいた。

 メガネのおばさんがやっている屋台が気になり、「バーミー?」と聞いてみたら、「麺はクイッティウしかない」と言われた。クイッティウ・ナーム(汁あり)で頼んだ。

きしめん風太麺に、レバーと肉団子、透明なスープ。テーブルにあるナンプラー、砂糖、唐辛子酢などで味付けして食べる。

回りの客はみんなカオパッ(炒飯)を食べている。他に麺を食べる客はいないみたいで、本来はカオパッ主体の屋台だったか。40THB(112円)。

 

【サイアムで買い物】

大通りに出て、タクシーでサイアム・スクエアへ。ちょうど10時になるころ、MBK前に着いた。メーターで59THB、お釣りを1THB省略されて60THB(168円)。スクエアではまだ準備中の店が多く、MBK2階から入る。ここもちょうどシャッターを上げたところだった。

一軒のカバン屋が2050%引きのセール中で、手頃な大きさのバックパックがあり、定価1090THB872THBになるという。870THB(2436円)で買う。買ったのはいいが、これがいい加減なバッタモンで、帰国して使いはじめたらすぐにほころびはじめた。この時はもちろんそんなことはわからない。相変わらず買い物が下手である。

サイアムは2004年大晦日から一週間近く滞在していた。カンボジアのビーチで火傷に近い日焼けをしてしまったため、病院で「冷房の効いているところで安静に」と申し渡されてこの付近で養生していたのであった。 

BTSでサイアム駅からクロン・トンブリー駅へ、早めにホテルに戻ってシャワーを浴び、休憩して荷物をまとめ、いったんチェックアウトし、買ったばかりのバックパックを預ける。