ぼくのほんだな

フワフワしたノリやすい僕が本を中心にスキな話題だけを勝手気ままにお届けします。

ぼくのほんだな246・・「黒と金色のノクターン-落下する花火」 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー

2022年09月18日 | 美術・工芸
凄いでしょ!この絵。



「黒と金色のノクターン-落下する花火」ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 油彩 1872?年~1877?年 デトロイト美術館

これ花火だって。 秋田の大曲の?いや、両国の隅田川じゃないし、なにわの淀川でもないんだよね。 もちろん。 これだけじゃあ何処だかサッパリ判からない。 貴方はどこの花火か判かりますか? (どこだっていい。) ヤッパリね。 問題はそこじゃないんですよね。 僕もそう思う。 *ロンドンのクレモーン・ガーデンの花火だそうです。

では、貴方はこの絵をみてなにか不思議な魅力を感じませんか? 僕はググッと感じます。
この作品を「絵具壺をぶちまけたようだ」なんて失礼なことは絶対言わないように。ホイッスラーが怒ります。 それを高名な美術評論家のジョン・ラスキンが言ったのでえらいことになったんですから。 裁判にです。 その顛末は大人に訊いて下さい。
僕は別の角度からこの絵を論じてみたいのです。 (どうぞ。) ではそのまえにホイッスラーに就いて少しふれておきます。

ジェームズ・マクニール・ホイッスラー James Abbott McNeill Whistler 1834年7月11日 - 1903年7月17日
アメリカ合衆国の19世紀後半の画家、版画家。おもにロンドンで活動した。印象派の画家たちと同世代であるが、その色調や画面構成などには浮世絵をはじめとする日本美術の影響が濃く、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。 ―ウィキペディア(Wikipedia)より―

  

左)「ローズと銀-陶器の国の姫君」 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 1863-1865 ワシントン・フリア美術館

右)「青と金色のノクターンーオールド・バターシー・ブリッジ」 ジェームズ・マクニール・ホイッスラー 1872~1875年 テート美術館

このように世紀末の時代の雰囲気が色濃く漂うなか、アンニュイな感覚がホイッスラーの作品には多く見て取れます。 僕もときどきアンニュイな気分になるので充分に浸れるんですが、それでもホイッスラーの作品には全般的に物足りなさを感じてしまいます。 なんでしょうね。 (もっと深く観たら?)
でも、この「黒と金色のノクターン-落下する花火」は違うんです。  そう、別格です。 「黒と金色のノクターン-落下する花火」。 クーッ、なんて美しいタイトルなんだあ! では、ここからは、ドビュッシーが月の光を撒き散らしながらいきなり貴方の頭の片隅を横切っていくのを想い描きつつ、しっとりと読みすすめてください。

「この作品で、私は一切の外的な関心を排除し、芸術的関心のみを示した。それは線と形状、そして色彩の配置によるものであり、調和性に優れた結果をもたらすのであれば、それらから発生する如何なる偶然でも、私は利用する。」

と、ホイッスラーが述べたそうです。僕には少しのみ込み難いお言葉ですね。

ところで、この絵のタイトルは「落下する花火」になっています。 が、画面を見れば貴方も判ると思いますがこの光り方は花火だとは思えません。 ホイッスラーが花火だと勘違いしたんです。 見たこと無いので無理はないんですが花火だと思ったのは実は強烈な閃光なんです。 花火につられて閃光が地上近くで砕け散って光の粉になって落ちてきたのを描いたんですね。 (どぉ~ゆ~こと?) 砂子のような、キラキラと切箔を散らしたような降り方は、そうとう高い所から降って来たんですよ。

花火は高いといってもたかだかしれてます。 このようなキラキラさは普通の花火にはムリなのです。それよりもモッとモッと高いところからやって来たのです。 (どこから?) 「天」です。 「天の中央」からです。 エッ、「天」にも「中央」があるの?って思ったでしょ? 僕もそう思いました。シッカリ有るようです。 ちゃんと昔の「詩篇」に書かれています。 孫引きかひ孫引きだけど、ちょっびり引いてみます。

≪・・・・・・マルシューよ。 われわれがいるところは天の中央なのだ≫ O・Ⅴ・ド・ミロス『美の王の詩篇』― 「空と夢」ガストン・パシュラール著 宇佐見英治訳より―

ねェ、驚いたでしょ? 僕は初めてこの文を目にした時、「天の中央」っていう語句に驚いて、思わず目からまなこが落ちそうになりました。 「天にも中央が有るのかよ~」ってね。 それ以来、ズッと天にも中央が有るかも?って思ったり思わなかったりしていました。

で、この絵を観た時、この輝きはとても花火じゃないなと直感しました。 そうだ!キッと「天の中央」から降ってきた閃光なんだ、って。(閃光花火?) なぜ「中央」なのか今はその辺に置いとくとして。これは僕の勘違い? (支離滅裂!)

花火はキラキラと輝いて美しい半面、なんだかこの世の終末を思わせる不気味さがあります。 ふつう花火を描くなら打ち上がったところとか、ドッカンと華々しく開いてるのを描くと思うんだけど、この絵は落下してくる様をとらえているので不安感や儚さを感じるんですね。 背景の闇がいっそう怖いです。 ホイッスラーの絵の中ではこの絵が最も世紀末感が現れているように感じます。 無茶苦茶な想像や勘違いを誘ってくれるこの絵は観る者の感情を揺さぶる素晴らしい傑作だと思います。 貴方はどんな勘違いをしましたか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする