ぼくのほんだな

フワフワした僕が本を中心にスキな話題だけを勝手気ままにお届けします。

ぼくのほんだな 185・・松川二十五菩薩像

2013年04月18日 | 美術・工芸
欠落したところがある、欠落しているがゆえの魅力って感じたことあるよね。「ミロのヴィーナス」然り、「サモトラケのニケ」しかり、「唐招提寺の如来立像」もしかり、それに欠点が多いと噂される「僕」しかり。(噂なんかしてないし、ここはムリ)  どうして欠けているものはあんなに人を引き付けるのかなあ?
欠けているものを見ると「埋めね~と」と思って想像する本能がくすぐられるからかな? と、したらそれには「埋めて~よ」と思わせるだけの魅力がもともと本体に無いとダメってことになるよね。ただ欠落しているだけではダメッてことです。「あと、もうチョッとなのになぁ」って思われないとね。
欠落は結果であって創られた時は欠落することは想定外だろうから、欠落しても魅力のある本体でないと駄目ってことになっちゃうか。 ( ドキッ!)
じゃあ、欠落した部分をアレコレ想像しながら、スイーツを食べてるよ~な甘美なひと時を過ごしつつ、「僕は(貴方も入る?) ひあわせだな~!」 なんて想ってるのが僕にはベストってこと? となると「欠落」は、むしろミューズが僕たち(貴方も入れちゃった)に贈ってくれた「プラスα 」のごつ盛サービスってことなんだあ。 そっか ! パチパチパチッ。
いや!そうじゃない。あ、そうだ!僕は怒ってたんだ。スッカリ忘れてた。 なんで怒ってるか聴いてくれる? ではその前に、すっごくスイートな仏像 「二十五菩薩像」を見てほしい。

飛天

これは平安時代の中頃から盛んになった浄土信仰で阿弥陀如来とともに極楽浄土から往生を願う者を迎えに来るとゆふ二十五菩薩の内の「飛天」です。

いいよね!いいよね! さっき言った「スイーツのハート」ね。見るほどに「こんなのあり?」って感じでいいでしょ?
なんとか言えそうだけどなんとも言えない曲線ののびやかさ。重力から解き放たれて、いつまでもいつまでも たゆたいながら、決して「墜落」を憂うることなどない絶対のやすらぎで包みこむ充ち足りた浮遊感!めったとないものです。

これだけじゃありません。他にもたくさんあって、観ていると悟ったように落ち着いて、荒ぶるハートも鎮まるのです。


飛天

 立像

 跪坐像

「二十五菩薩像」 平安時代後期 *松川二十五菩薩堂(岩手県 一関市) 県指定有形文化財

おだやか~ぁぁぁぁ アッ、そ~じゃなかった、怒ってたんだ!聴いてくれる?(さっきから聴いてる。) ではおたずねします。「この仏像たちを貴方は観たことありますか?」 (ある!) こたえはあえてお聞きしません。キッと識らないと思います。 ほとんど(←曖昧)の人が識らないと思います。これはほんとにほんとに惜しいことです。

そこで私は言いたい。 「これほど凄いのにはそんじょそこらではお目にかかれませ~ん!」 「もっとこの魅力をひろく、キツ~く知ってくれ~い!」 ( じぇじぇ、肩が上がって右手をふりはじめた!)
さらに声を大にして私は言いたい!「もっともっと紹介せんかい!」 「みんなも皆んなや! もっと注目せんかあ!」 「責任者 出てこい!」 出てきたらどないすンのンやて?・・  「謝ったらしまいや!」

*松川二十五菩薩堂 岩手県一関市東山町松川字町裏の上33-1一関市東山支所教育文化課
 電話:0191(47)4544 (JR陸中松川駅または岩ノ下駅からバス松川公民館下車) 来てね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする