ぼくのほんだな

フワフワしたノリやすい僕が本を中心にスキな話題だけを勝手気ままにお届けします。

ぼくのほんだな245・・「目〈ある藝術斷想〉」 三島由紀夫

2022年06月19日 | ほんだな
"三島由紀夫"といえば貴方は何を思いますか? 小説だったらどの様な作品ですか? いろいろありますよねェ。「潮騒」? 「金閣寺」? 「鏡子の家」?・・・。 「禁色」や「仮面の告白」かな? それとも「豊穣の海」? 多すぎて僕には判りませんが、もし「〇〇デス」って応えられても多分ボクは判らないと思います。 何故って? う~~ん、なにを隠そう、(なにを隠してもらっても構いませんけど、) 実は・・・ ぼく三島由紀夫の小説は全然読んでませ~ん! じゃあ、最初から小説だったら、なんて言わないでほしいって? ですよね。 話の流れでつい言っちゃいました。 「つい」はダメ? そう、ぼくは小説より、評論や日記や随筆が好きなんです。 それが言いたいワケです。 (ずいぶん回り込むんですねえ。) だから三島由紀夫の作品なら今回の「目〈ある藝術斷想〉」や「裸體と衣裳」などが好きです。

ーー知性きらめく演劇論! 豊饒な様式美の世界を築きあげた著者が、多彩な演劇活動の日々に舞台鑑賞の感動や批評、役者との交友をを鮮やかにつづる芸術論集! ーー

と、僕ではなく、二版の帯が謳っています。 確かに内容はそれぞれ小粒ですが、堅くて読み応えアリ。

まあ、緊張して読んでみて下さい。 キリッとしますから。 いざ! 見た目はこんなのですう~

 
函/表            函/裏
「目〈ある藝術斷想〉」 三島由紀夫 伊藤アキラ/装幀 初版・函・帯
昭40 (1965) 定価850円 集英社

表紙

グイッ
見返し ( 三島の目。装幀者伊藤アキラの目も輝っていますね。)


前扉


   中扉

函に使われている装画はサンドロ・ボッティチェリの「春 (プリマヴェーラ)」。 表は花の女神「フローラ」、裏は美の女神「ヴィーナス」ですね。何だか妖しげ。

この本は、手にもっているとじつに心地いいんです。 ズッともっていたくなります。 うれしいですね。貴方はどうでしょうか?

この「目〈ある藝術斷想〉」は舞台が中心の芸術論集です。
「第一部 藝術斷想」10編と「第二部 PLAYBILLS」15編の二部構成になっています。どこから読んでもかまわないんです。 が、ぼくは「あとがき」から読みました。 ほゞ、どの本でもそうなんですけどね。

初版の帯(最初の画像↑)には表と裏にそれぞれ「あとがき」の前半が引用されています。 いわく、

私は「目」だけの人間になるのは、死んでもいやだ。それは化物になることだと思ふ。それでも私が、生來、視覺型の人間であることは、認めざるをえない。 (後略) ーー帯おもてより抜粋ーー

(前略) 私はできれば、ノートをとりながら、ネチネチ嚙みしめて見たい。さうやつて見ると、どうやら私の目の産物が出來上るのである。ーー帯うらより抜粋ーー

「あとがき」の後半に、ーーー第一部の自分が「見る」人間なら、第二部の自分は多少とも「行ふ」人間である ーーー と書いてます。
三島由紀夫は常に「見る」ことと、「行う」ことが、回転扉のように、生涯にわたってクルクルと巡っていたのでしょうか?

僕はいつも好きな本を読むとき、次はどんな色になるのかな?ってドキドキわくわくしながら口の中でクルクルと,少しづつ溶かしながら味わった、あの「かわり玉」を思い出します。 この本の一編一編をユックリゆっくり読み進める時間はなんとも言えず愉しいです。 たとえ歯がたたなくても少しづつ溶かしながら・・。 「かわり玉」は最後は消えて無くなりますが、 夢中になれたひとときの想いは残ります。 ただ、甘くて、きれいな色ばかりではないんですけどね・・。 ふ~っ。


Riok
"BARA ni korosareta FUNANORI" 三島由紀夫
コメント
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