ぼくのほんだな

フワフワした僕が本を中心にスキな話題だけを勝手気ままにお届けします。

ぼくのほんだな225・・ミニチュアカー専門誌「コレクター」と〈モデルペット〉

2018年03月17日 | 映画・クルマ
あれから叔父さんに逢ってないなあ。 少しだけ喋りたくなってきたんだよね。 キッと噂をするとやってくるぞ ! (●ぼく ○叔父さん)

●ヤッパリ来た!叔父さん、しばらくです。 ついでと言ったらなんだけど、日本のミニチュアカーが誕生したのに合わせて、ミニチュアカーの専門誌『コレクター』が創刊されたってこのまえ言ってたよね。そのあたりの様子を知ってたらおしえてほしいんだけど。

○いよっ!それはいい質問だ。ついでで結構、おまかせあれい!  興味が沸いてきたのかなぁあああ? ガッテンガッテン。 知ってることは喜んでお話しますよ~。
そう、月刊誌『コレクター』の第1号は昭和35年(1960年)3月1日の発行だね。 旭玩具製作所内・略称JMCC (日本ミニチアーコレクタークラブ)の機関紙として創刊されたんです。  編集・発行人は岸淑浩(社長)。 このJMCCに入会手続きして年間会費300円を収めると『コレクター』誌を毎月送ってくるんだ。 それがすんごく愉しみだったねぇ。
創刊号は16ページの小冊子だったけど、当時ミニチュアカーの情報は、当然だけどほとんど無かったので若かりし頃の叔父さんたちはこの小冊子に"待ってました"とばかりに飛びついたものさ。 新しい世界が開かれたって感じかな? ワクワクしたね!

● (・・と言いながら遠くに目をやる叔父さんの横顔は少しひねてますがまるで少年のようです。)

○創刊号はこんなのでした。




                              
オープニング・ページ(上段「創刊の言葉」下段「目次」)


目次

月刊『コレクター』創刊第1号 16ページ 編集・発行人 岸淑浩
発行所 旭玩具製作所内・JMCC 昭和35年(1960年)3月1日発行

熱い 熱い『創刊の言葉』は ♪やけど覚悟で読まんとね~!

創刊の言葉

 日本の社会分化は日に日に複数化
していく。 共通の広場を求めてやま
ない人々が、 その分化する集団に走
っていく。 ぶっそうなカミナリ族、
マンボ族等も分化された一つの集団
である。 その他貴品の高い音楽愛好
者集団、人形愛好者集団等・・・・・数え
あげたらキリがない。
 既成の集団に、 また新しくミニチ
アトーイコレクターの集団が生まれ
た。 この集団はバラ園に咲くバラの
如く、 茶の間をいろどる夢と希望の
果てしない集団である。
 本誌はそうした集団の窓になりた
い。

旭玩具製作所は昭和34年(1959年)10月に亜鉛軽合金という材料を使ってインジェクション・マシンという機械で精密につくられた国産初の量産ミニチュアカーを発売しました。商標は〈モデルペット〉です。 機関紙『コレクター』が発行されたのは、この〈モデルペット〉の売り上げを拡大することと、その購買者である会員間の交流を図る目的があったんですね。
このあと、旭玩具製作所は英国のコーギー製品とディンキー製品を数量は少ないんだけど輸入することになるんだ。 このように国産ミニチュアカー〈モデルペット〉も世界のミニチュアカーと共に市場を賑わすことになっていきます。

世界にも視野を向けながら新しいホビー情報誌となった『コレクター』は創刊号に引き続き、経済成長の波にのって順風満帆、 2号 3号・・・と発行されていきました。






月刊『コレクター』創刊第2号 4月号







月刊『コレクター』第3号 5月号

『コレクター』が創刊された昭和35年(1960年)には〈モデルペット〉も既に4台発売されていて、 そのNo.1は 「トヨペット クラウン デラックス」でした。 やっぱりトヨタ車は人気がありましたね。

●それって どんなの?

○それって こんなの!





モデルペットNo.1 トヨペット クラウン デラックス  縮尺1/42 170円

○モデルペットの5作目がこれ。





モデルペットNo.6 プリンス スカイライン デラックス 縮尺1/42 170円

そして引き続き、どんどこどんと新製品を発売していきました。

やがて『コレクター』の誌名も昭和37年4月号のNo26号から横文字の『COLLECTOR』ってことになったりしました。



月刊『COLLECTOR』No26

こうして〈モデルペット〉の発展と共に新しい製品の広告や情報を紹介し、会員の交流を図ってきた『COLLECTOR』誌ですが、昭和44年(1969年)突然廃刊になりました。
昭和35年(1960年)の創刊号から最終号 No.106までの全106冊をもってその歴史を終えたのです。社会の大きなうねりに呑み込まれていったのでしょうか?

この短い記事では、当時の叔父さん達の熱気や高揚感はなかなか伝わらないと思うんだけど、日本初のミニチュアカー専門誌『コレクター』をひもとくことで、日本のミニチュアカーの草創期を少しでもみんなに知ってもらえれば、叔父さんは大変嬉しく思うのです。 パチパチパチパチ!

●叔父さん!拍手をするのは僕なんだけど。勝手に〆てもらってありがとうございました。 まとめて終わる叔父さんって初めてでしたああ。  パチパチパチパチパチ!
コメント
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