ぼくのほんだな

フワフワしたノリやすい僕が本を中心にスキな話題だけを勝手気ままにお届けします。

ぼくのほんだな 195・・「お喋りな宝石」 ドゥニ・ディドロ作/ジャン・デュラック画

2014年04月02日 | ほんだな
「ぼくの伯父さん」のお話しです。
伯父さんはいつもメ~いっぱいニコニコと幸せそうな顔をしています。いつだったか「ど~したらいつもそんなにゆるんだ、違った、にこやかな顔でいられるの?」って訊いてみた。そしたら「心配ごとが無いからさ」だって。
確かにそんな感じはあるんだけど、サラッと答えてやり過ごすつもりにちがいない。これはあやしいと思ったんだ。 ど~も知られたくないようなんだ。ふつう「ヒ・ミ・ツ」とか、「おとなになればわかります。」とか、いかにも意味ありげに答を先送りする言い方をするもんだけれど、かえって僕があらぬ期待過多症に陥ってもなぁって思ったのかもしれない。でもぼくは何かものすごくイイことがあるにちがいないと直感した。たちまちぼくの探求心に火がついた。もう誰にもこの火は消せません。
それからは意識的に伯父さんの行動やその言動に気をくばり、ニコニコの核心に迫るべく細心の注意をはらった。 しかしなかなか尻尾がつかめない。 だんだんあせってきた。
そんなある日、伯父さんの家に遊びに行った。部屋はワンフロア。すべて丸見え。ぼくはここでイッキにあの疑問を解決すべく大胆に、しかし慎重に部屋の中を眺めてひらめいた。そうか、本だ!本に違いない。「本は心のまなこなり」と申しますね?答は本に有り。いざ本棚へ。確信の本はどれだ?「吉田秀和全集」・・似合わない。 隣りは「哲学講義」フルキエ・・少し無理そう。 ん?この横文字の本は?・・それがこの本↓です。

  
外表紙/内表紙
                      
本文はアンカット装・2分冊

扉 

   

   

   

「お喋りな宝石」限定版五百部 ドゥニ・ディドロ/作 ジャン・デュラック/画 新庄嘉章/訳 矢嶋三朗/造本 昭和四十四年¥10000 有光書房  (原題 Diderot Les bijoux indiscrets(The Indiscreet Jewels) 1748 )

*新庄嘉章訳では有光書房の前に大雅洞から1951年に刊行されました。

ぼくは伯父さんが切らした煙草を買いに出ている間に、ソッと見てみた。 わぉ!!・・・・・・・・。 伯父さんが帰って来るまでのしばしの夢の世界。
伯父さんのニコニコ顔の源泉は、たぶん、この本にまちがいない・・とそのとき確信した!

この本はフランスのルイ十五世時代の頽廃した風俗を痛烈に風刺した一種の風刺小説です。著者のディドロといえば哲学者、作家で、なかなか骨太のシブトい思想家なんだけど、それよりなにより見てお分かりのようにデュラックの挿絵(ほんの一部ですが)は、もう「いいね!」 としか言いようがないのです。 まさしく宝石!! この本を手にした人は伯父さんのように心配ごとが無くなるかは分かりませんが、キッとどこかしらニコやかになってるハズ。
「行く川の流れは絶えずして、しかも もとの水にあらず」と申しますが、僕はふたたびあの時とは違って今、ゆったりとした時間の中でこの本を手にし、夢の世界をたゆたうことができたのです。
あの時、簡単にこの本を見つけられたのは、ヒョッとして伯父さんがそこそこ大きくなったぼくの目につくようにさりげなく置いておいたのかも?なんて思ったりもしています。ぼくの伯父さんはこよなくエッチを愛しているらしい。 ぼくはそんな伯父さんが大すきです。 「ぼくの(すこしエッチな)伯父さん」のお薦め本(?)のお話でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする