毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

どうして原発続けたいのかな? 2011年4月9日(土) No.107

2011-04-09 22:11:54 | 日記
 明日は東京都知事選挙。
予想を見る度に目を疑う。毎回、だんぜんあの石原慎太郎が有利と書いてあるからだ。
以前から「日本の原発は世界一の設備」と豪語し、3/12の福島原子力発電所の爆発以降も「原発反対の人たちがわけわからんことを言って騒いでいるが、今回の事故は想定外だったんだから仕方がない」とふんぞり返る78歳のあのお年寄りは、美濃部さんが都知事だったときに「70歳も過ぎて前頭葉が退化した年寄り」に都知事をゆだねるのは良くないと発言したという。

 何を言って威張ってもいい。自分の家の中で家族に対してなら。もちろん家族が許してあげればだけど。しかし、彼は政治家なんかになってしまい、都民や国民を自分の家族のように抑え付けている。
すごいのは、そういう人間を東京都民が都知事として選ぶということだ。都民はヒトラーを現出させたときのドイツ国民状態だね、こりゃ。多分、ものすごく個人の独立性が弱まっているのだろう。豪語する者が頼りになる者のように感じられるのだ。

 思えば今の時代の多くの小学生もそうだ。教師が上からビシバシ言わない、物腰柔らか気味の人だと、たちまちバカにするが、高圧的だと、取りあえず言うことを聞く。やや弱教師のクラスはあっという間に崩壊する。崩壊したクラスはとてつもない弱肉強食がはびこる。そんな生活の中で子ども達は、どんなに高圧的でも、威張りくさっていても、決めつけられても、この弱肉強食の恐ろしい生活をストップさせてくれる人として、むしろ理不尽なその強さを歓迎する。しまいに尊敬したりまでする。そんな様子を何回か学校現場で見てきた。しかし、本当の本当は、その理不尽で高圧的な教師は、ただの短気でワガママなだけの超イビツなやつだったりするのだ。そういう人って子どもが自分の言うことを聞くのは、自分がエライからだと信じて疑わないんだよね~。
私はこういう現象を「ミニヒトラー現象」と呼ぶ。だからどうというんでもないけど。
日本の人たちの多くが、戦後66年間の「豊かさ」を享受する中で心の何かが弱くなってしまったんだ。心は弱まり、海や大気は汚染され、たいへんな遺産とともに再出発しなければならない。こんな辛い情況を何とかしてくれるのは、理不尽なまでにエラそうなあの石原さんしかいない、あとはみんなザコだ、と考えているのですかね。ちょっとこじつけ?


 ラピュタの世界。人類が滅びたあの天空の城で、ただロボット1人が、ずっと以前からの毎日の営みを続ける。生き延びた種から咲いた花に水を遣り、鳥たちはそのロボットの周りを飛びまわる。静謐な世界。あのイメージがぐんぐん現実味を帯びていると思うのは私だけだろうか。
 それでも自然は、まだ私たちのそばにいると私は思う。ともに生きようとするものに胸を開いてくれていると感じる。だから、これ以上海を、土を、空を汚したらだめなんだ。

 「原発推進の石原慎太郎が都知事になったら、石原に投票しない者まで放射能汚染の害を受けるリスクを背負わされる。」と書き込みがあった。その通りだ。
先日、我が息子から、10年近く住んだ東京に見切りをつけ、広島かどこかに移住することにした、とメールがあった。阪神淡路大震災を中学生で体験した息子は、今回の地震翌日の12日、都内の職場であるCDショップのDVDやCDが床に散乱している上に倒れ込んだおふざけ写真を送ってよこした。その後の節電にもあまりへこたれた様子を見せなかったが、この放射能もれには感じるところがあったようだ。

 しかし、日本全国原発だらけなのだ。多くの人々が、放射能汚染なしの生活を望むなら、原発は見直す方向に行くのだが…。もう世界中で日本ブランドはかなり地に落ちている。
世界から見ると日本のほうれん草より中国野菜の方がずっと安全なのだ。これを深刻に受けとめなければならない。現在、本当に日本製品は世界中から怖がられ、嫌がられているということを。

原発が何年か後の日本から姿を消していることを強く願う。
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春なのに枯葉散る   2011年4月8日(金)  No.106

2011-04-08 23:08:49 | 中国事情
 日本では新学期が始まり、被災地でも入学式が行われたという記事を読むと、(そういえばそうだったな)と気がつくが、こちらは『3月の続きで4月』と、あっさりしたものだ。清明節が3日ぐらいあったところで、普段から私は週末3日間休みなので、そう浮き浮きすることもない。

 それでも嬉しいのは、もう冬に戻らないことが実感できるこの暖かさだ。部屋にいるのに外にいるのと変わらないような、骨まで沁みる寒さは、人間としての権利が保障されていない気持ちになる。南昌で暮らす一番の困難は冬の寒さだと言えよう。
 その冬は行きつ戻りつで、なかなかあっさりと去ってくれなかったのだが、4月も第一週を過ぎて、いくら何でも、もう大丈夫だと安心できるようになった。それでも、おとといの夜の学生からのメールには、寮の部屋が冷え込むので、膝が痛いと書いてあった。私は電気ストーブで足下の暖を取れるが、火気厳禁の寮では、4人の若者の身体から発する熱で部屋を温めるのが精一杯だ。今日の授業は、病気理由の欠席が目立った。鼻声の子も何人もいた。季節の変わり目で、体調を崩す子が増えてきている。

 昼間は部屋よりも外の方がずっと暖かいので、麦廬園キャンパスの資料室でも、寒くなったら外に出て日向ぼっこをするようにしている。数日前から気になっているのは、キャンパスの楠の葉が枯れてバラバラと散ってきていることだ。今日、朝7時40分に資料室前の道では、清掃係の黄色い服を着た50代~60代ぐらいの男性が、大きなほうきでザアザアと枯葉を集めていた。特大リヤカーの中のゴミ入れ容器は、枯葉で満タンだ。
 晩秋にはキャンパス内のほぼ全ての木の幹部分に白い石灰みたいなものを塗り、防虫対策には抜かりがなかったはずだ。3年生の陳さんに聞くと、「水遣りが足りないのでは?」とのこと。しょっちゅう雨が降っているような気がするのだが…。

 今夕は理工大学で日本語コーナーだ。5時40分に南門集合と授業で言い、自分も1分前に行くと、まだ3人しか来ていない。ただちに切れかけて「こういうことなら、日本語コーナーは止めます。君たちがやりたいと言うから始めたんじゃないか!」と怒っていたら、三々五々人数が増えて、50分まで待つと、総勢16人になった。とにかく時間にルーズなのだ。
こういうとき3年生は、「先生、中国の約束時間は日本とは違いますから。」となだめ役に徹する。私も16人来たら、まあいいかと気を取り直して広い道の端の草地を歩いて理工大学へ向かった。途中、広い車道の端を歩く学生や、だらだら広がって歩く学生たちが気になってしかたがない。小学校での校外活動の引率癖が骨身に沁みついているからだ。相手はもう立派な大人なのに…。

 理工大学は、大きく成長した木々が、キャンパスに風格を与えている。若くて細々とした木が目立つ麦廬園とはかなり違う。こぢんまりとまとまっているのも、日本の大学キャンパスのようで落ち着く。財大の子たちも「この大学、いいですね~。花がきれいですね~。」とキョロキョロしている。猫までいるので「ああ、いいなあ。理工大には猫がいるよ。」と私が言うと、陳さんが「先生、財大にだって、野良犬や鼠がたくさんいます。生き物では負けません。」と張り合っていた。
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清明節休暇の最終日   2011年4月6日(水)  No.105

2011-04-06 09:56:30 | 中国事情

 昨日は清明節休暇の最終日とあって、お馴染み3年生の3人組(劉さん、黄さん、範さん)プラス陳さん、王さんと、南昌市内へ繰り出した。

 いつも大根1元とか、トイレットペーパーを奮発して18元とかのけちけち生活だ。
今日はおもいきり奮発しようと心に決め、本部前の道路で客に大声で呼びかけているミニバスをチャーターした。
 このミニバスとは、運転士を含め8人乗りのかまぼこ形の車だが、いつも客が10人になるまでワーワー大声で客引きを続ける。私は、本部前から麦廬園キャンパスに急いで行くときに、何回か利用したことがある。
学生からは「あれは危険です。乗らない方が良いです。以前事故がありました。」と言われているのだが、行き当たりばったりの性格で、(運転士だって事故は起こしたくあるまい。そこそこ気をつけて運転してくれるだろう)と、つい乗ってしまう。
 通常の乗車賃は2元、客が少ないときには1元で麦廬園まで走ってくれるので、市バス(1元)とそんなに変わらない。しかし、市内に行くとなると話は別。しかも、祝日とあって、ミニバス同士で提携しているらしくどの車も一律50元で、さすがの値切り上手なお嬢さんたちにも、とりつく島がなかった。

 今日の主な目的は、市内にある和食レストランで昼食を楽しむことだ。当初「大阪城」で回転寿司を食べるというプランだったが、「紅」の方がいいと誰かが言ってたちまち計画を変えた。はっきり言って、どこに行ってもそんなに幸せ感に浸れるほど美味しいとは私には思えなかった。あくまでも、我が教え子に「寿司」「唐揚げ」などの和食の形を経験して欲しいという思いだ。

 11時半前に店に着くと、一番乗りで他に客はいない。奥に掘りごたつ式のたたみ席があったので、「ここにしよう!」と言うと、その席は特別に高い料金になるという返事。即座に普通の椅子席に変更した。

 テーブルにはすでに一人ずつに小皿と箸がセットされている。(これは本部前の「吉野屋」とはわけが違うな)と思った。「吉野屋」は学生向けの安食堂で、雰囲気も学生食堂とあまり変わらない。テーブルは触ると脂っこくネッチョリしている。それに比べてこの「紅」は、テーブルにも安心して手を置ける。白い服の手首の裾も汚れない安心感がある。本格的だ!

 さあ、料理の味は?と期待感が増した。結果は・・・。
しかし、まあ、形はバッチリなんだからそれで満足しなくちゃね。『日本に行ってこそ、本物の美味しさに出会えるんだ。』と未来に希望をつないでもらおう。魚住む美しい海の日本の味に…。(ハア~、高濃度の放射性物質は今どこまで海を汚しているんだろう…。美味しい魚なんてもう食べられなくなるんだろうか。考えないようにしても、ついそっちの方に思考が傾く…。)
 巻き寿司、卵、カッパ巻き、鉄火巻き、かまぼこ巻き、シーチキン巻き、いなり寿司、イクラより小さい魚の卵の寿司などの盛り合わせ、広島風ピザ(お好み焼きのこと)、ししゃも、鳥の唐揚げなどでかなりお腹いっぱいになった。心中(こんなんやったら、私が作る方が絶対美味しいわ)とつぶやきながら…。具材があればね~、いくらでも作ってあげられるんだけどね~。
 食べたり、喋ったりしているうちに、5つほどある他の席もほぼ満席になってきた。若いカップルや家族連れが多い。奥の高級たたみ席にも何人かの男性たちが座った。ビジネス関係かも知れない。

 2時間以上ゆっくりと談笑した後、店を出て、歩行者天国になっている通りを歩き、ウインドウショッピングをしたり、建物を見たりしながら、八一広場に向かった。王さんが冬休みにアルバイトした賃金を受け取るためだ。
歩いている途中、前を行く黄さんと劉さんを見失って、携帯で連絡を取り、再会する一幕もあった。何しろすごい人出なのだ。これは清明節だけでなく、普段の土日もこんな感じらしい。「人口が多いですから、中国は。」と陳さんが言う。

 懐かしい八一広場。半年前の油照りする暑い日に、八一公園と間違えて「日本語コーナー」を探しながら2時間以上ウロウロしたところだ。あの日以上に、人々でごったがえしている。すごいのは、これだけの人が往来する中、あちこちで凧揚げをしている人がいることだ。三角型のカイトや連凧が多い。人にぶつかることもあるだろうになあ。
 ちなみに、私は南昌に来て誰かにぶつかられても、またはバスの中で鞄を身体にぶつけられても、謝られたことは一度もない。逆の場合、誤り癖がついている私の口は勝手に適当な言語で謝っている。

 帰りは、黄さんが見つけてくれたミニバスにワラワラと乗り込み、一人5元で本部まで戻った。
その後、我が宿舎でのんびりとお茶を飲み、ブルーハーツや趙博さん、オーティスレディング、サイモン&ガーファンクルなどを聞き、夕方彼らは帰っていった。やっぱり3年生はホッとするなあ。

 

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春のカマドウマ登場   2011年4月4日(月) No.104

2011-04-04 23:12:35 | 中国事情
 一昨日はうららかな春、昨日は肌寒い小雨と風の強い日、さあ、今日は何だ!?と構えざるを得ない南昌の天気。一言で言えば変わりやすいのだ。

 ほっ、今朝は、カーテン越しに日差しが感じられる。
あな嬉し、晴れだ。こういう日は掃除をする元気も湧く。ほうきで掃き掃除、その後せっせとモップがけ。掃いているとき、久しぶりに秋に見かけたカマドウマのような虫の大と小を一匹ずつ捕獲した。もちろん生きている。冬の間は、よく死んだゲジゲジの硬直したのが、部屋の隅を掃くと出て来た。生きた虫が部屋を歩き出すシーズンになったんだ。春だなあ。

 思い立って冬物の厚手黒タイツを4本手洗い洗濯した。黒い色ものは洗濯機では洗えない。この部屋の洗濯機で黒い物を洗うと、洗い上がりには白っぽい繊維が無数にくっついており、乾かしてからガムテープで丁寧に剥がす作業をしなければならない。来た当初から洗濯機の内側に付いているゴミ取り袋が破れていたので、洗濯物の繊維が洗濯機内部にいっぱい潜んでいるのが推察できたが、洗ってみたらやっぱり…。
それでも無いより数段マシだ。黒物だけは手で洗い、それ以外は何でも洗濯機で洗うことにしている。今日は出入り口ドアの内側に靴拭きマット代わりに置いてある大型バスタオルも洗った。
洗濯物を干すのは、鳥に餌をやる方のベランダだ。洗濯物をぶら下げると鳥が警戒して、なかなか近付いてこない。本当に警戒心が強い。

 掃除と洗濯を終え、つい日本から持ってきた「きょうの猫村さん」を読み始めてしまった。久しぶりなので1巻から4巻まで全部読まなければ気が済まなくて、すっかりその世界に浸り、今日することがぶっ飛んでしまった。
犬神家のご主人の真似をして「心を空っぽにする」とか言いながら、だらだらしていたらもう夕方だ。昼にはトイレットペーパーと洗剤を買いに行こうと思っていたのに、もう、外に出るのがとてつもなくおっくうになっている。
そういうときの自己対策も、過去に何度も実行している。
窓際に行き、外を見るのだ。外では若者達が何の苦もなく道路を歩いており、元気な鳥たちがピチクリさえずりながら屋根から木へと飛び回っている。しかも今日は、夕方でもいい天気じゃないか。きっと外は暖かいぞ~。
そういうふうに自分の外への期待感をもり立てていくと、ハードルが低くなる。気持ちの変化なんて単純なものだ。

 お馴染みの全家百貨では、何と!蒙古牛乳が8元に値上げされていた。迷わずまだ7.5元の伊利牛乳にする。このあいだいつも買うラーメンが2元から2.3元に値上げされたばかりだ。すごい勢いで食品の値段が上がっているのを実感する。

 帰り際、並んだ店の一つから、若い女性の店員が出て来たと思ったら、これも何と!手鼻をかんで上手に道路にプシュッと放った。どうやったらあのように上手く手鼻がかめるのだろう。やはり小さい頃から練習を重ねなければ、あそこまで自然体で簡単ぽくはできないだろうなあと、宿舎に戻った。

 
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カレーでもてなし   2011年4月3日(日) No.103

2011-04-03 21:43:04 | 中国事情
 朝から風と雨。暗かったので寝坊をしてしまった。時計を見ると午前10時過ぎ!(ギョエ~!1年生が遊びに来るというのにい~)と飛び起きた。

 学生達も遊びに来たがるが、私もできる限りのことをしたい。これも日中草の根交流になるのだから。
と言う割には、おもてなしの料理がいつもカレーライスなのが弱点だ。まだ1年生から4年生まで全員来たわけではないが、ここ半年間で50人は我が宿舎を訪れ、カレーを食べたと思う。そろそろ次のメニューを考えなければ…。
 取りあえず、今日もカレーだ。「グリコ2段熟カレー」が安かったので、冬休みに10箱以上買って船便で送ったものだ。神戸港から37日間もかかってようやく着いた。速ければ3週間と言われたが、夏に送ったときは4週間かかった。上海まではすぐ着くのだが、内陸の輸送がとてつもなく遅い。

 3年生の楼さんとそのボーイフレンド郭さんが、11時半、9人の1年生を連れてやって来た。
今回のメンバーは、「まだ1度も来たことが無い人」を条件にしたので、カレー未体験どころか、日本人が住む部屋に入るのも初めてで、ドアに入る前からワクワクしている。

 今日来た子たちの中に、目ざとく雑誌『anan』を見つけ、さらに目ざとくスマップの写真を見つけ、キムタクを指して「ラブゼネレーション!」とか叫んだ男の子がいた。スマップは中国でも人気があるそうだ。「世界に一つだけの花」とかのメロディがすぐに出てくる。
 しかし、3年生の楼さんは、「コナンと江戸時代」漬け少女なので、スマップなんか聞いたこともないと言う。一方、ボーイフレンドの郭さんは「さだこ」(怖い映画)を前の日本人教師が授業中にDVDを見せてくれ、それが強烈に印象に残っていると言う。どうもこの2人は世間からずれたようなところがある。

 楼さんに言わせれば郭さんは、「日本人以上に日本人ぽい中国人」なのだそうだ。どこが?と聞くと「郭さんは、いつのまにか私の机を片付けてくれて、自分がやったと吹聴もせず、たいへん控えめです。」とのこと。うん、確かに日本では「『自分がやった、やった。』と自慢するな、ひけらかすな。」というのが美徳としてあった。今でもそんな雰囲気はあるのかしら。
私は、子どもの頃、庭の掃除をしておいたのを親に気付いてもらいたいのに、母が「ここ、誰がきれいにしたの?」と聞くと、黙っていたものだった。忍ぶ心というか、以心伝心というのか、基本的にハイコンテキスト人間なのだ。

 食後、カルタをして遊んだ。たいしたことではないのだが、ゲームにおけるルールの軽視みたいなのを感じた。お手つき3回以上はダメだと説明しているのに、平気で何回も繰り返す。これは今日だけのことではない。
 この間、1年生の発表会に招待されて行ったときも、新聞にペアで乗るというゲームで、ルール説明の後、ゲームが始まるや(うわ、ルール違反やん!)と注意したくなるチームが続出で、私にしたら(ルールがあってないようなゲームをやって、何が面白いんかな?ルール通りやるからこそ1位になっても値打ちがあるんじゃないかな)とはなはだ疑問に思った。しかし、誰一人注意せず、ニコニコして見ている。
 授業中のミニテストでも、よほど襟を正して、厳しい表情できっちり言わないと、簡単にカンニングをする。もちろん、期末試験では試験官が見張っているし、そんなことはしないが。
 あきれたり、おもしろがったりしているうちに帰る時間になり、みんな仲良く帰って行った。

 1年生とは言え、10月後半から開始した日本語学習の成果はもうかなり感じられる。
先週も、「あ~、先生、今日教室が違います。1107室になりました。」と日本語で電話連絡してきた1年生がいる。その連絡は既に他の先生から聞いていたが、教室ではそのことは言わず「ありがとう。さっきの連絡、全部よく分かりました。発音もとても良いです。」とだけ言った。「褒められるときには最大限褒めよう」というのは、私が小学校教員生活で学んだことの一つだ。嬉しそうに微笑む学生の顔を見て、それは中国であっても、大学生であっても、同じだと確信した。
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清明節に祈る   2011年4月2日(土) No.102

2011-04-02 10:44:44 | 中国事情
 タイトルに日付を入れるとき、2201年と押してしまった。5秒ほど(何か変だなあ)と、ボーッとした後ようやく気付いた。
 2201年、日本は、地球はどうなっているだろう。今生きている人たちは全員もうこの世にはいない(だろう)が、今現在が確実に200年後につながっているという実感がある。
個人として名をはせるか、全く目立たずひっそり生きるかを問わず、私たち人間は『人類』として地球の歴史を刻み続けるんだ。

『平和、連帯、思い遣り、生きる歓び、非暴力…。』
こんな言葉をことさら強調しなくても、当たり前にそうであるような世の中に、どうぞ少しでも近づきますように。
人間同士が誤解を解き、支え合って仲良く暮らせますように。
それを助けるシステムが社会にできますように。
自然体系の一部分として、自然を支え、自然に守られて暮らして行けますように。

…と取りあえず、亡き父母に祈るのだが、まあ、私の両親だけではあまり効果は期待できない。なので対象を拡大し、今は亡き全ての愛する人々にお願いする次第である。

 私の勝手な想像だが、昔から代々、この世に生きる人たちは、亡くなった全ての人々の叡智を一まとめにした概念を「神さま」と呼び、困ったときに頼み込んで心の平安を得てきたのではないだろうか。
 「あの世」にはきっと、現世で解決不能な事柄を包み込む優しさや温かさや知恵があると想像するのは、とても嬉しい気持ちだ。今は亡き愛する人々の力を全部合わせれば、総体としてそんな(原子力以上の)パワーができるのでは…と勝手に思い描く。それが現実の厳しさに耐えるエネルギーになる。
 私は一神教信者ではないが、「誰が見ていなくても、お天道様はご存じだ。」と自分自身につぶやくことがある。

 我が大学では、今日2日から5日まで「清明節」(チンミンジエ)の休みだ。日本で言えば「春のお彼岸」のようなもので、ご先祖様の墓参りをしたりする。日本語学科の2年生は30人中10人が家に帰る。3年生は35人中6,7人と少ない。1年生は…?、明日家でカレーパーティーをするので、その時に聞こう。
 清明節休暇は本当は明日の日曜日からだが、私は今日授業がないので実質的にもうスタートしている。朝からときおり花火や爆竹がなっている。正式な清明節は4月5日だけだそうだ。その日にはどれほどたくさんの爆竹や花火が上がることだろう。

 さらに今日は、道路の街路樹に水やりをする車が通って行くのを初めて見た。その放水車は、とても気持ちが落ち着く中南米のケイナの音に似たBGMを流していた。南昌の公的機関が中国国歌でもなく、中国伝統民謡でもなく、そうした音楽を流しているのは珍しい。少なくとも私の経験では初めて聞く音だった。

 今日もいい天気だ。部屋の中は冷え冷えとしているが、外に出るとポカポカと暖かく、とても気持ちがいい。昨夜は、第2回目の理工大との合同「日本語コーナー」があり、朝7時半過ぎから夜8時過ぎまで麦廬園キャンパスで過ごした。(自分の職場なんだなあ)と次第に実感が湧いてきた。ここで働き出してから半年も経つ。かなり遅い実感だ…。
 自分が何でもチャッチャと要領よく体得することができない人間だということを、またまた確認した。こういう人間は、通り過ぎながらパッとポイントを掴む旅行より、1つ処に長期滞在してジワジワ感じる方が適していると思う。旅行に出かけるお金がないということもあるが…。
 

 

 
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