毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「新学期ひと月過ぎて一段落」No.1759

2016-09-30 18:01:03 | 中国事情

昨日まで菏澤としては珍しく2日連続で雨が降り、濡れ落ち葉が道路を彩りました。

なかなか風情があります。靴は中まで濡れましたけどね。


夏休みの日本での日々は怒涛の如く過ぎましたが、

こちらでも新学期ともなれば、新体制構築のため結構忙しかったのです。

土日の休みには学生も来ます。

しかし!明日から国慶節で一週間休みです。

ここで深呼吸しなければいつできる、と言うくらい重要な休息日がついにきました。

今週は国慶節前の振り替え授業やら、突然の日本語学科の教師室の引っ越しやらで

これまた忙しく過ぎました。

日本語学科の教師室は今までビルの一階のとても便利なところにあったのですが、

そこを英語学科に乗っ取られ、何と五階の辺境に追い払われましたよ。

「エアコンも、Wi-Fiもない、掃除道具もなんもない!」

と、例によって文句をさんざん言ったところ、

エアコンをつけてくれることになりました。wifiはもともとつける約束だったそうです。

さらに、日本から持ってきた20人分の浴衣や帯などを収納するロッカーも

ほしいと言うと、気前よく準備してくれると確約を得ました。

日本語学科の中国人の先生方が遠慮して言わない分、私ががんばらないと(笑)。

今日は、振り替え授業を一昨日に済ませて、

授業無しのラッキーDAYになりました。

水も18リットルのを2つ配達してもらえたし、

心から安堵のため息が出ます。

ブログもようやく書けます。

ずっと前から書きかったある事実をようやくここでご紹介できますよ。

じ、じつはね、

この菏澤というところはね、

こういうところだったんですよ~~!

  

まさに、菏澤は曹操と呂布の死闘の真ん中にあったんですねえ。

いや、いや、知りませんでした。

(地図の緑色「定陶」の左上に茶色で小さく「菏澤」と書いてあるの、見えますか?)


私は「三国志」も我がドラ息子ほど詳しくないし、

登場する人名など何回聞いても忘れるのですが、

曹操、赤兎馬と呂布くらいは横山光輝の漫画で何とか記憶に留めています。

この休みは、菏澤の歴史にちょっとでも近づきたいです。

 

 

 

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「ゆで卵を作って食べた」No.1758

2016-09-25 23:36:04 | 中国事情

「教師の日」の余立君さんからの贈り物、薔薇をドライフラワーにしてみました。

ピンク色が色濃く残っていて、自分としては大成功です。

ただ10日ほど天井からぶら下げていただけですけどね。

花瓶がないので、ネッスルのインスタントコーヒーの空き瓶と、

キューピーマヨネーズの空き瓶を使いました。

 

今朝、ベランダで洗濯物を干していて外を見たら、

赤銅色に日焼けした(いや、ホント)年配女性がリヤカーをバイクに繋げて

何かを売リに来たところでした。

通りすがりの人が品物の上のカバーをめくると

鶏の卵が見えました。

急いで、下に降りて20個以上買ったら、

大玉なのに10元(約150円:円高なので)。

早速ゆで卵にしたら新鮮で殻が剥けないったらなかったです。

キエ―ッとなりながら、その昔、中学生の頃か

「殻が剥けないのは古い卵だ」と自信満々主張していた同級生に

(なんでそんな馬鹿なことを言うんだろう?

新鮮だからこそ中の薄皮が殻にぴったりくっついているのに)

と、ものすごく不思議だったことを思い出していました。

昔、両親が共同経営の農場をしていた関係で、

鶏舎から軟卵や双子の卵、血卵やらをふんだんにもらっていました。

そうした中で、新しい卵と古い卵の見分けも自然に学んでいたのでしょう。

そんなことは、全ての人間が知っていると思っていたので、

知らない人がいることに驚愕したのでした。

(あの頃は世間が狭かったなあ)と可笑しく思いながら、

白身が殻にくっついているのを大胆に捨てて、塩を付けて食べました。

下は買ったばかりで、まだ洗っていない卵です。

従って、糞がふんだんについています( ´艸`)

 

 

 

 

 

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「被災ママの覚醒」No.1757

2016-09-24 22:14:19 | 脱原発

数日前、2年「日本国家概況」の授業で、

日本の地形→火山の爆発・地震→3・11東日本大震災→津波→福島原発事故の話をしました。

今、二十歳前後の2年生が15歳頃にあった隣国の地震・津波・原発事故は、

彼女たち(プラス一人の彼)の記憶から消えかけていました。

授業で提示した津波、原発事故当時の映像は、初めて見る学生がほとんどで、

息を吞んで教室のスクリーンを見つめていました。

じつは、それらの映像は私も正視できず、長い間避けてきたものです。

5年前の3月11日、

中国の南昌市で地震・津波、翌日に福島原発の爆発事故をCCTVで見て、

(ああ、これで日本は終わりだ)と思いました。

酷いことになったことは、いくら鈍感な私でも分かりました。

それから、日本国内ではたくさんの努力、たくさんの我慢、たくさんの涙とともに

5年が過ぎました。

日常生活の中で、2020年のオリンピックが話題になることはあっても、

震災・津波・原発事故の被災者のことを考えての「復興オリンピック」だと

声高に言っていたことなど、どこかに置いてきぼりになっています。

授業で、震災や原発事故の復興は今だ道途上だというと、

中国の学生たちは驚きました。

そんなことは日本から伝わってこないからでしょう。

日本国内ではどうでしょうか。

「日本人なら被災者のことを思わない者など誰もいない。

だからこそ、オリンピックで復興推進なのだ」

と言っていたオリンピック開催支持者の人たちは、

今も、同じことを胸を張って言えるのか疑問に思います。

またしても、すり替えられ、ごまかされ、そのことに気が付かないで、

翳んでいく人たちの多いことが残念です。

逆に、希望の光は被災者自身の中にあるんだと、今、私は感じています。

 

東日本大震災から5年・・・被災ママたち、それぞれの今                                                               「たくさんの大切なものを捨てて選んだのは、娘たちの命」

という記事で磯貝潤子さん(41歳、長女が中学3年生、次女が中学2年生)のお話を

読みました。

彼女は、福島で被災し、今は新潟の借り上げ住宅に二人の娘と避難しています。

夫は会社のある郡山と新潟の家を行き来するという二重生活です。

磯貝「初め、原発が水素爆発と言われてもちんぷんかんぷんで、一応、春休み中は窓を閉めて換気扇を止め、2人の子供たちは外に出さなかったけれど、事故当初、家近辺の線量は30μSvと発表されていたのが、4月の始業式の頃は3μSvに下がったので大丈夫なのかなと、歩いて学校に行かせてしまった。

……5月頃から娘が鼻血を出し始めたんです。それも大量で、1日に3~4回という日もあった。いろいろやってみても止まらない。そしたらね、かわいそうを通り越して頭にくるんですよ。『なんで出るの、止めて!』って。怒りの矛先がおかしいですよね。毎日ずっと悩んでいたから……もう、おかしくなっていた。」

学校でPTA副会長をしていたこともあり、放り出したら迷惑じゃないか、

家のローンも、娘のサッカーチームも、…と

不安でたまらないのに、事故が起きる前の生活を引き摺っていた彼女は、

1年後、ついに思い切って新潟の借り上げ住宅に娘二人と引っ越しました。

夫は、初め「テレビや新聞ではこんなに大丈夫だと言っているのに、

どうして潤ちゃんはそんなに心配するの?」と言っていたのが、

市民グループの情報メールを読むにつれて、共通意識を持つようになったそうです。

一年後の2012年5月、親子三人で甲状腺の検査に出かけました。

磯貝 1年間、自分ではちゃんと放射能対策をしていたつもりでした。でも結果は、3人ともたくさんのコロイドのう胞があったんです。私たちは“被ばく”したんだ、という事実を突きつけられたような気がして。「良性」と言われたけど、がん宣告されたようなショックでした。

磯貝 (誰もが)私と同じように、ある日突然、今の生活を奪われるかもしれない。私も震災前はおしゃれが大好きで、原発のことなんて考えたこともありませんでした。でも私たちが生きている足元はこんなにグラグラしている、と気づいてしまった。そうしたら沖縄や安保の問題にも黙っていられなくなってきて。周りにはちょっとヘンな目で見られるんですけど。

磯貝 私も今は、おしゃれしながら社会問題にも知識があって、ちゃんと自分の意見を言える、そういう女の人が本当にカッコいい、と思うようになりました。

磯貝 大事なものをたくさん捨てた。変えるしかなかったんです。悔しいですよ。でも以前の生活が忘れられなければ、ずっと苦しい。「みじめだ」「こうなったの誰のせい?」ではなく、私がこの生き方を選んだんだ、と決めて生きていくしかありません。

磯貝 それは命……やっぱり、私にとっては生死の問題だったから。娘たちが「死んじゃう!」と思ったんです。元気に生まれて、あんなに小さな指を一本一本数えたのに……。

―――写真・磯貝さんの言葉https://lee.hpplus.jp/kurashinohint/26730/3/より

どうして、ママたちが輝いているのか、分かる気がします。

命がだいじだということを、心底、無条件に知っているからでしょう。

自分が生み出した命を守るためにはどうしたらいいか、

一生懸命考え、行動しているからでしょう。

 

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「上関原発、中国電力の『恫喝』裁判、和解へ」No.1756

2016-09-23 22:13:58 | 反原発

9月20日、孫娘が生まれて喜んでいた日です。

亡き母の誕生日と同じ日だったので縁を感じ、特に嬉しかったのですが、

この日にはもう一つ、いいニュースが報じられました。

中国電力が、上関原発に反対していた人たちへの恫喝目的の裁判を起こし、

長年係争していましたが、それが和解したとのこと。

この手の裁判は「スラップ:SLAPP(Strategic Lawsuit Against Public Participation)」

と言われ、大企業などが個人の表現活動を抑圧する目的で起こす裁判です。

アメリカでは、憲法で保障された表現の自由を侵すものとして、

多くの州で「反スラップ法」が整備されているそうですが、

日本では、全く規制されていません。

3900万円もの高額賠償金を支払えと言われた4人の「被告」や家族には、

苦しく、辛い、6年8か月だったことでしょう。

下のニュースサイト「フクナワ」の記事中、写真がありますが、

一番若い青年は、昨年私が沖縄の「海と風の宿」で出会った

辺野古ブルー(カヌー隊)のお嬢さんのお兄さんに

違いありません。

その時、その19歳のお嬢さんはスラップ訴訟のパンフレットを100部以上持って、

お兄さんが農業をしながら、

地元の子どもたちに水辺の生態観察の指導をしていること、

突然、中国電力に訴えられて本当に困っていることを

私や宿泊客たちに一生懸命説明し、

「どうか上関原発スラップ訴訟被告に支援をお願いします」

と訴えていたのが昨日のことのようです。

大浦湾の浜辺のゴミ拾いも一緒にやって、すっかり我が子のように

親しみを持った娘さんでした。

和解とは3900万円を払わなくてもいいということです。

どれほどホッとしたことでしょう。

中国電力は許しがたいし、

スラップ訴訟規制の法律は急がれるところですが、

とりあえず、ヨカッタ!!!

 

ーーー「フクナワ~福井と沖縄、原発と基地のニュースサイト~」

原発抗議に3900万円賠償請求 中国電訴訟、長期裁判を経て和解http://fukunawa.com/fukui/17755.html?f=m

2016年9月20日 11:10

中国電力との訴訟の和解後、支援者から花束を受け取る橋本久男さん(左から2人目)ら=8月30日、山口地裁前

中国電力との訴訟の和解後、支援者から花束を受け取る橋本久男さん(左から2人目)ら=8月30日、山口地裁前
 

 中国電力(広島市)が山口県に計画する上関原発建設関連の工事を妨害されたとして、抗議活動をした4人に計約3900万円の賠償を求めた訴訟が8月30日、提訴から約6年8カ月を経て山口地裁で和解した。訴訟の行方は各地の原発反対運動関係者だけでなく、法律家らの注目も集めていた。裁判の目的が勝訴より、市民の表現活動を抑圧する「どう喝」ではないかとみられたためだ。

 大企業や公的機関がどう喝目的で個人を訴える裁判は、米国ではSLAPP(スラップ)と呼ばれる。個人が萎縮すれば「表現の自由」が脅かされるとして、多くの州が規制。日本では問題性が十分認知されず、この種の裁判が散見される。

 「本当に苦しく、長い闘いだった」。被告とされた4人は和解後、地裁近くで目を潤ませたり、声を詰まらせたりしながら振り返った。2009年11月、中国電側による海の埋め立て工事に対し、4人を含む反対派は漁船やシーカヤックから抗議の声を上げた。中国電は翌月、「航行妨害などで工事中止を余儀なくされた」と提訴。被告の1人で、予定地の対岸・祝島の原発反対派代表清水敏保さん(61)は「どう考えても支払えない金額。どうなるのだろうと思った」と話す。

 訴えられた経験がなく、何から始めればいいか分からない。弁護士は、費用はどうすれば。生活や仕事への影響は…。先の見えない不安を抱えて弁論に臨んだが、審理は一向に進まない。具体的な妨害がいつ、どこであったのか、争点すら不明確なまま期日を重ねた。

 4人の弁護団は「訴えた側が立証責任を尽くさない。長引かせて疲れさせる目的だろう。典型的なスラップだ」と中国電側を繰り返し批判した。

 被告で漁師・大工の橋本久男さん(64)は「子どものいない私はまだいいが、それぞれの家族に苦労をかけるのがつらかった」と語った。

 裁判所からの打診が契機となり、成立した主な和解内容は(1)4人は工事再開時、予定地立ち入りや作業船への妨害をせず、違反すれば罰金を支払う(2)中国電は賠償請求を放棄する(3)4人の表現行動は制約を受けない―。

 弁護団は「一円も支払わずに裁判から解放され、今後の抗議活動も制約されない。実質勝訴」と胸を張ったが、和解までにかかった期間は、民事裁判の平均約8カ月の10倍近い。弁護団の一人はこう述べた。「中国電も一定の目的を果たしたと言えるかもしれない」

―――記事引用ここまで 

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「娘はこのように子どもを産んだ(そうです)」No.1755

2016-09-21 23:51:18 | 人間

          

日本から離れたところで(どうやろな、うまく産めるかな)と

心配していました。

肝心な時に傍にいてあげられないのは不本意でしたが、

フェイスブックなどで連絡を取り合えるので超便利。

とは言っても、ここ最近宿舎はVPNはおろかインターネット接続もままならず

ハラハラしていたところ、昨日、夜八時ごろ何とか繋がり、

どれどれと見てみたら、あら、もう生まれているじゃないですか。

どんな風に出産したのかを綴った娘のレポート?を転載しますね。

「大爆発の破水」とはどういうものだったのか、

ただただ、想像するだけです。

それにしても、よくここまで顔全部で泣けるもんですね。

この子は女の子だそうです。

分からんわね。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーー

Baby girl born on the typhoon day
【こんなお産でした】


9月5日の産徴(?)から

1週間経ったし

10日経ったし...

季節外れのハイビスカス咲いたし

満月だし…と

いつ陣痛か破水かと待ち構えること約2週間

台風で学校や保育園がお休みになった

9月20日の午後


15時半

お腹痛いな~と思いつつ  


陣痛ならもっと痛いはずと思って茄子の煮浸しを作る。


16時半すぎ

やっぱり痛くて病院へ。                                              

内診の結果、子宮口全開してると言われてそのまま分娩室に移動。


17時

赤ちゃんまだ上の方にいてるからもうちょっとかかるかもと言われ陣痛を満喫。


18時ちょっと前

本格的に痛くなってきた。                                             

いきんだ時に、大爆発の破水があり私も助産婦さんもびっくり。


18時半ちょっと前                                                

上手なお産でした、と助産婦さんに褒められる。


冬→春にかけてツワリでゾンビ化した母の中で一生懸命成長し、                            

暑い夏も共に乗り越え、やっとやっと会えた。                                     

頑張って出てきてくれて嬉しい。


なにかと出血に見舞われた妊娠だったけど(産後も)、                                 

持ち前の体型を活かして安産でしたw


一緒に頑張った家族と、支えてくれた周りの方々に感謝です(^-^)/

ありがとう!

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「この世にまた一人、新人誕生」No.1754

2016-09-20 00:15:55 | 自分事情

      

 今日の夕方、日本時間の午後6時半頃に生まれたばかりのニューフェイスです。

我が娘がおなかの中で9か月間熟成し、満を持して産んだ子です。

こぶしに、人生の運を握って、とうとうこの世に出てきました。

どうか、強く生き抜いてね。

周りの大人たちがついているからね。

みんな、味方だからね。

 

 

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「人は不当な法律には従わない倫理的責任がある」No.1753

2016-09-19 00:46:09 | 人間
法律は常に正しいわけではありません。
 
政府の独裁は時に民(たみ)が人間として生きる権利を損ないます。
 
そうした事態に遭遇した場合、
 
民(たみ)は不服従を貫く倫理的な責任があるのです。
 
・・・・・・。
 
そうだよね!!
 
 
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「どうせ沖縄はどうなってもいいのよ。これがヤマトンチューの気持ちさ」No.1752

2016-09-17 21:21:50 | がんばろう沖縄

たった二回の審議で、

法の番人のはずの裁判所が地方公共団体の意思を全く考慮せず、

国の主張に追随した福岡高裁那覇支部の判決でした。

民主主義、地方自治は日本の基礎基本なはずなのに、

翁長さんを代表と選んだ沖縄県民の民意を全く無視した判決でした。

今の日本じゃ「正義」とか、意味のないゴミなのかよ!

あまりの理不尽さに全身がゾッとしましたが、

琉球朝日放送の映像では、落胆する様子も見せず、

「これからだ、長い闘いに入るさ」

と力強く語る沖縄県民の姿に、私も気持ちを引き締め直しました。

でも、那覇市内の道行く人へのインタビューの中で、

「どうせ沖縄なんかどうなってもいいのよ。

これがヤマトンチューの気持ちさ。

沖縄県民は140万人、日本全国は1億人以上。

沖縄県は1対99で、たった一人で闘っているのさ。」

と淡々と語る年配の男性の言葉が胸に響きました……。

 

 

沖縄の豊かな自然と人間の命をこれ以上めちゃくちゃにしてはなりません。

↓写真はMayumi Shiromaさんのフェイスブック記事からお借りしました。

 

↓ここからは同じくフェイスブックの成田正雄さん(海と風の宿オーナー)の記事からお借りしました。

 

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「二重国籍はズルいの?」No.1751

2016-09-15 00:54:22 | 日本事情

日本では蓮舫さんの国籍が日本と台湾の二重国籍ではないかと言われ、

産経新聞、夕刊フジなどは「深刻な問題が浮上している」と、

いかにも蓮舫さんが法律違反しているような論調で書いているんですね。

国籍についての法律なんか普段丁寧に調べて頭に叩き込んでいる人は、

そんなに多くないと思います。

産経新聞やらがワーワー攻撃的に騒いでいる見出しだけを見ては、

(蓮舫は、トンでもねえ野郎だ)と思うでしょう。

しかし、見出しが派手な割に、文内容を読み進めば、

法律違反をしているとはきっぱり言えていないことに気が付くと思います。

 

蓮舫さんは1967年、日本人のお母さんと台湾人のお父さんの間に生まれ、

生まれも育ちも日本であるにもかかわらず、17歳まで日本国籍を取得できませんでした。

当時の日本も台湾も、

父親の国籍で子どもの国籍を決める父系優先血統主義をとっていたためです。

当然、蓮舫さんはお父さんの国籍である台湾籍だったわけです。

しかし、1985年に日本の国籍法が改正され、

子どもは父母のどちらかの国籍が取得できるという父母両系主義になりました。

その時20歳未満の子たちは特別の届出をすれば日本国籍を取得できるようになり、

蓮舫さんはその届出をして日本国籍を取得したとのことです。

この「届出」というのは、「帰化」のケースが、

「外国人が日本に帰化する際は元の国籍を失わなければならない」

と定められているのと異なり、

その条件がありません。

そこを勘違いして、蓮舫さんは法律違反を犯していると信じてはならないのです。


蓮舫さんの国籍問題を見ていくと、

国による国籍法の違い、時代による法律の変化に加え、

日本が1972年に中華人民共和国を唯一の中国と承認したことも、

合わせて考えなければならないややこしさがあります。

台湾では、国籍を他国に変えたからと言って、

台湾国籍が失われるということはないのですが、

もし、失いたかったら(笑)、20歳以上は国籍喪失許可申請ができるそうです。

しかし、17歳だった蓮舫さんに、台湾国籍を失う申請はできませんでした。

方や、日本では経過措置により「元の国籍を失わなくてもよい」としているので、

もし、蓮舫さんが台湾籍をそのままにしていても、何の問題もないじゃないですか。

さらに、1972年から日本政府は中華人民共和国を正式承認しており、

従って、日本政府は中国の国籍法を公式に尊重しているわけですから、

その中国の国籍法の

「他国の国籍を取得すれば自動的に中国国籍を失う」という規定に従えば、

蓮舫さんはとっくに日本国籍オンリーなのです。

また、日本の法律では「国籍選択の義務」と、その義務に従わない場合、

国は「選択を催告する」とありますが、

実際に国が選択を催告した例は1985年以降、30年間ただの一つもないそうです。

これは、事実上の二重国籍承認ということになるでしょう。

 

国際結婚や国を超えての移動が頻繁になってきた今日の世界にあって、

二重国籍を採用している国は大変多くなってきているそうですが、

そりゃ当然のことですよね。

アメリカに帰化した

ノーベル物理学賞受賞の南部陽一郎さんの残念な例を挙げるまでもなく、

二重国籍を認めていれば国際的に人材が活用されやすくなります。

今、蓮舫さん叩きをしている産経の論調には、日本人純血主義がはっきり出ており、

世界の中の日本という視点が全く欠落しています。

日本維新の会が二重国籍禁止法案を提出することを検討しているという記事をみても、

こういう差別と排外主義の思想をはびこらせては日本は滅びると思う次第です。

 


 

 

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「ついに神さんが動いた」No.1750

2016-09-14 02:06:48 | 教育

新学期が始まり、早くも3週間目になってしまいました。

ああ、こうやって人生は過ぎていくのね。

いつも、(取りあえず今日中にこれやらんと…)で生きています。

昨日は、外国人教師の初顔合わせパーティーが夕方からあったようです。

しかし、連絡は当日午後3時頃。

オフィスのMr.張から携帯に

「夕方6時半から新しいアメリカ人教師を入れてパーティーをします。」

とメッセージがあったのを確認したのが、午後10時過ぎときたもんだ。

昨日に限って携帯をベッドの枕元に置いて充電したまま出かけたんでした。

授業が終わったのは昼でしたが、その後は昨日のブログに書いた通り、

4時間ぐらいかけて奔走したのに、日本にDVDを送ることができず、

そのまま研究室に戻って、4時半から2人の学生の補習をし、

終わってフラフラ家路についたのが夜7時。

何にもするまいと心に決めて、食パンにキャベツとチーズときゅうりを挟んで食べ、

シャワーした後、直ちに寝ました。

2時間ほどで元気を回復し、携帯を見たら、

(あら?今日言って今日するわけ?)の連絡が入っていたというわけです。

でも、Mr.張の態度がずいぶん変わってきましたよ。

と言うのは、私が事情説明のメールを送ったら、

「気にしないで。僕も今度からもっとはやく連絡すべきだ。」

と、今だかつてない返事が来たのですからね。

以前いた日本人の先生方が聞いたらひっくり返りそうな言葉です。

 

2名の学生の補習はワタシとしてはちょっと嬉しいものでした。

と言うのは、一人は経営学部から転部してきた2年生の徐さんですが、

もう一人は、入学以来の二年間、ほとんど授業に出もせず、

ゲームをやったり、ダンスをしたりして人生を謳歌してきたわりに

暗い表情の3年生の神さん(「かみさん」じゃなくて「しんさん」)なんですよ。

「先生、一年生の勉強から教えてください。

日本語能力試験2級に受かりたいんです」

と言って転部生の徐さんと一緒に補習に先週から参加し、

「あいうえお」から勉強を始めているのです。

昨日、二人と通訳の韋彤さんが立ち去った後で、同室していた同僚の中国人の先生が

「あの男子学生も他学部からの移籍ですか。」

と聞くので、私が頬をひくひくさせながら、

「いや、あの、3年の神さんですよ。」

と言うと、

「ああ、あの子が神さんですか。名前はよく知っているけど、

授業に出てこないので初めて顔を見ました。」

と。本当にすごい転換なんですね。

さあ、これからどれくらい続くか。取りあえず、来週来るかな。

来たらいいな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

軍事訓練は今日も続いています。

クラスごとにマスゲームみたいなことをやっているだけですが、

歩き方がだんだん一糸乱れぬ風になってきました。

 

 

 

 

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「びっくり」No.1749

2016-09-13 01:01:04 | 中国事情

今日、と言うかもう日にちは変わってしまいましたが、

郵便局から日本にDVDを送ろうとして、正午に授業を終え、

2年の韋彤さんと一緒に最寄りの郵便局分局に急ぎました。

日曜日の夕方編集し終えたばかりの2年生のビデオレター「日本の皆さんへ」ですが、

中国人の先生にキャンパス西門傍の分局から国際EMSで送れると聞いたのです。

 

行ってみると、看板に〈12時~午後2時:昼休み〉と表示されていました。

仕方なく時間をつぶすために、近くの食堂で昼ご飯を食べることにしました。

それでも時間が余ったので、おいしいパン屋さんを探して食パンを買ったり、

wifiの使える喫茶店で大カップのスイカジュースを飲んだりして2時まで過ごし、

行ってみるとまだシャッターが閉まっています。

「トイレに行っています」と張り紙があり(12時に来た時も貼ってあった)、

そこに書いてあった電話番号に韋彤さんが電話すると、

すぐ女性がバイクで来てくれました。

実は昼休みに限らず、常時「トイレに行っています」状態で、

電話があると駆けつけてくるようにしているとのことでした。

ここまででも十分時間を食ったのですが、

その分局の人は、国際便を扱っているわけではない、

台湾だけだと言うのです。

仕方がないので、すぐに近くのバス停からバスに乗って本局に向かいました。

20分ほど乗り、10分歩いたところで本局に着き、

(やれやれ、ようやく送れるわ)と壊れないように丁寧に包装したDVDを出すと、

驚きの返事が返ってきました。

「残念ながらDVD、CDは送ることができません。」

と言うのです。

韋彤さんが聞いてくれた理由というのがこれまた驚きで、

①民族の分裂を画策する情報交換を避けるため。

②麻薬、毒などを運送する情報交換を避けるため。

というのです。

主に①の理由です。

中国国内は自由かというと、やはり管轄トップの証明書が必要だそうです。

窓口の人は気の毒そうな表情でした。

今時、DVDやCD規制だけで悪しき情報が取り締まれるはずもないのに、

これは人民に対する嫌がらせのような仕打ちだと私は感じます。


1つは日本の知床の姪に送る予定だったので、メールでその旨伝えると、

「すごいね、中国」と返事がありました。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

果物は変わらずおいしいです。棗(なつめ)の季節になりました。

 

 

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「ある親日派学生の作文」No.1748

2016-09-11 23:45:24 | 中国事情

日本語学科の学生たちの多くは親日、あるいは知日派に属する人たちです。

そのほとんどは親日・知日派だから日本語学科に入ったのではなく、

日本語学科で学ぶうちに知日派、親日派になっていくのです。

しかし、時に独自に日本の何かが好きになって日本語が学びたくなり、

日本語を専攻するという学生もいます。

2年生の韋彤さんもその一人です。

先週、2年生のクラスでは

日本の人たちに交流を呼びかけるビデオレターの作成に取り掛かり、

グループに分かれてキャンパス内外の様子を撮影したり、

先生方や先輩にインタビューをしたり、

とても熱心に活動しました。

昨夜、韋彤さんは寮の部屋で一生懸命その編集に当たっていたところ、

同室の他学部の学生が、

「へえ、君の日本人の先生は日本からのスパイじゃないのか。」

とからかったのだそうです(まだ時々こういう愛国学生がいるみたいです)。

その時、韋彤さんは殴りたい気持ちだけはかろうじて押さえ、

おもいっきり怒鳴りつけたそうです。

「『愛国者』は、何も知らないからそんなことを言うのです。」

と、今日、韋彤さんはいつもの超穏やかな語り口で話しました。

同じことは、日本でも言えますよね。

知らないくせに、知らないからこそ、平気で悪く言うのです。

 

ところで、その韋彤さんはどうして日本のことが好きになったのかと言うと、

やはりインターネットです。

そして、初音ミクちゃんです(笑)。

中国人の日本語作文コンクール「訪日中国人が爆買い以外にできること」の応募作として、

韋彤さんが書いた作文があります。

今回、菏澤学院では4年生の二人が見事入選を果たしましたが、

1年生でトライした彼の文もたいへん面白いものでした。

内容が微妙にテーマからずれているので入選は逃しましたが、

私は読者を引き付ける力のある優れた作品だと思い、ご紹介します。

 

ーーー韋彤 「わたしの『爆買い』体験」ーーー

(え、それ私のことですか)。

「訪日中国人が『爆買い』以外にできること」という作文テーマを見た時、

思わずギクッとしました。

実は、訪日こそしていませんが、私も「爆買い」の一員です。

私の場合、日本の歌姫「初音ミク」だけに限ったものですが……。

 

中学の時、父がパソコンを買ってくれて、

私はインターネットで日本のアニメを見るようになりました。

ある日、ネットで偶然に見た水色のツインテールの髪の少女の画像に吸い込まれました。

(か、かわいい!)。

彼女の名前は「初音ミク」。

日本でとても人気のある映像上の歌姫です。

私は初音ミクのミュージックビデオを見た時、

画面の中で歌い、踊る彼女に恋をしてしまいました。

それからは、聞き飽きた中国語の歌を全部捨てて、初音ミクばかり聞いています。

友達に「売国奴」と呼ばれても、家族に「そんなもの見るな!」と言われても、

私は初音ミクのことが好きです。

そして、今は初音ミクの国、日本が好きです。

しかし、こんな気持ちになるまでには何年もの年月が必要でした。

 

小学校に入る前、朝から晩まで外で遊ぶ私に、祖母はいつも

「外は狼がいるよ!」

と言って怖がらせました。もっと効果的な言葉は、

「外へ遊びに行ったら、『日本鬼子』がお前を殺しに来るよ!」

というものです。これが初めて「日本」という言葉を聞いた時です。

 

「日本鬼子」というのはどんな化け物だろう。

その問題を抱えて、私は小学校に入りました。

ある日、先生は授業で南京大虐殺の写真を見せてくれました。

それを見た時、私は心臓がドキドキして、自分が殺されているような気がしました。

 

 しかし、転機は中学校の時に訪れました。

父が買ってくれたパソコンは、アニメの他に、現代日本の素敵な一面をも見せてくれました。

初音ミクとの運命の出会いもこの頃です。

中学の歴史の授業で抗日について勉強した時、

教科書に一人の日本軍人が彼の家族と一緒に幸せそうに過ごしている写真がありました。

初めて見た日本軍人の優しい父親の顔。

(「日本鬼子」も人間だったんだ)と思いました。

 

高校に入った後、道徳の授業で先生が、            

「日本は世界で最も礼儀を重んじる国です。」              

と言った時、クラスはシーンと静まりました。

私は既に、日本のアニメや映画をたくさん見て、自然にそう思っていました。

だから、私の沈黙は肯定の沈黙です。

もちろん、沈黙の肯定者はきっと私だけではなかったでしょう。

 

 高校時代、私は自分で日本語を勉強し始めました。

初音ミクの歌声のおかげで、五十音をうまく覚えました。

同時に歌詞で語彙も増やしました。

中学校の時、意味も分からず聞いていた歌の意味を、

六年後に初めて理解できるようになったときは、本当に嬉しかったです。

歌のメロディーと初音ミクの歌声が一つになって理解できるようになったのは、

何か不思議な感じでした。

 

それからが私の「爆買い」時代の始まりです。

自分の小遣いを全部投じて、ミクのCDやゲームを買っています。

しかし、ゲーム主機は台湾製のです。

いつか、ぜひ日本製を買いたいと思います。日本製こそ本物なのです。

去年、初音ミクが中国の上海でコンサートを開きました。

残念ながら私は行けませんでした。

コンサートのチケットは発売後、数秒で売り切れたそうです。

彼女は中国でも大変人気のあるアイドルなんです。

今、私はまだ中国で日本語を勉強していますが、

初音ミクを産んだ日本、特にミクの故郷の札幌には、将来必ず訪れるつもりです。

 

元々、私の「爆買い」は、初音ミクと心の交流をすることが目的でした。

初音ミクやアニメの主人公たちは現実に存在する生の人間ではなくても、

日本から派遣された平和の使者だと言えます。

私をはじめ、日本を怖がり憎む子どもたちの心の窓を開けてくれたのですから。

初音ミクグッズの「爆買い」は、日用品の「爆買い」と違って、

中日両国民が仲良くなるきっかけになる素敵な買い物ではないでしょうか。

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「『教師の日』をめぐって」No.1747

2016-09-10 23:50:59 | 人間

昨夜、部屋に届いたたくさんの薔薇の花束。

いつもは殺風景この上ない部屋をゴージャスに引き立ててくれています。

上海の江西財経大卒業生、余立君さんからメッセージが添えられていました。

 

こう書くといかにも受け取りがスムーズに行ったように聞こえるでしょう。

しかし、中国語がほとんどわからない人間にとって、突然花屋さんから電話があってもね~。

電話があったのは夕方六時過ぎ、

研究室で「部屋のブロードバンド接続ができない」とブログに愚痴を書いていたときでした。

中国語で電話があったときはいつも「我听不懂漢語(中国語わかりませ~ん)」と言って、

英語か日本語で話してもらうように言うのですが、

その時花屋さんはどうも、

「いつ帰ってくるか」「入り口が閉まっている」「今、あなたは学校にいるのか」

と言っているようなのです。

頑なに「分からん、分からん」と主張して生きてきましたが、

いつの間にかちょっぴり聞こえるようになってきたんですねえ(オドロキ)。

「我回家下午七点钟(7時に帰ります)」

と言うと「好、好」ということで、なんと会話が中国語で成立したんですよ。

こう書くと、(なんだ、中国生活6年目でそんなにも中国語ができなかったのか!)

と驚愕されるでしょう。

はい、できないんでございます。

て言うか、日本語教師をまじめにしていると、

学生とはほとんど日本語ばかり、

オフィスの職員の方々とはもっぱら英語で意思疎通を図るので

大学では中国語を使わなくても生きていけるんです。

あとはスーパーで「これいくら?」「半分ください」「油はどこ?」レベル、

水屋さんへの電話も決まり文句の

「水配達してください。菏澤学院家族棟9号の日本人の家です。

午前中が都合好いんだけど」

で分かってもらえます。

 

しかし、昨夜の花屋さんは粘り強くずっと中国語で、

分からない人には大声で言えば分かるとでも思っているかのような音量で何回も言うので、

分からず屋の私もついに、ちょびっと分かってしまったという感じです。

(でも、その時点で花の配達だとは理解できませんでした。

何回も言ってくれたんでしょうけどね)。

そして、7時過ぎ、部屋に薔薇を持ってきてくれた花屋さんは、

上海の余立君さんから微信で送られた日本語メッセージを、

カードに自分で書き写して花に添えてくれていました。

きっと、生まれて初めて書いた日本語でしょう。

美しいピンクの花束に添えられたこのカードの文字で、

私の感激は倍増しました。

夜、8時過ぎに上海から余立君さんが電話してきて、

「実は、花屋さんは中国語しか話さないので、受け取りがうまくいくか心配していたんです」

と、今頃言うじゃないですか・・・・・・。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

部屋のブロードバンド接続は割と早く復旧しました。

建物内全ての部屋が同じ状況だったとのことで文句が押し寄せた可能性大です。

欧米系教師たちは私と違って、歯に衣を着せませんから。

 

 

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「宿舎でインターネットが使えない(涙)」No.1746

2016-09-09 18:57:10 | 中国事情

昨日から宿舎でインターネットにアクセスできなくなり、困っています。

宿舎はブロードバンド接続なのですが(ああ、オールドファッション)、

接続しようとすると「モデムがエラーを送ってくる」

と表示されます。先日から近隣でずっと工事が続いているので

ケーブルが切断されたとかいろいろ想像しているのですが、

これもMr.張に頼るしかありません。

 

今どうしてこれを書いているのかというと、キャリーバッグにノートパソコンを入れて、

wifiが使える日本語学科の研究室までズルズル運んできたのです。

10分間ぐらいどうってことないと思われるでしょうか。

普段、使いたいときにいつでもネットを利用できる環境に慣れている人なら、

この状態が非常に不便であることに気が付いてくださるでしょう。

だいたい私がブログを書こうかなと思うのは夜、仕事が終わってからが多いのです。

夜中の12時過ぎになることもよくあります。

そんな真夜中に、ズルズルキャリーバッグで研究室まで来たくありません。

はやくこの状態を脱することができればいいのですが……。

 

今週は2年生が日本の知床ウトロ学校と、高知県に送るビデオレターを作りました。

と言っても、今晩から編集作業に取り掛かるので、

出来上がるのは来週早々でしょう。

自己紹介の動画を撮影し(もちろん日本語です)、

キャンパス内外を映しに出かける学生たちの楽しそうな姿を見ると、

両国の政治外交に多くの課題があっても、

学生たちの日本の人々と交流したい気持ちには影響がないのが確信できます。

一人ひとりの自己紹介の最後に、クラス全員で、

「仲良くしましょうね~~!」

と叫ぶ声を聞くと、それだけでジーンとなりましたよ。

どうしたらその動画をブログで紹介できるか、

YOU TUBEとか中国で使えるとは思えないので、学生に聞いてみようと思います。

うまくいったらお見せすることができるでしょう。

あまり期待しないでお待ちくださいね。

 

 

 

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「先生、母が泣きました」No.1745

2016-09-07 09:48:28 | 教育

 昨夜、新三年のてい秋燕さんからメールがありました。

 

今までの私の経験では、

受け持つ学年は常に一年から四年まで網羅し、科目は多岐にわたっていました。

今学期は大学側のいくつかの理由で、二年生に科目が集中しており、

他学年の授業では三年が一科目「日本文学史」だけ、

四年生に至っては皆無です。

相手がころころ変わると、その相手の状況に合わせて授業を考えるので(一応^_^;)、

その必要が少ないほど気持ちが楽ちんです。

二年との絆が強まるのもとても嬉しいことです。

でも、その分三年や四年との交流が少なくなるのが、ちょっとね。

さらに今年、日本語学科に新一年はいません。

募集しなかったからです。

今後は隔年募集とする方針に変わったそうです。

日本語学科が弱体化するのは目に見えていますが、大学の判断ですから

私がどうこう言えるものではありません。

 

そんな中、新三年生のてい秋燕さんから「晩御飯を一緒に食べませんか」と

メールが入りました。

先学期末の会話試験は「自分の家族」をテーマにした3分~5分のスピーチでした。

せっかくなので、クラス全員に家に帰ったら、家族の前でもう一度、

今度は日本語と中国語でスピーチするよう夏休みの宿題に出しました。

秋燕さんはお母さんを前にしてスピーチしたそうです。

それを聞いて、お母さんが感激して泣いてくれたとメールにありました。

期末試験のとき、傍で聞いていた私にとって内容はそう特別でもなかったのです。

でも、生まれてからずっと、必死に守り育ててきた子どもの一言一言は、

その子のお母さんにとってどれほど重みがあるか何度確認してもいいことだと思います。

そして、その逆に親の一言ひとことも、子どもを生かしたり殺したりすると

思わずにはいられません。

数日前に、「黒子のバスケ」事件の被告の陳述を読んでいたので

特にそう感じるのかもしれません。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

その陳述書もとても考えさせられました。

さて、

下はパソコンに残っていた秋燕さんのスピーチ原稿です。

 

             「私の母」

                           てい 秋燕

皆さん、今日の私のスピーチのテーマは「私の母」です。

母さんは子どもの人生の中で最初の先生だといわれます。

私の母はとてもいい母だと思います。

(私は母にとって、自分の命より重要なものなんだ)と思う事件がありました。

高校の時のある日、母が、寮にいる私に電話をかけてきました。

母は、

「お父さんの同僚の娘さんがバスの停留所で失踪しちゃったんだよ!」

と言いました。

母の話し方は緊迫した様子でした。

「今度家に帰るときは、私が迎えに行くから。」

と、いくら私が大丈夫だと言っても聞きません。

私のことをそこまで心配してくれているんだと思うと、胸が熱くなりました。

実は、どの母親にとっても子どもは宝物なのかもしれません。

私の母はずっと、私の勉強に対して、ものすごく厳しい人でした。

小さい時、もし、私が試験に合格できなかったら、とても厳しく叱られました。

母の真意が理解できなかった私は、長い間母が嫌いでした。

今、私は大学生になっていますから、もう母のしたことが理解できます。

子どものために、母は本当に苦労してきました。

私は母を愛しています。

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