毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

米軍の少女誘拐・暴行を沖縄県に隠す日本政府

2024-06-28 22:37:56 | 人権

「言葉にならない、怒り心頭だ」28日県庁での玉城知事(沖縄タイムスより)

 

沖縄基地所属のアメリカ軍兵士が16歳にもなっていない女の子を誘拐・レイプしたのは昨年12月14日。

女の子の家族の通報で逮捕され、3月には起訴されて

現在、身柄は日本の警察ではなく米軍基地内に確保されている。

日本政府はこの経過を全て知っている。

しかし、沖縄県がこの事実を知らされたのはなんと、

起訴から3カ月後の6月25日だと。

「3ヶ月 何をしていた 外務省」

翌26日、那覇市の外務省沖縄事務所前の路上では

上記の抗議の自筆紙を掲げる女性がいた。

本当にそうだ。

これは日米地位協定以前の問題で、

日本政府は沖縄県議会選挙に不利な情報を隠したのだ。

本当に、卑怯な政府を私たちは持っている。

いくら選挙に影響したとしても、これは伝えなければならない社会的案件だ。

情けなさすぎ……。

 

一方、米軍と言えばいつもの通り「遺憾に思う」の一言で終わり。

「遺憾」には「残念・気の毒」の意味はあるが「謝罪」の意味はない。

この米軍兵士の犯罪は、

もしアメリカ国内で同じことをしたらがっつり禁固刑だが、

沖縄からアメリカに帰ってしまえば裁かれず、

伸び伸びと市民生活をエンジョイできる。

それを表す米軍兵士たちの言葉が「ヒット エンド ラン」だという。

戦後約80年間、

このあまりにも悔しい屈辱の中で生きることを強いられてきたのが沖縄だ。

 

戦後、地方自治体と政府は対等な関係を積み重ねてきたが

今国会で地方自治法改正案が自民・公明・維新・国民民主の賛成で決まってしまった。

緊急時において地方自治体は国の指示に無条件に従わなければならない、即ち

中央政府と地方自治体は「指示⇔服従」関係にあるという内容だ。

また、日本の民主主義が一つ潰れた。

今の日本政府は、

国民や自治体には上から目線で有無を言わさず、

アメリカにはひたすら属国として

宗主国に仕える永続敗戦国の立ち位置にしがみ付いている。

こんな従属国運営をする政府ではなく、

アメリカや中国、ロシアなどと対等な関係を形成できる政府を

はぐくみ育てるのは、日本国民の義務であると私は思う。

もし、日本を本当に独立国にしたいと願うなら。

私は、願ってやまない。

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつまでも戦争と平和の最前線ー沖縄

2024-06-23 20:52:56 | 反戦平和

ここ数日間、ネットで沖縄関連の記事が多くみられる。

6月23日、慰霊の日があるためだ。

メモリアルデイの時だけワーワー言うのは偽善だと若い頃の私は思っていた。

しかし、メモリアルデイにすら話題にならず、

完全に忘れられるよりはずっといいと今は思う。

「弱い人間は記憶の力によって、忘却しないことによって、権力と闘うしかない」

大江健三郎さんがミラン・クンデラの言葉を引用して私たちに示した権力との闘い方を

噛みしめる今日この頃。

You Tubeニュースチャンネルの一つ、アークタイムズ(Arc Times)が

山城博治さんへのインタビューをしていたのが心に強く残った。

辺野古の座り込み闘争は無意味だと言っていたヒロユキ氏が、最近辺野古に来たが

その時間帯は座り込みをしていなかったので

「なんだ、座り込みしてないじゃないか。闘争〇〇日の看板、ゼロ日にすべきじゃないの」

とか言って帰ったらしい。それに対して博治さんはこう言う。

「10年間毎日朝から晩まで機動隊に殴られ、逮捕されてもやっていたら反対派も機動隊も、両方身が持たない。今は朝・正午・お昼の一日3回をルーティン化して、工事の進行を確実に遅くしている。これは大衆運動として成功しつつある大切な成果だ」

実際、私が参加した時も、土砂を積んだダンプが無制限に基地に入るのを止めるために、

身体を張ってダンプの前をゆっくり横切ったり、運転手に話しかけたりしてやっていた。

ドライバーと天気や世間話をしたりして一見和やかにさえ見えた。

雨風を凌ぐテントも何度も夜の襲撃で壊されたが、またすぐに作り直してきた。

そうやって、何年も反基地闘争をやってきた。

辺野古新基地建設工事はいつ完成できるか誰も言わない。

分からないから言えないのだ。

万が一完成したとしても、

サイズ的に中途半端でオスプレイの発着ぐらいしかできないことも分かっている。

それなのに工事を止めない。無駄を途中で止められないおバカな政権。

(維新の大阪万博もそうだけど)。

 

沖縄県議会議員選挙の結果、

玉城デ二―知事への批判勢力が過半数を得たことについて聞かれた山城さんは、

「全国で自民批判の声が増しているときに沖縄がこんな結果になって忸怩たる思いだ」と言いつつ、

「今回自民党系候補者たちは辺野古基地建設について完全に沈黙して争点としなかった。デニー知事が信任を失ったと言う人もいるが、デニーさんが掲げる辺野古新基地建設反対の立場が審判を受けたのではない。今も沖縄県民の7割は辺野古基地建設に反対だ。闘いは続く」と。

忸怩たる思いは本土の私たちの方だ。

独立国である琉球王国を侵略し日本のものにしてしまった1872年の「琉球処分」からこっち、

日本人化を強いながら琉球人を差別し、結婚差別はもとより、

戦前期は「琉球・朝鮮お断り」と、住居を借りるにも差別があって、

日本社会において琉球人たちは改姓し身元を隠して生きてこざるを得なかった。

1903年大阪の、内国勧業博覧会の「学術人類館」(見世物小屋)で

朝鮮人、ジャワ人などとともに琉球女性を見世物にした人類館事件は差別の象徴だ。

日本という国が琉球をはじめ、同じアジアの国々を「遅れた国」としてここまで傲慢に蔑視していた事実、

これこそ忸怩たる思いだ。

さらに戦後は昭和天皇が「本土の代わりに沖縄を自由に使ってください」と米軍に差し出して以来、

1972年の沖縄「返還」を経てもなお、

アメリカ軍人は沖縄中を闊歩し、ビールを飲みながら車を走らせ、女性や子供をレイプしている。

挙句に南西諸島のミサイル基地化で、住民は戦闘になったら他所に避難しなさいよ、あぶないから、と

ふざけたことを言う。

どこまで沖縄を本土の犠牲にしたら気が済むのか、

恥ずかしさと申し訳なさで地中深く潜ってしまいたいほどだ。

 

さて、アークタイムズ尾形編集長・望月記者の山城博治さんへの質問は

本島では、石垣島、宮古島などで進む自衛隊・米軍のミサイル基地化をどうとらえているかへと続く。

山城さんの答えは、沖縄の人々について考えさせられるものだった。

「沖縄本島の人間は、人口の少ない島嶼のことを自分の事として切実に考えるに至っていない」

本土のヤマトンチューは沖縄に対して、

(沖縄さえ犠牲になれば日本は安泰だ。ごめんね沖縄、がんばってね~)と思う人が多い。

それと重なる感覚を本島の人々が島嶼に対して持っているのも仕方のないことだ。

沖縄人だって神様ではない。

自分の身に差し迫ってきたとき初めて真剣に考える人が多いのは

世界中どこでもそうなんだから。

 

動画を貼り付けることができなかったので、ぜひYou Tubeで下のArc Times動画を見てください。

  ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

沖縄・辺野古からライブ【山城博治・辺野古、反対運動まもなく10年、沖縄の民意とメディア】6/21(金) 17:50~

 

【付録】6/23平和の詩「これから」(沖縄県立宮古高校3年仲間友佑さん)

  ★最近、「命の繋がり」をよく思います。この詩でもまた……(ブルーはーと)

短い命を知ってか知らずか 

蝉が懸命に鳴いている

冬を知らない叫びの中で 

ぼくはまた 天を仰いだ

 

あの日から79年の月日が流れたという

今年18になった僕の祖父母も戦後生まれだ

それだけの時が流れたというのに

あの日短い命を知るはずもなく 

少年少女たちは 

誰かが始めた争いで 多くの未来とともに散っていった

大切な人は突然

誰かが始めた争いで 夏の初めに居なくなった

泣く我が子を殺すしかなかった

一家で死ぬしかなかった

誰かが始めた争いで 常緑の島は色をなくした

誰のための 誰の戦争なのだろう

「会いたい!」「帰りたい!」「話したい!」「笑いたい!」

そういくら繰り返そうと

誰かが始めた戦争が そのすべてを奪い去る

心に落ちた暗い暗い闇は あの戦争の副作用だ

かすかな光さえも届かぬような

絶望すらもないような

怒りも嘆きもなくしてしまいそうな

深い深い奥底で懸命に生きてくれた人々が

今日を作った

今日をつなぎとめた

両親の命も 僕の命も 友の命も 大切な君の命も すべて

心に落ちたあの戦争の副作用は

人々の口を堅く閉ざした

まるで戦争は悪いことだと言ってはいけないのだと口止めするように

思い出したくもないほどのあの惨劇が そうさせた

 

ぼくは再び天を仰いだ

抜けるような青空を 飛行機が横切る

ぼくにとってあれは恐れおののくものではない

ぼくらは雨のように打ち付ける爆弾の怖さも

戦争のせの字も知らない

けれど常緑の平和を知っている

あの日も海は青く 同じように太陽が照り付けていた

そういう普遍の中に ただ平和がかけることの怖さを

ぼくたちは知っている

ひとは過ちを繰り返すから

ときは無情にも流れていくから

今日まで人々は恒久の平和を祈り続けた

小さな島で起きた あまりに大きすぎる悲しみを

手をつなぐように 受け継いできた

 

それでも世界は まだ、繰り返している!

79年の祈りでも まだ、足りないと言うのなら

それでも変わらないと言うのなら

もっと、もっと、これからも、

僕らが祈りをつなぎ続けよう

限りない平和のために

ぼくら自身のために紡ぐ平和がいつか

世界のためになる

 

そう信じて今年もこの6月23日を 平和のために 生きている

その素晴らしさを噛みしめながら

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

21世紀初めの大江健三郎の言葉

2024-06-18 00:38:08 | 民主主義について

息子さんと大江健三郎さん

 

大江健三郎氏が、2001年に日本大学で行った講演

「フォーラム21世紀の英知と創造力」の動画を観る機会があったが、

冒頭部分で立ち往生してしまった。

あまりに現在の世界を言い当てているのですくみ上がったのだ。

 

2001年、21世紀の初めの年に大江健三郎氏はこう語り始める。

「このフォーラムの原稿を準備しています間に、ニューヨークとワシントンで同時テロが起こりました。まず私は資料を整理して仕事をしておりましたが、その資料に『21世紀の英知と創造力』という文字があって、それを見ているうちに、正直に言いますと、頭の後ろの方で不潔な笑い声が聞こえるような気がしたものであります。

21世紀の始まりに私たちの、と言いますより、もうあまり時間のない自分のことよりも、まだ若い人たちや、これから生まれてくる人たちの運命の、暗い方の側面がまず示されたという思いがいたしました。英知の代わりに愚かしさが、あるいは邪悪な知恵というものが、創造力ではなくて破壊力、暴力が21世紀の最初の3分の1を満たすことになるのかも知れないと思いました。(後略)」

不潔な笑い声が聞こえ、

英知の代わりに愚かしさ、邪悪な知恵、

創造力でなく破壊力、暴力が21世紀の3分の1を満たす・・・

途方にくれるほど100%今の世界だ。

この後、大江氏はパレスチナ生まれの知識人エドワード・W・サイードと

アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーの両氏を紹介し、

文学と科学の英知と創造力について、

さらにその英知と創造力を育む核となる教育についても話を展開していく。

印象に残ったのは、当時66才の大江氏の

優しく、謙虚な言葉と熱意をもって聴衆に語るその表現ぶりと声だ。

民主主義の何たるか、どうしたら世界は再生するかを

死ぬまで繰り返し、繰り返し、根気よくみんなに語り続けた人だった。

こんな人と同じ時代に重なって生きられたのは何とラッキーなことだろう。

10年以上前、たった一度だけだが、生大江さんの話を

兵庫県伊丹市の「さようなら原発」集会で聴衆の一人として聞いた。

人間はみんな、必ず亡くなるが、

何人もの忘れられない人がいる。

大江さんもその一人だ。

ノーベル賞文学賞 大江健三郎 基調講演 Nihon University

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書会「玄冬会」

2024-06-14 22:24:51 | 街角

木漏れ日 同じ輝きは二度とない

 

2020年1月初頭、冬休みの一時帰国のつもりで中国山東省の大学から日本に戻ったのですが

コロナパンデミックによって移動できなくなりました。

仕事は6月までオンライン授業を続け、その後辞めました。

ほぼ同時期に息子の店を背負って立たざるを得ない事態になったためでもあります。

慣れない店の厨房に朝から晩まで12時間張り付く毎日が一年半以上続きました。

喜界島の俊寛さんよりはマシだと自分に言い聞かせていても、

今振り返れば、心身共に相当疲弊していたようです。

 

息子の体調が回復し始めた2021年の12月から息子の店で読書会を始めました。

この会は私にとって精神的な希望の光でした。

呼びかけに応じてくれたのは退職教員やブティックの元オーナーなど

私の大切な友人女性たちでした。

テーマは初回の〈『苦海浄土』を読む〉に始まり、

〈百人一首・お気に入りの一首紹介〉、

〈石母田正『物語による日本の歴史』を読む〉

〈『平家物語』〉〈『源氏物語』〉〈『樋口一葉』〉〈鴎外・漱石〉

〈お気に入りの詩・歌・絵本の紹介〉などなど

風の向くまま気の向くままに課題を決めてひと月かふた月に一度集っています。

高校生(いや、中学生?)レベルの内容かも知れませんが、

何十年もあくせく働いてばかりで

じっくり本を読む時間を取れず生きてきた私たちには、

そんなお気楽な内容の会でも十分楽しいもので、今でも続いています。

 

その会「玄冬会」の大切な友人の一人がこの6月9日に逝きました。

先月、総勢7名が病で遠出できなくなった彼女の家に集まり、

〈森崎和江の人・作品〉をテーマにいつものように各自各様の発表とお喋りをしたのです。

それが彼女に会う最後になるなどと露ほども疑わず…。

 

彼女は普段の会で、一つの方向に固執しがちな私の視点に、いつも

もう一つの見方を提示してくれる貴重なアドバイザーでもありました。

もちろん、彼女自身も一つに拘る場面もあって、

それに対して別の角度の観方を提示し考えを交歓するのは討論の妙なる面白味でした。

先月の例会で彼女は、

「売春婦という言葉は使われるが買春夫はない。買わなければ売ることもないのに。

自分の夫や息子が買春夫になっていないか考えてみるべき」と自分の視点を表明し、

「日本では余りに性をタブー視して暗い陰惨なものにしている。

幼い頃から男女の付き合い方を大人も子どもも、男性も女性も学んでいく必要がある」

とレポートを結んでいます。

LGBTQまで視野を広げていないにしても、

命が尽きる一か月前まで彼女は、社会正義を貫くために

可能な限り客観的・多面的に物事を見るという立場を堅持していました。

レポートは本を何冊も図書館から借りて読み、思索した内容でした。

この会の一週間後、彼女はホスピス医療を施す病院に入院しました。

 

最期まで、カッコいい女(ひと)でした。

私は私の最期まで、きっとあなたを忘れないでしょう。

Rest in peace...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸行無常、だから大丈夫

2024-06-05 09:32:38 | 裏庭

命の移ろいを儚く感じるとともに、いや、だから大丈夫だと思う。

鴨長明さんが千年も前に喝破した"行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず"

人も朝に生まれ、夕刻に死に、家も、街並みも、一つとして変わらないものはない。

しかし、この命は連綿と次の命に繋がっている。

変わっていくものの向こうに変わらないものがある。

だから、大丈夫だと思う。

 

草木を見るとすうっと邪気が収まり、

淡々と明日の夜明けを待とうという気になる。ブランニュー・デイを。

 

⤵昨秋、川の傍に咲いていたホシアサガオ

枯れた後の種を持ち帰って、春に裏庭の北の端にパラパラ蒔いたら

たくさん発芽した。

6月に入り、つるが出てきたので支柱を立て、成長を待っている。

川の傍で可憐に咲いていたあの花をこの庭で見ることができるだろうか。

季節とは無関係にあくせく生きてきた私だが、

ここにきて秋を待つ気持ちが膨らんできた。

 

昨年10月に挿し木したローレル、秋に挿し木は無理かなとも思ったが、

5月初めに確認するとちゃんと根が出ていた。⤵

今はこんな感じですくすくと育っている。⤵

もう少し若葉が濃く固くなったら欲しい人にあげようと思う。

⤵母の樹は切ったところから四方に枝を出して庭を一層狭苦しくしているが、

私は決して文句を言わず、葉を千切ってシチューなんかに使わせてもらっている。

他にも花が枯れた後に挿し木したガクアジサイが、3年の時を経て遂に開花した。

咲いたと言ってもなんか弱弱しいけど、

日当たりの良い息子の店に移さなかったら今年も咲かなかったかもしれない。

 

 

⤵2年前、某所で息も絶え絶えだったところを救出してきたドクダミも、

今は着実に根を張っている。

三つ葉、ムラサキツユクサ、笹、レモンバームなどいずれも生命力の強い植物たちに混じり、

花も咲かせ、ドクダミ茶として私の命の糧になってくれているありがたい存在だ。

街に棲んでいても、自然の命をいただき、自然の片隅に居させてもらっている。

 

命は繋がっている。

私の命はそう遠くない未来に尽きるだろう。

でも、大丈夫だ。

命は繋がっている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本のテレビが報道しないアメリカの人々の姿

2024-06-02 20:33:50 | 反戦平和

国家としてのアメリカは世界の独裁者みたいだけど、

アメリカ国民は違う。

さすがプロテストの本場、年季が入っている。

街行く人たちも日本のように素知らぬ振り・我関せずといった雰囲気はなくて、

反対だろうが賛成だろうが自分の意思を身体で表現しているように思われる。

 

フェイスブックのショート動画には

アメリカにおけるガザ支援の動画が数多く挙げられているのでいくつかコピーしてみました。

まだ消されていないことを望みます。

 

☆シカゴの大学卒業生たちが卒業の日に…。⤵

「今日は政治的な日じゃないんだ!」と一人叫んでいるのは先生?

 

☆ニューヨークの高校生たちも…。⤵

いやー、ノリがいいなあ。

そう言えば私がイラク戦争直前(2003年)にシアトルにいたときも、

シアトルのいくつもの高校の生徒たちが大結集し、3000人ぐらいが「イラク戦争反対」を掲げ

キャピタル・ヒル(よくある地名。シアトルにもある)までデモしてたなあ。

その時シアトル市の高校の先生方は午後の「社会活動」として授業認定したという。

日本の公立学校ではこうはいかない。

教師の裁量権がとても狭隘な上、教師たちは勝手に自主規制するからだ。

アメリカに住む人々は政府にプロテストすることを大切にしている。

政治が国民生活に多大な影響を与えるのだから

国民が政治に注文つけたり、モノ言うのは当たり前なんだけど、

今の日本の多くの人たちは黙りこくって、デモもしなけりゃ選挙にも行かない。

だから日本は歯止めがかからずヘンになる。

 

☆ジョー・バイデン支持者の集まりで「前はあなたに投票したのに」「あなたはジェノサイド・ジョーだ」と・・・。

バイデン氏は「座ってください」とか言っているけど、これではトランプに勝てないのでは。

 

☆こちらの抗議の声はバイデン支持者らの「もうあと4年」コールでかき消され・・・。

民主党支持者でも多くの人はイスラエル支援の立場なのだそうだ。

イスラエルに莫大な軍事支援金を送るのは共和党・民主党とも議会で賛同し決議されている。

 

☆最後にキリスト教関係者のストロングスピーチ・・・

M.L.キング牧師やマルコムXの子どもたちが大きくなって

そのうちの一人がスピーチしているように思える。戦う民主主義者たちが健在のアメリカ。

[拙訳:拙過ぎ(;^ω^)]

ユナイテッド・ステイツがイスラエルに何十億ドルもの武器供与資金を送り続けるとき、

私たちは平伏を強要されている(hold your head down)

ガザで約35000人ものパレスチナの人々が殺されるとき、

私たちは平伏を強要されている(hold your head down)

社会的に目覚めなければならないと我々に言う協会が

都合により今回は黙りなさいと態度を変えて私たちに言うとき、

私たちは平伏を強要されている(hold your head down)

平和的に抗議をする人々が襲撃され、まるで動物のような扱いで連れ去られるとき、

私たちは平伏を強要されている(hold your head down)

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする