毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「PERFECT DAYS」(パーフェクト・デイズ)を観た

2024-04-25 15:28:04 | 人間

映画館で役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観てきました。

隣の駅前にある映画館は以前と全く変わらない空気が漂い、

それだけでコロナ以降引き籠もっていた私はほっとしたのです。

 

「PERFECT DAYS」は寡黙な映画でした。

だからでしょうか、映画を観た後、実にさまざまな思いが巡りました。

また、主人公の平山(役所広司)が自前の清掃用具を積んだ車で現場に移動する際、

カセットテープでかける曲が

これまた私の人生にとって思い出のページに刻まれたものばかりで、

何一つ身構えることなくこの映画の醸し出す雰囲気に包まれたのです。

まず、♪朝日の当たる家♪(The Animals)、

それから、♪Dock of the Bay♪(Otis Redding)、

さらにLou Reed、Rolling Stones、Patti Smith・・・(思い出すままなので順番は違っているかも)

最後にこれでもかとばかりにNina Simonの♪Feeling Good♪です。

圧巻でした。

 

映画は都内でトイレ掃除に従事する初老の男の日々のルーティンを淡々と映しています。

主人公(平山)は元いいとこのお坊ちゃんだったようですが、何かの事情でドロップアウトし、

ボロアパートに独りで暮らしています。

・毎朝早く、近所の人が外の落ち葉を掃く音で目覚める。

・身支度を整えて、植物に霧を吹き、安アパートのドアを開けて仕事に出る。

・開けたとき、毎日、空を見上げ、風を、空気を感じる。

(この場面、♪It's a new day, It's a new life♪~ニーナ・シモンの歌にぴったり)

・アパート横の自販機で缶コーヒーを買い、車で現場に向かう。

・トイレを丹念にきれいにする。

・神社の境内でサンドイッチと飲み物の昼食を取り、木漏れ日に目を細め、時に写真を撮る。

・仕事の後の風呂屋、一杯呑み屋、休みの日のコインランドリー、行きつけのバー。

・・・・・・

こんな日常が繰り返し、繰り返し、スクリーンに映し出されます。

姪が家出して転がり込んだり、

行きつけのバーのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)と短い友情の時間を持ったり、

心にさざ波が立ちますが、

また翌日は、身支度を整えて植物に霧を吹き、アパートのドアを開けます。

眩しそうに空を見上げて……。

It's a new day, It's a new life...と歌うニーナ・シモンの深い哀しみに満ちた声が

役所広司の泣き笑いの表情に重なる印象的な最後でした。

 

映画館からの帰り途、

ふと、今年一月に他界した桐島聡さんのことが心に浮かび、

彼のドロップアウトの人生が思われてなりませんでした。

彼の最期の表情も平山と通じるものがあったのではないか、と。

東アジア反日武装戦線の複数グループのうち、「さそり」に属した彼は

韓国産業経済研究所だか、はざま組だかの入り口を壊しただけで

人が傷ついたり死んだりすることはなかったそうです。

無期懲役になり今も服役している

「さそり」の先輩(同志?)への義理立てがあったのか分かりませんが、

48年間アウトサイダーの人生を歩きました。

自首すればとっくに市民社会に復帰できたであろう量刑だったと推察します。

私はこれからも何度も桐島さんのことを思い出すでしょう。

彼の人のせめて彼岸に幸あれと。

 

 

 

 

 

 

 

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【ハマスの関与は「確認できず」 国連、UNRWAの中立性評価】で考えたんだけど

2024-04-23 21:54:41 | 人権

UNRWAの評価報告書について記者会見するフランスのコロナ元外相

=22日、ニューヨークの国連本部(共同)

 【ニューヨーク共同】国連は22日、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の組織的中立性や活動の妥当性に関する評価報告書を公表した。UNRWAの多くの職員がイスラム組織ハマスのメンバーだとするイスラエル側の指摘について「証拠提供がなく」確認できなかったとする一方、「UNRWAには中立性の原則を順守する強固な枠組みがある」と結論づけた。

 報告書は、UNRWAの職員名簿はイスラエル政府に毎年提供しており「2011年以降、イスラエル側から懸念を示されたことはなかった」と強調。採用の際に犯罪歴などを厳格に審査していることも重視した。

© 一般社団法人共同通信社

 

イスラエル、あるいはイスラエル的なものと相対し、克服することが

今、世界に生きる各々の人間に問われていると思うのだが、

能天気に「ハマスがテロるからイスラエルが怒っているんやろ。ハマス悪いわ」

で済ます人もいるのがこの渡世だ。

結局、よく知らないし、知ろうとしないからそうなるのだ。

が、しかし、そういう人たちが多数派を占めると社会は思考停止し、ドロンとしているうちに

安寧・平和なんかどうでもいい輩によってとんでもない方向に引っ張られていく。

 

自分が自分であるために、

人間としての尊厳を捨て去らないために、

雰囲気に流されず、自分で調べ、判断し続けていくしかないと思っている。

岸田首相はアメリカでバイデン大統領と会談し、

事実上、自衛隊が米軍の指揮下に入るしかない「指揮統制の連携強化」なんかをシレッと決めてきた。

脳みそが作動していないのか、

自己の延命しか考えないのか、

いずれにしても岸田首相は真正の売国奴だ。

 

日本社会はどんどん戦争準備ムードが醸成されている。

「戦争が 廊下の奥に 立つてゐた」まであと一歩。

来年幕張メッセで武器見本市が予定されているという。はあ~~~

しかし本契約はまだなので、

千葉県に「その見本市に場所貸すの止めて」という訴えがあり、さっそく署名した。

趣旨賛同の方は下段よりどうぞ。

 ↓     ↓     ↓     ↓

オンライン署名 · 幕張メッセで来年5月に予定される武器見本市DSEI Japanとの貸し出し本契約を結ばないでください - 日本 · Change.org

 

 

 

 

 

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日本に来た中国の教え子たち

2024-04-17 23:48:30 | 中日(日中)交流

慌ただしく過ぎ去る日々に手をこまねくばかりの毎日だが、

この二月、三月にあった中国時代の教え子のことを備忘録として書いておく。

 

2月のある日、WeChatで電話があった。

渡日して東京で働いている山東省時代の教え子Wさんからだった。

私は2015年から翌年の卒業まで大学4年生だった彼のクラスでビジネス日本語を担当したが、

その後、彼が中国の大学院、就職、転職と人生の荒波に漕ぎ出してからも連絡は途絶えなかった。

中日関係もイマイチだし、

教師と教え子の関係も卒業後は次第にフェイドアウトするのだろうと思っていたが、

彼は全くそれに当てはまらない。

そればかりか一昨年3月末、なんと中国での仕事を清算して渡日し、就職までしたではないか。

私は何でわざわざこんな不況に喘ぐ日本に来て就職するのかと思ったが、

聞けば、彼の目標は日本で働くことではなく、日本の大学院での博士課程履修にあった。

会社で働きながらがむしゃらに受験勉強を続けたWさんは去年、残念ながら一度目の受験に失敗した。

その時、もう諦めるのかなと思ったが、どっこい、そんなやわな人物ではなかった。

月に一度の故郷のお母さんからの電話は決まって

「まだ合格しないのか、早く、早く」という催促だった。

「試験は年に一度しかないのに…」と、Wさんは悲しみながらも睡眠時間を削って勉強し、

とうとう、遂に、ファイナリー、今年博士後期課程入試に合格したのだった。

もう4月なので、すでに研究生活がスタートしていることだろう。

このドラマはきっとさらに続く気がするが、幸運を祈るばかりだ。

 

この3月には江西省時代の教え子劉さんが出張で来阪した。

劉さんは私が生まれて初めて中国に渡って働き始めた江西省南昌市の大学で当時3年生だった。

外国人は就労に当たり、市当局の健康診査を受けなければならない。

劉さんはその時に付き添ってくれた日本語が堪能な学生3人のうちの一人だった。

この間再会してその時のことをぺちゃくちゃお喋りした。

尿を採取するとき、可憐な劉さんが

「先生、小便を採ってください」とくそ真面目に言ったこと、

検査が終わって食事の話題になり、

劉さんはニワトリのネックが美味しいと私に勧めようとして

「先生、鶏のうなじはとても美味しいですよ」と言ったこと、

こういう話で劉さんと私は大笑いしてしまうのだが、

たまに「未熟な学習者を笑いものにしやがって」と捉える人もいる。

私はそういう人とは親しくなるすべがない。面倒くさい。

さて、その可憐だった劉さんはもう35歳、見目はほとんど学生の頃と変わらないが、

今は大阪に本社がある会社の広州市の子会社の副総経理だという。

打診されたとき「嫌だとも言えないので引き受けた」と、

淡々と語る彼女は以前と変わらぬ劉さんだった。

また今年の10月、社員旅行で社員十数人を引き連れて来日するという。

ちなみに、私はこの劉さんに故郷の村に連れて行ってもらって、人生またとない体験をさせてもらった。

彼女が進学した広州外語外貿大大学院の寮にむりやり泊めてもらったこともある。

お返しに日本に招いて我が娘の協力のもと、

お祭り金魚すくい体験、流しそうめん体験などをさせてあげたこともある。

我がブログに何度も登場した人だ。

 

教師と学生は、卒業したら思い出にしか登場しないというのが現代日本ではしごく普通だ。

「さよならだけが人生だ」…私もそれに違和感はない。

しかし最近、中国的にはそうではないことがままあると感じている。

少なくとも、私が出会った何人もの学生たちはそうではない。

関係を内に閉じず、直接的、交歓的に継続し、途切れたかに見えてまた続く。

その関係の開放性を楽しむ今日この頃だ。

 

⤴11年前の来日時、アニメでしか知らなかった金魚すくいを満喫する劉さん。

⤴遊んでいるはずが、なぜかいつの間にか的当て屋の番頭みたいなことをしている劉さん。

 

付録:2013年に初めて日本に来た時の劉さんの感想文(今から11年前)

「日本滞在記」
            広州外語外貿大学大学院日本語学科  劉思婷

7月26日、山に囲まれた広州白雲空港から海に囲まれた大阪関西国際空港まで、
三時間半の旅程中、機上で私はいろいろ考えた。
日本語を勉強して五年になるが、日本へ行くのは初めてである。
本やドラマ、テレビ番組などから日本に関するさまざまな知識を得てきた私にとって、
日本国は研究の対象であると同時に、どうしても一度は訪れたい国だった。
今回、ブルーはーと先生のご尽力で、やっと憧れの日本に行くことができた。
先生にもう一度お礼を申し上げたい。
(日本はどんな国であろうか、日本の人々はどんな人たちだろうか。
『菊と刀』に描かれているような日本人なのだろうか)と
、関空に向かう飛行機の上で私の想像は膨らむばかりだった。
大阪関西国際空港に着くと、先生はもう待っていた。
先生とは五ヶ月ぶりの再会で、とても懐かしかった。

[日本の初印象―静かな道路、小さい家]
その後、先生に連れられて、JR大阪駅、阪急梅田駅を経て、先生のお宅についた。
歩きながら、キョロキョロと初めて見る日本の家、店、道路や人たちなどを観察していた。
パチンコ屋以外のところは、みんな静かで、人の声もあまり聞こえない。
道路の幅や家も小さくて、かわいい。中国だったら、何でも大きい。
でないと、人口の多い中国では渋滞になるかも知れない。
初めての日本は、何でも興味津々だった。
最初のうち、よく
「初めて日本に来て、どう思いますか?中国とどう違いますか?」
と聞かれた。
私も一生懸命このことを考えた。
例えば、天気とか人の服装とか、女性の化粧のし方とかだいぶ違っていると答える。
都市の違いは大きい。
中国の都市、例えば、広州では、建物と建物との間に一定の距離があり、大きい木が多い。
大阪では、建物が密集していて、木が少ない。
でも、よく見ると、屋上や家の前に、植木や花鉢がある。
こじんまりとして精緻な感じが溢れている。

[女性専用車両と痴漢]
また、日本のJRや阪急電車に乗ったとき、女性専用車両があったことに驚いた。
これは女性を保護するいい方法だと思う。
実は、私は一人で電車に乗ったとき、わざわざ女性専用車両を避けたことがあった。
最初は「女性専用車両」の意味がわからなくて、
(体の弱い女性とか、特別な人達だけ乗れる車両だろうか)と思ったので、
丈夫な私には普通の車両に乗る方がいいと思ったのだ。
あとで、女性だったら誰でも乗れると知ってから、毎回電車に乗るとき、
女性専用車両に乗りたかったが、残念なことに、専用車両のない電車も多いみたいだ。

JRなどに乗るとき、ドアに「痴漢は犯罪だ」とよく書かれてある。
はじめ、「痴漢」とはどういう人を指すのか、ちょっと概念が曖昧で、わからなかった。
ウィキペディアで調べると、
「痴漢とは、公共の場所で相手に羞恥心を抱かせ、不安にさせる行為を行う者、もしくは行為そのものをいう。日本独特の不法行為であり刑法に抵触する場合は少なく主に迷惑防止条例などで罰する」と書いてある。日本では痴漢は多いのか?では、すりとかは?
中国では、バスや地下鉄によく見られるのは、「请保护好自己的财物,小心小偷」である。
つまり、「すりに注意して、自分の荷物をよく確保してください。」ということだ。
すりが多くて、お金とか盗まれたら大変である。
でも、それは痴漢がいないということではない。
混んでいる電車やバスに乗っているとき、痴漢に触られることも多い。
中国の女性は痴漢に触られたら、そうっと他のところに行くだけで、
大声で叱ったり、警察に言ったりする人がまだ多くない。

 

 

 

 

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心から気持ち良く深呼吸できる季節に「春一番野外コンサート」大阪服部緑地公園で今年も

2024-04-10 11:25:48 | 平和

「春一番コンサート」・・・

青春のワヤクチャ感が脳裏に蘇るこの単語(笑)。

1971年、天王寺野外音楽堂で第一回の春一番野外コンサートが開かれたとき、

18歳の私は北海道から京都に来たてのほやほやで、そんなイベントがあるとは露知らず、

第一、阪急電車や京阪電車がどこにあって、どうやって乗るかすら知らなかったのです。

高校時代、北海道の地の果てで友人たちとフォーク連合なるものをでっち上げ、

高田渡や中川五郎、岡林信康、高石友也などの歌をがなり立てていただけの私ですが、

こんなイベントがあるのを知ったら、右も左も分からない都会であることもお構いなく、

阪急だろうが地下鉄だろうがかき分け、乗り継ぎ、何としても現地に到達していたでしょう。

 

昨年、コロナ禍でしばらくできなかった春一番野音ライブ(服部緑地公園野外音楽堂)が

4年ぶりに開催されたことを、

私に教えずに自分だけ参加していた息子のフェイスブックで知りました。

(イヤ、教える義務はないんだけどさ)

それでも1995年、大阪城野音で開催された「春一番ふたたび」に

高校生の娘・中学生の息子を連れて行ったのはこの私なのであります。

あの時子どもたち二人は、

加川良のかっこよさを褒めたたえ(彼らにとってはもちろん初めて聞く人だった)、

ヒロトとマーシー(あの時はまだブルーハーツは解散していなかった)が

二人で登場したのにたいへん興奮していました。

私と言えば、思いもよらないペギー葉山さんが登場した時、

プロデューサーの福岡風太という人はアンダーグラウンドを本拠地としながらも、

日本の音楽界にしっかり踏ん張って立つやり手なんだなあ、と感銘を受けたものでした。

 

今年も、「春一番ライブ」が服部緑地公園野外音楽堂で開かれるそうです。

自由の風を感じに行ってみようかな。

我が家からだと自転車で行けるかも。

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台湾では国民は人間として扱われる、日本では家畜扱い

2024-04-09 23:46:46 | 人権

今日のX(旧ツイッター)では、多くの人が羽鳥モーニングショーの写真を挙げていた。

台湾の避難所の様子をレポートしたものだ。

台風や地震が毎年のように起きる日本では、体育館に雑魚寝する避難所の様子がお馴染みだ。

今回の能登半島地震でも、下の写真のような避難所が一般的だった。

MBSテレビ(1月8日放映)

これをヨーロッパなどの人々が見ると、まるで難民キャンプだという。

 

⤵関東大震災の時の写真を見たが、避難所の様子は今とほぼ同じだった。

というか障子で仕切ってあるだけ1923年の方がましじゃないですか。

頑張って自分の家から運んだんだろうなあ。

関東大震災の写真(東京都慰霊堂保管)について

 

4月3日の台湾地震の後、台湾政府やボランティアが一体となって

被災者の救助に当たっている様子の写真を羽鳥モーニングショーからお借りした。

⤵まず、2018年花蓮地震のときの避難所の様子。

これは今の日本の避難所と同じだ。

⤵今回、台湾政府は2018年の災害を教訓にして、

プライバシーを守れる箱型個室を発災4日目に設置したという。

 

⤵能登でも2月に入り、多くの避難所には段ボールの仕切りができた。

しかし、大人が立ちあがったら隣が丸見え、プライバシーは全く保証されていない。

この写真の段ボールは同一サイズだが、避難所によっては、高さも幅もバラバラで

設置が難しいところもあったと聞く。

⤵台湾は下のようなサービスも。いいなあ!

⤵温かい料理。しかも種類も色々あるんだって。

 

台湾は過去の災害から学んだ。

日本だって、災害の数では負けていない。

やろうと思えばできるはずなのにしない。

政府は国民のためになんか馬鹿馬鹿しくてやってられないのだ。

メディアも能登の人たちが辛抱我慢しているのを「美談」として語っているが、

被災者が困っているのを政治が放置するのは、人間扱いしていないからだ。

欧米風に言えばハラスメント、人権侵害だ。

経団連の言うことは何でも聞くくせに。

山本太郎さんが国会予算委員会質疑で

「ぜひ災害対策特別省を設置してください」と提案していたが、

委員長は「後日委員会で討議します」と言うばかりだった。

ぐぬぬ、やる気あんのか!

 

1月6日は6党が集って、能登に行かない協定を結んでいるんだから凄すぎる。

しかも、行かないくせにみんな作業服だけちゃんと着て写真に納まっている。

共産党の志位さんまで仲間入りしているんだから、ホント、どうしようもない。

この日は、奇しくも

れいわ新選組の山本太郎が能登入りして状況を聞き(国会議員なら当たり前だ)、

夜、NPOグループの残り物のカレーをいただいたというのでSNSで大非難を浴びた日だ。

維新の音喜多に至っては、自分は新年会だかパーティーだかで浮かれていたくせに

NPOに招かれて被災地に行った山本太郎を名指しで、

「松葉づえで交通渋滞の能登に行っても邪魔になるだけ」

「山本太郎の提言は災害マニュアルに書いてある既知のものばかりで、行ったのは無意味」

と批判したが、そんなこと言ってたら、ジャーナリストやルポ作家は必要ない。

国会議員て、ここまで馬鹿なの?と呆れさせる愚か者の音喜多俊であった。

共産党も、こんな協定に賛成してがっかりだ。

志位さんもやっぱ日本人の悪癖=同調グセから自由ではないのであろうか、と

台湾地震報道から、日本の政治の現状を情けなく思ったのだった。

それにつけても、台湾から学ぶことはいろいろあるなあ。

 

 

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春の裏庭~トカゲの赤ちゃんとか

2024-04-03 23:58:06 | 裏庭

我が裏庭にも春が来た。

一角のレモンバームの葉の上にちょこんとトカゲが乗っていた。

去年見慣れた数匹のよりも色が薄く、尻尾も短い。

赤ちゃんだ。

お母さんたちはどこにいるのだろう。

出てきたら「久しぶりだね、元気?」と挨拶を交わしたい。

雨が降ってじめじめとした地表にはすぐにコケが生える。

  

⤵私はこのゼニゴケの一種が気に入らない。

どこにでも発生する。

石やコンクリートの上にも張り付いて実に見苦しいし、

剝がすのがたいへんなのだ。

という訳で、見つけたらすぐ気を付けて取り除いているが、

神出鬼没に生えてくる非常にしぶとい存在だ。

⤵これ何だっけ?あちこちで芽吹いていたので小鉢に集めた。

だぶんクレソンのようだけど。

⤵多肉植物の葉先で二星テントウムシがちょこまか動いている。

本当にまた、春が来たんだなあ。悲喜コモゴモ……。

 

裏庭をチェックした後、近所の業務スーパーまで買い物に行ったところ、

(何ですか、これ~~!!)と度肝を抜かれた。

白菜半切れが490円!?

先週まで298円だったし、先々週は200円ぐらいだったはず。

右の398円のはちんちくりんだから、安くない。

他の野菜も値上げ基調だけど、まさか、白菜レベルまで高くならないだろうなあ。

野菜は身体の健康に直結するので、毎日食べないといけない。

ハラハラする。

物価はめちゃくちゃ高騰しているが、収入は年金だけだ。

さて、どうしたものか?

どこの馬の骨か、成田何某という愚者が

「高齢者は集団自決・集団切腹したらいい」と述べたらしいが、

自分の生死を他人に、就中、成田のようなクズにとやかく言われる筋合いは全くない。

私の命は私のものだ。

幸い、河川敷にはからし菜、野蒜など食べられる野草がどんどん生育してきたので

自然の恵みをいただいて春は凌げるだろうか。

 

 

 

 

 

 

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