毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

大石あきこ「クソ野郎」裁判で山口敬之にも完全勝訴(控訴審)

2024-03-13 20:45:33 | 表現

大石あきこさんが橋下徹に訴えられた裁判で、完全勝訴したことはこの間書いた。

今度は山口敬之だ。

今日、あの伊藤詩織さんをレイプした犯罪者山口敬之に

大石さんが名誉棄損で訴えられていた裁判の控訴審判決が出た。

そもそも山口が問題にしたのは

大石あきこさんが2019年に旧ツイッターに載せた2つの文だった。

その1:

「もとTBSの記者で安倍総理の❝御用❞山口敬之氏、伊藤詩織さんに対して計画的な強姦を行った。その山口氏側の敗訴不服の記者会見に伊藤詩織さんが出席している。強くてまっすぐな人だ。たくさんの絶望を支援者と乗り越えてきたんだろうな。」

その2:

「一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けた。とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎

この2文について著しく名誉を棄損されたとして、山口は2022年東京地裁に訴え、

次の3点を請求した。

①上記2つの文をツイッターから削除すること

②損害賠償金880万円を山口に支払うこと

③山口に対する謝罪文をツイートすること

 

2023年7月の地裁判決では、

〈その1〉は適法な論評であるとしたが、

〈その2〉は「1億円余りのスラップ訴訟をしかけた」までは問題なしだが、

続く文の中の「クソ野郎」は攻撃的かつ激しい侮辱であるとして名誉棄損を認め、

22万円の賠償金支払いと、ツイッターの文〈その2〉を削除するよう命じた。

その地裁判決は大石側、山口側双方とも不服として東京高裁に控訴した。

で、今日2024年3月13日の高裁判決(相沢真木裁判長)が出たんだけど、

高裁では22万円支払いなどを命じた1審判決が取り消され、

山口敬之の請求は全て棄却された。

高裁で一審判決が革新的に覆るのは難しいとされる中でのこの判決だ。

大石あきこさんは嬉しかっただろうな。

最近、頬がこけてきた大石さんを動画で見ていて私は密かに心配していたのである。

問題の「クソ野郎」表現について相沢裁判長は、

「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず

「クソじじい」や「クソまじめ」、「クソ忙しい」などと

ののしりや強調の意味で用いられるとして

「『クソ野郎』という表現は、いさささか品性に欠けるきらいがあるものの、

他人に対する最大限の侮蔑表現であるのかは、

疑問を差しはさまざるを得ない」とし、その観点に立ち、

「直ちに人身攻撃となり、意見や論評の域を逸脱したとは断じられない」

と判断した。

一審判決が「クソ野郎」という言葉そのものを

人身攻撃の表現で違法だとしたのに対し、

二審は「クソ野郎」がどのような内容に対しての言葉であるかを考えたという点で

画期的だったのではないだろうか。

即ち、一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けたクソ野郎=O.K.

とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎=O.K.

言葉そのもので断罪した「貴族的」な一審判決と鮮やかな違いだ。

相沢裁判長、あまり良い評判は聞いてないけど今回は見直した。

裁判報告の記者会見で大石さんが、

「私は誰にでも「クソ野郎」と言っているわけではありません」

と弁明するのが可愛かった。

とにかく、言葉狩りにならず、言論の自由が確保されたと言うか、

悪に対して強い言葉で論評することを法的に認めたいい判決だったと思う。

フェイスブックなどのサイトでは「馬鹿」「クズ」などといった罵り表現を

避けるのが当然という傾向があるが、

「馬鹿」「クズ」に値する内容であれば、

その表現を使ってもいいのだと太鼓判が押されたわけで、

大石さんほどではないが普段から悪に対する強い表現を厭わない私としても

表現の自由さが広がり、嬉しい気がする。

近年、ポリティカル・コレクトニスとかが我が物顔に振舞っていて、

それが表現の幅を狭め、表層のみを正しいとする風潮を蔓延させている。

「馬鹿」がだめで「愚か者」がO.K.なんて、

それこそ馬鹿の極致だ。

 

大石あきこ、山口敬之に完全勝利!控訴審 高裁判決後 記者会見 (2024年3月13日15:00〜) ・・・動画ではやたら「クソ野郎」という単語が飛び交って可笑しい(ブルーはーと)

 

 

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ジャニーズV6ならぬNG6の記者が示すもの

2023-10-14 23:45:26 | 表現

10月2日のジャニーズ事務所記者会見は

まるで日本政府の記者会見のようだった。

時間を制限し、一人一質問ならぬ一社一質問(これは政府ですらしなかった)!

そもそも、史上まれに見る大犯罪で

自ら認める「鬼畜の仕業」の性加害に関する会見について

ジャニーズ事務所が勝手に超豪華ホテルを会場に決め、

場所の都合で2時間ね、とか、一社一問ね、とか

ルールを決められる立場にあると思っているのが図々しい。

あくまでも頭ごなしの権力者の発想だ。

さらに驚愕したのはNGリストをこさえて、

都合の悪い質問をしそうな記者を排除せんとしたことである。

未曽有の犯罪を生み出した自らの事務所が

社会に対して全てを隠さず、

真相を明らかにする義務があるという真剣な気持ちがない。

これではだめだわ。

 

⤵そのNGリストに上がっていたのは、下の写真右の6人。

(↑フライデーデジタルからの孫引き)

一番上の尾形聡彦さん、望月衣塑子さんはYouTubeの「ArcTimes」

4月から非常に丁寧に継続してジャニー喜多川性加害問題を追ってきたし、

中段の本間龍さん、佐藤章さんも同じくYouTube「一月万冊」

頻繁にジャニーズ問題を取り上げてきた。

私はこの二つのYouTubeサイトはかなり念入りに見てきたので

お馴染みの4人だ。

これまでスルーしてきたマスコミ各社が急に掌返しをしたのとは全く違い、

問題の核心をつく質問、

問題の全体像を明らかにするための質問をする人たちだ。

ま、他のジャーナリストたちとて、これまで

所属先の上司に捻りつぶされるのを

悔しく思いながら取材してきた人も多いだろうと思う。

下段左の松谷創一郎さんは「ArcTimes」やTBSその他特集番組に

コメンテイターとして出演し、多面的な視点で発言していたのを幾度か見た。

下段右の鈴木エイトさんはご存知、統一教会から訴えられている人で

NG6にリストアップされて光栄だと語った爽やかな(笑)人だ。

 

⤵下は挙手しても挙手しても当てられず、

それでも手を上げ続ける望月衣塑子さん。

日本人としては少数派の白黒はっきりさせずには我慢できないタイプで、

それを非難する人も多い。国際的に見れば有能な記者であるにも拘らず。

(↑AERAより拝借)

フランスの日刊紙「フィガロ」のレジス・アルノー記者は

ジャニーズ事務所および日本の一般的記者会見についてこう言う。

「もしNGリストがあればそれは大スキャンダルに発展するので、

まさかそんなリスクはしないと思う。←いや、そのまさかでしたよ。

・・・・・・日本の記者会見の中身は水割りのようだ。

重要な質問がなされてなく、外国人記者は不満に感じることが多い。

日本での会見はまるで儀式みたい。

真相の解明に興味がないとさえ思ってしまう。

日本の記者会見で新たな情報が出ることはほとんどないと思う。」

(↑ANNニュースCH2023年10月7日)

 

ジャニーズ記者会見は

今の日本の恥ずかしい側面をまたしても世界に晒してしまった。

ジャニーズは滅びるしかない。

 

⤵井ノ原だかへちまだか知らんけど、ホント、この人も情けない……。

拍手した人々はものごとの本質を考えることのできない残念な人たちである。

 

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『満韓ところどころ』漱石の「差別発言」箇所

2023-07-17 23:07:19 | 表現

『満韓ところどころ』を読んで、

(ああ、ここが問題個所だな)と思うところがあった。

皆さん(というほどこのブログ読者の方々がいらっしゃるわけではないんだけど)は

どのように感じるだろう、と思いここに引用してみることにした。

しかし、引用部分はあくまでも作品全体のうちの一部分の切り取りに過ぎない。

『満韓ところどころ』全文を読まずに断罪するのが正しい批評ではないことは自明だ。

文章全体は青空文庫図書カード:満韓ところどころ (aozora.gr.jp)で読むことができる。

(もちろん無料)

そもそもこの満韓旅行は漱石の大学予備門からの親友の一人、中村是公が

当時満鉄総裁で、その彼の招待に応じて出かけて行ったものだ。

その旅行過程で漱石は、内地よりも大陸に活路を見出したかつての悪ガキ同窓生達と邂逅し、

一気にそういう雰囲気になったのが

『吾輩は猫である』的な文章のタッチからも感じられる。

〈↓ところで中村是公とはこんな人↓〉

中村是公(1867-1926):本名なかむら・よしこと。通称「ぜこう/これきよ」。大学予備門以来の漱石の親友の一人。豪放磊落。「べらんめえ総裁」「フロックコートを着た猪」などとも呼ばれた。漱石とは終生「ぜこう」「金ちゃん」と呼び合う仲だった。大学卒業後、政府の役職(大蔵省)に着いたが後に、後藤新平(第一代満鉄総裁)に命じられて二代目総裁に就任し、満鉄総裁任期最長5年の記録を立てた。

ここから引用————

(漱石の乗った船が河岸に着いた時)

船が飯田(いいだ)河岸(がし)のような石垣へ横にぴたりと着くんだから海とは思えない。河岸の上には人がたくさん並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚らしいが、二人寄るとなお見苦しい。こうたくさん塊(かたま)るとさらに不体裁である。余は甲板の上に立って、遠くからこの群集を見下しながら、腹の中で、へえー、こいつは妙な所へ着いたねと思った。

(中略)

船は鷹揚にかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。止まるや否や、クーリー団は、怒った蜂の巣のように、急に鳴動し始めた。その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、(以下略)。

河岸の上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。力車もたくさんある、ところが力車はみんな鳴動連が引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。馬車の大部分もまた鳴動連によって、御せられている様子である。したがっていずれも鳴動流に汚ないものばかりであった。ことに馬車に至っては、その昔日露戦争の当時、露助が大連を引上げる際に、このまま日本人に引渡すのは残念だと云うので、御叮嚀に穴を掘って、土の中に埋めて行ったのを、チャンが土の臭いを嗅いで歩いて、とうとう嗅ぎあてて、一つ掘っては鳴動させ、二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を縦横(たてよこ)十文字に鳴動させるまでに掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。註)「露助」、「チャン」下線はブルーはーとが付けたもの。

もう一度、この箇所だけで『満韓ところどころ』を評価せず、

青空文庫で全文読むことをお勧めして、今日はここまで。

(つづく)

↓冬は室内に保護されてた3年目のクワズイモ、今は裏庭で一日数時間の日照を満喫しています。何か、水芭蕉の花のようなものが出てきたんですけど。

 

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「自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ」No.3867

2020-05-16 23:14:35 | 表現

自分の曇った心の煤を拭き取ってくれる言葉に出会うことがあります。

若松英輔という人の語りを初めて聞いたときもそうでした。

NHKラジオ第二放送のカルチャーラジオ「文学の世界」だったと記憶しています。

「自分の心を拾う言葉を探し続けることは、

生きることそのものだ」

静かに、優しく、哀しみを含んだ声で話されて、

私はどうしようもなくなり、本屋さんに走りました。

その本は、今、中国山東省の宿舎で埃を被っていることでしょう。

 

この2月初め、引きこもり用に何冊か買おうと思って

大阪梅田のジュンク堂書店に行ったとき若松さんの名前を見つけました。

これです。

若松英輔さんと私の敬愛する茨木のり子さんの組み合わせだ~い!

 

「感受する心の畑に言葉の種をまき、水をやることで様々なものがそこに育ちます。

しかし、私たちは人生において心の水やりを忘れることがあります。

それは汗を流すことを忘れるとき、

涙を流すことを忘れる時です。

懸命に生きていれば、人は知らないうちに「汗」を流します。

他者の心を感じ取るように生きていれば、

愛する何かがあれば、

必ず、「涙」を流すことになる。

懸命に生きることを止めたとき、

他者とのつながりを見失った時、

愛することを諦めたとき、

人は「水やり」を怠るのだろうと思います。」 若松英輔

 

「ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを

近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを

暮らしのせいにはするな

そもそもが ひ弱な志にすぎなかった

 

だめなことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ」  茨木のり子

 

茨木のり子さんは、「ばかものよ」と誰か他人に言ったのでは

もちろんありません。

その自分を律する清々しい姿勢に

何度も励まされてきました。

今もそうです。

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「総統閣下は〈布マスク2枚〉にお怒りです:ヒトラー総統シリーズ」No.3835

2020-04-05 14:12:40 | 表現

お馴染み、「ヒトラー総統閣下お怒り」シリーズ。
今回もどなたの作品か皆目わかりませんが、
暗いときに必ず笑いを運んでくださる方が
日本にもたくさんいらっしゃることを頼もしく思います。

新型コロナウィルス対策「布マスク2枚」に怒りを禁じえなかった総統閣下

https://www.youtube.com/watch?v=_aApewrxC5c

 

 

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「広河隆一責任編集『DAYS JAPAN』・・・捨てようかな」No.3755

2020-01-11 23:00:59 | 表現

毎月820円を払うのが苦しくて、

ずいぶん前に定期購読を止めてしまった報道写真誌「DAYS JAPAN」。

ずっと押入れにおいていました。

今度、引っ越すので押入れを整理し始めてそれを手に取ると

広河隆一責任編集」という、表紙の一番上の文字が目立ちます。

表紙の多くは女性たちの写真です。

(広河の野郎はどんな気持ちでこの写真を撮ったんだ!

あのエロジジイは)と思うと

その写真誌が薄汚れた偽善の固まりのように感じ、

もう捨てようと思いました。

私にとって広河隆一は、あのレイプ男山口敬之の双子の兄弟です。

・・・しかし、

捨てる前にちょっとだけ、・・・パラパラめくって見ると、

どの写真も捨てるなんて冗談じゃない迫力です。

第一、写真のほとんど(或いは全て)は

広河隆一が撮ったものではありません。

彼は編集しただけです(その編集が偽善であるにしても)。

〈広河の罪を憎んで、「DAYS JAPAN」を憎まず〉

引越し先まで持って行くことにしました。

私が大好きで何度も見た、下の写真は

「おばあちゃんと猫」という特集の伊原美代子さん撮影の一枚です。

田舎のおばあちゃん一人と猫一匹が、起きている時も寝ている時も

ずっと一緒に、心から信頼しあって暮らす様子を撮った

伊原さんの写真と文は今見ても、読んでも、感動的です。

↓(「ぼた餅みたい」とフクマルを食べようとするおばあちゃん。09年3月)

「DAYS JAPAN」ー人々の意思が戦争を止める日が必ずくるー

Vol.6 No.9 2009年9月号:おばあちゃんと猫/日本人の食べるエビ

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「笑いながら泣いたウーマンラッシュアワー/ THE MANZAI 2019年12月8日!」No.2717

2019-12-08 22:42:34 | 表現

↑友人の堀潤さんが誕生日にくれたというベルリンの壁崩壊の石を持つ村本大輔さん。

 

私はウーマンラッシュアワーの村本大輔さんの漫才が好きで、

中国の大学でもスクリプトを準備し、年に一度は学生達に披露しています。

(「コンビニの店員」とか「バイトリーダー」とか)

さて、三年前、

原発や基地建設問題を無視する世間の風潮を痛烈に批判した漫才を発表し、

村本さんのウーマンラッシュアワーは、テレビから干されました。

山本太郎さんと同じパターンです。

でも、山本太郎同様、村本大輔も

自分のやり方で表現活動を継続しています。

今日は年に一度の(テレビが放映する)彼の舞台で、

彼は普段はお笑い中心の漫才をしているそうですが、

この全国ネットのチャンスを逃すものかと、

原発も、辺野古も、朝鮮学校も炸裂させていました。

今晩7時から9時までの番組が

もうYOU TUBEに登場したので早速見ることができました。

(動画は一番下)

「ロックバンドのボーカルみたい」とか

「賛否両論は当たり前だけどTVで言いにくいことを言ってくれる芸人なんてもう村本さんくらいだと思うんです。来年も期待してます。」とか

「この後に出てくる芸人のネタがあっち向いてホイとか、考えずに笑えるネタだけど薄味に感じてしまう。」

などと動画コメント欄に書かれていて、

自分のことのように嬉しかった!

村本大輔さんが綴っているNOTEも

自分の言葉を持つ人の書く文ですから、

非常に惹き付けられます。

未だの方はどうぞ御一読くださいませ。

 ↓      ↓      ↓

「壁を壊す」村本大輔 https://note.com/muramoto/n/nd7ad8582b044?fbclid=IwAR3qiJSqEyYTFD-p1nb9g9roCP7YnQJQB3dwrWlKti5BrLx8GIZ3YC4voDM

(最初の部分だけちょびっと転載しますね)

僕はワイドショーや世間の風潮が好きではない。週刊誌や新聞はその時起きた問題をその日に記事にして、それが関心度が高そうな問題から報道番組やワイドショーで流し、専門家は知ってる顔で語り芸能人コメンテーターは実体験や、素直な感想でそれにコメントをする。

ひとつのテーマは約5分ほど。MCは「次のテーマはこちら」と言いまた新たな魚をまな板に乗せる。そうやってテンポよく次から次へと起こる問題が消化されて行く。それらは感動するわけではなく、流れ作業のようにも見える。

それらのテーマは時に「旬のテーマ」という言い方をされる。そして、それらを扱う漫才をする芸人は時事ネタ漫才と言われる。いま漫才で沢尻エリカを取り上げる芸人はいるけど清原やASKAはいない。なぜなら清原やASKAをやると「いつの話やねん、いまは沢尻やろ」となる。

ワイドショーで沢尻エリカに群がる番組、そして、それにいつもコメントする人たちは、なんだかタピオカや韓国のチーズハットグに並ぶ女子高生のようにもみえる。誰かが、時事ネタという言葉を使うとき、俺はいつも思う。

時事というのはその時の事、と書く。しかし当事者からしたら、その時の事ではなく日常のことだ。福島は今も泣いてるし沖縄は今日も怒っていて朝鮮学校の子供は明日も戦う。なんならあの時の戦争体験者はいまも声を上げている。だから時事ネタとか旬とか言うあなたは、その時たまたまメディアがピンスポットをあてた、そこをみただけの他人の悲しみつまみ食い野郎だ。

(続きは「壁を壊す」サイトでごらんください)

ウーマンラッシュアワー/

THE MANZAI 2019 マスターズ 2019年12月8日

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「〈伝える〉が、バズるに負けている」No.2701

2019-11-28 23:45:12 | 表現

毎日ブログを書いていて、ときどきツイッターを覘いて見ると、

(何だ、この世界は!)と驚愕します。

ツイートという表現は

140字という文字数制限(半角英数は280字)の中で、

簡潔に伝えると言えば聞こえはいいけど、

かなりの紋切り型であり、

それへのリプライ(返事:リプと言うそうな)は

それに輪をかけて、もはや文とは言えないものも多いのです。

特筆すべきは、

ある特定の立場の人(公開された人)の表現に対して

反対する側(自分の身元を示さない者)の

罵倒や嘘言、トンチンカンのリプ(これをクソリプと言うそうな)が

とんでもなく多いことです。

例えばある参議院議員のツイートに対しての

「クソリプ」を挙げてみますと……

*○○議員、さっさと議員辞めて、日本から亡命して下さい。
そして、鳩山由紀夫さん同様、二度と日本に帰って来なくていいですね。

*○○議員は切り取って因縁つけるのが得意技な印象あるけどな。 

*まったく、いつまで花見の話し広げたら、気がすむのや、辟易するわ、千葉県有権者の皆様、○○を二度と国会に、送らないでください。

【パヨク】○○

*○○も反社会的勢力みたいなもんだろ。

 ・・・・・・・・・

自分がどこの誰か、身元が分かったら

恐らくこのような「クソリプ」は相当数減るでしょうが、

今はこういうゴミを撒き散らかされても手立てがないのですね。

こんなのをずっと読んでいたら、

人と人とのコミュニケーションが嫌になるというか、

人生に翳りができるというか。

      

ハフポストJAPANの編集長竹下さんが

「クソリプ時代の表現」について書いていたので読みました。

表現者たちは、

今の無残な状況をどのような表現で打開するか、

それを考えつつ記事を書き続けているのですね。

ブログという本当にささやかな場でつぶやく私ですが、

少なくとも相手とのコミュニケーションを端から断ち切った

「クソリプ」だけはするまいと心に誓っています。


ーーー表現のこれから2019年11月12日 

「伝える」が、バズるに負けている

profile image竹下隆一郎 ハフポスト日本版 編集長

"クソリプ"時代の「#表現のこれから」について考えるために、3つのアクションに取り組みます。

インターネットは声が大きい人が勝つ。政治や社会についての意見も、見知らぬ誰かの“クソリプ“にかき消される。

ネットが広まって20年。丁寧な会話より、大量に広がる「バズ」が力を持ちすぎた。

あいちトリエンナーレ2019では、「表現の不自由展・その後」をめぐってSNSや電話などで抗議や意見が相次ぎ、中止に追い込まれた。文化庁による補助金のとりやめも、その後のウィーンの芸術展の大使館公認取消も、まるでリツイートのように、「空気」を忖度して、決まっていく。

自分の意見を伝えること、誰かと何かを語り合うこと。いま、この全てがうまくいかなくなっている。「伝える」が「バズる」に負けているのではないか。ハフポスト日本版はこの問題に取り組む。

#表現のこれから

ネットの良さはオープンさ、だった

ネットの良いところは、遠く離れた「現場」の様子をスマホ一つで見られることだ。「あいちトリエンナーレ」会場がある名古屋まで来られない人、現代アートを普段見ない人もスマホがあれば作品を観賞し、誰もが好きに意見を言える。とても「民主的」だ。

「あいちトリエンナーレ」の芸術監督、津田大介さんはツイッターを日本に広めたジャーナリスト。そのきっかけは2007年春、文化庁文化審議会の著作権に関する集まりだった。

出席していた津田さんが会合の様子を次々とツイッターに投稿。その後も、シンポジウムや会合の情報を公開することで、「tsudaる(つだる)」という言葉が生まれた。

専門家、官僚、政治家らが囲っていた情報を津田さんが、みんなに広め、受け取った人がさらに誰かに情報をパスする(「バズ」らせる)。社会はオープンになった。津田大介さん

バズるを手に入れることで犠牲が出た

一方、ネットによって「民主性」が高まった分、「文脈」がそぎ落とされてしまったようにも感じる。私たちは「バズる」を手に入れた分、「伝わる」を犠牲にした。

ここでは「バズる」コミュニケーションを、素早く伝達され、「エモさ」や「怒り」による過剰な共感を原動力にするもの、と定義する。意見の交換より、みんなで気持ちをスッキリさせることの方が時には重視される。

対して、「伝える」ためのコミュニケーションは、少し時間をかけて行われ、論理や表現の工夫を頼りに、相手に自分のメッセージが理解されることを重んじる。最終的に分かり合えず、相手との違いが分かってモヤモヤすることもある。

実際は両者が入り乱れているのだが、便宜上、こう分けてみる。

これまでの新聞・テレビのような「一対多」のブロードキャスト型コミュニケーションと違い、SNSによって誰もが発信者にも受信者にもなれる「多対多」のネットワーク型のコミュニケーションがあらわれた。情報を受け取った瞬間に、他の人にも広められるので拡散が早い。

新聞やテレビの社員が職業として、情報を編集して発信すること(「伝える」コミュニケーション)と違い、多くのSNSユーザーは、情報発信によって対価をもらえるわけではない。その分、文脈をおさえて伝えるより、自分の感情の表出をメリットと感じるのかもしれない(「バズる」コミュニケーション)。

もちろん「バズる」メリットもある。性暴力やハラスメント、保育園の不足を訴えるネットの声をハフポストは、サポートしてきた。マスメディアによる情報独占が失われ、バズることで埋もれていた問題が明らかになった。とても良いことだ。

一方で、そうした訴えの背景がうまく伝わらず、「不快だ」と思うバックラッシュの感情もネットで増えた。ハフポストも、日々反省をしながら発信方法に悩む。

バズるが力を持つと三つのことが起こる

あいちトリエンナーレ。

バズるによって、多くの「文脈」が失われた。たとえば少女像がモチーフとしていた「慰安婦」はその強制性や人数などをめぐって、歴史的な論争がある。私が働いていた朝日新聞も、記事をめぐって謝罪をした。各地の慰安婦像が、政治や外交で「利用」されている面もある。

とはいえ、少女像を目の前で見たときは、感動をおぼえた。像は小さく、鑑賞者がとなりに座れる。生きた少女が近くにいるようなのだ。体温や息吹が感じられるようにも思え、「慰安婦論争」を超えて、戦争によって犠牲になった女性や子供たちの悲しみが伝わる。像をつくったキム夫妻は、ハフポスト日本版の取材に対し、「平和の象徴です」と話している。

当然、Twitterでは、こうした展示の意図や見る人の複雑な心のゆらぎは「伝わら」ない。「バズる」が力を持ち、文脈が伝わる時間的余裕も、伝えるための動機もなくなるからだ。すると、以下のことが起こる:

① アートなどの問題提起型のコミュニケーションや、ひねりのある表現が通用しない。

② そのため、情報の受け手が、場合によっては、自分の価値観が攻撃されていると思い込んで、過剰に反応する。

③ 発信者と受け手が入り乱れ、コミュニケーションが大混乱して終わる。

クソリプ時代の「#表現のこれから」

こんなことがいま、至るところで起きている。

絶望的だ。

いや、果たして本当にそうだろうか?

ネット炎上に参加する人は1%程度だと言われている。また、大阪大大学院の辻大介准教授の研究などによると、ネットによって「排外主義」が強化されるものの、別の立場のメディアなどに触れることで、排外主義の反対の考え方を支持するようになる可能性もあるという。

ハフポストはリベラルで、「排外主義」に反対する立場だ。だが、リベラルと保守派に感情的な対立が起き、それを見ている「穏健派」が、荒れているネット(クソリプ等)を見て、引いてしまう、ということも課題だと感じている。

ネットメディアがまだまだやっていない宿題が多いのだ。いまは「バズる」コミュニケーションが目立つが、より「伝える」ためのコミュニケーションを作り出すことはできないか。小さな試みだが、ハフポストでは「#表現のこれから」という企画で以下の3点に取り組んでいる。

①リアルなイベントを開く。人が集まって、意見を交換するのは、「バズる」よりずっと遅いが、かえってその方が「伝わる」。今のところ次の二つを予定し、ほかに企画中のものがもう二つある。

10代が社会を考え、意見を言ったらダメですか? 春名風花さん、今井紀明さんと考えます

ロバートキャンベルさんと一緒に、200人で賛否両論のアート作品を見てみよう

②異なる立場の人に話を聞き、相手の「文脈」を理解する。「表現の不自由展」に反対していた河村たかし・名古屋市長に話を聞き、セクハラをPRに利用したDJ社長のインタビューを載せた。今後も様々な人に話を聞く。相手の論理やその背景となる文脈をまずは知り、後世の検証のためにも、記録として残す。その上で批判することも十分あり得る。「バズる」より議論のスピードが遅くなるが、その方が、会話は発展するのではないか。

③Twitter上にハッシュタグ「#表現のこれから」をつくって、様々な記事をつなげる。格闘家の記事も、テレビスターの記事も、あいちトリエンナーレの記事も、「表現に関係する記事」は一括りにする。様々な記事の多様な文脈を読者に知ってもらいたいからだ。記事はコチラから。

表現は本来楽しく、生き生きとして、新しい自分に気づかせてくれるものだ。その魅力をうまく感じられる企画にしたい。

私は「うまく伝える」ことより、素直な怒りや悲しみを表現した方が社会が変わるとも思っている。そのうえで、情報を扱うプロのメディアとして「ネットとリアルとの組み合わせ」次第でもっとできることはある、と信じたい。

色々な方からのアイデアやご意見もお待ちしています。ぜひTwitterのハッシュタグ 「 #表現のこれから」でコメントなどをお寄せください。


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「『平和の少女像』展示中止とは!まさに表現の不自由時代の開幕」No.2927

2019-08-03 22:45:58 | 表現

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」に展示された「平和の少女像」

なぜ、ここまで感情的になって拒絶するのですかね。

日本国家が戦争時代の負の歴史を否認するのも恥ずかしいことですが、

さらに国民一人ひとりが自分の頭で冷静に考えず、

国家の政治的言辞に盲従してどうするんですかっての。

名古屋市長の川村たかしさんが視察して

展示中止を要請したというのも

市議会で論議されてもおらず、市長個人の見解ですよね。

見学者の中には

自分が見たくないからといって

作品の頭に袋をかぶせたりした者もいたそうですが

それって100%暴力以外の何ものでもありませんよ。

しかも、そういうことやっているのはみんな男ばかり。

「日本の男はこれだからね~」と蔑まれるわね。

政治にかかわりがあるからと言って

議論することまで拒絶する感情的な空気が蔓延している今の日本

まさに、「言論の不自由」時代に突入した感があります。

こういう空気が戦前・戦中の日本の空を覆い尽くしていたんですね。

    

「あいちトリエンナーレ2019」で芸術監督を務める津田大介さんの言葉。

  ↓     ↓     ↓     ↓

「日本が自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が

安全に行えない社会となっていることを内外に示すことの意味を、

よく考えていただいて、

自制的に振舞っていただきたいと思っております」

 

 

 

 

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「寝る前に…」No.2989

2019-07-22 01:03:13 | 表現

選挙がどれほど民主主義にとって大切なツールかを

痛感した人たちは、

雨の日も、風の日も、

自分の知ったことを庶民の仲間に伝え、暴露するために

街頭に立って訴え、

 

 猫の手ならぬ猫の背も借りてがんばりました。

何しろ消費税が10%になったら、

猫のご飯もままならないのですから。

  

 

しかし・・・結果は・・・。

   

 

あああ、日本人て民族は。

   ま、詳しくは明日、明日。

 

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「創価学会員さん、公明党はかつての公明党ではありません」

2019-07-19 23:07:03 | 表現

ずっと公明党を支持してきた創価学会のみなさんに

ぜひ見て、考えていただきたいものがあります。

かつて、公明党が「消費税廃止!」を掲げていたポスターです。

ご存知でしょうか。

1989年~1990年の頃のものです。

同時期のもう一枚、「消費税は悪だ」と。

今、公明党は自民党と政権与党の一翼を担い、

主張を真逆に変えてしまいました。

「平和と福祉の党」というキャッチコピーは、

安保法制、共謀罪、秘密保護法を推進し、

生活保護の引き下げや消費税10%増税

もろ手を挙げて賛同している

今の公明党には当てはまりません。

2018年度に税金収入は過去最高となりましたが、

その税源はガッツリ消費税増税に依拠し、

大企業向けの法人税や高収入者への累進税率をどんどん緩和して

金持ちを厚遇し、さらに大金持ちにさせてきた政府。

自民党と手に手を取って公明党が推進してきたことです。

真面目で信仰厚い創価学会員のみなさん、

私たち庶民を切捨て、1%の大金持ちのための政治ばかりを

ひたすら追及している今の公明党は、

もはや、30年前の公明党とは似ても似つかぬ怪物です。

それでも、昔から支持しているからという理由で

公明党に票を投じますか。

腐っても鯛ですか。

 

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「『遊☆戯☆王』作者のアベ独裁政権批判を非難する人々」No.2983

2019-07-16 20:45:07 | 表現

*独裁政権は暗黒次元!

*ホント・・・日本て住みづらくなっちゃった

*Let's Vote!

↑高橋和希さんのインスタグラムより。

「遊☆戯☆王」作者の高橋和希さんが、自分の作画キャラを使い、

アベ政権批判の画像をインスタグラムに投稿したところ、

賛否両論(非難の方が多かった)が殺到しまして、

非難の意見はだいたい、

「作者の政治的表現にアニメキャラクターを使うべきでない」というものです。

私は、なんか以前似たような非難がどこかであった気がして

う~んと、考えてみたところ、

3年前の富士ロックフェスで「歌に政治を持ち込むな」

というものでした。

私は、この手の非難ほど手前勝手で愚かしいものはないと思います。

アニメ画も歌も自分の人生における表現です。

人生にある何もかもの中には政治もあるのですから、

本来、切り離す必要はありません。

今回、アニメを現実逃避の娯楽としてだけ位置づけている人が、

高橋和希さんが「自分の創造したキャラを使って」

政治的表現をしたからと言って、

文句を言っています。

しかし、自分の創造したキャラをどう使おうと作者の自由ですから、

自分のイメージと違ったとしても、

しゃしゃり出るべきではなく、ただ黙って居ればいいだけです。

さらにこの事件は、

最近の「芸能人の政治的発言」と同様に、

アベ政権を批判したから大騒ぎになった側面も非常に色濃く、

もし遊戯王キャラがアベ政権を礼賛したらこうした炎上はないでしょう。

この人たちにとっては、

作者の政治的発言の方法に反対しているのではなく、

アベ政権を批判しているから騒いでいるのです。

あほらし、と片付けたいところですが、

この大政翼賛会的空気は、

実にやっかいで危険です。

作者の高橋さんは早くも謝罪したそうですが、

なんか、サザンオールスターズの桑田圭祐の簡単謝罪を想起しますね。

最後に関西弁で高橋和希さんに一言。

「謝罪なんか何ぼでもしたらエエがな。

『すんまへんな、すんまへんな』と言いながら

またやりなはれ。」

浪速千栄子さんみたいにうまいこと言えたかな~。

 

 

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