毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「南昌土曜の朝、八一公園への路上で」 2013年11月30日(土)No.810

2013-11-30 18:51:38 | 中国事情
三週間ぶりに南昌市内の日本語コーナーに行った。
9時前にバスに乗ると、市内への道路はそんなに混んでおらず、
魔の八一大橋も5分ほどで通過して9時半には児童病院前についた。
10分ほど歩くと八一公園に着く。
いつも時間を気にして行く環湖路を、今日はゆっくり、のんびりと歩いた。


南昌で車椅子を押す姿は滅多に見かけないが、今日はそのめずらしい日だった。
手前の大木の幹に塗られている白いのは防虫剤。
3年前、初めてこれを見たときは、
(木が可哀想だな。もうちょっと見栄えのいい薬はないものか)と思った。
今はすっかり慣れて、普通だ。


突然、けたたましい爆竹音がして振り向くと、女の子が耳を塞いでいる。


路上に残った爆竹の跡。


そうか、今日は結婚式なんだ。
道理で、おばちゃんが気前よく道行く人に飴を振る舞っていた。



蒸籠から饅頭を蒸す湯気が吹き上がり、朝ご飯の客を待つ。


饅頭、肉まん、粽など、どれも美味しそうだ。
しかし、私は朝、食欲がない。夕方だったら必ず買うのだが。


今、江西省は蜜柑などかんきつ類が、とても安くて美味しい季節。
手前のオレンジは贛州(かんしゅう)産が有名だ。
先日朱先生にいただいた巨大オレンジでマーマレード・ジャムを作った。
オレンジ茶として飲んでも香り高く、我ながら美味しくできた。


昔から思っているんだけど、どうして靴ぐらい自分で磨かないのか?
いくら商売とはいえ、姿勢的になんか奴隷みたいで私は嫌だな。


八一公園内の人々を、ゆっくりと観察しながら9:45に日語角到着。
まだそんなに来ていないだろうと思ったらドッコイ、もうこんなに人々が!
集合時刻が次第に早まっているみたい。


明日は日本語能力試験なので、どこの大学も受験組(多くは3年生)は来ていない。
それでも、2年生、4年生や社会人、小学生まで加わって賑やかなこと。
財大生は最低7人確認したが、何しろ人が多すぎて~
途中、高松大学と岡山大学大学院を卒業した美越さんが、
2人の子どもを連れて散歩がてら現れたことや、
太極拳の俊先生が太極拳の服を着て登場し、リンゴをくれたのが、
今日のビックリさんと言えるかな。
数か月前に12人という大勢で南昌にやって来た
江西五十鈴合弁会社社員のうち、6人が参加されていたので、
社会人の話が聞けて、4年生にはいい刺激になったことだろう。
(イヤ、日本語教師も社会人ですけどね

この青空教室の後、江西省の日本人会忘年会があり、
南昌在住の日本語教師たちのみならず、江西五十鈴の皆さん、
九江学院の先生、沖縄からの留学生、高松日中友好協会の派遣員の方々と、
楽しく、美味しい会食のひと時を持った。
あとひと月で、今年も終わる。
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「黒竜江省牡丹江で大吹雪」 2013年11月29日(金)No.809

2013-11-30 00:06:15 | 中国事情

「黒竜江省で大吹雪」
11月25日、黒竜江省牡丹江市で除雪機が街頭作業をしている。



龙江省迎新一轮暴雪
11月25日,龙江牡丹江市清雪车辆在街上作业。
《新华网2013.11.25より一部抜粋》―――チャイラボ通信より


「吹雪」という言葉にぴきっと反応。
故郷北海道もボチボチそんな時期が近づいているのだろう。
ずうっと昔、免許取り立てのころ、
車で吹雪の中、斜里から網走へ向かう濤沸(トウフツ) 湖脇の道路を走っていたら、
フロントガラスに叩きつける白い雪の向こうから、
本当に突然、数頭の馬がこっちに向かって走ってくるのに遭遇した。
車のガラスが蹴破られるかと、思わず身を縮めたが、
馬たちは、車の横を血相変えて走って行った。
馬が走る姿がいつも血相変えているように思えるのは何故なんだろう。
長すぎる足のせいか。

黒竜江省牡丹江には行ったことがないが、
名前を聞くといつも戦争を思ってしまう。
生前、母が中国の話をしたとき、
「奉天」「新京」「ハルビン」などとともに聞かされた名前なのだ。
写真を見ると、雪が除雪されて汚れている。
初の大雪なのだろうか。
これから春が来るまで、北はどんどん雪で覆われていく。
私はもう、一冬を北海道で過ごす勇気はない。
それどころか、今家がある大阪ですら、
近年、夏暑く冬寒い気候に変わってきたことが苦になり、
南の方に移住する希望が少~しずつ首をもたげて来ている。
流浪の民癖がまた出てきたのだ。
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「98歳元従軍記者・むのたけじさんの言葉を噛みしめる」2013年11月28日(木)No.808

2013-11-28 19:19:39 | 政治
むのたけじさんの言葉を聞き漏らさないように注意深く聞こう。
治安維持法の時代を生き抜いてきた先輩であり、証人なのだから。
戦争への道を着実に歩み始めた日本。
心底、怖い。
だから、むのさんの人生訓「抵抗するなら最初に抵抗せよ。途中で泣くな」を、
そして「あきらめること自体をあきらめよう」を実行することにした。
もはや後がない。

――――「薔薇、または陽だまりの猫」さんのブログより転載

秘密法案 戦争の足音 元従軍記者むのさんに聞く
【中日新聞・特報】(2013/11/28)

 特定秘密保護法案は27日、参議院で審議入りした。
世論の声は反対か慎重が大勢だが、数に勝る与党の動きを止める妙手もなく、
静観する人が大半だ。
ジャーナリストのむのたけじさんは現在、98歳。
戦時中は従軍記者を経験した。
敗戦とともに自らの戦争責任を背負い、大新聞を離れた。
戦前と現在。世間を漂う空気は似通っていないのか。
むのさんに聞いた。
(出田阿生、林啓太)

 ★敗戦の日辞職

「強行採決は異常だ。秘密保護法は人類が一番大事にしようと決めたこと、つまり主権在民の否定そのもの。国民は義務だけ果たせといわれ、主権は安倍内閣が持っているといわんばかりだ」
むのさんは、身長150センチの体からとは思えない力強い声で語った。
秋田県横手市の在住だが、年明けまではさいたま市内にある次男の大策さん(60)宅に滞在している。
柔和な笑みを絶やさない。
敗戦の日、「戦争責任を取る」と辞職したまれな記者だ。

「秘密保護法を制定する目的は戦争以外考えられない。米国の国際戦略で日本、自衛隊が利用されるということ」
この解釈は日中戦争の前後から太平洋戦争の敗戦、そして今日までの肌身の実感に根ざす。
現在の社会の空気を「かつての戦争突入時に似ている」と感じている。
満州事変で日本の中国侵略が始まり、1936年に二・二六事件が発生。
当時、むのさんは東京外国語学校の学生だった。
「学校に行くと軍隊がいて試験は中止。カメラを向けた学生が殴られた。国民は訳も分からず『軍部は怖い』とおびえた」
その直後の4月、報知新聞の記者になった。
盧溝橋事件で日中全面戦争へとなだれこんだ37年の翌年に国家総動員法が成立。
戦争遂行に従わないと「非国民」と弾圧される社会が到来した。
「法律ができただけで、国民を脅せる。これが今回の秘密保議法とそっくりなんだね」
新聞や出版などの統制が強まったが、実態は自主規制だったという。
「内務省や軍部は記事の内容や写真にいちいち文句を言わなかった。だけど、その前に新聞社側が二重、三重に自分たちで検閲するんだよ」


 ★国民三ザル法

むのさんは中国で従軍記者をした後、40年に朝日新聞ヘ。
日米関戦の日は会社から一斉に電報で呼び出された。
「戦争が始まった、米国の軍艦を沈めたらしい、そんな断片的な会話が交わされた。
開戦について誰も知らなかったと思う」
戦争は秘密に始められた。
政府は事前に国民に相談などしない。
「敵国を欺く前に自国民をだますのが戦争の秘訣。そのために必要なのが、国民を脅して見ざる・言わざる・聞かざるにする『三ザル法』。今の秘密保護法はまさにそれだ」
新聞社内の空気も一変した。
ニ人で話すのはよかった。
「あいつは非国民」と当局に密告されたとき、犯人が分かるからだ。
三人以上だと誰が密告者か特定できない。
新聞社として、情勢をどう報道するべきかを大勢で議論する場も消えた。
市民生活でも同じだった。
戦死した兵士の家を訪れると、直前まで号泣していた妻が無理やり
「お国のためで良かった」と軍国婦人を演じた。
非国民にされぬよう本心を偽り、親子や近隣同士でも疑心暗鬼になった。
「日本中の人間関係はずたずたに裂かれた」
疎開学童を取材に行くと「家に帰るためなら、富士山にだって登る。なぜ私たちはこんな苦しい目に遭うのですか」と子どもに聞かれた。
「原稿を書きながら泣いたのはあの時だけ。何のための戦争なのか、国民はまるで分からない。最初から秘密だったからです」

 ★若者が被害者

ジャワ戦線の従軍記者だった42年3月、連合軍が通ったインドネシア西部の集落に行くと、
女たちが乱暴され、助けようとした男たちが殺されていた。
「男が戦場でどうなるか。性行為しか生きる実感がない。戦争は人をケダモノにする」
軍の輸送船に乗っている時に「襲った女性を子どももろとも殺して、証拠隠滅のために火を付けた」という兵士の会話も聞いた。
「そういうことは一字も書かなかった。だって国の方針に逆らう非国民になるからね」
社内ではポツダム宣言の受諾を、事前の8月12日に分かっていたという。
だが、玉音放送を待つということになり、報道はしなかった。
記者として自らの戦争責任を取ろうと、辞職した。
むのさんに秘密保護法の反対運動には若い世代があまり見あたらないのでは・・・と聞くと「バカにしちゃいけないよ」という答えが返ってきた。
「若者は自分たちが一番被害に遭うんだからビンビン伝わるはずだ」
むのさんの人生訓は「抵抗するなら最初に抵抗せよ。途中で泣くな」。
そして「あきらめること自体をあきらめよう」。
このまま秘密保護法案が成立したらと聞いても、
むのさんは「悲観することはない」と明るい口調を崩さない。
「成立の日から廃止に向けて闘うだけだ」


 むのたけじ 本名・武野武治。1915年、秋田県生まれ。
東京外国語学校(現在の東京外大)スペイン語科卒業。報知新聞社の記者を経て、朝日新聞社に勤務。敗戦の日に辞職。
48年から30年間、秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を発行。
著書に「99歳一日一言」「希望は絶望のど真ん中に」など。

--------------

(((治安維持法から次々規制)))

戦前から戦中にかけ、この国はどう民衆の自由を縛り上げたのか。
大正デモクラシーの機運が高いころは社会運動の側も強かった。
1918年に冨山の米騒動が全国に広がり、
ロシア革命の影響で激化した労働運動などを弾圧するための
過激社会運動取締法案も22年、報道機関などの反対で廃案になった。
だが、25年に普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が成立。
27年の金融恐慌で社会不安が増大したころから政府は巻き返しを図っていく。
28年に治安維持法を改正し、最高刑を死刑と定めた。
改正に反対した山本宣治衆院議員は右翼の暴漢に殺害された。
30年から33年にかけ、共産主義に共感を抱いているとして、多数の教員を処分した。
満州事変後は、軍の青年将校によるテ口やクーデター未遂が相次ぐ中で軍国主義への傾斜を強めた。
治安維持法の違反者は「転向」後も徹底的にマークし、政府批判の怪文書も取り締まった。
国家総動員法の施行や大政翼賛会の発足で日常生活の統制を強化した。
41年に国防保安法を公布し、外交・財政・経済上の「国家機密」の取得を制限。
42年には無実の編集者らが獄死した「横浜事件」も起きた。



(((戦前・戦中の統制強化の歴史)))

1918年 富山で米騒動。全国に広まる。大正デモクラシーの機運が高まる
 22年 過激社会運動取締法案が廃案。吉野作造や報道機関の皮対運動が奏功
 23年 関東大罷災で戒厳令。社会運動家や朝鮮人が虐殺される
 24年 護憲三派内閣が成立。選挙での政権交代が実現
 25年 普通選挙法と治安維持法が成立
 27年 金融恐慌。社会不安から軍部が台頭する契機となる
 28年 治安維持法改正。最高刑は死刑。41年の改正で予防拘禁制度を導入
 30年 教員赤化事件。33年までに多数の教員が共産党シンパとして摘発される
 31年 満州事変起きる
 32年 五・一五事件。海軍の青年将校らが犬養毅首相を殺害
 33年 作家の小林多喜二が特高警察の拷問で死亡
 34年 文部省に思想局を設置
 35年 天皇機関説で美濃部達吉貴族院議員が辞職
 36年 二・二六事件。陸軍の青年将校が高橋是清蔵相を殺害。思想犯保護観察法を公布。不穏文書臨時取締法成立
 37年 日中戦争始まる。軍機保護法を全面改正。適用範囲を拡大し、厳罰化
 38年 国家総動員法の施行。財産などの制限が可能に
 40年 大政翼賛会が発足。町内会などを通じ、日常生活を統制
 41年 国防保安法を公布。外交・財政・経済上の重要情報が「国家機密」になる。太平洋戦争始まる。言論出版集会結社等臨時取締法を公布
 42年 横浜事件。編集者ら4人が獄死
 45年 敗戦
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「村木厚子さんは無罪になったが…」 2013年11月27日(水)No.807

2013-11-27 21:13:44 | 日記
秘密保護法が衆議院を通った。
人数に任せて参議院でも通過するだろう。
そうすると、本当に、本物の法律となって日本国民を縛り付ける。
私はこの年になって、
自分がいつ訳わからん逮捕をされるか分からない時代になったのを感じる。

「逮捕」で、村木厚子さんのインタビュー記事を以前保存していたのをふと思い出した。
2009年6月、実体のない障害者団体「凛の会」に
郵便割引制度の適用団体と認める偽の証明書を発行するよう部下に指示した
という容疑で逮捕され、
保釈されるまで5か月以上に渡り大阪拘置所に拘留されていた人だ。
翌2010年9月、裁判で無罪が確定し、現在は厚生労働省事務次官をしているという。
彼女の現在の仕事はともかく、
逮捕の時の様子を語る言葉が、この人は冷静な人だなと感じさせる。
逮捕されることになり、
何とかして、家に居る19歳の娘にそのことを知らせたいが、
電話することを禁じられ、こっそり検事の目を盗んで海外出張中の連れ合いに、
「たいほ」とひらがなでメールしたことなどを淡々と語っている。

しかし、逮捕状が執行され、大阪拘置所に移送される際の様子を語る言葉には、
胸に迫るものがある。
 「移送の車を待つため、座っていると、急に涙がこみ上げてきました。
でも、泣きたくなかった。泣くと弱気になり、心が揺れますから。
隣についてくれていた女性事務官と話をして気を紛らわせました。
移送の車に乗る直前、事務官が
『マスコミがたくさん来ているようです。
顔を隠すためのマスクがありますが、使うかどうかは村木さんが決めてください』
と言ってくれました。
私は一瞬、どうしようかと思ったのですが、
平気な顔して出ていこうと決めました。
幸い、車は、後部座席のカーテンが閉められていて
中の様子がわからないようになっていました。
ただ、カーテン越しにものすごいフラッシュがたかれているのはわかりました。」

([村木厚子元局長 夫に送った「たいほ」の3字]週刊朝日http://dot.asahi.com/wa/より)

その後、彼女は11月後半までを大阪拘置所で暮らした。
彼女自身は、自分が無実であることを知っていたが、
犯罪者とされて、社会的な信用など今まで築いてきた全てを失った気になった。
しかし、そうではない、自分は何も失ってなどいない、と気づかせてくれたのが、
アクリル板越しに弁護士が見せてくれた同僚や友人たちからの、
「信じています」「がんばって」という寄せ書きだったという。

人はどうしたら絶望せずに生きていけるのか、これで分かる。

それにしても、虚偽公文書作成、同行使容疑で彼女を逮捕し、
その後、自分が証拠隠滅罪によって逮捕された
前田恒彦特捜部主任検事の経歴を見てみたら、
佐藤 栄佐久福島県知事汚職事件、
西松建設事件・陸山会事件、
朝鮮総連本部ビル売却問題
など名だたる事件を担当し、
事情聴取された人が供述してもいないことを勝手に調書として作成したり
(福島知事汚職事件)、
秘書の大久保隆規の5通の調書について検察事務官を立ち合わせないまま、
調書を作成したり(西松建設事件・陸山会事件)、
事件公判における偽証罪で弁護団に告発されたり(朝鮮総連本部ビル売却問題)、
明らかに権力の陰謀の手先となって働いていた人だ。
こういう人が検事のなかにワンサカいるんだろうなあ。

日本の人は中国のことを「法治国家じゃない」とよく言う。
それは当たってい面もある(大いに)。
しかし、それは中国だけかい?
自分の国はそんなに立派なのかい?
他人に厳しく、自分に甘い。
そんな傾向がヒシヒシと感じられる日本的今。

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「子どものころ『主権在民』と習ったが、今の日本は『主権在政府』」2013年11月26日(火)No.806

2013-11-26 18:57:23 | 政治
はや!
国民の80%が反対し、もしくは懸念を抱いている秘密保護法案が、
とっとと衆議院を通過したという。
ろくに委員会で審議もしていないのに……。
やりたい放題とはこのことだ。
国民は知らされず、ただ従うだけ。これから日本は暗くなる、確実に。

<秘密保護法案>衆院を通過―――――――――
毎日新聞 11月26日(火)20時16分配信

 国家機密を漏えいした公務員らに厳罰を科す特定秘密保護法案は26日夜、
衆院本会議で採決され、自民、公明両党とみんなの党の賛成多数で可決された。
民主党など野党が採決に反対するなか、与党は同日午前、
衆院国家安全保障特別委員会で採決を強行し可決させたのに続き、
衆院本会議での採決に踏み切った。―――――――――――――


それもこれも、自民党安部政権を国民の60%以上が支持し、
何でも言うこと聞いて従ってきたせいである。
日本国の歴史の大転換が行われているというのに、
多くの国民は国のことなどどうでもいいのか。
ホンマに麻酔の注射でもされてるんちゃう?
と、一瞬思ってしまったが、下記のスケジュールを見たら、そんなことない。
たくさんの日本国民が行動しているのだ。
ここ中国で私ができることは、まず、このブログを読んでくれている日本の人たちに、
下のどこかに出かけてくださいと訴えることだ。心は行動する皆とともに。
こんな悪法を実施させてしまったら本当に日本は滅びる。
皆さん、これは連日の抗議でひっくり返すしかありません。
自分の暮らしだけでも忙しいでしょうが、ここはひとつ踏ん張ってください。
(一人で行ったらアカンよ。必ず誰か誘ってね~!)



*デモ・抗議行動日程別一覧*
月日/都道府県/タイトル/時間/URL


11/27( 水 ) 北海道 /STOP!秘密保護法!11.27緊急デモ /12:00~/ http://www.satsuben.or.jp/events/2013/28details.html

〃 東京/「特定秘密保護法案」の廃案を求める中央要請・国会前座り込み行動(北海道平和運動フォーラム)/ 9:30~ http://www.jichiro-hokkaido.gr.jp/archives/2954
〃 東京/市民500人で国会に行こう!☆STOP!!秘密保護法案 /15:00~/ http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/500stop-1111-e2.html
〃 東京/ STOP 特定秘密保護法案!官邸前アクション /18:30~ https://twitter.com/tetsu_molotov/status/404623433817804802
〃 東京 「秘密保護法」に反対する目黒の会・学芸大学駅宣伝 17:30~ https://www.facebook.com/teiko.hosimi/posts/550878804991397
〃 東京 秘密保護法反対宣伝行動(富士見台駅) 16:00~ https://twitter.com/genpatunerima/status/404762223106486273
〃 神奈川 「秘密保護法案」の廃案に向けての宣伝行動(京急大師駅前) 15:00~ https://twitter.com/MitsunoMasahiro/status/404131853470150656
〃 長野 STOP!秘密保護法佐久緊急集会(集会後パレード) 18:00~ http://blogs.yahoo.co.jp/saku_dgnet/10656860.html
〃 岐阜 特定秘密保護法の反対街宣(多治見駅前北口) 17:00~ https://twitter.com/shibataakihito/status/403323003087224832
〃 滋賀 全交(関西)秘密保護法廃棄!連続緊急行動(署名&ビラまき・JR大津駅前) 18:00~ http://zenkopeace.blog.so-net.ne.jp/2013-11-25-1
〃 京都 許すな!秘密保護法 安部政権の暴走政治ノー!11.27左京怒りの提灯デモ 18:00~ https://twitter.com/buto20_/status/404822040034570241
〃 京都 秘密保護法案反対緊急街頭宣伝(日本共産党・四条柳馬場《京信前》) 17:30~ http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/11/post-580.html
〃 大阪 全交(関西)秘密保護法反対緊急街頭署名・宣伝行動(大阪市役所南西角) 18:00~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404772345195143168
〃 大阪 全交(関西)「秘密保護法」反対連続行動(高野線「堺東」駅前) 17:30~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404772944150142976
〃 大阪 全交(関西)秘密保護法廃棄!連続緊急行動(署名&ビラまき・香里ケ丘万代前) 15:00~ http://zenkopeace.blog.so-net.ne.jp/2013-11-25-1
〃 大阪 秘密保護法に反対する街頭宣伝(梅田スカイビル下) 18:30~ http://www.minpokyo.org/information/2013/11/2620/
〃 大阪 秘密保護法はあかん!大阪の街頭宣伝(日本共産党・京橋駅) 17:00~ https://twitter.com/jcpdenight/status/405239945377243136
〃 和歌山 「Stop!秘密保護法」緊急パレード 12:15~ http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/34329366.html
〃 兵庫 全交(関西)「秘密保護法」反対連続行動(阪神「西宮」駅えびす口側) 18:15~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404773181656817664
〃 広島 特定秘密保護法案反対街宣(広島市中区の本通り電停前) 17:30~ http://hiroseto.exblog.jp/21374376/

11/28( 木 ) 茨城 緊急!夜デモ 国民の目耳口をふさぐ秘密保護法を廃案にしよう!(水戸駅北口で街宣後にデモ) 18:00~ https://twitter.com/naturegeostudy/status/404941797664649216
〃 東京 市民500人で国会に行こう!☆STOP!!秘密保護法案 15:00~ http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/500stop-1111-e2.html
〃 東京 STOP 特定秘密保護法案!官邸前アクション 18:30~ https://twitter.com/tetsu_molotov/status/404623433817804802
〃 東京 秘密保護法反対宣伝行動(新江古田駅) 16:00~ https://twitter.com/genpatunerima/status/404762223106486273
〃 東京 秘密保護法反対街宣(保谷駅北口) 17:30~ https://twitter.com/EUCALYPTUS_70ml/status/404928641139630080
〃 東京 秘密保護法反対!中野でもアピールします!(中野駅北口) 18:30~ https://twitter.com/kazsoul/status/405228496428863488
〃 東京 【帰ったきたぶらり脱原発!】復活第二弾(TPP、秘密保護法も) 19:00~ https://twitter.com/AtsushiHinata/status/404412537648586754
〃 静岡 STOP!秘密保護法緊急集会in静岡() 18:30~ https://twitter.com/japanpeacecom/status/403754614215827457
〃 石川 やめまっし!秘密保護法パレード 18:30~ 告知 Facebook
〃 滋賀 全交(関西)秘密保護法廃棄!連続緊急行動(署名&ビラまき・JR大津駅前) 18:00~ http://zenkopeace.blog.so-net.ne.jp/2013-11-25-1
〃 大阪 全交(関西)秘密保護法反対緊急街頭署名・宣伝行動(大阪市役所南西角) 18:00~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404772345195143168
〃 大阪 全交(関西)「秘密保護法」反対連続行動(高野線「堺東」駅前) 17:30~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404772944150142976
〃 大阪 全交(関西)秘密保護法廃棄!連続緊急行動(署名&ビラまき・京阪電車「枚方市」駅南口) 17:00~ http://zenkopeace.blog.so-net.ne.jp/2013-11-25-1
〃 兵庫 全交(関西)「秘密保護法」反対連続行動(阪神「西宮」駅えびす口側) 18:15~ https://twitter.com/Idekubo_Keiichi/status/404773181656817664
〃 広島 特定秘密保護法案反対街宣(広島市中区の本通り電停前) 17:30~ http://hiroseto.exblog.jp/21374376/

11/29( 金 ) 宮城 STOP!秘密保護法ネットワーク宮城 街宣・署名活動(一番町平和ビル前) 12:00~ https://twitter.com/yoshimimama7/status/402443702661967872
〃 東京 国会前情宣・昼集会「STOP!安倍の暴走 つぶせ!改憲 共謀罪も秘密保護法も盗聴法もいらない」 12:00~ http://www.labornetjp.org/EventItem/1384785706978staff01
〃 東京 特定秘密保護法~衆院通過させない!絶対させない!永田町大集会 18:30~ https://twitter.com/tetsu_molotov/status/404811875235270658
〃 東京 秘密保護法反対宣伝行動(武蔵関駅)
〃(桜台駅) 16:00~
18:00~ https://twitter.com/genpatunerima/status/404762326227615744
〃 東京 カネより命!2013ZENKO冬のつどい ワンデイアクション(要請行動) 9:00~ http://www.labornetjp.org/EventItem/1384593512248staff01
〃 京都 秘密保護法案に反対するパレード(終了後に四条河原町で街頭宣伝) 17:00~ http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/11/post-580.html
〃 岐阜 特定秘密保護法の反対街宣(土岐市駅前) 17:00~ https://twitter.com/shibataakihito/status/403323003087224832
〃 広島 特定秘密保護法案反対街宣(広島市中区の本通り電停前) 17:30~ http://hiroseto.exblog.jp/21374376/

11/30( 土 ) 岩手 STOP!!特定秘密保護法11.30県民集会(デモ有り) 13:30~
15:30~ https://twitter.com/kenshirou926/status/404883990722519040
〃 東京 秘密保護法案反対!デモ(第11回国防軍反対!デモ) 17:30~ 告知 ブログ
〃 東京 ストップ!秘密保護法日野市民パレード 11:00~ https://twitter.com/chikamiki/status/404909950771937280
〃 東京 秘密保護法反対集会&デモ(多摩市) 13:00~
14:00~ http://ameblo.jp/megumix9/entry-11711862686.html
〃 東京 秘密保護法反対宣伝行動(練馬高野台駅) 14:00~ https://twitter.com/genpatunerima/status/404762326227615744
〃 東京 秘密保護法廃案に、憲法守ろう。宣伝行動(三鷹駅南口) 14:00~ https://twitter.com/arisanx2/status/404904446435397632
〃 東京 秘密保護法駅頭宣伝(武蔵小金井駅南北) 16:00~ https://twitter.com/jcpyoko/status/402578807183261697
〃 愛知 秘密保護法案を許さないデモ 13:30~ https://twitter.com/Sho__Nuf/status/401618714983792640
〃 京都 秘密保護法を許さない 宇・城・久 緊急集会(集会とデモ) 13:30~
15:20~ http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/11/post-580.html
〃 沖縄 沖縄市レインボーパレード 未定 http://blog.goo.ne.jp/okinawacityparade

12/1( 日 ) 埼玉 秘密保護法案、反対宣伝行動(川口駅) 15:00~ 暫定告知
〃 千葉 「秘密保護法反対!」の宣伝(津田沼駅北口)
〃(船橋駅北口) 13:00~
15:00~ https://twitter.com/keikomiyake/status/403432015774482432
〃 東京 秘密保護法反対デモ(練馬) 10:00~
13:00~ https://twitter.com/genpatunerima/status/404762326227615744
〃 神奈川 つぶせ!「秘密保護法」12.1 かながわデモ
街頭アピールとデモ 13:30~
14:50~ https://twitter.com/eigakazan/status/404776186078699520
〃 愛知 やろまいフェス (大デモ名古屋) 13:00~ https://m.facebook.com/events/605931592805343/
〃 岐阜 「ストップ秘密保護法案飛騨地区連絡会」集会・デモ行進 14:00~ https://twitter.com/hidanoyamazaru/status/404943202198642688
〃 大阪 戦争はイヤ!御堂筋パレード 13:30~
14:15~ http://www17.plala.or.jp/kyodo/home1.html フライヤー(pdf)

12/2( 月 ) 京都 秘密保護法案街頭宣伝(民報労連、京都放送局労働組合・四条河原町マルイ前)その後デモ 18:20~
19:00~ http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/11/post-580.html
〃 大阪 第2回 秘密保護法反対デモ 11:30~ http://ameblo.jp/amebloacchan/entry-11697390732.html

12/3( 火 ) 東京 STOP TPP!! 官邸前アクション 18:00~ http://tpp.jimdo.com/

12/4( 水 ) 東京 水曜夕暮れ官邸前!このまますすむと困っちゃうアクション 18:00~ https://twitter.com/kawazoemakoto/status/404837680179339264
〃 京都 秘密保護法反対デモ in 京都(仮) 18:30~ http://www.kyoto-minpo.net/archives/2013/11/22/post_9794.php

12/6( 金 ) 宮城 STOP!秘密保護法ネットワーク宮城 街宣・署名活動(一番町平和ビル前) 12:00~ https://twitter.com/yoshimimama7/status/402443702661967872
〃 東京 STOP!「秘密保護法」大集会・デモ 未定 先行告知

12/7( 土 ) 東京 大デモ 10:00~ http://bigdemo.jp/ Twitter Facebook
〃 広島 STOP「秘密保護法」福山緊急行動 集会およびデモ行進 13:00~ http://blog.livedoor.jp/sakatakouei/archives/51529431.html

12/8( 日 ) 宮城 錦町公園ピースウォークPeace and love 11:30~ https://twitter.com/sendaiokfood/status/400779978796568576
〃 栃木 STOP原発!STOP秘密保護法案!デモ in 足利 13:00~ 告知 フライヤー
〃 東京 秘密交渉・国会無視・生活破壊 これでいいのか?!TPP 12.8大行動(集会とデモ行進) 13:00~ 告知 詳細
〃 東京 平和とくらしを守る12・8中野集会(集会とデモ) 14:00~
14:45~ http://blogs.yahoo.co.jp/nakanodoken9/62942819.html
〃 東京 憲法改悪阻止!安倍政権の暴走ストップ!!12・8三多摩大集会(集会後パレード) 13:30~ https://www.facebook.com/events/346721085464308/

12/15( 日 ) 京都 京丹後市・経ヶ岬に米軍基地はいりません 平和の叫ひ&人間のくさり
(リレートーク、ヒューマンチェーン、デモを実施)
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「山本太郎さんの‘天皇直訴’まとめーおしどりマコさんブログから」2013年11月25日(月)No.805

2013-11-25 16:51:17 | 原発事故

↑山本太郎さん(おしどりケンさん撮影。山本太郎氏が参議院議員に当選した日、選挙事務所にて。) )

1か月ほど前、参議院議員山本太郎さんが、園遊会で天皇に直接手紙を渡したことで、
一時期、彼に対する賛否両論が沸き起こった。
非難する意見の多くに「不敬」であるという文言があって、私は大いに驚いた。
いったいどこが不敬なのか?
そして、いったい不敬とは何か?である。
ステテコ姿で登場してもいないし、片手で渡したわけでもない。
服装もきちんとして、両手で恭しく渡していたそうじゃないか。
天皇は神様ではない。人間であり、大変リベラルな紳士でいらっしゃる。
園遊会は、天皇が国民と交流する場なのではないのか。
「手紙を天皇に渡したらダメだ」という決まりもないではありませんか。
そして、紳士の天皇はちゃんと、山本太郎の手紙を受け取らはった。
それでええやん。
それ以上、何をグチャグチャゆうことあんねん?
右翼か誰かが太郎さんに脅しの刃物や銃弾を送りつけたことの方が
よ~~~~~っぽど(ふう、ここで一息)、法律違反で悪いことでしょ?
それを、サンケイなど邪悪なメディアは、
「これからも右翼による脅迫は続くだろう」などと、
まるで脅迫するのが当然のような書き方をしているのだ。
これを「メディアによる煽り」というのである。

ついでに言わせてもらえば、
多くの人が天皇「陛下」と書くのも非常に違和感がある。
天皇陛下と言わなければ不敬なら、みんな歴代天皇にも陛下を付けたらどうなんだ。
「東大寺をご建立なさった聖武天皇陛下」
「〈春過ぎて 夏来るらししろたへの~〉とお歌いになった 持統天皇陛下」
教科書に全くそのように書いていないのは不敬の極みではないのか。
ひょっとして、亡くなった天皇はただのヒトだから
「陛下」を付けなくてもいいんですかね。

天皇は地位を表すので、その後に「様」とかつけるのもおかしい。
「博士様」「先生様」とか、みんな違和感感じるでしょ?

ま、私のような「内地人」(←北海道では本州の人々をこう呼ぶ)ではない者の
発言に対して、「お前はそれでも日本人か!」という
罵声が内地から飛んでくるかも知れないが、どっこい私は日本人なんだす。
遠くに出稼ぎに来ているのに、ずっと律儀に祖国に税金も払っているんだす。
なので、自分の国がもっと多様な人の意見に耳を傾け、
少数者を迫害せず、異端を大切にする懐の深い素敵な国になってほしいんだす。
(中国の学生の皆さん、この文末の「だす」は、
皮肉を言っている無骨人というニュアンスで読んでね)

ああや、こうやと意見が多い今回の太郎さんの行動だが、
彼は福島の状況を天皇に訴えたかったそうだ。
では、その福島県民は彼の行動をどう受け止めたのだろうか。
それが、一番たいせつなことだという気がする。
結局、それをこの「事件」のまとめと教訓にしたらいいのではないだろうか。
おしどりマコさんが、きちんと福島の人たちに聞いて回ってくれはったので、
とても参考になった。
長いが、マコさんのブログ文を、ベッタリ貼り付ける。
長くて、値打ちがあるいい記事だと思う。


            ↑おしどりマコさん(右)

以下おしどりマコさんのブログ文全文掲載―――――

山本太郎「天皇直訴」手紙の中身と福島の反応(おしどりマコ)
2013年11月02日
山本太郎参議院議員が10月31日の園遊会で天皇陛下に手紙を直接渡し、騒動になっている。
筆者は山本議員に手紙の内容を取材し、手紙の内容となっていた福島第一原発の作業員と福島県民、計30名ほどに取材をしたのでまとめる。
1.山本太郎議員の手紙の内容
2.福島第一原発作業員の感想
3.福島県民の感想
********
1.山本太郎議員の手紙の内容
「不躾にもお手紙を陛下にお渡しする無礼、お許し下さい。」という書き出しで始まる手紙だそうである。
原発事故によって、未来を担う子どもたちが置かれている状況や事故の収束作業に関わっている作業員の現状をお伝えしたかったと話す山本議員。
具体的な内容として、
東京電力が支払う日当は一日8万円だが、最下層の下請け会社では日当が数千円になっている現状、
原発事故前と同じ法律で、原発事故後の収束作業の健康管理がなされている状況、
しかし、住民は、事故前は年間1mSVだったが、事故後は20mSVまで、となっていること、
子どもたちは大人と比べて放射線への影響が高いといわれているが、影響の因果関係を突き詰めることは難しい中、不安に思う母親が多いこと、
福島県だけではなく、東日本のホットスポットの住民も同調圧力の中、不安に思う者もいること、
などをしたためたという。
********
2.福島第一原発作業員の感想
(みな男性。年代を記そうと思ったが、伏せてほしいという要望が多かったため書かない。年代によっては、人数が少ないからである)
「特に大きい話ではない、事実の1つとして受け止めた。中は(福島第一原発は)普通。特に騒いでもないし、話題にもあまりあがらない」
「代弁してくれたという思いと、やっちゃったなという思い」
「現代の田中正造だと思った。彼がしたことがいいか悪いかは、歴史が判断する。今、とやかく言うことではないし、原発事故が起こり、自分たちが作業していることは事実」
「ルール違反ではあったが、声をあげてもらえるのはありがたい」
「山本太郎を叩いている議員は、我々のために何かしてくれたのか。山本太郎を叩いている議員に、書簡の内容をどうとらえているか、聞きたい」
「ただ、ビックリ。実直なんだよね、山本太郎。福島の現状と子どもたちのことを伝えてくれたのはありがたかったけど、政治家として違う勝負は無かったのかな」
「何とかしたいと思ってくれるのはありがたいが、戦略がない。感情だけで動いてしまった感じ」
「山本太郎の気持ちはわかる。ということは庶民に近い議員だと思う。でも、庶民のルールは通用しないところで動いているので、もっとクレバーに」
「甘い。田中正造は全財産失って、やりつくしたうえで死ぬ覚悟で直訴した。山本太郎はまだやりきっていない。福島原発事故のことを考えてくれる気持ちはわかるが、直訴の前に、やれることはまだまだあると思う。ここで失脚したらもったいない」
「陛下に現状をお知らせしても、陛下はお困りになると思う。陛下はわかってくださっていると思う。でも、山本太郎の行った気持ち、何とかしたいという思いはわからなくもない」
********
3.福島県民の感想
(陛下に関わることなので、地域名、年齢、性別も伏せてほしいと要望されたものは書かない)
「これだけ動いてくれる議員がいてもいいのではないか」(40代男性)
「気持ちはわかるけど、やっちゃった、と思った」(30代男性)
「直訴はわかるが、園遊会でないほうがよかったのでは」(40代男性)
「選挙が終わったら、演説、公約で話していたことを実行しない議員が多々いる中、当選後もずっと原発事故のことで動いている。そこは評価できる」(福島市60代)
「………愚直な人だと思う」(50代男性)
「山本太郎を叩いている著名人は、彼の手紙の内容をどう思っているのか知りたい」(郡山市女性)
「私たちのために、よくぞ危ない橋を渡ってくれたと思う」(いわき市女性)
「政治的利用って言っているけど、どっちが? オリンピックのために皇族が応援演説したことを私たちは一生忘れない。あれを見て福島の中にどれだけ傷ついた人間がいたか。本当にショックだった。東京都知事がキャッシュで4000億円オリンピックのための予算があると言い、皇族が応援のスピーチをし。私たちは東京のための電力をになっていた原発の事故で今も苦しんでいるんです。これ、匿名で絶対に書いてほしい」
「天皇陛下の政治利用って、どういうことだろうね? 皇族は関係ないの? 僕は、天皇陛下も皇族の方々も敬愛しているけれど、オリンピックのスピーチはショックだったよ。スポーツの祭典だから政治関係ないのかな、でも都知事や総理に並んで、皇族の方がスピーチされたのは、福島が切り捨てられた気がしたな。僕の周りにも、あのことは許さないと話す人間もいるしね」(30代)
「自分たちはノーという権利はないんですか。今、イエスだけを強要されている気がします」(双葉郡)
「山本太郎はあまり好きではないけれど、今回のことも甘いなと思うけれど、でも、もったいないと思う。だって、他に原発事故のことであそこまで動いてくれる議員はいないから。山本太郎は苦手だけど、じゃ、他に今、原発事故のことでとにかく動いてくれるだろうなっていう国会議員、他に誰がいる? 俺は相当議員に会ったけれど思いつかないね」(男性)
「まだ議員になって、何もしてないのに早すぎじゃない? 6年あるんだから焦らなくても……田中正造は死ぬ覚悟でやったけど、山本太郎は死ぬ覚悟はあったのかな? 特定秘密保護法案なんかで彼の焦る気持ちはわかるけど短慮だと思う」
「自分は、実は、誰かが天皇陛下に訴えてくれたらいい、と願っていた。どなたかに託そうかと思っていた。原発事故のことは、国連でも、WHOでもムリだ。ローマ法王に直訴に行こうか、と考えていたこともある。日本の行政も国会議員も研究者も、訴えてもダメだった。どこに、誰に訴えたらいいんだろうかと思って。」(40代男性)
山本太郎議員が陛下に直訴するという騒動のあと、山本議員の書簡の内容、その内容の主旨であった福島第一原発の作業員、福島県民がどのように感じたかが報じられていないので取材した。
匿名で書くことを条件に、本心を明かして頂いた。作業員の方々は年代を、福島県民の方々は地域名、年齢、性別などは記そうとしたが、陛下に関わることなのでそれも伏せてほしいと要望され、書いていない。
11月1日に、筆者が山本太郎議員の行動に対するコメントを求めているということが広まり、1日夜には作業員や福島の方々が自ら電話やメールなどで、いろいろなコメントを送ってくださったことを感謝する。
取材をして、作業員や福島県民の受け止めは
・山本太郎議員の行った行動は、軽率ではあるが、代弁してくれたという感はある
・山本太郎議員は甘いが、彼を批判している議員、著名人は、福島原発事故に関して何か動いてくれたのだろうか?
に集約されていたように思う。
特に、取材をしていてオリンピック誘致の際の皇族の方への思いに触れ、こんな激しいものだったのかと筆者は驚いた。
書こうか書くまいか逡巡した。
しかし、想いを打ち明けた方が「難しいと思うけど、書けるんだったら書いてほしい、知ってほしい」と最後に言ったこと。そして、他の福島の方数人に、このような内容を記事に書くのはためらわれる旨を相談したところ、そう考えている人間はいる、自分も同感だ、と話されたため、やはり書くことにした。
筆者は祖父が神主の資格を持ち、神事に携わっていたこともあり、天皇陛下は敬愛している。
筆者は日本を愛しているが、それは日本政府を愛しているということと同義ではないことを最後に付け加える。 http://no-border.asia/archives/16100
ーーーーーーーーーーーーー――――――――――――――終り
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「日本語学科老師初出演―江財大新入生歓迎会」2013年11月23日(土) No.804

2013-11-24 00:27:06 | 中国事情
江西財経大学外国語学院(日本語で言うと「外国語学部」)の新入生歓迎会はすごい。
毎年、先生方が大挙して出演するのだ。
しかも、その演技たるや半端ではない。
貸衣装屋さんから衣装も借りて、化粧もバッチリ、て言うか、
近くで顔を見ると怖い。
他の大学でこんなことしているところがあるのだろうか。

しかし、それは英語学科やロシア語の先生だったり、オフィスの職員だったりして、
日本語学科の老師たちだけは、未だかつて出演したことがなかった。

昨年、学生たちから「ぜひ、ぜひ見に来てください」と言われ、
期末テスト作りで忙しい最中、出かけて行った。
護衛のため(ちょうど反日行動のひどい頃だったので)厳先生が付き添ってくださった。
聞くと、なんと厳先生も初めてだった。
日本語学科の先生方は誰一人、
この大々的なお祭りに観客としてすら参加したことがなかったのである。
皆、シャイで引っ込み思案な先生ばかりだっただけで、他意はないそうだ。

外国語学院には英語学科と日本語学科しかない。
当日、人数では英語学科の半分にも満たない日本語学科の学生たちが、
司会をしたり、ダンスや歌のパフォーマンスを繰り広げたりして、
対等に会を盛り上げていた。
それに感激した私は、帰り道の車の中で、
日本語学科の老師も来年は何かするべきだと厳先生に訴えると、
「僕は歌がへたなので絶対歌えませんが、GAO先生は『北国の春』が上手です。
来年は、彼に歌ってもらいましょう。」
とおっしゃる。
その歌だけは勘弁してほしい私は、心中ガッカリした。

こうした紆余曲折、道なき道を踏み分けて、ついに今年、
日本語学科の厳先生、陶先生(今学期赴任した新しい先生)、そして私は、
日本語学科の教師として初めて舞台に登場したのであ~る。

私たち3人は3年生クラス30人全員と一緒にKIROROの「長い間」を歌った。
中国ではヒット曲だそうだ。
(厳先生はもちろん知らず、私もサビの部分だけ微かに聞き覚えが…
選曲の時、3年生が
「先生はどんな歌が好きですか。『昴』にしますか。『北国の春』はどうですか」
と言う……。どこまでもまず、教師を立てる発想なのだった。
今の中国の若者が知っている歌にするよう指示したところ、この曲になった。

実は、3日前に録音しておいたので本番は口パクだった。
口パクについて、日本的には相入れないものであろうが、本番中、実に気楽で、
(ああ、口パクはいいなあ)と、クセになりそうなワタシだった。
さらに、江西科技師範大の八木先生が弟子とともに応援に駆け付け、
お手製の横断幕ならぬ名前カードで場内から、盛り上げてくださった。
口元をマイクで隠しながら、
(先生、そんな暇がどこに!)と心で叫んだブルーはーとだった。


下の写真は、開会式のすぐ後、バスケットボール・クラブのパフォーマンス。
これぞ青春まっただ中。


↓中国雲南省の少数民族舞踊を踊る先生方(右から2番目は日本語学科の新星、陶先生)。


日本語学科2年生のダンス。化粧しているので誰が誰かよ~く見ないと分からない。
2年生は他にも「君を乗せて」(天空の城ラピュタの主題歌)を歌った。
会話授業で紹介したものだった。この歌はずっと好きな歌だ。


左の司会は、日本語学科4年の陳小雲君。
学科を越えて人気者の彼が、堂々と日本語で話すたびに会場から拍手が沸き起こる。
今、就活まっただ中だが、この日は日本語学科の学生リーダーとして存在感を示した。
4年生の姿が学校から消える日もじりじりと近づいている。
寂しいが、‘花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ’である。
コメント (1)
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「トトロの道を通って学校へ」 2013年11月22日(金)No.802

2013-11-22 22:41:07 | 中国事情

朝、520番の市バスを降りて麦盧キャンパス裏門まで、
道路脇のこの木陰の道(自分勝手に「トトロの道」と呼んでいる)を歩く。
写真より実際はもっと木が茂っている感じなのだが…。


フェンスの内側は大学キャンパス。門が不合理な場所にあるため、
合理主義者たちは、時々このようにフェンスを改造して通り抜ける。
(よ~く見たらどこか分かるよ



よく蜜柑や棗を買うキャンパス内スーパーの店員さん。。
すっかり顔馴染みになり、いつもおまけしてくれる。
撮影していいか聞くと、恥ずかしそうにやたら服装を整えていた。



奥のレジ係さんは、何年も前に日本で働いたことがあるそうな。
ときどき急に「ちょっと待って」などと日本語が口を衝いて出るのです。


スーパーの入口。卒業生や研修で学校を離れている4年生には、
この写真は懐かしいことだろう。



蜜柑を買った後、日本語学科の女子寮の裏門を横目に見て資料室へ向かう。
今朝は、おしゃれな照明器具に洗濯物がかかっていた。
こういうことはとてもよくある。
以前、一階教室前の窓の外に赤いパンツ(男ものの下着)が干してあるのも見たことがある。



毎日キャンパスをきれいにしてくれはる清掃スタッフの方々。
3年前は素手でゴミを掴んでいた。
ガラスが混じっていたら…とハラハラしたものだった。
今は時代が変わっている。手袋、ゴミばさみ、袋を見てホッとする。



キャンパス内道路にはいずれも名前がある。
ここは[尚礼路 The Road of Propriety]。


毎年、街路樹の楠木はどんどん枝を伸ばしている。
遠くが翳んでいるのは、大気汚染の所為だと思う……
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「エライぞ、京都大学学生有志のみんな!」2013年11月21日(木)No.802

2013-11-21 22:42:34 | その他情報
ああ、大阪に居たら万難を排して行くのに。
去年、今年と夏に2度京大に行ったが、2回とも反原発の立て看板がきっちりあった。
さすが、京大だ!

「熊取六人衆」は関西で伝説の反原発学者たちだ。
小出裕章さん、今中哲二さんにはこれからもどこかできっとお会いできると思うが、
他の人にも会いたいワ~(これが私の人生を貫き支えるミーハー性である
以下、「薔薇または陽だまりの猫」さんブログより転載。


熊取六人衆講演会 in 京都大学 
22日10時~京大北部キャンパス農学部総合館W100教室



熊取六人衆京大講演実行委員会のブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/kyodai_nonukes

京都大学で熊取六人衆の講演会開催を目指す学生有志が、実行委員会を立ち上げました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
国策としての原発推進とその研究の中にあって、
反原発を唱え続けた6人の学者たちがいる。
大阪府泉南郡熊取町にある京都大学原子炉実験所に所属する(した)彼らは、
反骨の学者「熊取六人衆」と呼ばれる。

福島第一原発の事故以前から原発の安全性を問題にし、
研究者として警鐘を鳴らし続けてきた「熊取六人衆」。
事故後は特にその言説が注目され、講演依頼が殺到しているという。

しかし、意外にも彼らが京都大学で講演をする機会はほとんどなかった。
「熊取六人衆」のうち3人が退官、1人が他界された。
残った小出さん、今中さんも近々退官を迎える。
熊取の学者たちが歩んだ道を、
今、京都大学その場所で振り返り、未来につなげていきたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 原発推進政策の中で、彼らはなぜ反原発の道を歩んだのか。
科学者として、何を考えどのように行動し、結果どのような待遇を受けてきたのか。
長きにわたり原子力と向き合い研究を続けてこられた「熊取六人衆」に、
研究生活を振り返りそれぞれの思いを語っていただきたいと思います。

日時:2013年11月22日(金曜日)

場所:京都大学北部キャンパス農学部総合館W100教室

[当日スケジュール]
    9:30 開場
   10:00 講演会1 講師・川野眞治さん
   11:20 講演会2 講師・海老澤徹さん
   13:35 講演会3 講師・小林圭二さん
   14:55 講演会4 講師・今中哲二さん
   16:30 終了
 各講演の間に、質疑応答、休憩時間を取る予定です。

入場料:カンパ制(ご協力をよろしくお願いいたします。)

 このたび、京大の学問のあり方や原発問題に問題意識をもつ学生有志が集まって、
熊取六人衆京大講演実行委員会を立ち上げる運びとなりました。
皆さんの参加をうったえます。

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「横光利一『蠅』を3年生と読む」2013年11月21日(木)No.801

2013-11-21 20:47:50 | 日本語
3年生の「日本語作文」と「日本文学」は、私の最も好きな2クラスだ。
どちらも学生の思考が授業に反映できるのが楽しい。

今日の「日本文学」は、
1.与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」の全員発表から選ばれた、
7人のパフォーマンスを鑑賞。
  
  朗読の6人もいい気合が入っていた。あとの一人は、「弟」を演じた。
  授業後、その彼に話を聞くと、詩の内容を何回も読んで自分なりに理解し、
  それをどう表現するか、一生懸命考えたという。
  (そうだろう。だから、あんな表情ができたんだ)と思えるものだった。
  せっかくだから、来月初旬に日本語学科のアニメ吹き替えコンクールがあるので、
  その時に、皆に見てもらうことにした。


2.「荒城の月」現代語訳並びに「平家物語巻第一・祇園精舎」朗読。
  (日本人のおもう無常観体験)

3.「蠅」(横光利一)を読み、登場人物の性格・事情分析。
 三:農婦が町に住む息子の危篤を聞いて、3里の山道を走り続け、
    宿場の場庭に駆け込んでくる場面だ。

 農婦をAグループ、ナレーションをBグループ、馭者を私が担当して読んだ。
 農婦が3度も「馬車はまだかのう?」と繰り返すことが、非常に耳に残る仕掛け。
 その後、農婦と馭者がどのような人か、
 そのイメージをグループ・ディスカッションし、発表した。

 これはおもしろかった。
 それぞれのグループが、どんどん発表していくと、
 農婦は、
  ・焦っている人 ・性急な人 ・気が弱い ・意地を張っている
  ・愛情深い母  ・毒々しい  ・優しい ・我慢強い

 とまあ、バラバラだ。
 「馬車はまだかのう?」と3度も聞く態度を「優しい」「我慢強い」と判断したグループもあったが、
 文の流れからすると、他の効果的な言い方ができない人=ちょっと愚かな人、気が弱い人というのが当たっているだろう。「意地を張っている」という意見は、無視されているのに3度も同じ問いかけをするのは、きっと意地っ張りだからだろうと、おもしろい推理だったが、却下。
 「焦っている人」と「性急な人」は違うことも確認した。
 「毒々しい」は「くどくどしい」の間違いだと後で訂正あり(*^。^*)。

 馭者は、農婦の訴えを無視して将棋をさしていたので、
  ・冷淡(冷酷) ・無責任(いい加減) ・自己中心(利己主義)とズバリそのもの。
  さらに「将棋がへた」という鋭い指摘もあった(笑)。

このようにして、新しい語彙を増やしていくのはどんなに楽しいことか。
しかし、のんびりしてもいられない。
いよいよ日本語能力試験が12月1日にせまっている。
明後日23日は新一年生歓迎会、12月4日はアニメ吹き替え大会、そして期末試験と、
何もかもが一度に押し寄せてきているのだ。
アニメ吹き替え大会をここにぶつける先生方の神経もすごい……(ー_ー)!!
 
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「台湾のある日本語教科書例文」 2013年11月18日(月) No.664

2013-11-18 22:28:06 | 日本語
う~む、台湾の人たちは日本のアニメによく親しんでいるとは聞いていたが…。

web R25 11月16日(土)配信記事が、伝えるところによれば、
台湾のどこかの日本語テキストの例文には、
この前書いた「丁寧体」「普通体」のレベルを超えてへんちくりんなものがでていると。
こういうものだ。

さゆり:初めまして。日本から来ました。
    あなたはだれですか。※1

大根:お前が先に名乗れ。※2

さゆり:わたしは小百合です。

大根:おれは大根だ。土から来た。※3

さゆり:大根さん、どうぞよろしくね。※4


会話制作者の意図は分からない。
しかし、これを使って日本語を勉強する台湾の人たちは、
あとあと、たいへんな苦労をすることが目に見えている。
もしこれが本当に使われているならば…。
[へんすぎる点]
※1 
こんなことを言う人が日本にいるのだろうか。
日本語母語話者なら、まず、自分から名前を名乗るだろう。

※2 
なぜ、この大根は、こんなに威張ったもの言いをするのか。
やはり、アニメの影響で侍言葉を使っているのだろうか。
中国の学生も、ときどき急に普通体で「そうか、わかった。」などと返事をすることがあるが。アニメもここまで浸透すると困ったものだ。

※3 
大根は礼儀知らずなので、普通体を使うという設定なのか。
作者はここで、丁寧体と普通体を一挙に教える算段なのだろうか。
会話が挨拶であるところを見ると、まだ初級の初めレベルだろう。無茶するなあ。
   
※4 
さゆりの動じない態度がすごいが、
「どうぞよろしくね」の「ね」をここで教えることができると言うのか
と、私はこの会話例で授業をする教師の苦闘を思わずにはいられなかった。


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/list/?m=rnijugo
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「テスト作りが終わった~♪」 2013年11月17日(日)No.799

2013-11-17 19:16:11 | 日記
ほお~~っ 

ついに終わった~い!
いちいち辛いのなんのと愚痴は言いませんでしたが、
ここ2週間、夜となく昼となく、黙々と作業を続けていたのでござんす。
無味乾燥にならないよう、しかもレベルを下げないよう、
学生が楽しくテストを受けられるようにと思うサービス精神が禍して、
いつも七転八倒するこの時期。

やれやれ、これでいろいろ思っていたこともボチボチブログにかき込んでいけるわ、と
伸び伸びとした気持ちでいたら、
さっき、ある学生からメールが届き、ガクッときた。
学生が悪いのではけっしてないのだが、
習慣・考え方の違いがはっきりしていて、
私には受け入れにくい内容だったのだ。

経過は、ザックリこうだ。

昨日、私のクラスでは出していない課題(スピーチ)の原稿が学生から
メールで送られてきた。
「添削してください」とのことだった。
課題や宿題は、それを出した教師の指導を受けるのが当然だということを書いて、
それでも、知らなかったのだから、と私は添削してあげて送り返した。
「今後気を付けてください」と書いて。

で、さっきその返事が来て、それには
「ごめんなさい」という言葉もちゃんと書いてあった。
ここまではいいんですけど、

そのスピーチ原稿の宿題を出した先生は、
「この宿題はブルーはーと先生に見てもらってもいいよ。
何しろブルーはーと先生のは本場の日本語だから。」
と言われたという。
私はその先生から一言もそのことについての依頼を受けていない。
ワタシ的に言うと、それは一人前の仕事人のすることではない。
その先生が私に、事前に言ってくれたら、
私はない時間を割いてでも、喜んで協力するが、
それには「一声かけて鍵かけて」がいるのだ。
ちょっと一言打診するくらい簡単な手続きだ。
しかし、絶対に必要なものである。
私はそう考える。

しかし、中国ではそうでなない。
A先生の宿題を学生が勝手にB先生に見てもらうことは全く問題ないのだそうだ。
私がイラっとくるのはその習慣である。

そんなんやったら、労働契約は何のためにあんねん!
日本人は日本語が上手だからといって、他の先生が出した宿題をどんどん
こっちに回されたら、どーすんねん、と私は叫びたくなる。
私だって遊んでいるんじゃないんですよ。
自分の仕事もあるんですから~。

これは、中国と日本の仕事の仕方の違いなのだろう。
ワタシから見れば境界線がはっきりしていないことがいくつもある。
例えば、授業で使うプリント代(紙・インク代)は大学は出しません、
ときっぱり断られたが、
時おり、メチャクチャ豪華なディナーなんぞを
学院がご馳走してくださったりして、
(イヤ、嬉しいですよ(~_~;))
でも、そんなお金があるんならインクと紙のお金払ってくれよ!とかね。

自分がまかせられた仕事は精一杯シャカリキでやるのが日本式だが、
中国はそれが一般的にユルイ。
その代り、ユルク人の分までしてあげるのもよくあるようなのだ。
ワタシ的に言うと、それは越権行為で勝手にしてはならないことである。
もちろん、連絡や相談があれば話は別だ。
先生方も「ほう・れん・そう」をちゃんとしてほしいもんだと
思ってしまう。

とまあ、新鮮な違和感をブログに書き殴りましたが
全体的にホッとするやら、イラつくやらの今日でした。

3日後にはこのプンプン感もかなり減っているだろう。
いつものことと言えば言えるのだ。
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「お酒」 2013年11月16日(土)No.798

2013-11-16 20:43:27 | 中国事情
お酒は世界中にあり、庶民の友である。
同時にどこの国でもお酒で塗炭の苦しみを味わう人がたいへん多い。
最近、中国北方にはロシアの女性が移民してくるケースがよくあるそうだ。
それは、ロシア人の男性があまりにも呑み助でだらしがなく、
女性に暴力をふるったりするので、その被害者たちが中国に避難してくるのだそうだ。
これは、南昌に住む中国の知人からの又聞きで、
実際にこの目で見たわけではない。
しかし、ありそうな話だ。
私の兄も、アルコール依存症関係者だった。
こうなってくると、家族は血の涙を流す。そして安定的関係は非常に困難になる。
兄は過去形だが、まだ身内には現在進行形がいる。
依存症になると、もはや「飲み続けて破滅するか、一滴も飲まないか」の二つに一つ。
お酒もまた、つくづく、怖い。

学生たちの作文にも、
お酒で苦労してきたことをにおわせるものがいくつもある。
そういうのはとてもじゃないが公表できない。
今日は可愛らしい体験談を二つ紹介したい。


ーーーーー「お酒についての考察」 王聡瑜

 多くの人はお酒におぼれる人間が大嫌いだろう。
私もそうだ。お酒を飲みすぎるのは体に悪い。
新聞によると、飲みすぎて他界してしまった人も跡を絶たないということだ。
しかし、個人の損失にとどまらず、
過度の飲酒は社会にも悪い影響をもたらしている。
例えば、飲酒運転によって人身事故を起こすのも日常茶飯事だ。
また、酔っ払ったら意識がはっきりしないので、
大騒ぎしたり、嘔吐したり、かんしゃくを起こしたり、不正行為をする人もいるのだ。
こんな時には面倒を見る人は極めて辛い。
でも、しかたがない。不承不承、世話をするのみだ。

 私の叔父はひどい癇癪持ちで、お酒が好きだ。
そのため私は叔父が怖い。
叔父はいける口だと言っても、よく泥酔して私の家に来る。
これは私がまだ7、8歳の時の話だ。
ある秋の夜、酔っぱらいになった叔父は、いつもの通り私の家に来た。
しばらくお茶を飲みながら両親と話していた後、いきなり厳しい顔をして、
こう怒鳴った。
「瑜ちゃん、出て行ってタバコを買ってきてくれ!」
私はおびえてガタガタ震え、別も門の入口のカーテンの後ろに隠れてすすり泣いていた。
日は暮れたし、売店からは遠いし、弱弱しい女の子の私を一人で行かせるとは、
考えるだに恐ろしい。
10分ぐらい経って、母が家から出て来て私に、
「入りなさい。」
と呼んだ。しかし、叔父の許可なしには私は入れないと思った。
叔父が帰るまで、わたしはずっと泣きながら立っていた。
叔父が帰る時、外に立っている私を見つけて、
「どうして部屋に入らないのか。外に立って寒くないの?」
と心配そうに尋ねた。
「なんだい、おじさんが私に出ていけって言ったのにさ。」
と私は呟いた。
しょうがないことに、酔っぱらいは先ほど言ったことはもう忘れてしまっていた。
この時から、私は将来、
絶対にお酒におぼれる男の子を彼氏としないと心に誓っている。
ただし、ほどほどにたしなむのはいい。


ーーーーー「お酒のにおいから」 何璇
 ある日の昼休み、お酒のにおいを嗅ぎました。
それで私は、家の黄酒を思い出しました。

 子どものときから、冬が来る前に父はいつも自分で黄酒を作っています。
この段取りは簡単ではありません。
まずは糯米(もちごめ)を完全にふかします。
それを冷ますためにゴザを敷いて、全部の糯米をゴザの上に散らします。
糯米を冷ました後、湯冷ましと一定の割合で、酒甕(がめ)に入れます。
あと、麹(こうじ)も入れます。
最後は時計回りの方向でかき混ぜます。
 以上、全部作ったあと、しなければならないことは待つだけです。
約10日ぐらい後に、あることが変わります。
水と糯米は、麹の作用で発酵するのです。
いつも小さい音を出して、さらにお酒のにおいもし始めます。
父はこの時から、心がうずうずし始めるのです。
毎晩、仕事のあとで酒を味見してみます。
このとき父は、
「きっといい酒になるね。」
と言います。
まだその時の酒の味は甘いのですが、父は待ちきれません。
毎日、ちょっと味見するだけと言いますが、実はいっぱい飲みます。
だから本当にいいお酒になったとき、お酒はもう少し残っているだけです。

 黄酒といえば、別のおもしろかったことを思いだします。
私の叔父が初めてうちの家に来たとき、父は黄酒でご馳走しました。
叔父は普段はビールを飲みます。酒量も多いです。
そして(この黄酒ぐらい大丈夫だ)と甘く見ました。
しかし、飲んだ直後、たちまち酔いが回ってしまいました。
それを見て家族みんなは全員笑っていました。

 今はもう晩秋で、そろそろ冬が来ます。
また黄酒のシーズンです。
今年はまたどんなことが起きるでしょうか。
本当に楽しみです。

 





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「中国人と日本人のバスを待つ心構え比較」 2013年11月15日(金) No.797

2013-11-15 21:06:26 | 日本中国比較
今朝、8時15分~25分ごろ来ることの多い520番バスが、
8時6分に宿舎前のバス停に来ていた。
私はバス停に向かう横断歩道を渡る途中でそれを発見し、走った。
バスが発進して数メートル進んだところにダッシュして手を振ったが、
運転手は無視して行ってしまった。
既に発進したバスに乗せてくれなどということは、
日本に居た時はしたことがないが、
ここでは多くの人がそうするので、
私も真似をしている。

市バスが行ってしまった後、久しぶりの朝の太陽を木の陰で避けながら、
ふと(なぜ日本の人々はバスを深追いしないのか)と思った。
理由は簡単だ。次のバスが確実に来るからだ。
ここではそうはいかない。
今度いつ来るか分からないので、少しでも可能性があるなら
捨て身で体当たりしてでも乗る努力をするべきなのだ。
実際、乗せてくれる運転手さんも時々いる。
乗れなかったからといって、中国の人々は怒らない。
いつ来るか分からない次のバスをただ、気長に待っている。
本当に、いつ来るかは運転手の勝手としか言い様がないほど、
不定期的で予測がつかないことが多い。

もし、こういうことが日本で起ったらどうだろう。
前のバスをあっさり諦めた人も、次が時刻通りに来ないと、
黙ってはいてもイライラ感が相当に募るのではなかろうか。
当然の権利が蹂躙されたような気分に近いものが、かつて私にもあった。
バスが定期的に時刻通りに来ることが、当たり前であるとされる日本では、
人間の耐久力は弱い、少なくともここの人々に比べて。
いつ来るとも知れない次のバスを待つ間、
ぼんやりそんなことを思って楠の幹の陰に立っていた。


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「4年生・就活組の奮闘」 2013年11月13日(木)No.796

2013-11-14 20:39:16 | 中国事情
江西財経大学は「財経」系では中国国内で37位だかだそうだ。
(とにかく何でもかんでもランク付けする国なので(~_~;))
そのランクが高いのか低いのか、私にはピンとこないのだが、
学生たちは「ましな方だ」と思っているようだ。
特に深セン、広州など南方ではネームバリューがあると聞く。
今年の4年生は非常に活発に就活をしていて、
今、商務日語の授業を受けている学生は30人中20人になってしまった。
しかたがない。学院がちゃんと許可しているのだから。

就活して職を得た子も何人もいる。つまりもう、働いているのだ。
中国に来たばかりの時は、
期末試験が12月にあるのにどうするのか、と心配したが、
そこは中国のこと、企業も事情をよく呑み込んでおり、
テスト前には帰校させてくれる。

さて、南昌市で働いている子たちは大学の寮から通っているケースがほとんどで、
現在の寮は、今までと変わらず大学生活を送っている学生と、
夜、くたくたになって帰ってくる新米労働者が混在しているという状況だ。

その新米労働者の一人、
宋春華さんが、生まれて初めて日本語通訳をした体験をメールで報告してきたので、
さっそく紹介しよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人生初めての日本語通訳を担当した経験  宋春華

 10月28日午後4時半頃、私が勤めている業務部門(Business Segment)の課長と一緒に
錦都黃冠ホテルに行き、浙江省杭州市からのRさん(お客様)と顔を合わせ、
3人で一緒に南昌空港まで台湾から来る日本出身のお客様――Y田社長を出迎える予定でした。
Rさんと顔を合わせてから、晩ご飯の時間が来たので、
何か少し食べるために、自動車で喫茶店を探してみました。
でも、どうしても適当な店が見つからなくて、出迎える時間もそろそろになります。
課長は直接空港でコーヒーを飲むことに決めました。
初めて南昌空港に行きましたが、とても広くて綺麗だと思いました。
そして、「雨蒙コーヒー」という店に入りました。
簡単なお茶とビスケットだけなのに高額で驚きました。

  午後6:35到着予定のフライトでしたが、
7:10にやっとY田社長が出迎えられました。
初めて会った印象は、身長185cmくらいの、背が高くて、ハンサムで、
また格別親切な若い社長といったものです。
最も敬服したのは社長が世界に名を馳せている早稲田大学を卒業したことです。
(東京大学卒業は政治家が多く、早稲田大学卒業は企業家が多いとよく言われています)
夜八時頃、みんな一緒に錦都黃冠ホテル真向いの
「老太婆大排档」(社長指名の南昌味です)という店で晩ご飯を食べることにしました。
いろいろ南昌本場の料理を食べ、私も慣例を破って、
「南昌8度」というビールを少々飲みました。
その時、『MY GIRL』というテレビ番組を思い出しました。
あるビジネス宴会で、通訳を担当する主人公周幼琳は、
言葉を訳さなければならない時、みんな彼女の通訳を待っているのに、
彼女の口の中はパンがいっぱいです。
これ以上気まずいことはないでしょう。私もギリギリです。
Y田社長の中国語が上手なことと優しい性格のおかげで、
気楽に過ごすことができました。

九時半頃晩ご飯がやっと終わりました。
四人とも自動車で红谷滩新区の秋水広場と古い街の八一広場をちょっと散歩しました。
その後、Y田社長とRさんを錦都黃冠ホテルまで送って行きました。
そのあと、課長が35分で江西財経大学麦庐园まで運転して送ってくれました。
その時、もう夜11時15分でした。
遅く学校に戻った私は、寮までずっと走って帰りました。
この日特別な経験で興奮しながらも、私は浅い日本語通訳能力で心配していました。
でも、もう一歩を歩みだしました。
これから、「初めて」という言葉が言えなくなりました。
(宋春華、明日も、がんばって)と心の中で自分に言いました。

10月29日午前十時から、日本向けの研修面接が始まりました。
もし昨日の随行がただ友情を高める程度であるなら、
本日の状況は本場の通訳に間違いないです。
幸いなことに、面接の大部分の問題と答えは日常用語です。
正式な場合なのに、敬語を使わなけらばならないことをつい忘れてしまいました。
ほとんど普通体で訳しました。
どうしても訳せない時、簡単な英語で話して、また、ほかの似ている日本語を話しました。

今回の通訳経験より、通訳者の重要な橋の役割を深く認識しました。
私は一番ハラハラしている人間で、
また社長以外では最も重視されていて、話したことも一番多いです。
毎回流暢に訳したら、自信も徐々に増えていき、全く怖くなくなりました。
随行通訳は巨大な圧力に耐えなければなりません。
注意力をずっと集中させ続けるのは基本です。
12時、Y田社長と課長と私は、南昌空港まで行きました。
2時半のシンセン向けフライトです。

 通訳の仕事はただ違う二つの国の言葉を訳すことではなく、
最も重要なのは、休みの時、車に乗るとき、ご飯を食べる時、
お客様とうまく交流することだと思います。
私は雰囲気をよくするために、ずっと次々と話題を出しました。
日本の有名なことなら、全部話しました。
「半沢直樹」とか、「secret base」とか、「世界でひとつだけの花」とか、
そして「名探偵コナン」も出てきました。

最後に、空港でゆっくり昼ごはんを食べました。
残念なことに、遠くて手が届かず、はしで挟めない料理もあり、ただ見ていました。
その後、Y田社長と一緒に写真を撮って、握手して別れました。
ここで、人生の初めての日本語通訳担当する経験が円満に終わりました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー                                   
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