今日4月30日、中国のネットでは私の見たところ、中国網、環球網が
日本の明仁天皇の退位に関する記事を載せていました。
私は、2年生の授業で日本のAERAの記事と、
ネットで拾ったいくつかの写真を交えて、
自分の知っている平成の天皇御夫婦の話をしました。
①「平民」出身でクリスチャンの美智子さんが皇太子と結婚して、
皇族などからバッシングに遭ったこと。
②それまでの皇太子・天皇夫婦がしてこなかった
直接の子育てをしてきたこと。
③昭和天皇は戦争責任があるが、その息子の明仁天皇御夫婦は
お父さんの時代の戦争の犠牲者を悼む参拝の旅を重ね、
平和と憲法遵守が大切だと常に述べてきたこと。
④災害被災者に、跪いてねぎらいの言葉をかけ、
それがまた右翼のバッシングに遭ったこと、などなど。
↑雲仙・普賢岳の被災者に、跪いて話をされる明仁天皇、美智子皇后。(AERAより)
学生たちは、美智子さんと明仁さんの結婚の逸話に目を輝かせ、
二人が自分たちで直接子育てをしたというと、
「え?それまでの天皇の子どもたちは両親じゃなくて誰が面倒を見たんですか?」
と、しごく当然の疑問を抱き、
昭和天皇の子どもとして、親がした戦争の犠牲者を悼むために
あちこちの国や沖縄へ参拝の旅にでかけたことに
ウン、ウンと深く頷いていました。
↓今日の中国網の記事より抜粋して翻訳してみました。
↑1992年10月,北京,日本明仁天皇与皇后美智子访华,参观长城。(东方IC)
中国網 (李金秋) 2019-04-30 08:45:47
平和を愛し、唯一訪中した日本の天皇
爱好和平 唯一一位访华的日本天皇
明仁天皇は敗戦で戦争がもたらす残酷さと恐怖を目の当たりにしたので、戦後日本に平和的局面が訪れたのは生易しいことではなかったことを熟知している。
平和を希求し、戦争を反省することが、平成時代の明仁天皇の思想理念の重要な特徴の一つとなった。彼は若者たちに何度も、戦争がもたらす痛苦を決して忘れてはならないと呼びかけてきた。天皇に即位して以来、靖国神社に参拝したことはない。
明仁天皇は即位後、一連の皇室外交を展開したが、その中で最も関心を注いだのが中国訪問である。1992年10月23日から28日まで、中日国交正常化20周年の際、明仁天皇と美智子皇后は正式に中国への友好訪問を実施した。中日両国の交流史上、日本の天皇が中国を訪問したのはこれが初めてで、画期的なことである。これは中日関係改善にとって非常に重要な作用を及ぼした。
その訪問期間中、明仁天皇は北京、上海、西安を訪れ、西安の碑林博物館では自分の年号の出所を調べるなどして、その訪問は“平和の旅”と呼ばれた。
明仁天皇は、中国訪問の際、次のように述べた。「両国関係の悠久の歴史上で、かつてわが国は中国国民に深く重い苦難をもたらした不幸な時期がありました。私はこのことに深く心を痛めております。戦争終結後、わが国の国民は戦争を二度と繰り返さないという深刻な反省をして、平和国家の道を歩むと決心し、国家の復興を開始したのです。」と。
以後、明仁天皇夫婦はフィリピンや、日本とアメリカが戦った太平洋地域のかつての戦場を訪問した。法律の束縛を受けて、彼は戦争行為を謝罪することができない。しかし、彼はいつも適切な遺憾の意を言い表す言葉を探し当てて使い、すべての戦争犠牲者のために祈るのである。
毎年の敗戦記念日のたびに、明仁天皇は何度も平和を呼びかけ、戦争を反省する発言をして、歴史認識の上に平和国家が位置するとしている。こうした明仁天皇の平和を尊び、戦争に反対する態度は国内外の全ての人々の称賛を得ている。
2015年8月15日、日本は無条件降伏し、敗戦を宣言して70周年を迎えた。その年の記念儀式で保守主義的な日本の安倍晋三首相は記念の辞で「謝罪する」という言葉を使わなかったが、明仁天皇は、即座に自分の演説の中で、日本は「深刻に自らを反省している」と強調した。彼は「このたび過去を顧みると、先の大戦を深刻に反省し、今後戦争災禍を繰り返さないことを希望します。」この日、天皇は初めて“深く反省します”という言葉を使った。日本の天皇はそれまでのスピーチでこの言葉を使ったことがなく、戦後70周年記念式典上での、破格の使用であった。
ドイツの日本研究所歴史学者ウェーバー(Torsten Weber)は「この言葉の強調は、明仁天皇が平成時代の他の大多数の首相たちより、さらに日本とアジアの隣国・周辺国との和解に力を集中していることを表している。」と述べた。
由于明仁天皇在战败之际曾经亲眼目睹战争所带来的残酷性和可怕性,因此深知战后日本和平局面的来之不易。祈求和平,反省战争,即成为平成时代贯穿明仁天皇思想理念的重要特征之一。他曾多次呼吁年轻一代不要忘记战争所带来的痛苦,并在继位以来从不参拜靖国神社。
明仁天皇在继位后,展开了一系列皇室外交,其中最引人关注就是对中国的访问。1992年10月23日到28日,在中日邦交正常化20周年之际,明仁天皇和皇后美智子对中国进行了正式友好访问。这是中日两国交往史上日本天皇首次也是唯一一次访问中国。对改善中日关系起到了极为重要的作用。
在此次访华期间,明仁走访了北京、上海和西安,还曾到西安碑林博物馆中查找自己的年号出处,被称之为一次“和平之旅”。
明仁天皇在访问中国时曾表示,“在两国关系悠久的历史上,曾经有过一段我国给中国国民带来深重苦难的不幸时期。我对此深感痛心。战争结束后,我国国民基于不再重演这种战争的深刻反省,下定决心,一定要走和平国家的道路,并开始了国家的复兴。”
以后,明仁天皇夫妇又访问过菲律宾以及日、美国在太平洋地区交战的众多昔日战场。受法律羁绊,他不能为战争行为道歉。然而,他总能找到表达遗憾的恰当用词,并为所有战争牺牲者祈祷。在每逢战败结束的周年节点上,明仁天皇多次发表呼吁和平、反省战争的讲话,在有关历史认识和和平国家认同定位上,明仁天皇崇尚和平、反对战争的姿态赢得国内外人士的普遍赞誉。
在2015年8月15日,日本迎来战败并宣布无条件投降70周年。在当年的纪念仪式上,保守主义的日本首相安倍晋三在致辞中未使用“道歉”一词,明仁天皇则在自己的演说中强调日本的“深刻自我反省”。他说,“在此回顾过去,怀着对先前大战的深刻反省,期望今后战争惨祸不再重演。”日媒称,这是天皇首次加入了“深刻反省”的措辞。日本天皇在此前致辞中从未使用过该措辞,在战后70周年纪念仪式上属破格使用。
德国日本研究所历史学家韦伯(Torsten Weber)表示,“夸张地说,明仁比平成时代的大多数首相们都更致力于与日本的亚洲众邻国达成长期和好。”
http://news.china.com.cn/world/2019-04/30/content_74737697.htm