毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「抑圧される者を憎み、抑圧するものを愛する危険がいっぱいの日本」2014年7月31日(木)No.952

2014-07-31 08:51:21 | 反戦

今、改めてマルコムXの警句を噛みしめたい。 

――新聞を読むときは気をつけて読まないと、抑圧されている者を憎み、

抑圧をおこなっている者を愛するようになってしまう。――

 

日本のマスメディアは、ハマスについて言及するとき、当たり前のように

「ガザを実効支配しているイスラム原理主義組織ハマス」

「イスラエルの生存権を認めていないハマス」と説明する(例:NHK「クローズアップ現代」)。

 

「実効支配している」もなにも、ハマスは、

2004年12月に行われたパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得し、

さらに2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも定数132の議席中で76議席を獲得した、

いわゆる民主主義的な手続きで選ばれた政権与党である。

だが、

①「イスラエルがハマスを承認しない」

       ⇓(従って)

②「米国もハマスを承認しない」

       ⇓(従って)

③「日本政府もハマスを承認しない」

という事情があり、さらに、

現在、日本国内メディアは日本政府の大本営発表機関に成り果てているので、

ハマスは「国際社会からは承認されていない組織」とみなす立場から報じられる。

 

何でも一つの国という井戸の中からだけでは見えないことがある。

しかし、インターネットなどで少し気をつけてみれば、

米国と、その同盟国だけが、一方的に国家承認を避けているにも拘らず、

世界の国々のほとんどは、パレスチナを国家として承認し、

ハマスを選挙によって選ばれた政権とみなしていることが分かる。

「日米欧の言う国際社会」と現実の国際社会とはかい離がある。

 

↓パレスチナを国家承認している国ぐに(緑色)

 

http://ja.wikipedia.org/wiki

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「ガザ在住者のブログより」 2014年7月30日(水)No.951

2014-07-30 17:47:42 | 反戦

京都の岡真理さん発信、拡散希望の文をフェイスブックで見つけた。 

「いつになったら、パレスチナ人は民族として認められるのだろう? 人間として認められるのだろう? 民間人として認められるのだろう? いつになったら、ぼくらの子どもたちは、人権を認められ、殺されなくなるのだろう?」(ブログ文より)

 

血の迫害を体験したユダヤ人が、なぜ今は真逆の立場で、

このように簡単にパレスチナ人を虐殺するのか。

歴史から学んでこそ人間はよりマシな人間になれるのだ。

今、世界に蔓延る、人間の思考停止を心から憎む。

世界支配の主導権争いのなかでアメリカが果たす犯罪的役割がますます顕在化し、

そのアメリカをバックに「人殺しをしたいからする」イスラエル。

ちくしょー!!!!!!

写真はアムネスティ・インターナショナルより転載。

―――――――――――――――――――――――――――――――

オマル・グライエブ( ガザ地区) / 2014 年 7 月 22 日のブログより。

「ガザで子どもは作らないとぼくが心に誓った理由 」 

イスラエルは言った、ガザへの地上侵攻は限定的なものにとどまると。まるで戦車がほんの数メートル前進するだけかのように思わせる口ぶりだ。最初の2日間はそうだった。イスラエルが広範な民族浄化と集団虐殺を計画しているなどとは、ほとんどの者が分かっていなかった。

イスラエルの目的は、ひとつの地区をそこに住む人間もろとも一掃することだった。事態は日曜の夜10時ごろからエスカレートし始める。イスラエルの無人機が低空に舞い降りて、大きな音で唸り始めた。戦車が前進する。アパッチヘリとF16型戦闘機が爆撃し、同時に、援護する。それから、ガザ市東部のシュジャイヤ地区を激しく叩きはじめる。

ノンストップの砲撃。我が家からもすべて聞こえた。爆発や発射の回数を数えるのも追いつかなかった。

何百もの、何百もの、家族が避難した。自分たちの家と生活をあとに残し、どこでもいいからより静穏な場所を探して。ガザに安全な場所などどこにもないのだけれど。

彼らは通りを歩いた。子どもたちを腕に抱きかかえて。死から逃れようと。ブルドーザーのシャベルにのぼった者たちもいる。多くは、ただ、通りを彷徨い歩くだけ。どこに行けばよいか分からずに、あるいはどこにも行くところなどなくて。

 

巨大な火の玉

やがて多くの者たちはシファー病院に集まることになる。そして目にするのだ、親族や隣人や友人たちの遺体が運ばれてくるのを。

あの夜のことをどう言い表せばよいのか分からない。言葉が見つからない。息が苦しくなる。シュジャイヤ地区が燃えているとき、ガザは一個の巨大な火の玉のようだった。

ガザのすべてが闇に包まれていた。停電は一日20時間、あるいはそれ以上に及ぶ。シュジャイヤに対する容赦ない攻撃、人々が叫び、火が燃え盛るのをぼくらは聴いた。

ぼくたちが持っている物と言えばラジオだけだ。そしてラジオが教えてくれるのは、もうすでに知っていること、そして嘘であってほしいとぼくらが願っていること。ぼくらは、最後に残された希望の糸にしがみついていたけれど、やがて真実に直面しなければならなかった。シュジャイヤの人々は、虐殺されていた。

毎夜、毎夜、ぼくらは時間を数える、夜明けが訪れ、空が明るくなり、陽の光がガザに注がれるのをひたすら待焦がれながら。だが、あの晩は違った。太陽にすぐに昇って来てほしくはなかった。光が露わにするであろうものを目にするのを少しでも遅らせたくて。

 

自然災害を凌いで

それがシュジャイヤ地区だとはにわかには分からなかった。弾丸の津波が一帯を襲ったかのようだった。あるいは、燃え盛る地震が。何か破滅的な自然災害。だが、実際に起こったことは、自然災害を凌いでいた。人間性すらも凌駕していた。1948 年のナクバが、1982 年のサブラー・シャティーラの虐殺と同様の場面をともなって、再現されたかのようだ。5 年半前ノキャスト・レッドの大虐殺もフラッシュバックする。

赤十字は、シュジャイヤ地区における人道的停戦を提案した。医学生が、何十人もの死者や何百人もの負傷者を瓦礫の下から引っ張り出せるようにと。イスラエルは当初、停戦を拒否したが、あとで受け入れ、そして、停戦を破って、シュジャイヤ地区を爆撃し、医学生や救急車に対して発砲した。

医学生たちは、72人の亡くなったパレスチナ人を運びだすことができた。その遺体はいくつもの通り全体に散らばっていた。400名以上の負傷者が病院に運ばれた。医学生たちは、死傷者の数は劇的に増加するだろうと 語っている。

外国人や地元のジャーナリスト、医学生、医師は、ただ信じられないという思いで泣いていた。彼らは虐殺を見たということを世界に伝えた。これを見えないままにしておくことなどできない。

ぼくらすべてが、生涯かけても消えない傷を負った。

破壊され、廃墟と化したシュジャイヤの写真がその朝以来、世界を駆け巡っている。だが、息も出来ないくらいに痛ましいのは、親たちが、亡くなったり怪我をした子どもたちを運んでいる写真だ。彼らは、山をも動かさんばかりに泣いている。

いつになったら、パレスチナ人は民族として認められるのだろう? 人間として認められるのだろう? 民間人として認められるのだろう? いつになったら、ぼくらの子どもたちは、人権を認められ、殺されなくなるのだろう?

 

自衛?

きみに想像できるだろうか、両腕に亡くなった子どもを抱きかかえる父親の打ち砕かれた思いを。彼の喪失感が想像できるか? そして、自分の子どもを守ってやることができなかったと彼がどれだけ自らを恥じ、罪の意識を覚えているか。

だから、ぼくは誓うのだ、ここガザで子どもなど決して作らないと。自分の子どもをこんな世界にもたらした挙句、守ってやれないなんてことは、ぼくはしないと。自分の子どもが死ぬ姿など目にしたくもない。ほかの子どもたちが死んだり、その親たちが泣くのを目にするのさえ痛ましすぎるのだから。自分がそれを経験するなんて、ぼくには耐えられない。

いったいどうしたら世界は、一つの地区全体をその住民もろとも一掃することが「自衛」だとか「公正なこと」だと思ったりできるのだろう。どうしたら子どもたちが「戦闘員」や「テロリスト」だなどと思えるのだろう?

近くのモスクが寄付を募り始めたけれど、ぼくはますます無力感を覚えるだけだ。愛する者や自分たちの家や、馴染んでいた生活を失った者たちに、いったい何を与えてやることができる?

彼らにぼくの心を捧げ、どうにかして彼らの痛みを和らげてあげることが出来たらと思うけれど、ぼくにはできない。だから、このささやかな募金キャンペーンに加わった。だが、どうしたら、お金や物質的なもので、子どもを失った埋め合わせをすることができるだろう。

ぼくは何時間も何も感じず、麻痺し、息もできず、呆然としていた。頬を熱くして。最初は一滴の涙も流れなかった。だが、そのあと、急に涙がこみ上げ、洪水のようにあふれ始めた。涙はとても熱く、ぼくの頬は焼けるように熱くなった。

火曜日、ガザにある保健省によれば、封鎖されたガザ地区に対する現在進行中の攻撃が始まって以来、すでに600人のパレスチナ人が殺され、3700人が負傷したという。うちシュジャイヤの虐殺で、72人が殺され、400人が負傷した。

人々は、自宅のベッドで寝ていたときに、戦車の砲弾を雨のように浴びた。逃げ出すか、瓦礫の下で死ぬしかなかった。

 

人間性よ、さらば

ぼくは今日、自分の人間性と魂に別れを告げ、それらを悼む。ぼくは死にたえたアラブのネイションとアラブの指導者たちに別れを告げる。だが、それを悼んだりはしない。人権団体もだ。人権団体にも別れを告げる。彼らはいつだって、人権を守ることなどできはしなかった。報告書や記録がどれだけ書かれようと、罪もない子どもたちを守りはしない。

ぼくはまた、ガザで活動するすべての援助機関にも別れを告げる。パレスチナ人の血を何百万もの「寄付」を集める宣伝の身代わりに利用しているのだから。ぼくは、国際社会の人間性にも別れを告げる。

オマル・グライエブ ガザのジャーナリスト、ブロガー。 gazatimes.blogspot.com (ブログ)、 @Omar_Gaza.(ツイッター)

[翻訳:岡 真理]

http://electronicintifada.net/content/why-i-vowed-not-have-children-gaza/13614

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「南昌(江西財経大学)からの自然の風」 2014年7月29日(火)No.950

2014-07-29 10:47:29 | 中国事情

大学に残って猛勉強中の施芳芳さんから、江財大キャンパス写真続編が送られてきた。

動植物の多くはアジアの仲間で共通性がある(人間だって同じはず)。

施芳芳撮影の6枚に私の勝手な解説を加えてご紹介しよう。

 

1 ムラサキツユクサ。子どもの頃、北海道の道端でよく見かけた。

大阪にも分布しているが、微妙に違う。可憐じゃないと言うか……(笑)。

 

2 ツマグロヒョウモン。羽模様がこの前のとは少し違うが、

同じ仲間だと図鑑に書いてあった。 

 

3 ナツアカネ?下の図鑑の写真より赤紫色が美しい。

 

(図鑑の解説)―――――――――――――――――――――――――――

http://www.insects.jp/kon-tonbonatuakane.htm

ナツアカネ

トンボ目 トンボ亜目 トンボ科 アカトンボ亜科

Sympetrum darwinianum

  • 大きさ 33-41mm
  • 時 期 6-11月
  • 分 布 北海道・本州・四国・九州・奄美大島
アキアカネに似るが、やや小さい。成熟したオスは顔から尾の先まで全身が真っ赤になる。
平地や丘陵地の池、水田などで普通に見られるが、アキアカネほどは多くない。
 
 
♂飛翔 : 奈良県生駒市菜畑 2005.10.19
――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 
 
4 アオスジアゲハ。楠(クスノキ)を食べるので楠の多い麦路園キャンパスによくいる。
日本では本州から沖縄まで分布。寒い北海道には住めないらしい。
 
 
 
5 マーガレットのお花畑で裸足になった施芳芳。
カワイイでしゅね。

 

 

6 枝と言うより「つる」が伸びまくっているような木。

林家三平さんの頭を想起する。

 

 

〈写真についての施芳芳さんの文〉============

昨日も新種を発見しました。

緑色の蝶は黄色のほうより警戒感が強いんです。

足音をころしても、近づいたら、すぐ飛びさりました。

幸いなことにある一匹の蝶は私のことを全然怖がっていませんでした。

あの赤いトンボもそうでしょう。

==============================

ということで、これからも続々と中国中南部から自然の便りが届きますように……。

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「大阪地裁に行ってきた」 2014年7月28日(月)No.949

2014-07-28 20:08:13 | 反戦

今日、早起きして大阪地裁に行った。

普通、そんなところに行くことはまずない。

私はスマホがないのでパソコンで地図を印刷したのを頼りに阪急梅田から歩いて行った。

やはり、いつものように道に迷った。

それでも9時20分という集合時刻に5分遅れただけだった。

既に、大阪地方裁判所の入口前には何百人もの人々が集まっていた。

その人々は、昨年末(2013年12月26日)に安倍晋三首相が靖国神社に参拝したことが

違憲であるので訴訟を起こした人たちであるが、

中には黒いスーツに日の丸バッジや菊バッジをつけたグループも数十人混じっていた。

 

私は、今回生まれて初めて原告団に名前を連ねた。

裁判を傍聴したことは今まで何度かあるが、原告になった経験はない。

友人が南昌まで原告募集のチラシを送ってきたので、それに応募したのである。

外国に居てもけっこう何でもできるものだ。

日本に住んでいる人々はさらに行動できる幅が広くある。

今の社会の現実に対して一人ひとりが社会的人間として考えを持ち、それを表明し、

そして行動することが必要だと私は思う。

人間として生きていける社会的条件をキープするために。

若いときには、裁判の原告になるなんて想像もしていなかったが、

歳のせいか、時代のせいか、こういう事態になってしまった。

 

原告がたくさん居すぎて、結局全部パソコン抽選による傍聴券配布になった。

ナント、私は当たった。何でも当たると嬉しいものだ。

ホクホクと202号法廷に入った。

入口で黒スーツ&日の丸バッジの男が一人で3人分も傍聴券を握っているのを見て、

(まさか不正入手???)と疑惑を持ったが証拠がないのでそのままにした。

 

法廷で感じたのは、

すでに座っている被告の国及び安倍晋三側弁護人たちや裁判所の職員達が、

押しなべて、感情をあらわさない無表情か、妙に皮肉っぽい笑いを浮かべていることで、

こんな雰囲気の中で、真面目な人間の主張することが真摯に受け止められるのだろうか

という疑念だ。

そうは言っても、日本は三権分立の国で、

憲法で定められた国民の権利を守るために裁判所はあるはずだから、

ここは頑張って政教分離の原則と、国民の平和的生存権を訴えていくしかない。

3人の裁判官が入廷し、靖国裁判がいよいよスタートした。

 

原告団の代表で意見陳述したのは、24歳の青年だった。

初めて法廷に立つというその若者は、次のように述べた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「自分は小学校から平和教育を受けてきたし、戦争はいけないことだということは、歴史の授業などでも繰り返し教えられてきました。その授業は、戦争の悲惨さを知り、二度と過ちを繰り返さないために、私たちができることは何かを考える授業でした。大学に入学してからは、宗教や思想の歴史と向かい始めましたが、その志の根底には、いつも平和で争いのない社会への想いがありました。

そうした私自身の受けてきた教育を回顧しても、首相の靖国参拝は、アジア太平洋戦争への反省を著しく欠いた行為です。被告安倍は、参拝の経緯を『二度と戦争をおこさないため』だとか『平和のため』と言っています。しかし、もし本当に平和を願っているのなら、戦争で死んだ人を『御英霊』として顕彰する神社には参拝しないでしょう。それは、あきらかに「戦争への準備行為」との認識のもとで、参拝しているのです。

今回の被告安倍の参拝は私たちの平和的生存権の侵害にほかなりません。また、内閣が7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を内閣自身で勝手に解釈するというものです。これは、きわめて独裁的な決定です。立憲主義に立っている国とは到底思えません。

名古屋高等裁判所は、2008年4月17日に自衛隊イラク派兵違憲訴訟の判決のなかで、平和的生存権について次のように述べています。

平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあって、その享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。

法規範性を有するというべき憲法前文が上記の通り『平和のうちに生存する権利』を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。

そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的または参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求しうるという意味における具体的権利性が肯定される場合があると言うことができる。

被告安倍は、これまでの訴訟で参拝が違憲とされているのを知っているにもかかわらず、参拝しています。つまり、被告安倍は、靖国神社への参拝が違憲だと認識しつつも、自身の強い執着に則って、参拝に踏み切るのです。

また被告国や被告安倍は、今回の靖国神社参拝に続いて、秘密保護法の制定や、集団的自衛権の行使容認など、まさに『戦争への準備行為』を着々と進めているように、私には思えてなりません。

こうした事実から今一度申し上げると、被告は私たちの平和的生存権を侵害しています。私は戦争に行きたくありませんし、靖国神社に祀られたくありません。

よって、被告国及び安倍は、自らの行為を憲法違反だと認め、この行為への謝罪と、二度と参拝しないことを約束し、また、被告靖国神社は、今後一切内閣総理大臣の参拝を受け入れないことを約束するよう、司法の良識ある判断をいただきたいと思っています。以上のことを“若者”の一代表として、訴えさせていただきます。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あなたも、ぜひ原告に名乗りを上げてください。

 安倍の靖国参拝違憲訴訟の原告応募第二次締切 2014年8月15日

☆被告は国、安倍晋三、靖国神社です。

連絡は下まで。

 

安倍首相靖国参拝違憲訴の会・関西

靖国合祀イヤです・アジアネットワーク

〒540-0038

大阪市中央区内淡路町1丁目3-11-402

市民共同オフィスSORA内

FAX 06-7777-4925

郵便振替口座 00980-8-35073

 

 

 

 

 

 

 

 

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「留学生と言っても・・・・・・」 2014年7月25日(金)No.948

2014-07-25 20:39:43 | 日記

まだ着かない。

今日、東京の一橋大学大学院に半年研修とかいう名目での留学生、

範ムショウさんが友人とともに大阪の我が家を訪れる予定なのだが、

夜8時半を過ぎてもまだ着かない。

今日、大阪は天神祭なのだ。

とんでもない日に当たったものだ、と私は思ったのだが、

昨日、東京からの電話で彼女はウキウキしていた。

当初、「USJのハリーポッターを見たいと友人が言うのでそこに行きます」

などと友人のせいにしていたが、

きっと彼女自身が見たかったのだろうと私は推察した。

「幼稚くさ!」

と遠慮会釈ない言葉を投げつけた後、彼女から予定変更の連絡があった。

「大阪出身の先生に教えてもらって、大阪のお祭りに行くことにしました」

とのこと。

一難去ってまた一難。

天神祭なんかに巻き込まれたら、どれほどくたびれるか…。

村祭りなら勧める。しかし、私は天神祭やら祇園祭やらは見たいとも思わないし、

お勧めもしない。

西湖に行って100万人の人々を眺めるようなものだ。

 

一ツ橋大学大学院に留学している子に対して、

ただの観光ではない志向性が欲しいと願うのは買いかぶりだろうか。

「勉強だけして大きくなった」大学生が多い国、中国。

勉強も何もせずに大きくなるよりいいけどねえ。

 

とにかく、安全に淀川区までたどり着くことが第一だ。

はよお出でや~~~。

 

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「日本語学科の3年生からのメール」 2014年7月24日(木)No.947

2014-07-24 17:34:30 | 中国事情

大学に残って大学院受験の準備をしている日本語学科の3年生は3人。

今日は江西財経大学大学院進学を希望している楊さんのメールを紹介する。

4万人もの学生を抱える江財大だが、

進学組を除いて寮に居る者はなく、閑散とした夏休みの大学で、

単調さ、暑さ、不安感・・・、様々なものとの闘いを

今まさに展開している雰囲気が漂ってくる文である。

 

――――――――――――――――――――――――――――

今南昌の天気は女ごころのように変わっています。

昨日、暑すぎて人々は花が萎れるほど元気がありませんでしたけど、

今朝、急に大雨が降って、(やべえ、洗濯したばかりなのに、このままじゃダメだ)

と思いました。

ハハハ、こんなことにも、もう慣れてしまいました。


クラスメートはだいたい家に帰って、キャンパスに人は少ないです。

ちょっと寂しい感じがします。

幸いに周文いくさんたちはここにいます。

毎日ロボットみたいに勉強、勉強、辛いけど、どうしようもありません。

複雑な気持ちになって、焦る時、

自分はどうしてこの道を選んだのかと悩んでしまいます。

ストレスを解消するために、毎晩バスケをしたり、ジョギングしたりして、

時々時間の無駄だと思います。

他の人は時間を大切にして一生懸命勉強しており、

自分はチャンスを作って遊ぶばかりです。

辛い時もあるし、楽しい時もあります。

楽しさは辛さに伴って、感動させられたり、泣かせられたりします。


先生、下の写真はまだ覚えていますか。

左から三つの人は柏原崇だと分かります。

先日、TVショ−で 彼を見て、資料室の写真の人は 柏原崇じゃないかと。

先生は彼のファンですか。彼は今監督として広州で番組を作っています。

 では、楽しい毎日を過ごしますよう心から祈っております。

―――――――――――学生の楊文雅

 

「下の写真」とはこれである。私が資料室に貼って、4年間を共に過ごし、

そのまま置いて来たものだ。

左上に小さく『THE BLUE HEARTS』と判子を押してある。

左から3人目は、日本では言わずと知れたマーシー(真島昌利)だが、

中国(南昌)ではあまり有名ではない。

一度だけどこかのクラスで紹介した『リンダ リンダ』にも、無反応で(ダメだ、こりゃ)と諦めた。

「柏原崇」て、誰かな?_?

 

 

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「明日戦争がはじまる」 2014年7月23日(水)No.946

2014-07-23 23:41:24 | 反戦

元A級戦犯の鈴木貞一(東条英機の側近:陸軍中将)が

先の戦争の責任について、いみじくも次のように述べた。

「政治力が弱かった。

しかし、政治家は国民の基盤の上に立っているんだから、

政治家の責任にはできない。

世論の態度があいまいだったから、戦争になったのだ。

(国民がしっかりしていれば戦争は回避できた)。」

(1956年4月15日JOQR文化放送「マイクの広場」より)

 

(治安維持法やらで国民のものを言う権利をはく奪したお前が言うな!)

と非常に腹立たしく思うが、

今の日本の国民の態度のあいまいさについて

ギクリとする発言でもある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「明日戦争がはじまる」 宮尾節子

まいにち

満員電車に乗って

人を人とも

思わなくなった

 

インターネットの

掲示板のカキコミで

心を心とも

思わなくなった

 

虐待死や

自殺の頻発に

命を命と

思わなくなった

 

じゅんびは

ばっちりだ

 

戦争を戦争と

思わなくなるために

いよいよ

明日戦争がはじまる

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この詩はインターネットで話題にのぼり、

メロディをつけて歌う人もいるそうだ。

ある人はツイッターにこの詩を転載して、

「焼身自殺にもピンとこない、じゅんびばっちりな自分に驚いた」

と呟いた。

作者の宮尾さんは現代日本社会の人々の心を詩にしたという。

宮尾さんはこの7月2日、この詩の著作権を放棄した。

『どうぞご自由にお使いください。願わくば平和のために』と。

(参考:朝日新聞2014年7月9日‐板垣麻衣子記事)

 

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「ブログで日本語学習」 2014年7月22日(火)No.945

2014-07-22 16:13:35 | 日本語

江西財経大学の施芳芳さんのメモ。

私のブログを日本語学習に役立てようとしてくれている。

下の写真を見て、思わず涙が……。

7月20日No.942の単語だ。

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「ガザ虐殺抗議のうちわを作った」2014年7月22日(火)No.944

2014-07-22 15:35:20 | 反戦

道を歩いていてもらった団扇(うちわ)がたくさんある。

全て広告用だ。

それで私も、イスラエルのパレスチナ攻撃に抗議する広告団扇を作ることにした。

昨日関西は梅雨明けしたので、

明日、映画「革命のこどもたち」(テアトル梅田)を観に行くとき持っていこう。

もとは下の団扇たち。

 

一つ目。センスないな……。

 

2つ目。このような写真を見ながら、涼しい気持ちにはなれないと思う。

二律背反というか……。

 

3つ作って力尽きた。写真には写らないが裏だってあるのだ。

 

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「中国のある大学生の夏休みの生活」 2014年7月21日(月)No.943

2014-07-21 19:44:30 | 中国事情

江西財経大学日本語学科の3年生、施芳芳さんから写真付きのメールが届いた。

彼女は大学院進学を目指す他のクラスメートとともに、

大学に残って朝から晩まで勉強している。

今の時期の南昌は中国の4大火鍋の一つと言われる。

つまり、火鍋の中にいるような暑さだということだろう。

不幸中の幸いと言うか、私は夏休みにはいつも大阪に戻っていたので、

その地獄の暑さの真っただ中は体験していない。

しかし、しょっちゅう40℃近くまで(またはそれ以上)気温が上がるのに加え、

湿度が半端じゃない程度の気候は骨身に沁みて知っている。

大阪に戻ると心から(ああ、湿度が少ないなあ)と嬉しく思ったものだ。

 

施芳芳さんの写真1「空が青い!」

こ、これはすごい!南昌にもこういう日があるのか。

夏休みは工場も稼働しないというわけでもないだろうに。

 

写真2「麦路園キャンパス」

ついこの間まで、毎日ここを歩いていた。

今となっては非常に懐かしい。

 

3「キャンパスの草むら」

施芳芳さんが見つけた蝶。

図鑑で見るとタテハチョウ亜科のツマグロヒョウモンにぴったり。

 

 

4「花と蝶」

夏休み、学生たちのいないキャンパスでのびのび飛び回る蝶たち。

施芳芳さん、いい生活しているんだね。

下は彼女のメールの一部。

―――――――――――――――施芳芳

今はようやく勉強の状態に入りました。

毎日朝ご飯を食べてから、資料室へ行きます。

学校はどんどん静かになっていきます。

多くの売店は一時閉業しました。

第一食堂の一階と第二食堂と第三食堂は改築しており、

第一食堂の三階も営業中止です。

食事は二階だけ選べます。

昼は一番暑苦しくて外へ出かけて昼食を食べることほどもしたくありません。

でも、一日の中で、一番幸せな時もご飯を食べる時だと思います。

夜はたいてい9時半くらいに寮に戻ります。部屋はあまり暑くありません。

エアコンを付ける必要もまだです。

時々雨も降ります。

ある日、一人でキャンパス内を歩いていて、学校の生物に興味をそそられました。

特に蝶はきれいでした。

毎日は変わらない日の繰り返し、といっても、充実して楽しんでいます。

  先輩が、 広州外語外貿大学の受験は基礎知識が重視されると教えてくださいました。

そこで、私はとりあえず総合日語の4冊を復習しました。

資料は少ないので、ネットで受験の参考書を買って、今は精読中です。

英語の単語も暗唱しています。効率はまだまだです。

読まなければならない本も多いです。

それから、疲れた時、いつも ナルト を見ます。もう520話になりました。

時間がかなりかかるとわかっていますが・・・・・・。

でも、ド根性と自信があってこそ、いつか目的が達せられることも

ナルトから教えられました。

私は今、根性を鍛えています。O(≧▽≦)O


先生の応援は私の最大の力です。
ありがとうございます!!ヽ(*´∀`)ノ

 

 

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「今日、神戸でパレスチナ連帯・イスラエル抗議行動」2014年7月20日(日)No.942

2014-07-20 23:09:44 | その他情報

 

(↑上はエゾフクロウさんのブログから転載させていただいた)

3日前、イスラエル軍はガザ北部の浜辺で遊んでいた子ども4人に狙いを定め、

いとも簡単に殺した。

これらの写真を見たら、即座に誰が悪いか分かる。

子どもを殺すものが悪者だ。

 

今朝、フミちゃんが電話で、

神戸でイスラエル軍のガザ攻撃に反対する緊急デモがあると教えてくれたので、

急ぎ、手作りアピールを持って出かけた。

JR三宮の神戸市役所花時計前から

「自由民主党神戸事務所」経由「在神戸イスラエル国名誉領事館」まで。

呼びかけ団体「KOBEピースネット パレスチナの平和を考える会」が

道行く人にビラを配っていたが、

あまりにも受け取る人が少ないことに驚いた。

日曜日の三宮や元町界隈はショッピングや観光する人が多かったが、

デモは興味深そうに見るのに、ビラは頑ななまで受け取らない。

どうしてだろう?文字を読みたくないのだろうか。

私の見ている限り20人に1人ぐらいがビラを受け取っていたが、

たいていは女性、あるいは年配の人だ。

 

デモの参加者は私が数えた時は70人ちょっと。

私服警官などを入れると(入れる必要は全然ないけどね)、90人ぐらいだった。

神戸大、奈良女子大の旗が見えた。

下の写真を見て、中国の学生はどう思うだろう。

中国では自国政府やそれにつながるものごとへの批判は非常に制限されている。

今日の掛け声の中に、

「安倍はやめろー!」

「イスラエルを支援する安倍はやめろー!」

というのがあった。

それに相当することを中国で言ったら逮捕は免れまい(と中国ではみんな思っている)。

 

デモと言っても、みんなそれぞれ創意工夫していて、ちょっと楽しい。

お花の帽子をかぶったカップルのうち、

右のおじさんは終始、口にバラか何かの花をくわえていた。

 

ベニヤ板でこしらえた作品?を持っている気合の入った人がいると思ったら、

知り合いだった。

 

アラブ系と思えるカップルも赤ちゃんをベビーバギーに乗せて参加。

 

英語とか習ったらこういう時にこそ使いたいものですね。

 

 

楽器もデモを豊かにする重要アイテム。前はジャンベ、後ろはギター。

 

自転車の後ろに風船つけて子どもを乗せているお母さん。

 

鉢巻しているのが神戸大や奈良女子大の大学生たち。

今どきの若者でもこういう子がいるんだなあ。

 

というわけで、抗議行動に参加してきました。

ツイッターやフェイスブックを見ると、あちこちで行動があるようです。

それを見て、参加できるものには是非参加していきましょう。

パレスチナの人々を孤立させないために、

イスラエルのやりたい放題をストップさせるために。

そのとき、できるだけ友達や家族を誘ってね~。

外で行動できない人や、近くでそういうデモがない人は、

自分がよく知ることと、知ったことを口(くち)コミで周りにパスしていくことも

世論を盛り上げていく上で大切ですよね。

そして、

とにもかくにも、

忘れないこと、思い続けること。

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「中国で聞いた日本の男達の話」 2014年7月18日(金)No941

2014-07-18 21:22:26 | 中日(日中)関係

写真は、

左が張家界で余立君さんが拾ってくれた松ぼっくり。

右は施芳芳さんがプレゼントしてくれた鶏(私が鶏が大好きだと言ったので)。

これらを部屋に並べると、まるで南昌の宿舎にいるような感じだ。

 

南昌でブログに書けずにいたことがある。

それは、一年前、ある年配の中国人男性から聞いた、

「日本の男は、み~んな、スケベです。み~~んなです」

という言葉(その人はいくつも実例を挙げて説明したが、ここでは言わない)、

そして、別の中国人男性から、日本に帰国する少し前に聞いた次のような話だ。

「私は、大学の日本語学科を卒業して、ある企業に就職しました。

日本の取引会社からどんどん派遣されて日本人男性社員が来ました。

毎晩接待で、飲めないお酒を飲み、たいへんでしたが、

大学出たての私にとって、一番辛かったことは、

日本人社員が、『きれいな御姐さんを連れてきてよ』と要求することでした。

私はそんなことまでしなければなりませんでした」

この話は今から15年ほど前のことだという。

しかし、今、事態はその時から変化しているのだろうか。

私は、自分の教え子たちにそうした役割を担わせるようなことは、絶対にしたくない。

また、つい最近、中国にいる日本人男性の口から

「タイは男の天国ですよ~」

という言葉を聞いたこともある。

あぶない。

 

ついこの間、東京都議会で女性差別の低レベルで下品な野次が飛びかったが、

結局、誰と誰が言ったのかは中途半端なまま、うやむやになりつつある。

メディアの情報提供は、目先の「おもしろい」話題にどんどん移っていく。

今は天下のNHKも兵庫県のどこかの号泣議員のことをしつこく報道している。

本当に低レベルなのは、議員だけでない。

福島の小児がんのことは口を固く閉ざすくせに、

こんなことだけは報道するメディアも、それに飛びついて面白がっている国民も、

みんな低レベルの愚か者たちだ。

女性差別野次は、どこがどう差別的なのか、筋道立てた報道があったのか。

橋下大阪市長の「マンション買って愛人を住まわせてください」発言に、

みんな腹が立たないのか。

私は、腹を立てない人々に腹を立てている。

橋下市長は従軍慰安婦も愛人も沖縄のセックス産業も一貫して、

女性は男の慰みの手段であるという価値観を明示しつつ、

急に「職業選択の自由」などと法律言葉で煙に巻き、自分の差別性をごまかす。

 

私は、最近、危惧しているのだが、

日本人の男たちは平和で平等を希求する世界にとって危険な存在ではないか。

あちこちの国で邪悪なものを巻き散らかしているのではないか。

それは独り政治家だけにとどまらないのではないか。

江戸時代から今まで、日本の多くの男性の頭の中はそんなに変化していないのではないか。

そんな気がする今日この頃である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「またイスラエルがガザ虐めをしている」 2014年7月17日(木)No.940

2014-07-17 18:00:25 | 日記

上の写真は、私が南昌の外国人教師宿舎の入口にずっと貼っていたものだ。

右上はスエミ姐さん、2年前に亡くなった我が人生の師匠、

左のちょっぴり水洟を垂らし大粒のイチゴを持って微笑んでいる女の子は、ガザの子だ。

南昌で、この二人の笑顔にはいつも励まされてきた。

「パレスチナ子どものキャンペーン」カレンダー(2011年)のうちの一枚である。

カレンダー解説に『粒の大きなガザのイチゴは、数年前までイスラエルやヨーロッパに輸出されていましたが、封鎖によって輸出できず、畑に放置されることもあります。(ガザ北部)』とある。

昨日7月16日のNHKラジオニュースによると、

イスラエルはパレスチナの人々が避難した先のガザ北部をわざと狙い、

海辺で遊ぶ何人もの子供を殺したという。

このカレンダーの女の子がまだ生きている保証はどこにもない。

 

欧米諸国は寄ってたかって我がまま放題のイスラエルの自衛権を認め、

パレスチナ人民の自衛権には一言も触れない。

イスラエルをちやほや持ち上げる今回のオバマ発言には呆れ果ててものも言えない。

 

ニール・ヤングがイスラエル公演を中止したという。

当然でしょう。発表が遅すぎたぐらいだ。

キャンセルの二日前、元ピンクフロイドのロジャー・ウ―ターズがフェイスブックで、

『今こそ、パレスチナに対するイスラエルの不法な植民地化と、その先住民族に対する継続的抑圧の隠ぺいに、私たちの手を貸すことを拒否することで、〈人種主義に反対するロック〉の力を見せる時だ』

と、公演キャンセルを訴えたという。

これまでもエルヴィス・コステロ、カルロス・サンタナ、ピクシーズ、スタンリー・ジョーダンなどが、

パレスチナやイスラエルの平和活動家の呼びかけに応え、

イスラエルに対する文化ボイコットという意味で公演をキャンセルしているとのこと。

えらいな。

一人ひとりができることを出し惜しみせずにどんどんやって、

パレスチナの人々と手をつなごうじゃないですか。

 

下は、ロジャー・ウ―ターズの「Song for Gaza 」。

今まで、何万人ものミュージシャンが歌い継いできたこの歌。

今もなお、血を吐くような思いで歌われている……。

http://www.youtube.com/watch?v=BPq-zAlLc_A&feature=player_embedded



≪Song for Gaza / Roger Waters≫

We shall overcome.
We shall overcome.
We shall overcome some day.

Deep in my heart,
I do believe
that we shall overcom some day.

And we walk hand in hand.
We walk hand in hand.
We walk hand in hand one day.

Deep in my heart,
I do believe
that we walk hand in hand one day.

I will break down prison walls.
We will tear down those prison walls.
Together we will tear down that prison walls someday.

Deep in my heart,
I do believe
that we will tear down all those prison walls on that day.

Deep in my heart,
I do believe
that we will tear down all those prison walls on that day.

And the truth shall set us free.
The truth will set us free.
The truth will set us all free on that day.

And deep in my heart,
I do believe
that the truth will set us all free on that day.

And we shall overcome on that day.

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「部屋にインターネット開通!!」 2014年7月16日(水)No.939

2014-07-16 20:55:28 | 日記

一週間以上このブログから遠ざかっていた。

もう雨の中、マクドまで自転車飛ばすのがめんどくさくてね~

で、今日の昼間、NTT関連の人が相次いで2人来て、

すいすいとインターネットできるようにしてくれたのだ。

中国に渡る前も、私はNTTのplalaを使っていた。

当時、サーバー契約や工事は、当然、それ専門の人が来て

接続まで完璧にしてもらっていた。

 

今回もその気でいた。

しかし、この7月1日からNTT西日本は徹底的に合理化して、

NTTマーケティングという名前になり、人員を削減し、

VDSLやCTU、さらにルーターも客に送り付けて、

利用者は自分でやれという方針に変化したという。

そのせいで、不具合や苦情がずいぶん寄せられているとか。

「現場の仕事を見たことも体験したこともないエライ人が考えたんですわ」

と言う現場の人。

非常に残念だ。

安心と信頼を売る商売が、それをドブに捨てたら顧客は確実に減るだろうに。

今日来てくれた2人は、私がITに不案内なので是非ぜひ来てくれるよう特にお願いして

来てもらったのだが、

前の現場で時間を取ってしまったことを何度も詫びて、

汗を拭いながら、すぐに工事に取り掛かった。

私は自分一人のときには昼間エアコンはつけない。

南昌で鍛えられてきたのだ。32、3℃の気温が何だってんだ。

日本じゃ、ラジオが毎日「熱中症対策を万全に」と叫んでいる。

過保護なんだよ。

しかし、私は今日だけは工事の人のために、エアコンと扇風機を全開した。

 

今日から、インターネット使い放題だ。

これは、とても贅沢なことだ。

 

 

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「はやっ!南昌からのEMSがもう着いた」 2014年7月8日(火)No.938

2014-07-08 22:07:50 | 日記

7月1日(火)、スーツケースに入り切らないお土産類を

急遽EMSで昌北下露郵便局から大阪に向けて送った。

その前の週に12個を船便で送ったときは2665元だった。

この、たった1個のEMS便はそれだけで560元もした。

郵便局員も「とても高いのでお勧めできない」とまで言ってくれた。

しかし、お土産は早く着かないと間延びする。

身を切られる思いでその高額な代金を払った。

しかし、高いだけはある。

1日の昼ごろ出した荷物が、5日の午後にもう、大阪の自宅まで到着したのである。

そんなに早いと思わない私は、梅田にお出かけしていて、

翌日もう一度配達してもらった。

こういう郵便サービスはアメリカ・ワシントン州シアトルにもない、中国にもない、

日本の痒いところに手が届くありがたいものだ。

これがどこでも当たり前ではない。

 

でね、その荷物の中に雲南省のコーヒー豆が入っていたのね。

これはヤギ先生がお土産として持たせてくれたもので、

1つは焙煎済み、もう1つは生豆である。

私は生コーヒー豆を早く自分で焙煎したくてたまらなかった。

実は、かれこれ15年ぐらい前、

私は自称コーヒー博士から焙煎道具を購入し、

一時期、コロコロと自家焙煎してコーヒーを飲んでいた。

下がその焙煎道具「煎りたて名人」である。

その後、コーヒー豆焙煎に飽きた私はこれを銀杏煎り器として使っていたので、

銀杏の匂いが染み付いてないかちょっと心配だ。

 

 

 

弱火で気長にコロコロする。

ポン、ポンはじいてきたらそろそろできたかな。

色はちょっと浅煎りですね。でも、とにかく早く飲みたいから、これでいいわ。

 

 

BRAUNの豆挽き器でガーッと挽く。

 

 

 

 

良い色に出てきた。

 

 

 

お気に入りのマグカップに入れて、さあ、いただきま~す!

 

 ・・・・・・・・・。

 う~む、かなり酸味が強いな。

もっと深煎りすればよかったのか。

酸味に弱い私には、課題の多い味だ。

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