毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「劉思婷さん関西滞在記(その1)」 2013年9月30日(月)No.762

2013-09-30 13:04:54 | 日本中国比較
明日からの国慶節休みは大型連休になる(1日~6日)。
今夜南昌を発ち、4日夜まで学生たちに連れられて
浙江省の杭州、紹興に行ってくる。
出不精の私としては画期的なことだが、
行くとなれば楽しんできたい。
というわけで4日までこのブログは一休みします。
また、土産話をお楽しみに~!

今日は先日送られてきた劉思婷さんの関西滞在記の一部をご紹介させていただく。
(劉さんはこの夏休みに我が家に2週間弱滞在した
江財大出身で現在、広州外語外貿大学の大学院生)
中国の若者の思いがけない視点で書かれていることも多く、興味深い。


「日本滞在記」
                広州外語外貿大学大学院日本語学科  劉思婷

7月26日、山に囲まれた広州白雲空港から海に囲まれた大阪関西国際空港まで、
三時間半の旅程中、機上で私はいろいろ考えた。
日本語を勉強して五年になるが、日本へ行くのは初めてである。
本やドラマ、テレビ番組などから日本に関するさまざまな知識を得てきた私にとって、
日本国は研究の対象であると同時に、どうしても一度は訪れたい国だった。
今回、ブルーはーと先生のご尽力で、やっと憧れの日本に行くことができた。
先生にもう一度お礼を申し上げたい。
(日本はどんな国であろうか、日本の人々はどんな人たちだろうか。
『菊と刀』に描かれているような日本人なのだろうか)と
、関空に向かう飛行機の上で私の想像は膨らむばかりだった。
大阪関西国際空港に着くと、先生はもう待っていた。
先生とは五ヶ月ぶりの再会で、とても懐かしかった。

[日本の初印象―静かな道路、小さい家]
その後、先生に連れられて、JR大阪駅、阪急梅田駅を経て、先生のお宅についた。
歩きながら、キョロキョロと初めて見る日本の家、店、道路や人たちなどを観察していた。
パチンコ屋以外のところは、みんな静かで、人の声もあまり聞こえない。
道路の幅や家も小さくて、かわいい。中国だったら、何でも大きい。
でないと、人口の多い中国では渋滞になるかも知れない。
初めての日本は、何でも興味津々だった。
最初のうち、よく
「初めて日本に来て、どう思いますか?中国とどう違いますか?」
と聞かれた。
私も一生懸命このことを考えた。
例えば、天気とか人の服装とか、女性の化粧のし方とかだいぶ違っていると答える。
都市の違いは大きい。
中国の都市、例えば、広州では、建物と建物との間に一定の距離があり、大きい木が多い。
大阪では、建物が密集していて、木が少ない。
でも、よく見ると、屋上や家の前に、植木や花鉢がある。
こじんまりとして精緻な感じが溢れている。

[女性専用車両と痴漢]
また、日本のJRや阪急電車に乗ったとき、女性専用車両があったことに驚いた。
これは女性を保護するいい方法だと思う。
実は、私は一人で電車に乗ったとき、わざわざ女性専用車両を避けたことがあった。
最初は「女性専用車両」の意味がわからなくて、
(体の弱い女性とか、特別な人達だけ乗れる車両だろうか)と思ったので、
丈夫な私には普通の車両に乗る方がいいと思ったのだ。
あとで、女性だったら誰でも乗れると知ってから、毎回電車に乗るとき、
女性専用車両に乗りたかったが、残念なことに、専用車両のない電車も多いみたいだ。

JRなどに乗るとき、ドアに「痴漢は犯罪だ」とよく書かれてある。
はじめ、「痴漢」とはどういう人を指すのか、ちょっと概念が曖昧で、わからなかった。
ウィキペディアで調べると、
「痴漢とは、公共の場所で相手に羞恥心を抱かせ、不安にさせる行為を行う者、もしくは行為そのものをいう。日本独特の不法行為であり刑法に抵触する場合は少なく主に迷惑防止条例などで罰する」と書いてある。日本では痴漢は多いのか?では、すりとかは?
中国では、バスや地下鉄によく見られるのは、「请保护好自己的财物,小心小偷」である。
つまり、「すりに注意して、自分の荷物をよく確保してください。」ということだ。
すりが多くて、お金とか盗まれたら大変である。
でも、それは痴漢がいないということではない。
混んでいる電車やバスに乗っているとき、痴漢に触られることも多い。
中国の女性は痴漢に触られたら、そうっと他のところに行くだけで、
大声で叱ったり、警察に言ったりする人がまだ多くない。

(続く)
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「中国の若者は率直に家族愛を表現する」 2013年9月29日(日) No.761

2013-09-29 18:56:50 | 中国事情
日本と比べると、格段の差を感じるのが、
若者たちの家族を大切に思い、行動する態度である。
日本の若者は家族(両親、祖父母など)への愛情表現が、
ちょっと危機的なほど控えめだ。
愛情表現はもっぱら親(祖父母)から子どもたちへの一方通行が目立つ。
(つまり、甘やかしている感じ)
その原因として、子供が家族と過ごす時間の少なさとともに、
子供が家族と労働を分かち合わないことがあると私は思う。
この夏休みの出来事を書いた日本語学科3年生の作文を読んで、
(やっぱり、そういうことじゃないかな)と意を強くした。
もう一つ、一般的に中国の人たちは日本人のように悪デレしない。
とても率直に愛を言葉にするのである。
肉親への愛もその中にちゃんと入っている。


「祖父と西瓜」 楊文雅
私の祖父は農民で、毎年西瓜を栽培しています。
西瓜はおいしいし、値段も高いですから。
昔は、たくさん売れてお金が儲かり、祖父はずいぶん楽しかったそうです。
でも、今年は例年と違って、値段はとても安かったんです。

農民にとって、夏は作物が成長する重要な時期で、忙しくてたまりません。
実は、去年祖父は骨折して入院しました。
体のことを心配して、私たちは西瓜を植えることに絶対反対でした。
それでも頑固な祖父は、西瓜を植えるつもりです。
「私はね、農民だから耕作していないと身体が不自由になるかも知れないよ。」
と言われては仕方ないです。

7月、私は祖父を手伝って西瓜を摘みました。弟たちもやる気いっぱいでした。
今年の西瓜はとても甘いし、大きいです。
いい価格で売れると思ったのに、結果は非常に失望してしまいました。
原因は、中国の南方では今年の夏、大雨続きで輸送が滞ってしまったからです。
天の神は農民に対して不公平だと思います。
祖父たちは今までずっと頑張って働いてきたのに、
どうしてそんなに心を傷めさせるんですか。

7月の夏休みは暑いです。
農民たちが汗を流しながら働くのを見るたびに、私は泣きそうになります。
西瓜は人出と肥料がたくさん必要ですから、6歳の妹まで朝5時に起きて畑へ行きます。
小さい妹は、西瓜の世話が一番嫌いです。私ですら嫌いなのですから、
6歳の子には辛い仕事です。

祖父が最後の西瓜を売り切った後で、値段はどんどん上がりました。
お金を得ることは簡単ではありません。
私たちは、お金を大切にするべきです。




「母」藩敏
この夏休みは第二専攻があったので、家に帰るのがちょっと遅くなりました。
私は家に帰ると、冷蔵庫にたくさん漬物があるのを見ました。
普段家で両親だけしかいないので、両親は料理する気にならなかったんだと分かって、
心が痛くなりました。

夏休みの間、毎日両親のそばにいましたが、
母が病気になり、毎日苦い薬を飲まなければならないので、心配でした。
そんな生活の中で、一番印象に残っていることは、
母がおいしい料理を作ってくれたことです。
母は病気なので脂っこいものを食べることはできません。
でも、私が学校で美味しいものを食べられなかっただろうと思い、
私の健康を気遣って、毎日違う料理を作ってくれました。
自分の身体は全く気にかけません。
母は長年の働き過ぎで、髪の毛がすっかり白くなっています。
そんな母を見て、本当にもったいなく、ありがたく感じます。




「家事」 楊佳蕾
私の夏休みは毎日のんびりしたものでしたが、
今までの休みと1つだけ違うことがありました。
それは、母が私に家事を任せたということです。
この夏休みを通して、私は家事をする方法を習っただけではなく、
母の苦労がよくよく理解できました。

まず朝起きて、散らかっているものを軽く片付けます。
そして、床を拭かなければなりません。
まず、水で埃を除きます。
そして、水の中に洗剤を入れて、もう一度掃除します。
その後は洗濯です。
服を分類し、別々に洗います。
少々休憩し、最後はお皿を洗います。
お皿は全部ガラスで作られていますので、十分に注意しなければなりません。
全部終わったとき、私はもう、力尽きていました。

(母は毎日仕事をするだけでなく、こんなにたくさんの家事をして、
本当に苦労してきたんだなあ)と心から感嘆しました。
今後、私は必ず母を手伝って家事をします。
それがこの夏休み、一番印象に残っていることです。
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「しまった!『半沢直樹』で一日潰れ」 2013年9月28日(土)No.760

2013-09-28 21:42:37 | 日記
もともと、「半沢直樹」を観る気など毛頭なかったのだが、
3年生の男子学生の一人に、
「男性寮ではみんな、『半沢直樹』を見ています。面白いですね。」
と言われたのが運のつき。

今朝、外は雨が降っていたので八一公園の日本語コーナー行きは一休みし、
明日の準備(日曜日なのにまた!代替授業・・・今度は国慶節の)でもしようと
ふと、「百度Baidu」という中国のポータルサイトを見て、
ふと、「電視劇」をクリックし、さらに、ふと「日本」をクリックしてしまった。
それが午前11時頃だったので、そこから夜9時すぎまで、
ずっと、お茶漬けやら食パンやらで飢えをしのぎ、
全10回を観てしまった。
最後まで止められないのは、子どもの頃からの私のクセだ。
小学校六年生の冬休み、
なぜか家に「吾輩は猫である」上巻があったので、ふと読み始め、
背中を丸めて十時間ぐらいで全部読んだあと、
どうしても下巻も読みたくなって、
翌日、斜里の本屋さんまで自転車で1時間走り、
買ってきて読んだという経験がある。

「おたんこナース」も「今日の猫村さん」「テルマエ・ロマエ」も全部そうだ。

見ての感想なんだけど、
多くの日本人がこのドラマが好きだ、というのが、
(へえ~)と意外に思った。
もっと現在の日本人はクールというか、複雑な心の持ち主かと思っていたら、
そうでもないのかあ。
やっぱり、心の中では正義を求めていたのね。
そう言えば、このストーリーは
江戸時代の庶民の楽しみだった勧善懲悪本や、
昭和の時代の「水戸黄門」とかと重なる。

何が正義で何が悪かについて、
「半沢直樹」では誰が見てもわかるように描かれている。
つまり、判断は見ている者がするのではなく、すでに提示されているのである。
その上、正義を実行するのも自分じゃなく、半沢さんなので、
ただ自分は気持ちを入れ込むだけですっきりしたりできる。
現実社会では自分で考え、判断し、実行しなければならず、メンドくさい。
しかも、頑張って考えても、
雑音情報がいっぱいで、真実の見分けがボヤけてしまったりする。
テレビは自分で考えたり、判断したりしなくても、提示し、導いてくれる。
(ああ、モノを考えなくてもいいとは、なんて楽ちんなんだろう。
そして、苦しい選択も貧乏も病気も、全部テレビがやってくれる。
テレビはいいなあ!)
ということなんだろうか。
私自身、今日一日でかなり気分転換・スッキリしましたから~。

蛇足だけど
ドラマ中、大和田常務の香川照之は以前から好きな俳優で、今回も見ていて
言葉の言い方が絶妙だ、と心が震えた次第である。



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「今日の江財大麦盧園のお昼タイム」 2013年9月27日(金) No.759

2013-09-27 19:18:17 | 中国事情

この道路を真っ直ぐ4、5分歩くと左に第二食堂がある。
第一食堂より寂びれているが、
日本語学科の授業は写真左側の階段を上がったビルで行われることが多いし、
私がオフィスとして使わせてもらっている資料室からも近い。
私は、よほどのことがない限り第二食堂で食べる。
この食堂の近くに寮がある女子学生たちの多くも、こちらを利用する。
味は一般的に、第一食堂の方が美味しいという子が多いが、
私からすればどちらも似たりよったりで、違いが分からない。

きょうは二年生の会話授業の後、何人かと一緒に。


手前が私のお昼ご飯。
ステンレスのお碗に、まず、お米のご飯を入れてもらい、
その上におかずを盛ってもらう。何種類か注文すると、どんどん上に乗せられて、
味が混ざり、何がなんだか分からない一種類の丼ものになる。
今日はニラと麺状の豆腐の炒め物、ヘチマと何か分からない野菜と豚肉の炒め物を
盛ってもらった。全部で4、8元。日本の円では65円ぐらい。
生活費安いです~♡



ちょっと離れたところに、日本語学科の厳先生の姿も!
快く撮影に応じてくださった。
ところ変わればテーブルマナーも変わる。
こちらのマナーは、骨や辛い辛い唐辛子など食べないものはテーブルに置き、
決して自分のお皿には入れない。
私は外国人であり、外国のマナーを通すことに
何の異論も注意もされないので、日本式にしている。



今日は一気に寒くなり、服装が晩秋用になった。
数日前は34°Cあったのに今日は最高気温24°Cだ。
ああ~、これが南昌゜(゜´Д`゜)゜




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「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる」 2013年9月26日(木)No.758

2013-09-26 19:47:48 | 中日(日中)関係
 中国の大学生が観た『はだしのゲン」(その3)

中国の大学生といっても、日本語学科の学生たちは
中国国内でも知日派代表のような子たちだ。
従って、中国の学生のみんながこうした温かい視点での感想を持つとは限らない。
しかし、優しい彼女たちだとて、きちんと見据えている。
民衆と為政者は立場が違うということ。
民衆には戦争に反対できなかった責任があること。
為政者は、戦争を始めた責任があること。
さらに、現在も戦争の可能性が皆無というわけではなく、
為政者には真面目に過去を反省して、平和を堅持する義務があることを。


(閻 鳳茹) 
「戦争は悪魔である。」
『はだしのゲン』を見ているとき、その思いが頭に浮かんだ。
私も中国の子供として、、小さい時からいろいろ戦争について聞いた。
しかし、戦争の恐ろしさは十分に実感できていなかったと思う。
私たちは今、穏やかな世界に住んでいるので、戦争の恐ろしさは想像しがたい。
だが、この映画で、戦争の本当の姿をもう一度はっきり見た。
戦争は悪魔である。
一瞬で何万という人間の命が奪われる。
それに伴って何万もの家庭が粉々に破壊される。
これは比べるものがないほど恐ろしいことだと思わないか。

しかし、おかしいことがある。
世の中で、本当に戦争をしたがる「バカ」もいるのだ。
今の世界は絶対的な和平状態とは言えない。
なぜならば、バカみたいな人々がいるからだ。
戦争のことを反省せず、さらに
「戦争も辞さない」
などと言う。人民大衆は戦争が大嫌いだ。
この点を権力者たちが絶対に忘れないように、と希望する。
中国と日本という狭い範囲ではなく、
各国はもう一度、深く考えることが必要だと思う。



「『はだしのゲン』を観て」 (奉延玲)
「ドーン」と大地を揺るがす重い音の後、
一つの巨大なキノコ雲が立ち、空に広がっていく。
これが1945年8月6日の広島の原爆である。
映画『はだしのゲン』の中のこのシーンを見て、私は手にも足にも鳥肌が立ち、
心臓が一瞬止まったようだった。
原爆の強くて恐ろしい威力に完全に打ちのめされたのだ。

日本の広島と長崎での原爆事件については、
中学校から学ぶ「中国現代史」で触れているところがあるが、
中国南京大虐殺の残酷さ、中国人が背負わされた苦痛の重さに比べると、
それは軽いものだろう、と多くの中国人は思っている。
原爆の害の大きさが分からないからだ。
原爆は私たちが思っている以上に、
日本の当時の人々だけでなく次世代の人々の体と心にも害を与えている。
原爆によって親族に死なれ、原爆後の大火の中で叫んだのは、
決してゲンとその母親だけでなかったに違いない。
原爆のキノコ雲を、今思い出しても鳥肌が立つ。

日本人にこの災難を加えたのはアメリカ軍だ。
しかし、私はまだ他に犯人がいると思う。
まずは当時の日本政府だ。
当時の日本政府は軍国主義を堅持し、領土拡張のために戦争を挑発した。
政府の誤りによって国民が巻き添えにされたのだ。
また、天皇と軍国主義への盲目的崇拝ももう一つの犯人だ。
これを見ると、中国文革時期の毛沢東主席への完全崇拝を思い出す。

時間が経つにつれて、歴史の記憶がだんだん薄くなってしまう人がいる。
歴史の教訓を意に介さず、国民の希望に反する行動を行い、
自分の利益しか考えない政治家は許せない。
中国人にしろ、日本人にしろ、
歴史を直視し、それを世世代代に伝えるべきだと思う。
歴史を鑑として、覆轍を踏まずに他国と友好関係を築くこと。
それを期待してやまない。






コメント (17)
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「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その2)」 2013年9月25日(水)No.757

2013-09-25 20:19:32 | 中日(日中)関係
江西財経大学日本語学科4年生が今月前半に観た、
実写版「はだしのゲン」に対する感想(その2)である。
彼女たちが見たものは、原爆投下の戦略的意味ではなく、
戦争そのものの姿だった。


 「『はだしのゲン』を観た感想」 劉慧
この作品はどの国の人に見せても、涙が出ない人はまずいないだろう。
なぜなら、人はもともと善良なのだ。
この映画を見て、ゲンとシンジの無邪気な顔つきや、
映画の最後の大火事は、ずっと忘れることができない。
何もわからないシンジがその時代に育てられたのは残酷なことだ。
ゲンがお母さんと生まれたばかりの妹のため、
食べ物を求めて芸を演じているとき、頭にシンジの姿を思い浮かべる。
それを見て、どうしても涙を禁じ得なかった。
その時、ゲンも子供なのに、そんなに苦しい経験をするとは・・・・・・。
もし、平和な時代に育てられたら、二人とも私の子供時代と同じように、
何の心配もなく、他の子供達と遊んでいるだろう。

家族が、目の前にいるのに火事で命が消えていく悲しさは想像もできない。
何もできない。ただの叫び。どんなに苦しいことか。

一体、戦争の目的は何だろう。家も家族も失えばやめるのか。
戦争が終わってから亡くなった人を悼むことに、意味があるのか。
どうして初めから戦争をやめないのか。
戦争を本当にしたい人はどのくらいいるのだろう。
ただ、ほかの人から排除されないために、目をつむって戦争に参加するのか。
皆、どの国の人も、人間なのに、家族もいるのに、
平和な世界で共存してはだめなのか。

今の膠着した中日関係のため、
戦争を始めようと呼びかける人が両国ともにいると思う。
まずは戦争の結果を考えようよ。
戦争を思うと怖い気持ちになる。
戦争なんか大嫌い。



 「『はだしのゲン』をみて」 李思銘
この映画は字幕がないことだし、その中の言葉は広島弁で聞き取りにくいです。
それでも、画面などによって、映画が映したいことはだいたい分かります。
この映画を見ると、笑いたくて泣きたいです。
笑わせられたことは気が利くゲンと、かわいい弟です。
二人の演技はすばらしいです。
とは言え、この映画には悲しいところもいろいろあって、
見ていてみんなも涙を流しました。

ゲンのお父さんは戦争に反対したので、
家族全員がいじめられ、迫害されていました。
お姉さんを半裸にして陵辱したシーンは極めてひどいです。
戦争のせいで、国民はお腹が満たない生活をして苦痛を舐め尽くしました。
戦争はそんなに残酷なのに、どうしてみんなは支持しましたか。

この映画は今平和な時代に生まれた人に見せる価値はもちろんあります。
戦争の残酷さを知らせます。
もし、この映画を子供に見せれば子供に悪影響を与えますか。
与えないと思います、
いずれにしても、戦争は最悪の手段だと思います。
戦争、大嫌いです。



 「戦争と苦難」 劉夢萍
字幕がなく、方言もあまり通じないにもかかわらず、
「はだしのゲン」を観て、大きな衝撃を受けた。
今でも映画の中の二つのシーンは頭の中に焼き付いている。

一つは、ゲンが寄り道した池端で何回も
「ちくしょう、ちくしょう!」と叫びながら、遠くの水面に石を投げるシーンだ。
このシーンを見た時、私も心の中で一緒に「ちくしょう!」と叫んだ。
なんで『戦争反対』という意識を持つ者が、そんな悪い待遇を受けるか。
戦争は国と国との間で利益を争奪する手段である。
勝利しても、敗北しても、国民にとって苦難は避けられない。
今までの歴史において、
この道理が分かる人をも、政府が愛国心を駆り立て、
「戦争に反対しない」「戦争を支持する」のような態度に転換させてしまった。
この前も、中日関係は釣魚島のせいで、すごく深刻になった。
周りの国民は何人も
「中国を支持し、日本と戦争で勝負しよう」
と言った。
そんなに安易に言うのは、戦争がもたらす苦難が分からないからだ。
両国の利害の衝突はどんなに深刻になっても、平和的に解決すべきだ。
戦争をしないことが、人々に苦難をもたらさないことだ。

印象的なもう一つは、広島に原爆が投下された直後に、
生きながら焼かれていく家族を救うことができない悶絶、
焼けただれ、変わり果てた姿で廃墟をさまよう姿。
戦争を経験したことがない私達は、当時の惨状、原爆の悲惨さに衝撃を受けた。
戦争は理不尽だ。

映画が原爆のシーンを再現したのは、
戦争の記憶を忘れないように、
苦難にもう一度遭遇しないように、
今の平和を大切にし、未来の平和を呼びかけているからである。


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「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その1)」 2013年9月24日(火)No.756

2013-09-24 18:42:52 | 中日(日中)関係

日本語学科の4年生の映画「はだしのゲン」を観た感想を読んだ。

どうしてこんなに優しいんだろう。
心は他人の立場を思い遣るとき、このように神々しく輝くものなのか。
大げさじゃなく、そう感じた。

日中戦争を終わらせたと言われる原爆投下は(異説も最近聞いたが)、
抑圧されていた中国の人々にとっては、ある意味で「解放」だったのではないのか。
映画を見せる前、そんな風に思った。
以前日本に来たマレーシア人留学生が
「原爆が投下されて本当に良かった。
マレーシアの犠牲がようやくそれで終わりを迎えたのだ」
と言っていたのを覚えている。
日本は中国、韓国・朝鮮だけではなく、アジア中を荒し回っていたので、
そんな感想が聞こえても仕方がないと思っていた。
取り合えず、紹介させていただく。
日本の皆さんは、この感想を読んでどう思われるだろう。


「『はだしのゲン』の感想」江青英

「はだしのゲン」を見ている途中、笑ったり、泣いたりした。
(中略)
この映画を見たあと、最も深く感じたのは、
国と国との間で政治や文化などの差はあるけれども、
人々が(戦争が嫌いだ)と思う気持ちは同じだということだ。
以前、よく見た戦争映画はほとんど中日戦争に関して、
中国人側から制作されたものだ。
その時は、(日本が戦争を挑発したことで中国の人々に多大の損害をもたらした)と
強く感じていた。
一方で、日本の国民も戦争で大きなダメージを受けたことについてなど、
これまでほとんど考えなかった。
「はだしのゲン」を見たら、日本人も中国人も、そして、朝鮮の人々なども、
戦争でいろんな苦しみを味わったことが分かった。
ただひたすら(もう、戦争が起こることなど、ちっとも見たくない)
という気持ちを覚えた。
この映画の最後のシーンで、ゲンのお母さんが、
天皇が戦争を始めた行為を告発した話も、頭の中でこだましていた。
また、自分もこれから片側からだけ見て、
物事に対応するべきではないと思う。
現在の世界は戦争がほとんどないが、領土紛争や資源の争いなどが原因で、
戦争を始める可能性がある。
世界各国は歴史を再び繰り返さず、人々の苦しみを理解し、
なるべく戦争をしないように世界の和平を維持していくよう心から願っている。




「『はだしのゲン』についての感想」羅ちゅう

ゲンの父は反戦思想を持っている人です。
その思想を堅持したために「非国民」と言われます。
そう言われても、殴られても、後悔しなかった。
その勇気に、とても敬服します。
戦争は私にとっては遥かなことのようですが、
戦争によって、家族と親友を失う苦しみはひしひしと感じます。
原爆が落ちたとき、家族と離れ、一人で病気になったりして、
誰にも助けてもらえず、苦しんでいた人も多いと思います。
「自国を守るために戦争をする」
その言い方は、とんでもない嘘です。
戦争があったら、犠牲ということがあるに違いありません。
政治家の皆さんは、
戦争以外にも他の方法がたくさんあるのだから、
ほかの人の命を大切にしてほしい。



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「ヘイトスピーチやめよう 差別反対訴え新宿でデモ」2013年9月23日(月)No.755

2013-09-23 10:31:57 | その他情報
このブログは日本語で書いているが、
ここ中国の地で日本語を学ぶ多くの中国人学生も読んでくれている。
日々、どんなことをブログに書こうか考える際、
誰がこの文を読むかをいつも意識している。
日本の友人・知人、まだ見ぬ人たちに向けて、現在の中国のごく一端に過ぎないけれど、
生活する本物の人々の暮らしを知らせたい。
同時に、ネットやTVでしか日本を知り得ない中国の人々に対して、
日本の現状がどうなのかを一面的な決めつけとしてではなく、
柔軟に捉える資料にしてもらいたい、といつも願っている。

「在特会」等の差別排外主義行動については、
中国でもテレビやインターネットで広く知られている。
最近、北京からの電話で
「今日、日本で右翼が在日韓国朝鮮人排斥のデモをしたとTVで見たが、
最近の日本は右翼が跋扈しているのですか」
と問われた。

私だとて日本にいるわけじゃないし、そう詳しく分かる訳でもない。
しかし、同時に、日本にいるからといって
そんなに皆が皆、きっちり状況を把握しているわけでもないとも感じる。

偉そうに言わせてもらうなら、
今の中国、そして日本の双方の人々が身に付けなければならないのは、
情報をキャッチし、ふるい分けて、きちんと位置づけることではなかろうか。
その際、最も基本的かつ重要なのが、
「ものごとを多面的、客観的に見る」ことだ。
今までそうした習慣がない人は、
自分で自分を教育して、深い洞察力を持つ人になってほしい。
私自身、未熟ながら心がけていることである。

というわけで♡今日のニュース♡
(本当は昨日の出来事だが、こちらは中秋節の代替授業で、
日曜日だというのに働かされ、心身ともにどっと疲れて早く寝た)


――ー―ー―朝日新聞デジタル(2013年09月22日21時49分)より転載
ヘイトスピーチやめよう 差別反対訴え新宿でデモ
(写真:静岡新聞より)
 差別はやめよう、仲良くしようぜ――。
特定の人種や民族への憎しみをあおり立てる「ヘイトスピーチ」など
差別的な動きへの反対を訴えるデモ行進が東京・新宿で22日に行われた。
ツイッターなどでの呼びかけに呼応した約1200人が参加した。

 「東京大行進」と題したデモ隊の先頭は、
黒のスーツ姿で「一緒に生きよう」などと書かれたプラカードを掲げた。
1963年に米国でキング牧師らが人種差別撤廃を訴えた「ワシントン大行進」がモデルだ。新宿中央公園を出発し、職安通りや歌舞伎町など約4キロを歩いた。

 東京都の自営業、椎原芳貴さん(46)はネットでデモを知り、参加。
「ヘイトスピーチの動画を見て、これはひどいと感じた。
ここ数年、あいまいな情報しか知らないのに特定の民族を嫌う人が増えたと思う。
自分の時間が許す限り、声をあげたい。」
高校生の長島野枝さん(15)は
「ニヤニヤしながら『死ね』という人たちを目の当たりにして衝撃を受けた。
私たちの世代が関心を持って、変えていかなくてはならない」
と話した。

 デモは、新大久保で在日韓国人・朝鮮人へのヘイトスピーチを繰り返す団体に
抗議してきた人たちが中心となって企画。
作家の平野啓一郎さんや社会学者の宮台真司さんらが賛同人に名を連ねた。
テーマには同性愛者や障害者らへの差別撤廃も含まれている。

 新大久保ではこれまで、ヘイトスピーチに参加する人と反対する人の間で
乱闘騒ぎもあった。
実行委の大学生、手塚空さん(22)は
「今回は特定の相手に対抗するのではなく、自らが『差別撤廃』を訴えていく前向きなデモ。
趣旨を理解してくれた人が、広く賛同してくれた。来年以降も毎年開催したい」
と話した。


ーーーーーー転載ここまで





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「日本僑報社と段躍中さん(その2)」 9月21日(土)No.754

2013-09-21 17:43:54 | 中日(日中)関係
(段躍中さんは、自分の人生を賭けて中日友好の懸け橋になると決めたんだな)。
段さんの行いを少しずつ知るにつれ、私はそう思った。
私のような根無し草・流浪の民・コスモポリタン的人間には、
一生を何か一つに捧げるのは難しい。
そういう人間でも、核になる人物を支えるという仕事ができる。
〈自分の出来る範囲で〉というせこい限定付きで、
私はその仕事をさせていただこうと思う。

段躍中さんは今年、2013年5月27日、日本記者クラブで初めて講演した。
6月3日(月)の毎日新聞は段さんについて紹介記事を載せた。

――――――――「余録」(毎日新聞一面コラム)転載
「中国青年報」の記者だった段躍中さん(55)が、留学した妻を追っかけて
来日したのが1991年8月だった。
天安門事件から2年後。
「ジャーナリストとして日本を見たらどうか」
という妻の一言に誘われてのことだった。

▼当初は驚きの連続だった。
電話ボックスに旅券や財布を入れたバッグを置き忘れ、慌てて戻ったら
盗まれもせずにそのままあったこと、
日本のメディアが堂々と政治家を批判、風刺すること。
一方で、外国人の犯罪についてことさら悪い面を強調する姿勢も気になった。

▼それから22年。ひたすら日中交流強化に励んできた。
在日中国人の活動を紹介する情報誌を発刊、
日中関係の書籍も約240冊出版した。
2005年からは年1回中国人学生らに日本語で作文を書いてもらうコンクールを実施(註1)、
街角の公園を使った日中交流会(註2)も300回を数えた。

▼その段さんの目にも、今の日中関係は厳しく映る。
政治交流の中断、停滞だけではない。
中国では中国版ツイッターでの日本批判が増え、
日本留学希望者は親から反対されるし、
日本では中国語を学ぶ学生が減り、反中国意識が強くなった。

▼「それでも」と段さんは先日、
日本記者クラブの会見で関係改善のためのアイディアを披露した。
いわく。約60万人の在日中国人への支援を強化して彼らを民間大使として活用する。
日本の良さをもっと発信するため、影響力のある中国人ブロガーを日本に招待する。

▼やるべきことはまだまだある、ということか。
段さんに負けずに私たちも
「それでも」との声を上げたい。
いっそのこと、日中の懸け橋コンクールというのはどうだろうか。

――――――――――転載ここまで


日本僑報社(代表:段躍中)
 〒171-0021 東京都豊島区西池袋3-17-15
      FAX:03-5956-2809
      TEL:03-5956-2808
      http://jp.duan.jp
       info@duan.jp


(註1)「中国人の日本語作文コンクール」日中交流研究所主催(今年で第9回)
(註2)漢語角(中国語コーナー)東京・大阪などで開催。詳しくは日本僑報社に聞いてね。


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「中秋節は賑やかに!―それが中国的ルール」2013年9月20日(金)No.753

2013-09-20 19:09:37 | 中国事情
こんだけ揃えば否応なく賑やかになる。
2年生のお寿司作り隊が、昨日の中秋節、我が宿舎にやって来た。


写真の学生たちは、
当初巻き寿司作りを教えてほしいと言っていた。
しかし、聞き違い&思い込みが重なって、
準備が整っておらず、
仕方がないので急遽、ちらし寿司を作ることにした。

中秋節だというのに外からは、
新入生の軍事訓練の声が、
時折、大地を揺るがすような響きを持って聞こえる。
数年前、作文に
「中秋節のくせに、私たちは軍訓をやらされました。」
と書いた子がいた。
「中秋節のくせに」が、ジャイアンの言う「のび太のくせに」
と重なって、可笑しくてたまらなかった。
もちろんその子は
「中秋節なのに」「中秋節にもかかわらず」
と書いたつもりだ。
このような外国人の用法ミスは、日本語を再考する上で
大変参考になる。

さて、気はとても良いが少々そそっかしい学習係さんを筆頭に、
それでもとても気を使って2年生の寿司作り隊は、、
お花と文旦(こちらでは『柚子』と言う)のお土産を持ってきてくれた。

中秋節に文旦を食べるのは、江西省の習慣だそうだ。
満月を彷彿とさせるからだろう。
家族一緒になら、
お喋りしながら剥きにくい皮をゆっくり剥くのもいいだろうが、
これを自分だけで食べたいとは絶対思わない。
それほど皮剥きが面倒なのである。


上の落花生は、夏休みのお土産として
広西チワン族自治区の故郷から奉延玲さんが持ってきてくれたもの。
生落花生なので、塩茹でしてみんなでいただいた。
奉さんは5分ほど茹でればいいようなことを言ったが、
実際は50分も茹でた。
お寿司が口に合わない子も、これはパクパク食べていた。
ご飯に甘酸っぱい味付けなど、中国では生まれて初めての子が多い。
それでも、ほとんどの子は残さず食べた。

2年生が帰ってから、一人、玄米茶を飲みながら
オフィスから贈られた箱が上等な月餅を一ついただいた。
いや~、玄米茶は最高!
コメント (2)
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「昨日は満州事変の日」 2013年9月19日(木) No.752 

2013-09-19 19:39:29 | 中国事情

(9月19日午後7時過ぎ、南昌郊外の宿舎ベランダから見た月)

今日は中秋節だった。旧暦の十五夜だ。
中国では春節とともに家族団欒の祝日として位置づけられている。

昨日は9月18日、つまり「満州事変の日」(中国では「九一八事変」)。
蛟僑ではいつもの時刻10時から15分間、あのサイレンが鳴ったのだろうが
麦盧園の資料室にいて、聞こえなかった。
あの音は辛い音だ。
サイレンなのにちっとも鋭くなく、ただ、ただ、もの悲しい音色なので余計にこたえる。
お昼に4年生の張さん、奉さん、劉さんと麦盧園の第二食堂に向かいながら
サイレンが聞こえなかったことを言うと、
「そう言えばここのキャンパスで暮らし始めてから、その音は聞いたことがない」
との返事。
鳴らしていないはずはないが、キャンパスが広すぎて聞こえないのだろう。

昨日、人民日報傘下の環球時報が公式ミニブログに掲載したコメントに
ネットで多くの批判が寄せられたという。
環球時報のコメントは、
「上海市のあるレストランで食事していると、
隣の席に3人の日本人と1人の西欧人、そして1人の中国人が座った。
彼らは日本語で会話し、中国人はお茶を注いだり、料理を運んだりと彼らの世話をしていた。
九一八事変が起きたこの日にこの光景を見ていい気持ちはしなかった」

というもの。

それに対して、
「中国人は団結して日本製品の不買運動を行うべきだ。
自国ブランドの発展を支持する、これこそが最大の愛国だ。
さあ、今こそ行動の時だ!」

というコメントもあったが、下のような批判コメントも多く寄せられたと言う。

「レストランに外国人の入店を断れと?
庶民にとっては日々の生活が最も重要なんだ!」

「学校で日本語を選択している学生は?日本企業で働いている人たちは?
彼らに死ねとでも?頭おかしいんじゃないの!」

「九一八事変の日は店が日本人の入店を拒否したり、
日本関連の仕事は停止したりしなくてはいけないのか?
それならいっそのこと清代にでも戻り鎖国をすればいい。
中国の若者を刺激して、車や店が破壊されれば気が済むのか?」

「環球時報は公式ミニブログにこんなコメントを掲載したのか?
この発言は無責任すぎる、何が言いたいのか理解できない」

「環球時報のコメントを見て私は怒りと悲しみを覚えた。
それでも、1600件もの関連コメントの多くが環球時報を批判していることに少し安心した」

「九一八事変の日は日本人に野菜でもぶつけろと?
庶民の生活に政治を持ち込むな!
国民はお前らの駒ではない。我々は九一八事変を忘れない。
しかし、それ以上に両国の友好と平和を庶民は望んでいる。
いつまでも恨み続けていては意味がない。
機関紙の傘下メディアとして、言ってはいけないことくらい理解するべきだ!」
(翻訳・編集/内山)Record China 9月19日(木)15時34分配信

日本のみんなの心の中まで、こうした中国の人たちの声が届きますように。



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「日本僑報社と段躍中さん」 2013年9月18日(水) No.751  

2013-09-18 19:58:00 | 中日(日中)関係
日本僑報社という出版社、
そして段躍中さんの名前はご存知だろうか。

「中国人の日本語作文コンクール」主催の
日中交流研究所の母体となっている出版社であり、そこの設立者である。
中国の日本語学科の学生たちは、
このコンクールで、もし最優秀賞に選ばれたら、一週間日本に行ける。
なので、私も
「作文はちょっと・・・」
と尻込みする学生たちに、とにかく書かせ、3年間応募を続けてきた。
(たった一週間?それぐらい自分で来れば?)と不思議に思われるかも知れない。
しかし、それができるくらいなら、とっくに皆やっている。
まず、保証人を見つけなければならない
次に、物価高の日本に持っていくお金の心配
この2つをクリアできる学生はほとんどいない(すくなくとも江西財経大学には)。

このコンクールや、日中交流、そして日本僑報社に対する冷ややかな声もあり、
また、コンクールの運営資金繰りにも段さんは四苦八苦しているという。
それでも、なぜ、彼は頑張り続けるのだろうか。

段躍中さんが、中国での新聞記者生活をやめて、
日本に渡ったのは1991年「妻が日本に留学して寂しくて・・・」
という理由だそうだから、人生とは分からないものだ。
「若い時からバリバリの体制派で、毛沢東と同じ湖南省出身なのが誇りだった。」
という段さんが、「妻恋し」の思いを募らせて日本に来たにしても、
それに至る途上には、来日2年前(1989年)のいわゆる
てんんあんんもんんじけんん」(註1)があった。

『北京のてんんあんんもんんひろんば(註2)は、
民主化を求める学生や市民で溢れかえっていた。
座り込みを続ける彼らの声に耳を傾ける。が、それが紙面を飾ることはなかった。
記者が伝えたいことを伝えられない新聞とは…。夜の編集局で同僚と泣いた。
軍が発砲を開始したのは、数日後だ。記者を辞めて日本に渡る決心がついたのは、
そんな経験があったからかもしれない。』

(読売新聞2008/4/6梅村雅裕記者のインタビューに答えて)


明日に続く

(註1・2)下線部は2文字おきに余分に「ん」を入れています。万が一に備えて。
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「【大阪】 小学男児が淀川に転落、中国人留学生が飛び込み救助」2013年9月17日(火)No.750

2013-09-17 09:55:42 | その他情報
【大阪】 小学男児が淀川に転落、
通りがかりの中国人留学生が濁流に飛び込み救助 2013年09月16日 


上の写真と下の文は9月16日 io-nakano/BIGLOBEウェブリブログより拝借
 『赤川の鉄橋目指して歩きました。水位は橋脚付け根まであと2メートルくらいまで迫り、流水は激しく橋脚にぶつかり、怒涛となって下流に向かっていました。』

ーーーーーーーーーーーーーーここから下はyahooニュース
16日午後5時ごろ、大阪市北区豊崎のJR東海道線高架下近くで、
小学4年の男子児童(9)=大阪府高槻市=が淀川に転落した。
淀川は台風18号の影響で増水し、男児は濁流にのまれ約350メートル下流に流されたが、
通り掛かった中国人留学生の厳俊さん(26)が飛び込み救助した
2人とも病院に運ばれたが、厳さんは擦り傷程度で、男児にも大きなけがはないという。

府警大淀署によると、厳さんは「助けなければいけない、と自然に思った」
と話しているという。
同署は「この時点で救助できなければ、男児の命は危なかった」としている。
同署によると、男児は鉄道写真を撮りに、仲間の中学生2人と一緒に来ていたが、
川に落ちたカメラのSDカードをのり面から拾おうとして、
足を滑らせ転落。厳さんは岸から約15メートル先
を流されている男児を見つけ、飛び込んだ。
厳さんは来春に大阪市立大大学院の博士課程に進学する予定で来日中だったという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130916-00000107-jij-soci


 写真はio-nakano/BIGLOBEウェブリブログより 
http://io-nakano.at.webry.info/201309/article_12.html

淀川は私の大阪の家から歩いて20分のところにある。
いつもは右の緑の土手を降りて散歩できる河川敷があるが、
完全に水の下。
真ん中の木々の向こう側が本来の淀川だった。
台風18号の影響だそうだ。恐ろしい。
こんな濁流に流された子どもを「助けなければいけない、と自然に思った」
と言う厳俊さんに日本人は、即反応した。
時間が経つにつれて言葉が(つまり思考が)徐々に精選されているのを感じる。
下のコメントは昨夜9時台のlivedoorだったかと思う。
(長いけど、日本人の受け止め方を分析するために、
中国の人たち向けに掲載しますね。

16 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:44:56.04 ID:bvWujbea0
よくやった! ありがとう!
4 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:43:47.74 ID:AcX+/Zr60
ありがとん(´・ω・`)
8 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:44:12.32 ID:qUMi7imK0
厳俊gj!
10 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:44:30.80 ID:YORu3eIj0
個人として素晴らしい
11 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:44:36.35 ID:/HTePcp+0
漢やな。  水滸伝の豪傑みたいだ。
18 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:45:01.27 ID:I0e1Whvo0
日本人の一人として感謝を。
20 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:45:07.21 ID:ER7QMz260
中国人でもきちんと教育受けてる人は違うもんだな。
24 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:45:25.29 ID:/mpaM4CW0
これは すごい!
34 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:11.88 ID:mR+poXXkO
すごいね!出来る人はなかなかいないよ。
一緒に亡くなる事も多いのに。  生還おめでとう
35 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:13.26 ID:1Toz/BSn0
やるじゃん
45 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:35.26 ID:2oo81Szg0
無茶しよるな   自分も死んでたかもしらんのに
47 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:37.19 ID:uUNNuhKy0
中国人に好感を持ったのは2年ぶり位だ。マジで。 ありがとう。
48 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:37.81 ID:3IOVtJrq0
これは素直に感謝しなければならない。  ありがとう。
58 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:51.48 ID:lqcq06Uq0
中国人学生多謝・
72 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:21.10 ID:VoGx/AtIO
素直にこの中国人は凄いと思うよ
80 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:33.70 ID:j+J4mjzn0
これはいい中国人   むしろ落ちた子供と仲間がしょうもない・・・
83 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:45.11 ID:mH6rxrwzO
良いニュース   いい人だね   二人とも助かってほんとによかった!
90 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:00.88 ID:MwsyOsOaI
すごい人だな  日本でよく学んで、そのまま日本にいて欲しいぐらいだ
91 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:03.13 ID:Vu2QY5o80
感謝する  勇気のある人だ
96 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:21.19 ID:mMVrIznX0
この中国人は賞賛に値するが  このニュースのキモは男児が撮り鉄ということだろw
97 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:22.56 ID:C32o3wBO0
漢現る。 すげーやつだ。
99 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:23.71 ID:23y7DYMw0
すごいなぁ   その現場にいても飛び込むことは100%できないわ
警察に連絡するとか浮くものを投げるとかはできるかもしれないけれど
表彰ものだよ
104 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:40.11 ID:zGglQC/90
濁流に服着たまま?
112 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:48:55.05 ID:GtZSjeRM0
今日の淀川半端ねえぞ とてもじゃないが飛び込む勇気は無い
命知らずの中国人ありがとう
119 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:09.46 ID:pmNGGCSC0
今日みたいな増水した川に飛び込むとかマジすげーわ
ってか増水してるからって写真取りに来てるガキはバッカじゃねぇの?
124 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:26.79 ID:yep+ByT60
これ素晴らしいけど知識や経験がないと抱きつかれて死ぬからな
125 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:27.45 ID:HHR5MZT1O
頭よくて正義感があり体力もある   更に運ももっていた
309 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:55:50.63 ID:GtZSjeRM0
たぶん 烈海王みたいな屈強な中国人だったんだろう
133 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:47.91 ID:FObPmgIW0
おおー、今日の川に飛び込むなんてなかなかできることじゃない。
その勇気に心から賞賛と感謝を送りたい。
二人とも無事で本当によかった。
140 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:53.86 ID:I9AB+5anO
うっ、これはヤバい。中共嫌いな私でも、ありがとう。 感動してしまった。
141 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:49:54.87 ID:tWoAC4T30
国籍とか関係なく普通に凄いわ   凄まじい勇気だな
145 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:50:05.47 ID:DBA8OzY50
二人とも無事で良かった  命がけで救助してくれてありがとう
153 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:50:15.92 ID:XdFaL8ac0
普通に死亡フラグなのに   この中国人は只者じゃない
将来国家主席になってくれ
164 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:50:43.91 ID:AQPewTcW0
なかなかできることじゃない、自分が危ないからな
ここにいる9割は119番するくらいだろ、俺もだけど
166 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:50:45.41 ID:FkkzuACa0
勇敢だな。自分ならできない。
178 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:51:05.71 ID:y94tIqEUi
素直にありがとうございます   良い記事だ
192 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:51:32.03 ID:oJ/m+XSO0
やっぱ、高い教養って大事よなw
193 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:51:34.39 ID:jKGRPI9D0
やるなチャイニーズ   功夫の国はあなどれないな
196 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:51:45.86 ID:ScgavOeH0
中国人の中にも神が存在するということが証明されたな。
少なくとも俺なら飛び込まない。飛び込むとしても自殺の言い訳だ
216 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:52:48.35 ID:+UPR4yq80
最高すぎる漢だな  感謝状コース確定
241 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:53:35.76 ID:vYq4fhxy0
勇敢な人だな しかも頭もいいだなんて素晴らしい人物だ
彼が日本で良い学業の日々が送れるように祈っているよ
246 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:53:48.28 ID:iduQoiUV0
大陸人なのに 泳げるのか?命がけだな  ありがとう
252 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:53:57.11 ID:yDEjNk3B0
子供は宝だよ  本当にありがとう
260 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:03.50 ID:/HTePcp+0
名前が三国志に出てきそうだ。 厳顔の孫とかでいたりしてww
262 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:12.38 ID:WP6xdq1K0
俺だけは信じてた、中国人にもいい人がいることを
270 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:35.97 ID:1xwPw3Ya0
ありがとう。
国家の体制がアレなだけでそれに染まりきってない人がいるのも知ってる。
277 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:47.45 ID:gjQ4eq4A0
ありがとう  なにか胸につっかえてものが少しとれました
279 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:57.15 ID:jmlmaN2sO
ありがとう。 ご両親にとっても、一生の恩人だろう。
285 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:55:06.83 ID:enZ+Pr3BI
ありがとうございました。 少し中国人のイメージが変わりました。
297 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:55:26.31 ID:ekAmrqoB0
勇気あるな。この調子でがんばって博士号とってほしい。
317 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:56:02.90 ID:nZ4aeeB+0
無茶しやがって…。  ありがとう。
344 :名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:56:50.85 ID:UK51/XyBO
国関係なく同じ人間として尊敬する  ありがとう。
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「まだ見ぬベビーへの手紙」 2013年9月16日(月) No.749  

2013-09-16 19:13:33 | 中国事情
日本僑報社主催「第9回中国人の日本語作文コンクール」
の中間結果が発表された。
江西財経大学からは2名(李思銘さん・王雲花さん)の3位以上入賞が決まった。
3年連続入賞という身に余る栄誉をいただいたことは、
江財大では学生たちも教師たちも、
嬉しいけどまだ、実感があんまり湧かない感じ
佳作を含め、さらに詳しいことは10月下旬に分かるが、
その頃になって、ジワジワと受賞の喜びが全身に回ってくるのかも。

ところで、既にわかっていることは、
上記2名以外の作文はたとえ佳作に選ばれても本に掲載されないということだ。

そこで、ここに掲載させていただくことにする。
このまま日の目を見ないのはあまりにも残念な
「渾身の作品」と言えるものがいくつもあるのだ。
例えば下の作品だ。
私は、こうした学生たちと巡り会えた幸せを思わずにはいられない。


 雷国華(書いたときは3年生;現在4年生)
「まだ見ぬベビーへの手紙」

親愛なるベビー、元気かい。
私は君の母だ。実は今22歳で、君はまだ生まれていない。
母はボールフレンドさえも見つからないのだ。
しかし、先日林克之先生のことを知った後、
ベビーに林先生のことや中日関係について少し話しておきたくなった。
私は大学の専門が日本語だ。
そして、日本語が好きで、尊敬している日本人が数多くいる。
君がこの手紙を読む頃はもう大きくなっているだろう。
中日関係についても自分の考えを持つべきだ。

君の成育環境をちょっと想像すると、多分こうだろう。
テレビでは抗日ドラマが絶えず放送され、
教科書や新聞には中日戦争についての描写がいっぱいあり、
インターネットで日本人を獣とみる文章や映像が少なくない。
しかし、私は君に教えたい。
戦時中、日本が中国で細菌人体実験をしたのは全て事実だが、
この残忍な行為は以前の日本人が、以前の軍政下でしたことだ。
現在の日本人と何の関係があるか。
現在の日本人は、ただ日本に生まれたから、日本人になったのだ。
ベビーは中国の歴史を忘れてはいけないが、
日本人について何も見ずに、むやみに恨みを持ってはいけない。
日本人の中には、心が優しい人がいっぱいいるよ。

今日、ベビーに紹介する林先生がその一人だ。
林克之先生は1946年日本の静岡県で生まれたが、
1997年から、中国桂林市陽朔県シンピン町やシンピンのラオジャイ山を
ずっと守ってくださっている日本人だ。
このラオジャ山はカルスト石筍山で、高く険しいので、
当時、登れる人は柴刈り人だけだった。
頂上からの絶景を皆に見せたいので、
先生は自腹でラオジャイ山に通じる石段を作ろうと決めた。
一般の寄付者と違い、先生は毎日自分が雇用した農民工と一緒に働き、
セメントや砂を自分の肩で山中に運んだ。
ついに、先生は一人の工人さえ雇用するお金もなくなったので、
自分一人で工事材料を運び、一人でその石段を作るしかなかった。
当時、先生はもう五十歳を超えていた。
その後、先生は日本に帰り、金策に駆け回って、
さらに、二つの休憩亭や立派なトイレを作ってくださった。
先生のおかげで、シンピンへの観光客は毎年数千人だったのが、五万人に激増した。

しかし、ストーリーはここで終わらない。
それから、林先生はシンピンに定住し、ボランティアとしてごみ拾いを続けている。
この手紙を書いている今で、もう16年になる。
しかし、こんな優しい日本人でも、
シンピン町でさえ全ての人が尊敬や好意を持っているとは言えない。
シンピン町政府が林先生を讃えた石碑の先生の名前は、
ある人に壊され、先生に悪口を言う人もいる。
その原因はもちろん中日戦争だ。

しかし、ベビー、じっくり考えたら、これは正しいのか。
林先生はただ普通の一人の日本人だ。
何も悪いことをしていないどころか、
中日友好や世界平和に貢献している人ではないか。

ベビー、人を判断する基準は先祖が何をしたかではなく、
今生きている人の行動で判断すべきだよ。
そして、間違わない人間はいないよ。
もし、誤った人が正しく改める意欲があったら、
私たちは協力するべきじゃないのか。
これは処世訓だが、国家間にも当てはまる。
中日の間には、怖い記憶がいっぱいあるが、温かい思い出も少なくない。
今、両国には反日派や反中派が確かにいるが、
中日友好のため奔走している人も数え切れないほどいるよ。

ベビー、未来の世界は君たちの考えで決めるものだ。
歴史は忘れられないが、歴史だけに拘るのも良くないよ。
そして、普通の国民と政府を区別すべきだ。
政治とか、戦争とか、庶民に決められるものではないのだ。
もし、相手が胸襟を開いてきたら、君も相手を大切にするべきだ。

ベビー、未来の世界はいろいろ意外なことがあるに違いないが、
誰に対しても、優しい心を持つことをいつまでも忘れてはいけないよ。
そして、国籍を問わず、全力でいい人を保護するんだよ。
母もそうして生きるよ。
母:雷 国華
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「私は私を好きな人が好きだ」 2013年9月15日(日) No.748

2013-09-15 20:50:18 | 中日(日中)関係
「私はどんな人が好きかって?それははっきりしているわ。
私を好いてくれる人が好きやねん。」
これは我が師匠と仰ぐ亡きスエミ姐さんの言葉だ。

今、中国人と日本人の多くはお互い、会ったこともない相手に向かって
「あんたなんか、だ~いっきらい!」
と言い合っている。
韓国と日本も同様だ。

3年前に中国に来たばかりの頃、
ある学生が言った。
「日本人は中国人が嫌いなんですよね」と。
(イヤイヤ、それ、違うんちゃう?)と私は思い、
「日本では、中国人の方が『日本人なんか皆死ねばいいのに』と思っていると伝わっているよ。」と答えた。

3年後の現在、
日本人の中に、とても攻撃的な言辞を弄する人が目立つ。
しかし、そういう人たちも、
元々は自分たちから仕掛けたのではないと信じている節がある。
元在特会の活動をしていた人の話で、
「ずっと日本は韓国や中国からいわれのない攻撃を受けてきた。
なぜ自分ばかりが黙って我慢しなければならないのか。
悔しかった」
というのを記事で読んだ。

「いわれがない」かどうかは別として
要するに、
相手が自分を好きでいてくれたら、自分も相手が好きになるし、
相手に嫌われていると思ったら、自分だって相手を嫌いになる。
お互いの国で、
(相手が嫌いなんだからこっちだって!)
と思っている人が多いようなのである。

実際に出会い、話すと、何のこだわりもなく仲良くなれるのに、
誰かに聞いたり、間接的に伝わると
変なズレが生じてしまう。
簡単な構造なのに、いつまでもそれが越えられない。
これって情けなさすぎでは・・・。
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