毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

5月4日*ちくちく手芸の日   2011年4月30日(土) No.122

2011-04-30 23:22:25 | イベント情報
 ゴールデンウィークと言っても、ふだん仕事でくたくたなのに、人混みに出て行ってさらにくたくたになるのは嫌だわ…と、去年までの私は思っていた。もし、大阪近辺にお住まいで去年までの私みたいに感じている方がいらっしゃったら、次のような会にお出かけになってみてはどうでしょう?

主催の「ロマネPLUS帰国者の友」は、3年ほど前にできた掛け値無しのボランティアグループ。実は私も立ち上げ人の一人です。
中国から帰国された方の多くが、せっかく帰ってきた日本での生活を、「幸せ」と感じることができず何かしらの渇望感とともに過ごしている現実があります。
中国と日本という二つの国の狭間で肩身の狭い思いをしている帰国者の前には言葉の壁、習慣の壁、生活の壁、政治の壁…。どこもかしこも壁だらけ。苦労して日本に帰ってきた帰国者のご近所さんとして、はっつあん、くまさん、さあ、出番でっせ!と、始動したのが「帰国者の友」です。

 初めて訪れても、ぜ~んぜん平気。『出会えば友だち~いちゃりばてょーでー』ですから。
今回は、ちくちく縫いながら、みんなどんな話で盛り上がるのかしら。私も繕い物を持って参加したい! 

☆★中国帰国者講師による
 ちくちく手芸教室★☆


日時:2011年5月4日(水・祝)
午後1:30~3:30
場所:ロマネハウス2階


中国刺繍の名人・山下飛子さんは、編み物の腕前もすごいんです!
編み物でも刺繍でも、何でも好きなものに挑戦しませんか♪
手を動かしながら、お茶を飲みながら、ゆったりとおしゃべりも楽しみましょう。
昔、井戸端会議って、こんな感じだったのかも…。

講   師:山下 飛子さん
場所:ロマネPLUS(下記連絡先参照)
参加費:500円
持ち物:帽子を編む場合→毛糸 40g×3玉 または 43g×2玉
      刺繍をする場合→ハンカチ、Tシャツ等(刺繍をしたいもの)
       ※編み針、刺繍糸、針、ハギレは用意しています。


<申し込み・連絡先>
ロマネPLUS帰国者の友(主催)
住所:大阪市淀川区十三東1-8-3
(阪急神戸線「十三」駅東口徒歩5分、
バス停「十三東」10m東入る)
e-mail:10year-after*live.jp(*を@に変えてください)
HP:http://www10.ocn.ne.jp/~romane/
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夏旅行へのいざない  2011年4月30日(土) No.121

2011-04-30 20:59:05 | 中国事情
 ゴールデンウィークに突入した日本では、みんな、遊びに出かけているだろうか。
とにかく、クヨクヨしてもしょうがない。身体が元気な人は外に出かけましょう。お金を使って日本経済に貢献して下さい。

 さて、話題を来たる夏休みに移そう。
財大は6月中旬から7月初めまでが試験期間で、7月10日から夏休みに入る。そこで3年生の陳君と商取引をした。彼は将来旅行会社を経営する夢を持っている。既に「田園牧歌旅行社」 という会社名も考えてある。
この夏休み、ツアーガイドとして中国の避暑地へ連れて行ってくれと彼に頼んだ。私にとっては願ったりかなったり、彼にとっても12月にあるツアーガイド試験の役に立つと考えたのだ。彼は快く引き受けてくれ、候補地として、

 ① 四川省黄龍九寨溝
 ② 雲南省の麗江
 ③ 海南省の三亜


を挙げてくれた。自慢じゃないが、どこも行ったことがないし、海南省など、どこにあるのかもよく分からない。三カ所とも、南昌より涼しいことだけは確かだそうだ。

 そこで私はパッとひらめいた。自分だけ連れて行ってもらうのは、あまりにももったいない。今、日本で気持ちが沈んでいる方々もこのツアーに参加してはどうだろう。廬山旅行は、本当に良かった。旅行前と旅行後では、何かが自分の中で変わったとまで言える。(やはり、引きこもってばかりじゃダメなんだ)とも思った。そして、何よりも学生達と一緒なのが本当によかった。彼女たちの一生懸命、掛け値無しにお世話してくれるその態度に感動した。
 きっと、陳さんも一生懸命ガイドしてくれると思う。私だけがそれを占有するのではなく、日本の友人のみなさんと分かち合いたいのだ。今、(行きた~い!)と心によぎったあなた、 その心に忠実に下記まで連絡してください。
先着5人ぐらいまでです。ハイ、ハイ、急いでね~~!
 nijinokanata_2*yahoo.co.jp
(*を@に変えてメールしてね)
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中国も明日からゴールデンウィーク  2011年4月29日(金) No.120

2011-04-29 20:43:09 | 中国事情
 はっと気がついた。日本では今日は休日だ。
そして、もうゴールデンウィークがスタートしているんだ。こちらでは当然、天皇も緑の日も全く関係ない。アメリカで暮らした約1年間でも、皮膚感覚にまで染みついた日本の生活習慣のあれこれが、全く通用しない世界があるということを実感した。実感するとともに、すぐさま、その時その時の日常生活のあれこれが皮膚に馴染んでいく(馴染まない分野もあるが)。このようにして、幾皮もの皮膚が重なり、結局、よく言えば「コスモポリタン」、悪く言えば「どっちつかずの中途半端者」が形成されるということかな。

 中国でも明日から3日間は、「ゴールデンウィーク」と呼ばれる連休だ。学生達は「以前はもっと長い休日だったので、名実共に『ゴールデンウィーク』でしたが、近年、国家が休みを一年間のあちこちに均等配分するようにしたので、たった3日間の休みになりました。」と教えてくれた。
 さらに「祝日ができるだけ土日に重なるよう工夫されています。」と言う。国民をできるだけ休ませないようにしているのだと。なるほど、4月の清明節、今回のゴールデンウィーク、6月のドラゴンボートフェスティバルも全て土日と重なっている。
日本では祝日と日曜日が重なると、その翌日の月曜日も休みになると告げると、学生達は心底羨ましがっていた。この反応は日本の子ども達と全く同じだ。

 労働者を休ませないで、人的パワーを全力で生産に注ぎ、経済成長を支えているのだろう。そのうち、中国人も日本人のように「働きバチ」と呼ばれるようになるのだろうか。しかし、個人個人の動きにはあんまりそうした雰囲気は感じられない。歩き方もせかせかしたところがない。
それでも、キャンパスでは早朝6時半から道路掃除の仕事をしている人が、宿舎の部屋から見え、7時45分に学校に着くとフロアーのモップがけが既に終えられているなど、朝早くから仕事に精出す人々がたくさんいる。
私は一時間目の授業が朝8時に始まることが辛くて、文句たらたらだが、もし道路の落ち葉掃きとかだったら、もっと積極的な、すがすがしい気持ちでできるのではなかろうか、と勝手極まりない想像をする今日この頃。とにかく金曜朝イチの授業はホンマに嫌なのだ。グチグチ…。

 
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ホンマに廬山に登った  廬山に行った(その3)No.119

2011-04-28 20:13:01 | 中国事情

 廬山は高さが1474mある。麓までバスで行った。麓は、普通の土曜日なのにメチャクチャたくさんの人でごった返していた。「ゴールデンウィークには登山は無理」ということが実感された。どこへ行っても中国は、人、人、人だらけだ~。

 しかし、山の空気はいい。北海道と同じだ。植物も北海道に生えているのとよく似ている。
総勢9名の部隊はしょっちゅう休みながら、それでも最後まで全員登った。私は山頂までバスで行くと信じていたので、荷物はナント!旅行用キャリーバッグということで、非常に、非常に場違いだった…。
それも全部親切でパワフルな九江学院仏教徒3人組が引き受け、私はSさんが1元で買ってくれた杖をついて登るという、まことに至れり尽くせりの身分におさまってルンルンと登っていった。

 写真は、財大のデコボココンビ、範さん(中国の「赤毛のアン」)、劉さん(若い頃のアグネス=チャンをより楚々とした雰囲気)。範さんは、しゃべくりながら、歌いながら、ゼーハー言うので、そのゼーハーも歌の部分かと思うほど、にぎやかで、へこたれやすかった。赤毛のアンがよく自分のことをワーワー言って大げさに悲しんだり、意見を述べてみたりするのとまるで瓜二つの態度。控えめで気配りの劉アグネスさんとは好対照だ。それでも、二人は持ちつ持たれつ、登っていった。
途中、見晴らしが良いところでは、日本のように「ヤッホー」とは言わず、「あー!」と言うのが中国式だそうだ。しかしながら、彼女たちは日本語学科のエリートだけあって、「日本、ガンバレー!」とか「ガンバルゾー!」とか日本語で叫んでいた。(ああ、日本の困難な状態を気遣ってくれているんだ)と、不意打ちを喰らった胸がじゅわーんとなった


 登山が終わったところで180元の入山料を取られた。なんかなあ…。日本の観光地では聞いたことがない。
登り切ったと思ったところに、1万人ほど住んでいる小さな町が出現した。中国ではないような不思議な雰囲気の町並に、誰かが「桃源郷みたい。」とつぶやいた。私も心で思っていたところだった。

 廬山はたくさんの有名人が避暑に来たところだ。蒋介石&宋美麗、毛沢東&江青、江沢民の写真もあった。なんとまあ、パール=バックさんも。古いところではもちろん白居易(白楽天)さんも住んでいた。『枕草子』で有名な香廬峰というのは廬山の山々のうちのどれからしいが、どれかは分からなかった。どの山もこの山も、似たり寄ったりで、つまりどれでも山はいいものだ、ということなのだ。

 山頂の町の雰囲気は、南昌などとは全く異なる、どこか外国っぽい避暑地。国際的観光地というのはどこもこんな風におしゃれになるのか、と思える。シアトルからカナダのビクトリア島に行ったときに感じた「作り物の世界の楽しい町」という雰囲気にも似ている。売られている品物も高いが、日本にもありそうな店が一杯並んでいて「南昌郊外の全家百貨にはこんなおいしいパンはない」と、つい7元もする豆入り食パンを買ってしまった。全家百貨では4.5元。安売りの日には3.8元だ。まあ、たまにはいい。いつも節約するのが当然の暮らしをしているので、その分贅沢しよう。(ケチくさい贅沢…)

 それにしても、中国の人たちは買い物好きだ。夜9時過ぎでも、廬山の山頂の町はワイワイがやがや、廬山ブラする人々で迷子になりそうなほどだった。遠くから山頂を眺めて、誰がそのようなことを想像できるだろう。しかし、中国13億の民は、こんな山の上からもこぼれ落ちそうなほどの勢いなのである。

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廬山に行った(その2)   2011年4月27日(水) No.118

2011-04-27 07:38:06 | 中国事情

 廬山から南昌に戻った日は30℃の暑い日で、あっという間に風邪を引き、月・火は授業以外、宿舎でひっそりと過ごした。
 こういうとき、飼っていた猫を思いだす。具合が悪くなると、猫は人前に姿を現さずどこか片隅にうずくまって、ひたすら静かにしている。薬を飲むすべのない動物の養生法だ。
尻尾を骨折した際のシロが、息子の部屋のタンスの中に隠れて出て来ず、どこにいるのか心配して子ども達と探し回ったことがあった。(やんちゃ娘のシロちゃんだけど、偉かったなあ)と、ぼんやり思いだして喉と頭の痛みを噛み締めた。
 私も養生の甲斐あって、今朝は頭も身体もかなりスッキリしている。フウ~、やれやれ。



 東林寺宿泊の翌朝23日(土)は、早朝4時起床だった。
廬山に行くためではない。東林寺の朝のお勤めに参加するためだ。無料で泊めてもらうのだ。それぐらいたやすいこと、というかむしろ、またとない機会であり、お金を払ってでも参加したいところだった。

 4時きっかりに別室(一般向けの大部屋)に泊まっていたSさんたちが迎えに来た。まだ暗い。昨夕寺の隅に鶏が何羽かいたが、一番鶏も鳴いていない。
 連れられて東林寺境内のあちこちをくぐり、廊下を曲がって着いた部屋には60人以上の人たちがもう座っていた。全員女性だ。(きっと男性部屋もあるんだな)と思った。部屋の正面にはお釈迦様の像が鎮座し、金箔に塗られて以前はどれほどキラキラ輝いていただろうと思わせる立派な仏壇があった。年月がその金箔をちょうどいい程度にくすませ、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。嬉しいことには、全員に座布団があてがわれる。蓮の花の刺繍がされた座布団に座った。前の列には中学生ぐらいの女の子たち数人が、修学旅行で来た子のようにキョロキョロしたり囁きあったりしていた。

 まもなくお勤めが始まった。全員立って列を作り、「南無阿弥陀仏」を唱えながら座布団の間を縫って、くねくねと歩き回るのだ。アレルギー性鼻炎の私の鼻は気温が低いときに反応して鼻水を出す。歩きながら何回も鼻水を拭いた。「南無阿弥陀仏」の言葉はほとんど日本語の発音と同じに聞こえて(仏教はこのように国境を越えたのだな)と感心した。後で聞くと中国語では「なんう~あ~み~と~ふ~」だそうだ(耳で聞いただけなので正確ではない)。
 約1時間半、部屋をグルグルまわってひたすら「南無阿弥陀仏」を唱える。唱え方は5種類の音階を何度も何度も繰り返すというものだ。まるで歌を歌っているようだ。音階は静かに始まり、時に切々とした調子に高まり、また静かに戻る。どこからか、同様な読経が聞こえてくる。多分男性部屋でもみんなお勤めしているのだろう。「今日の猫村さん」じゃないが、心が空っぽになっていく気がした。それを妨げるのが、ときおり流れる我が鼻水だった…。

 朝ご飯もいただいた。朝食前のお勤めは本当に身体にいいと感じる。起きてすぐ食べると、無理矢理食べ物を口に突っ込むような感じがして、私はほとんど食べない。毎朝コーヒーだけだ。
 しかし、起きてすぐ1時間半も、部屋の中とは言えぐるぐる歩き回ったので、腹ぺことまではいかないが胃袋がスッキリした気がした。

 一般の参拝者は食堂の建物前に集合して列をなし、1列ごとにエプロンぽい装束のボランティアの信徒さんに連れられて食堂に入っていく。お勤めを終えた男性達の列が既に右に何列もあり、女性達は左側に並んだ。Sさんの学友のLさんは「私もゴールデンウィークに、ここでボランティアをします。」とニコニコして言った。
 食堂内に入ると、何百人か分からないほど大勢の人たちが何十列もの細長いテーブルに座っていた。こんなにたくさんの人たちに毎回無料で食事を提供するためには、どれほどたくさん経費がかかることだろう。国からの援助とお布施で全てをまかなっているそうだ。すごい。

 座席に座ると、真ん前に大きめの茶碗大の器が二つ並べてある。主食と菜用だ。一旦立って「いただきます」の代わりの「阿弥陀仏」を唱え、また座る。学校給食用の器のような大きな入れ物に入った菜と饅頭、そして粟のお粥をボランティア信徒さんたちがどんどん入れて歩く。お代わりもできる。
 向かいにはさっきの中学生っぽい女の子たちが座っていて、ひそひそ話をしたり、お粥を分け合ってこぼしたり行儀が悪かったので、食事係の信徒に注意された。それでも話をやめない。一番ソワソワした子の隣にはかなり年配のお婆さんが座っていた。彼女の食欲は旺盛で、お粥、おかず、そして饅頭もお代わりした。そして食事終了の合図があると、ガ~ッとかき込み、スッと立ち上がった。食べ残してはいけないからだ。
 隣のソワソワした子も、お粥や饅頭をお代わりしていたが、隣のお婆さんのようにかき込むことができず、みんなが立って食後の祈りをしているときも、座ったまま食べ続けていた。日本の子どものようで、ニヤリ視線をその子に投げると、その子もニヤリと返してきた。

 もう鼻歌で「阿弥陀仏」を歌えるようになった頃、東林寺を後に廬山に向けて出発した。朝7時半だった。
 

 

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廬山に行った(その1)  2011年4月24日(日) No.117

2011-04-24 20:04:07 | 中国事情

 ゴールデンウィークに3年生と行く予定だった廬山。ゴールデンウィークはひどく混むというので、急遽予定を一週間早め、22日(金)午後から2泊3日で行ってきた。その連絡を受けたのが前日木曜の夕方。いつもの中国時間だ。

 廬山の美しい風景については、以前、山東省からの帰国者横山さんの息子さんからいただいたDVDを見て予備知識はあった。行ったことのある学生たちからも、「本当に美しいところです。」「江西省に来たら、是非廬山に行かなくてはなりません。」と言われていた。そういうこともあって、半年前に3年生の範さん、劉さんたちに誘われたとき、一も二もなく「行く、行く!」と返事をしたのだ。

 しかし、3・11以降、気が滅入り、あらゆる面においてパワーダウンした私は(もう面倒くさいなあ。行くの止めたいな)などと思い始めた。その矢先、共に参加予定だった大阪の友人から「申し訳ないが海外旅行の気分には到底なれない」と最終返事があった。範さん達にそれを言うと、かなりガッカリした様子で「先生も、やはり行く気持ちになりませんか。今からならどうとでもなります。」と気遣いを示す。そんなことを言われては逆に(何が何でも行かなくては…)と思うのが私の性格だ。
「当然、行きますとも!」と元気よく答えた。

 今回のツアーでは、3年生の黄さんの友人のSさんの世話になることになっていた。廬山は九江市(江西省における歴史文化の中心地)の傍にあり、Sさんはその九江市内の大学の日本語学科の学生だ。以前、財大3年の文学の授業に参加していて、それ以来時々メールをくれるようになった。最近、彼女は仏教に傾倒しており、九江に来たら東林寺に案内すると書いてきた時、実は当時「宗教」というものに心の壁を作っていた私としては(うう、そういう押しつけっぽいのはちょっと嫌だな)と感じたりした。
 結局メンバーは財大3年の劉さん、範さん、私。(肝心の黄さんは「お金がないので行けない。」と断念。)そして、九江からSさんのクラスメート2人、高校の同級生2人、Sさんの大学の日本人の先生と合流し、総勢9人の団体ツアーになった。その旅行の全てをSさんとそのクラスメートが3人で仕切ってくれた。

 まず、案内してくれたのは廬山の麓にある「東林寺」という寺だった。鑑真和上が日本に渡る前にステイしたところであると誰からか聞いていたが、それ以上は寡聞にして何一つ知らずに、私はただ連れられて行った。
 そこは、とてもサッパリした印象のお寺だった。建物はたいへん広い敷地に棟が幾つも建ち並び、門は中国によくある金箔を施したものだったが、そんなにゴテゴテした印象はなく、寺の正門前にバン2台で到着した我々がまず目にしたのは、正門前に簡素な板で作られた何軒かの宗教グッズの出店だった。
 その店は農業中心の地元の人たちの副収入になるとのことだった。呼び声もなく、数珠やら彫り物やらを並べているだけで、静かにたたずんでいる売り子?のおじさんたち。タバコなんかふかして、ゆったりした商売だ。
 21歳のSさんは髪をポニーテイルにくくり、ざっくりしたタートルネックのセーターに黒い短パンとタイツの格好。あと2人のクラスメートも、それぞれ格子縞のシャツにジーンズ、白いウインドブレーカーにジーンズという服装だ。連れられてきた他の者たちも、全員参拝客という風情まるでなしの、超普段着ばかり。「お寺に参拝する」というときの日本的発想とは違うものだった。案内役の3人はスタスタと正門に近づき、私たちに続くことを促す。
一歩中に入ると、広い敷地には、灰色ガウンの仏僧の方々、茶色ガウンの信徒さんたちが行き来している。こんなところに来るとは思っていなかった我々(廬山のことしか考えていなかった)は、ボーッとして、巨大な楠の下に立っていた。樹齢800年と書いてある。また少し離れたところの木は樹齢900年だ。薄暗がりだったが、ひっそりと寺の象徴のように立つ木々は、それだけで心をスーッと落ち着かせてくれた。日本の異常なまでに手入れされたお寺にはない気楽さも同時に感じて、辺りをのんびり眺めながらSさんが何やら申し込むのを待っていた。

 思いがけないことに、戻ったSさんが
「今日はここに泊めてもらいます。無料です。私も何回も泊めてもらいました。」と言う。
(無料って、アンタ、こんな由緒あるお寺でありえないし!)と日本的発想でハラハラ心配したが、こんな山の中で今さらどうしようもない。ひたすら、後をついていくだけだ。
私が(ヒエ~!)と思うのも無理はないと思う。何しろ鑑真和上が日本に行く前、何か月か滞在した寺だ。それに、樹齢800年の木の傍には「陶淵明が九江にいたころ、何度もこの寺を訪れた。」と書いてある。この寺はどこから見ても中国の宝物だ。我々のようなどこの馬の骨かも分からぬ者たちに、一夜の寝泊まりを許してくれるなんて、太っ腹もいいとこだ。その事実のあまりの重みを感じきる度量も感性もなく、ただただ茫然としたというのが正直な状態だった。
Sさんは、あっさりとした口調で、
「このお寺は浄土宗を開いたお寺です。日本とはとても深い絆があります。日中友好のために喜んで部屋を提供してくれました。」と言う。
財大グループの思いつき(突然の日程変更)に付き合い、Sさんは気持ちよくホテルの手配をしてくれた、と聞いていた。そのホテルとは「東林寺」だったのか!しかも、昨日申し込んでO.K.!とにかく、ここ中国では誰も彼もが太っ腹だ!

 私が日本から来た老師だというので、他の一般信徒とは別に、特別なツインルーム(トイレ付き)をあてがってくれた(普段は職員が使っている部屋らしい)。範さん、劉さんは二人で1ベッド、私は一人で1ベッド。パジャマ代わりにTシャツ2枚置いてあった。古いが部屋と言い、寝具(布団、枕カバー)と言いどれもこれもみごとに清潔だった。熱いお湯を大きなポット2つに用意してくれたが、劉さん、範さんはさっさとそれをタライに入れ、適度に薄めて足をつけだした。聞くと、中国では(江西省では?)みんな、毎晩30分~1時間はそうやって足マッサージをするのだそうだ。「一日で一番幸せな時間です。」と劉さんが言った。

 寝る前に、お寺の職員さん(お坊さんではなく、動物保護や酷い死に方をした動物の弔いをする係りの人)が、私たちを散歩に連れて行ってくれた。その30歳くらいの青年は、歩きながら雄弁にあれこれ浄土宗の教えやらを話してくれたが、通訳の学生達は自分の実力に合わせて、少しずつ省略して教えてくれた。
話の中で、3月15日に東林寺では、寺を挙げて「東日本の災害犠牲者を悼む大法会」を開いたと言われたときは、またしても思いがけないプレゼントに、感謝もろくに言えずボーッとなってしまった。「フラガール」のまどかさんじゃないけど、優しくされるのに慣れてないんだよね…。
 とにかく、大きな、大きな、大きなプレゼントをもらった旅の初っぱなの日だった。 

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ボブ=ディランが北京に!?    2011年4月21日(木) No.116

2011-04-21 16:48:06 | 中国事情
 知らなかった~。中国と言っても広い。何しろここは小平氏が始めた改革開放経済政策のポイント地域からそうとう外れた江西省だ。学生が何万人もいる大学前の道路には信号もなかったが、この間学生が2人死んでようやくついたようなところだ。しかし、歩行者も車も信号無視するので、自分だけ信号を守っているのは、非常に危険というところなのだ。

 今日初めてキャンパス内で、というか中国で、ピースマーク(鳩の足)のTシャツを着ている子を見た。3年生のクラスで尋ねると、誰も意味を知らなかった。ベトナム戦争やヒッピームーヴメントの話、ボブ=ディランの「風に吹かれて」の歌詞などをまくし立てたが、多くの子はあんまり興味なさそう。与えられた勉強は頑張るのだが…。ごく少数の学生だけが、目をきらっと光らせ、耳をそばだてて聞いている。ま、それで十分だ。授業前の無駄話なんだし。

 それより、ボブ=ディランの話に戻ろう。
上柴とおるの『ポップス再前線』」(「芽瑠璃堂マガジン」で検索すると出てくる)」に、ボブ=ディランが初の中国公演を無事開催したと書いてあったので、(ボブはきっと中国に一回来てみたかったに違いない)と先を読んでみた。
 読むと上柴さんは、ボブ=ディランの中国公演そのものではなく、それを報じた朝日新聞の記事について書いてはったのだった。以下、部分的にコピー&ペーストで抜粋させていただくと…。

 今朝(4/12)の朝日新聞/国際面(10面)の左肩の記事を見て「あんれま?」と呆れたっちゅうか「おいおいお~い」と。ボブ・ディランが初の中国公演を無事開催したことを報じとりましたが見出しが‘ボブ・ディラン妥協の中国公演’‘検閲受け入れ 反体制封印’って。。。「戦争や社会矛盾に対するメッセージ性の強い曲を発表し続けてきたボブ・ディランさん(69)。。。(中略)ただ、中国当局の検閲を受け入れた形で、代表的なプロテスト・ソングは封印。失望も広がった」ってあんたねぇ。。。まぁええわ、続けよか。
「6日の北京公演では5千人の観客を前に約2時間演奏した。だが、体制側の人々を痛烈に批判した『時代は変わる』や、反戦歌『風に吹かれて』は披露しなかった」と。「ディランさんは(新聞の報道記事でアーティストにさん付けってなんかヘンやと思うけど)昨春も、中国公演を企画したが、許可が下りず断念。今回は『承認された範囲の内容』を条件に許可されたもようだ」てなことで「当局と妥協した『フォークの神様』への厳しい声が聞かれる」(笑)。書いた記者の署名も入ってるけどまぁ堪忍しといたろか。
今は1960年代やのぅて2011年やでしかし。ディランさん(笑)はデビューしてもう50年近くになるし今も現役で新譜も出していろいろな種類の音楽を楽しませてくれてます。レパートリーはヤマほどあるし、当人がいま歌いたい曲っちゅうのもあるやろし、それを歌わんかったらディランじゃない!っちゅうこともないやろし。本人にしたら「当局にごちゃごちゃ言われるんなら別にそれ歌わんでもええし。中国へ来て歌うっちゅうことに意義があるんやからねぇ」てなとこかも知れまへんしね。ディランさん自身のコメントもとらんと‘妥協した’とか‘検閲を受け入れた’とかあれするのは如何なもんかいなと。そうすると何でっか?ディランさんは中国当局に屈した‘ヘタレ歌手’っちゅうことでっかぁ?イメージ・ダウンさせたいわけ?もうちょっと書きようっちゅうもんがあるんとちゃうかい?


 この朝日新聞の記事書いたの誰?
これを書いた人はボブ=ディランを『フォークの神様』の鋳型にはめて、
「これがボブ=ディランですよ。」
「ボブ=ディランはこうあるべきなんです。」
と得々と語っているだけだ。
 上柴さんが書いてはるように、ボブは何百曲というレパートリーを持っている。昨年3月「ゼップ大阪」の4日間ライブでは、昔のお馴染み曲を全く歌わなかった日もあるし、懐メロオンパレードの日もあったという。私が行った日は「ほぼ歌わなかった日」で、もっぱら70年代以降の曲を楽しませてもらった。

 ボブが、アコースティック=ギターをいわゆるエレキ=ギターに持ち替えて登場したとき「お前はボブじゃない!」「『風に吹かれて』を歌え!」と罵る聴衆がいたそうだ。朝日新聞の記事を書いた人はそれと同じ事をしている。ボブが何を考えて、何を歌ったのか、決めつけずにもっと謙虚に受けとめるべきだ。
 ボブ=ディランが「ぼくは『プロテスト=ソング』なんか歌ったことないし~。」と若い頃(1970年頃のイギリスでのインタビュー)言っていた意味が分かる気がする。「No Direction Home」「I'm not There」とか、見るとボブの周りには、ボブというアーティストを「かくあるべし」と制限する人たちがファンも含めて大勢いたことが分かる。4/12の朝日新聞の記者は、それをド厚かましくも踏襲しているのだ。

 なぜこんなに腹立たしいかと言うと、昨日、斉藤和義の「ずっとウソだった」に対する、あまりにも決めつけた勝手な書き込みがてんこ盛りあるのを、つい読んでしまい、そのときの吐き気がするほどのいらだちと増幅しているのだ。書き込んだ人たちは、事実と違うことを書き込んでも、それを「事実と違う」と指摘されても、謝りもしない人達だらけ。

 あの「書き込み」というのは、ものすごい暴力性を持っていることが最近ヒシヒシと分かってきて、気をつけて、読まないようにしていたのだが…。話題に挙げられた斉藤和義とか、大丈夫なんだろうか。私なら、あっという間に世の中が嫌になり、半年は引きこもるだろうな。
 知らんクセに人の悪口書くやつの神経ってどうなってんの?
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キャンパスライフあれこれ  2011年4月20日(水) No.115

2011-04-20 11:53:42 | 中国事情
 今週月曜から新しく「日本語能力試験1級対策」の講座を開設した。もちろん要請があったからだが、受講者は全部2年生で、この前落ちた3年生は15人以上いるはずなのに、誰一人来なかった。
後で聞くと3年生は「2年生なんかと机を並べるのは、落第したようで恥ずかしい。」という感覚があるという。クラスの科目を落としたわけでもないのに、その感覚が私にはさっぱり分からない。当初より月曜は多くの2年生にとって都合がよく、3年生の多くは火曜日の方が都合が良かった。もし3年生が多く受講できる火曜日なら、2年生は先輩と共に受講できることを光栄に思うだろう。先輩・後輩の関係はわりと上下関係的で、その分先輩は実によく後輩の面倒を見る印象がある。日本の1960年代頃のイメージか。
 
 しかし、この講座、実力から見て、2年生にはかなり無理がある。彼らには「2級対策」ぐらいでちょうどいい。それをプライドの塊の中国人学生たちに言うと(失礼な!)と感じる向きがあり、「2級なんか受かっても意味ないです~。」「お金がもったいないです~。」と言う。多分、早晩チンプンカンプンで脱落する学生が続出するだろうが、わしゃ知らん!

 (だいたい、なぜ私だけが能力試験対策講座を受け持つんだ?1級と2級を教師たちが分担したらいいじゃないか。全員で5人もいるのに)と思うが、ほかの老師たちは、ボランティアで働く気はまるでない。授業が終わったら、さっさと家に帰ってしまう。自分の担任のクラスの面倒もろくに見ない人もいる。2年と3年の時間調整がうまくいかないと言うと、「先生、どちらか一つだけで結構です。」と言われ、一瞬破裂しそうになり、「当たり前です。2つもできません!」と語気荒く言ってしまった。年取ると短気になってきたのか、時々、プチッと血管切れる音が…。 

 先週末は梅雨のスタートを思わせる天候が続いて、大理石っぽい床の教室は結露により、すべって危険だった。あの昨年の大雪の時を思い出す。足の裏にかなり神経を使い、つま先のみならず全体で、一歩一歩確実に歩まなければならない。人生と同様だ。
 だが今週は、打って変わってうららかな春が戻ってきた。麦廬園キャンパスの1号館と呼ばれる建物横を通ると、誰の仕業か洗濯物が窓からぶら下がっていたり、低木の上にかぶせられたりして干されてあった。窓から下がっているのは、派手な赤い色のブリーフだ。建物の管理人さんのモノかも知れない。

 さらに、よく見ると、キャンパス内のあちこちに野菜が植えてある。私が準備室として使っている外国語学院センター1階資料室の外でも、何種類もの野菜が真冬でもすくすくと育っていた。日本では見たことがない葉物が多く、窓からその成長を見るのも楽しみの一つだ。職員が、自分の趣味か、家計を助けるためか、その両方かでやっているようだ。毎日、昼休みに世話をしに来ている。時には、小型発動機みたいなもので、カチカチの地面を耕している。こういうことを、大学はとやかく言わないようだ。
 日本の都市の河川敷で野菜を作っている人たちは、河川事務所に許可を得てやっていると聞いたことがある。放っておけば雑草が生えるだけなので、有効利用になっていいんじゃないかな。(雑草だってなくてはならないものだが。)

 宿舎の部屋の外では、スミレがかたまって咲いている。ツツジも花開きだした。ちょっと散歩に行ってこようかな。

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大阪人の神髄   2011年4月18日(月) No.114

2011-04-18 10:14:36 | 中国事情
 16日(土)大阪での関西共同行動には、4000人近い人たちが参加したとフミちゃんからメールがあった。(朝日新聞発表は2000人とのこと。ネットにはまだ一切出ていない)

 その集会に帰国者の家族も参加した。それがどれほど勇気を必要とすることか、簡単に想像できる。日本に来てからはもちろん、おそらく中国でもこうした集会やパレード(←と言っておく。またブログを閉鎖されたくないので…)に参加する機会はなかっただろう。
帰国者一個人の立場で政治参加することの壁は、日本で生まれ育った者の何倍も厚かったはず。それを思うと、胸がジーンとなる。

 日本島の大阪には、日本人、中国からの帰国者とその家族、在日韓国・朝鮮人、中国人、イギリス人、フィリピン人、イラン人、コンゴ人、カナダ人、アメリカ人、タイ人…。私が知り合っただけでもいろんな国が出自の、たくさんの人たちが生活している。全ての生活者にとって、今回の大震災と原発事故は被害者としての当事者だ。日本人だけで小さくかたまらず、日本島に住む全ての人たちが等しく仲間であると、いつも心にとどめて欲しい。

 今回の行動には、昔、飲み過ぎて羽目をはずし、お連れ合いをハラハラさせたスエミ姐さんも参加した。彼女の参加もどれほど嬉しいか口では言えない。彼女のメールには「原発が心配で夜も眠れず。だから昼寝です。(なんて冗談言ってる場合じゃない)」とあった。
ああ、いいなあ!大阪はこうでなくちゃね。どんなときでも大阪人のすばらしさは、その「アホアホパワー」にある!大阪人の神髄を発揮して日本を元気にしてね。
アホ言って、不幸を、涙を笑い飛ばして行こう! 
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交通事故   2011年4月17日(日) No.113

2011-04-17 19:48:51 | 中国事情
 3月末のある日、私の宿舎がある本部南側から北側に渡るゲートが、突然封鎖された。と言っても、一日7回、30分毎こま切れにだ。前日にオフィスからのメールで連絡を受けていたが、何故なのか、いつまで続くのかサッパリ分からぬ、事実だけの通知だった。質問メールを送ったところ、「当分続く。」とだけで何故なのかについては触れられていなかった。

 それが先日、学生の話でようやく分かった。
大学の学生が車にはねられ、2人亡くなり、重傷4人というとんでもない事故が起きていたのだ。ドライバーは近所の大学の副学長で、酔っぱらい運転だったそうだ。私は全く知らなかったが、学生達はみんな口コミで知っていた。
ニュースで報道されたことはされたらしい。しかし、この省ではなく山東省でだ。学生達は、「江西省で報道されなかったのは、運転していたのが副学長だったのでメディア対策にどこかが動いたからですよ。」と言う。

 そういえば、一学期のことだが、浙江省だかどこかの大学構内を猛スピードで走っていた自動車に学生がはねられて死んだ事件があった。その時、運転していた学生は、「私のお父さんは警察署長だぞ!」とふんぞり返ったらしい。そのニュースは全国的に広がり、その親である警察署長も仕事をやめざるを得なくなったそうだ。財大日本語学科の学生にそんな特権階級出身者は誰もいない。みんな庶民の子たちだ。学費が安いので、日本語学科に入ったという子もいる。この言葉にはみんな怒っていた。

 まだある。今日の中国語学習サイトで見たのは、最新流行の服を着た若い女性が、警官に無免許運転を咎められ、車を叩いて「お前の上司に言ってお前を首にしてやる!」と息巻いている写真付き記事だった。
解説に、「中国はまだまだ法治国家ではなく、人治国家です。この女性の言うことは、非常に現実味がああることです。」とあった…。

 賄賂も田舎の方では、日常茶飯事だそうだ。学生達は「中国の一番ダメなところです。」と悔しがる。
なぜこんなことが、今の中国でまかり通るのだろう。中央政府がこのことに歯止めをかけようとしているのに、一向に減らないこの不正義。
故郷でもそうした事例が後を絶たないと言うある学生は、「地元の共同体意識が強く、ばれたら地域の恥になることを敢えて公表しようとはしないからです。」と分析する。日本でも賄賂横行や特権階級のやりたい放題という時代があった。戦後のいつ頃までだろう。私の故郷北海道でも頻繁にあったらしいのは、父母の話などから、子どもながらに感じていた。それが日常茶飯事状態から少しずつ変化してかなり減り、今に至っている。アメリカでも昔、州や地域により似たようなことがあったと聞く。
世界中どこでもそうだったろう(又は処により今もそうなのだろう)が、どうしたらそれが少なくなっていくのかということだ。
 やはり、手っ取り早いのは、管理体制の整備と徹底した摘発だろうか。日本はすみずみまでそれが行き渡りやすかった。なにしろ「小日本」、小さい国ですからね。こんなことを言っては失礼とは思うが、中国は大き過ぎる。ニュー諺「大男、かゆいところに手が届かず」というのを、つい作ってしまった。身動きし難いのでは?と思う。

あ、でも(大雑把でいいなあ)と思うこともよくある。次回はそれを書こうかな。

 
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連絡事項   2011年4月14日(木)  No.112

2011-04-14 21:43:56 | 中国事情
 明日は早朝から夜まで仕事の日なので、今日書いておく。

産経は、今日もyahooのネットニュースで
感情的反原発グループ」などと、反原発の立場に対して敵意丸出しの文を書いている。
福島原発の爆発前に、原発を推進する立場の人たちは、
「反原発グループの主張するような事故は99.9%ない。理論的にあり得ませんから。」
「反原発の人たちは科学に疎い感情的な人たち。」と言っていた。

その「反原発」もしくは「脱原発」あるいは「原発見直し」、もっと広げて「原発は今のままではいけない」人たち向けの関西共同行動というのをネットで見つけたのでここでお知らせします。

4月16日(土)…つまり明後日。
時刻 3:30~
場所 中之島公園(女神像前)中之島図書館南側川べり
集会と御堂筋パレード(太鼓・笛・ギター・なんでも持ってきてねと書いてあった)
主催 ストップ=ザ=もんじゅなどいっぱい

数日前、東京の息子が、「高円寺駅付近でツイッターや口コミで15000人ぐらい脱原発の人たちが集まって1時間ほど駅周辺を廻ったけど、どこも報道しなかった。規制されてるんやなあ。」とメールを寄こした。
15000人で報道されないなら、やっぱ、ドイツなみに25万人は集まらなきゃ報道は無理だね~。

  
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風評って、よくないね。  2011年4月14日(木) No.111

2011-04-14 18:42:26 | 中国事情
 もともと?私は自分がコスモポリタン的な人間だと思っている。しかし、今回日本の外で日本のあれこれを聞くと、とても悔しくなることがある。

 一つ目は、中国沿岸部で人々が塩を買いあさった時、ある学生が「先生、日本はどうなるんですか。今、東京はパニックで、みんな国外に脱出しているそうです!中国でも、放射能汚染に塩が効き目があると言って、みんな塩を買いに殺到しています。大変です!」とメールを送ってきたことだ。
 塩の買いあさりについては、(正確な情報が行き渡らない中国だから、ある程度はしかたがない)と、そんなに気にもならなかった。問題は、ちょっと調べたらきちんとした情報を得られるであろう学生がワーワー大騒ぎすることだった。(インターネットか何かで調べたらいいのに、知る手段を持たない群衆と一緒に右往左往しやがって!)と、かなり頭に来た。その塩騒動は、中国政府の説明によって、急速におさまったが。

 昨日、ある学生が、
「中国全土で放射能を測定したら、昆明(雲南省)をのぞく全ての場所で放射能が測定されたそうです。福島から飛んできたと言っています。」と言ってきた。
「自然界には、もともと放射性物質が少しはあるので、原発が爆発していなくても、測定したら0にはならなかったはず。3月12日より前の測定値と比べたら?」と言うと、
「ああ、そうなんですか~!」と驚いた表情。どうしてこんなうわさ話に、大学生ともあろう者がいちいち大騒ぎするのだろう。そして今回、政府や識者は、そうした噂に対処しないのだろうか。うんざりした。

 今日の新華社通信網(インターネット通信)によると、中国東北地方の店では、日本の食料品を買う客が一気に減ったという。放射能汚染のあるなしに関わらずだ。「今までずっと日本の粉ミルクを買っていましたが、万一に備えて、今度から他のを選びます。」という消費者の声が載っていた。
さらに、「日本から中国野菜・鶏肉などの注文が殺到!」という記事もあった。

 繰り返すが、私は愛国者ではない。だが、めちゃいらつく。確かめもせずに「たいへんだ、たいへんだ~!」というその思慮浅さには怒りを覚える。

しかし、これは中国に限ったことではない。
日本国内で、福島県から千葉県に避難してきた子どもに対して、地元の子達が露骨に避ける態度を取ったというニュースを読んだ。
中国から見たら、福島も千葉もまるっきり同じ日本だ。それに非常に近い県同士。(日本の中で何やってんねん!今そんなことしている場合か!)と本当に腹立たしい。
それでなくても、全世界で、日本ブランドは地に落ちてしまっているのだ。
今私は、中国ブランドが世界で軽く扱われていることに対し、悔しい思いをしている中国の若者たちの気持ちを追体験している。
長野のリンゴが輸出禁止になったと聞いた。あの、世界一おいしい長野のリンゴが。全家百貨で売られている、カチンカチンに固い、美味しくないリンゴを見ているうちに、(ああ、これに比べて百倍美味しい『サンふじ』が輸出禁止だなんて…)と思ったとたんに涙が溢れた。毎年、冬になったらサンふじを宅配してもらうのが楽しみだった。今年は冬休みにちょっと帰っただけだったので、取りあえず長野のリンゴジュースを息子に送った。リンゴの木はどうなるのだろう。植物は放射能をよく吸収するという。リンゴは食べられなくても、木は伐採されませんように。リンゴ農家の人たち、どうか生き延びてください。

今、少なくとも日本国内では、(なんか気持ち悪いから、福島や茨城方面の物には手をつけんとこう)という根拠のない排除の考えを持たないで欲しい。公的機関は、測定値を嘘偽りなく公表し、それがどれほど人体に影響するのかを被爆する者の立場に立って丁寧に説明してほしい。
その上で、安全であると保障できるものはどんどん売り、どんどん買ったらいいじゃないか。
日本国内で「万が一にそなえて、買い控えします。」ということはやめましょう。福島から引っ越してきた人がいたら、親切にしてね。頼むよ!
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書きまつがい    2011年4月13日(水)  No.110

2011-04-13 20:16:01 | 中国事情

 “書きま「つ」がい”というのは、もちろん「ほぼ日刊イトイ新聞」の“言いまつがい”の真似である。

 どうして言い間違ったり、書き間違ったりしたことが、こんなに可笑しいのだろう。
表現しようとしたものの[日常性]の中に、偶然結果的に出て来た言葉の[予測しない非日常性]が唐突に突っ込んできて、私たちの日常を一瞬崩してしまうそのシュールさなのだろうか。

 私がいまでも例に挙げるのは、もう30歳になった我が息子が、小学生のときに言った一言だ。
当時、近所の農家のお婆さんが、時々自家製漬け物を売りに家に来てくれていた。私は「日野菜」や「水菜」の漬け物が好きでよく買っていた。ある時、私が奥の台所でご飯の支度をしている最中、息子が玄関で叫んだ。「何て~?」と私が聞くと、さらに声を大にして、「おけつもん屋さんが来たで~!」…。一瞬ウシュレットか何かの訪問販売?という思いが頭をよぎったが、玄関にはいつものお婆さんがニコニコして立っていた。
 これを言う度に息子は、「未熟だった時代のことをいつまでも笑いものにする。」と苦い顔をする。私はあと100回ぐらいは言うチャンスがあると思っている。

 江西省の大学生の「書きまつがい」も、本人達は大まじめに書いているので、一層可愛らしくほほえましい。
下は1年生の単語テスト(野菜・果物・肉)の中の書きまつがいだ。読むと、一生懸命寮の自室で暗記している姿が思い浮かぶ。
①ふたにく ②ぶうどう ③またねぎ ④りんこう ⑤ごめ ⑥じゃがいもう
⑦さかね ⑧さから ⑨まぬ ⑩かまご ⑪ぎゅうり ⑫きゅうにく ⑬タバコ ⑭かき


正解は①~⑫までは簡単に想像できる。
①ぶたにく ②ぶどう ③たまねぎ ④りんご ⑤こめ ⑥じゃがいも 
⑦さかな ⑧さかな  ⑨まめ ⑩たまご ⑪きゅうり ⑫ぎゅうにく


それでも、「ぶうどう」なんてどんな宗教かと思い、「またねぎ」は人間の股から二本のネギ足がニョッキリ出ている図が浮かびますよね。「じゃがいもう」は、「じゃが、妹よ」と説得する兄、「ごめ」は「ニシンが来るとゴメが騒ぐ」みたいなイメージが膨らむ。ああ、なんて楽しいんだろう。

⑬と⑭は何故間違いかと言うと、⑬とまと⑭みかん が正解だから。「トマト」を「タバコ」、「みかん」を「かき」と覚え間違ったのだ。共通点は「カタカナ」と「甘い果物」か。

 すごい書き間違いがある。
上海交通大学出版社が出しているビジネス作文の教科書だ。教科書に間違いがあるのは、日本では稀だが、私がここ江西省の大学であてがわれた中国の教科書では、よくあることだ。それでもこの教科書はすごすぎる。
最初、学生が書いた作文が、同じミスばかりしているので、ふと教科書を見ると、教科書が間違っていた。
次にその例文を挙げよう。間違いが何カ所あるか探してみてね。

 さて、昨日弊社が開きいたしました投資説明会にいらっしゃっていただいて、謹んで深甚なる謝意を表したいでございます。それはわれわれにとって幸いと共に大きな励ましになります。
 つきましては、甚だ粗末でございますが、御礼のしるしとしてご笑納賜らば幸甚に存じます。ご臨席に対して、ここに謹んで、重ねて心からの感謝を申し上げます。なにとぞ、今後とも相変わらず、ご愛顧、ご鞭撻のほどお願いいたします。


 この教科書を使って授業をするのだ。最初は背後から銃で撃たれたような気になったが、最近は逆手にとって、「さあ、今日の宿題はこの例文の間違いを正すことです。」と、利用させてもらっている。間違いから学ぶ。非常にいい方法だと自画自賛している。


 このブログのNo.109「大阪から音の贈り物…」は、本人に確認もせず、勝手に書いたので、文中いくつか訂正箇所があります。さらに行灯社のURLなども付け足しました。お詫びと訂正をします。

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大阪から音のプレゼントが…   2011年4月11日(月) No.109

2011-04-11 14:02:16 | 中国事情

  今日、ずっと以前小学校で担任した子(もう大人だが)Mちゃんから嬉しい贈り物がとどいた。郵便ではなく、インターネットで。
Mちゃんは何年もアイリッシュ=ハープを練習してきた。彼女の妹Cちゃんはフルートを吹く。姉妹二人でデュオを作り、演奏活動をしている。一昨年大阪市内で彼女たちの演奏を聞いた。(ああ、この子達はまっすぐ、深く、生きてきたんだ)と、しみじみ嬉しかった。

 Mちゃんは、現在、「日中メル友大作戦」にも参加し、私とはmixiフレンドでもある。
実は、彼女が小学校4年生のとき、教室で「裸足のゲン」を見たことがあった。広島の町が原爆投下によって生き地獄と化したシーンあたりから、彼女はうつむいて、咳き込んだりし出した。「喉がちょっと気持ち悪いから、うがいをしてきます。」と席をたった。その時わたしは(風邪かな?)と思っていたが、後日お家の方から聞いたのは、彼女が「心臓がドキドキして苦しくて、いたたまれなかった。」「夜夢を見た。」と言っていたことだ。

 私の娘も、小学校3年生ごろに地元の地区会館で上映する「裸足のゲン」を見に連れていったところ、途中で会場の外に出てしまったことがあった。「見ないの?」と聞くと「見ない!どうして私にこんな映画を見せるの!」と暗い顔で抗議されたものだった。
 「裸足のゲン」や「蛍の墓」を見て、泣く子もいるし、追体験して心に深く苦しみや恐怖をとどめる子もいる。反面、泣く子を指さして「いや、○○ちゃん、泣いてるで~!」と笑う子もいる。人間の感受性はいろいろだ。

 私も含め多くの人々が今回の大震災にはかなり心的に傷手を受けた。Mちゃんも一応、普段通りの生活はしていたものの、ぼうっとなったり、逆に頭の中が混乱して焦ってしまったりする日が続いたそうだ。
それでも、今回彼女は、震災のためのチャリティーコンサートで演奏した。彼女はとても控えめな子だ。人前で演奏するなんて、どれほどプレッシャーになることだろう。これまでも彼女は、ドキドキしながら演奏会場であるアイリッシュ・パブのドアを開け、デパートのステージに立ち、一歩一歩、自分の世界を広げてきた。
 家で読書をし、アイリッシュハープを弾き、家族のご飯のしたくをして暮らしてきた彼女は、自分と妹のデュオ「行灯社」を設立し、私に「音源をアップしました~。」と知らせてくれたのだった。
「満を持して」とはこういうことを指すのだろう。
子どもの頃のMちゃんに限らず、多くの子どもたちは(大人だって)、自分が圧倒的しんどさの最中にいるときは、ただ立ち尽くすだけで声も出ない。自分で自分のことを語り出すために、音楽や、犬や猫や家族(順番バラバラだけど~)がそおっと力を貸してくれる気がする。
行灯社の奏でる曲はそんな音楽だ。

 2曲とも、聞いているとアイルランドの風が吹いてくる。何百回でも聞きたい曲だ。
下をクリックすると聞けると思う。もし無理なら、行灯社(あんどんしゃ)で検索してみてね。


http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=28736534&video_id=10594529
http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=28736534&video_id=10594527

行灯社ブログ
http://andonsha.exblog.jp/

行灯社You Tubeチャンネル
http://www.youtube.com/user/andonsha

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自分の会社を作る    2011年4月10日(日) No.108

2011-04-10 19:34:33 | 中国事情
 3年生の商務日語(ビジネス日本語)クラスで、自分の会社を作るよう指示した(もちろん想像上)。
どんな会社を作るかとか、「財経」大学という名前の大学ということもあり、学生達のビジネス感覚がどれほどなのかも興味があった。ふたを開けると次の通り。
 服飾3 
 旅行会社3
 化粧品会社2 
 電気機器(パソコン)製品2
 漢方薬2
 お茶2
 食品加工(柑橘類をジュースにする)2
 健康ジム・グッズ2
 貿易1 携帯電話1  ホテル1 家具1 生活日用品1 会計事務所1 自転車屋1 
 お菓子屋1 チョコレート1 ケーキ屋1 食品1 果物屋1  野菜の配達業1 レアレース1
 (あれ?3人足りない)

クラスは35人中女子が30人、男子5人の構成なので、その影響が大いに出ている。
服飾、化粧品は若い女性の関心の的であるのでさもあらん。お菓子、チョコレート、果物など自分が食べたいからとしか思えない感じもするが、いやいやここには江西省の特徴がかなり出ているんですよね。
[江西省の特色考慮型]
・果物屋・食品加工…江西省はミカン類を中心に果物の産地である。
・チョコレート製造…江西省の食品店には適正価格のチョコレートがあまりない(つまりメチャ高い)。
 そして若者はチョコレートが大好きだ。
・野菜の配達業…大学周辺が野菜畑ばかりなので思いついたのだろう。

[自分の生活密着型1]
・服飾・化粧品…2学期に入り、急に3年女子が化粧をしたり、おしゃれしたり始めた。今まで髪ボウボウで勉強してきたが、とうとうそういう時期になってきたか~、とちょっぴり感慨が…。

[自分の生活密着型2]
・家具・生活用品(タオル、トイレットペーパーなどと書いてあった)・自転車屋・ケーキ屋
 地味というか、小学生が考えるような内容というか。

[自分の資格などを活かす型]
・旅行会社(ガイドの資格あり)・会計事務所(会計学を副専攻)・漢方薬(祖父が漢方専門医)
 このグループはかなりしっかり者。本気で将来のプランを立て始めている。

[中国といえばこれでしょう型]
・お茶 ・漢方薬 ・レアレース

[産業の王道型]
・貿易 ・携帯製造 ・電気機器(パソコン)製造

[快適ライフ追求型]
・健康ジム・グッズ  ・旅行会社 ・ホテル

とまあ、勝手に分類してみた。
この中で、本気で会社を作りたいと思っている一人が、「田園牧歌旅行社」(陳さん)である。
彼は旅行ガイドの資格を持つクラスメートに倣い、今年の12月に資格試験を受ける。彼は2年生では会計学か何かを副専攻していたが、3年になる時によくよく考えてやめたそうだ。一年間日本語学科に納める学費が3750元、副専攻にもほぼ同額かかるという。彼の実家は吉安の田舎だ。彼自身、子どもの頃から家業の手伝いで牛の世話をしてきた。夏は谷へ行って牛を放し、自分はそこで読書に浸ったという。
「少しのお金も無駄にできない。大学院に行くより、早く就職して実社会に出たい。」
と言う彼の胸中は、お金を稼いで親孝行したいという思いが渦巻いている。彼もまた、中秋節に家に帰っても両親は出稼ぎで、誰もいないという一人だ。
 先日、理工大からの帰り道、他の旅行社が考えない面白いオルタナティブ=ツアーのプランを練るよう彼に促した。彼の発案したひと味違うツアーに、私も必ず参加しようと思う。

 財大の学生達を見ると、正面突破、正々堂々、拗ねたりひねたりせずに、とにかくひたすら一生懸命頑張る子が多い。社会全体が貧しいとき、子どもを含めてみんな全力でその貧しさからの脱皮を図る。その時に踏ん張る力や辛抱する力が養われる。そのことは、自明の事ながら、人間を強くする。日本が66年間ですり減らしてきたものの一つだと思う。
 しかし、どっこい日本だって辛抱強くがんばる人は絶滅していない。しかも今日本は踏ん張り時だ。真正面から、正々堂々と、ズルをしないで一生懸命格闘することで、骨太のたくましい心身を鍛えていこう。父や母がそうして生きたように。
  
  
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