毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

ボブ=ディランが北京に!?    2011年4月21日(木) No.116

2011-04-21 16:48:06 | 中国事情
 知らなかった~。中国と言っても広い。何しろここは小平氏が始めた改革開放経済政策のポイント地域からそうとう外れた江西省だ。学生が何万人もいる大学前の道路には信号もなかったが、この間学生が2人死んでようやくついたようなところだ。しかし、歩行者も車も信号無視するので、自分だけ信号を守っているのは、非常に危険というところなのだ。

 今日初めてキャンパス内で、というか中国で、ピースマーク(鳩の足)のTシャツを着ている子を見た。3年生のクラスで尋ねると、誰も意味を知らなかった。ベトナム戦争やヒッピームーヴメントの話、ボブ=ディランの「風に吹かれて」の歌詞などをまくし立てたが、多くの子はあんまり興味なさそう。与えられた勉強は頑張るのだが…。ごく少数の学生だけが、目をきらっと光らせ、耳をそばだてて聞いている。ま、それで十分だ。授業前の無駄話なんだし。

 それより、ボブ=ディランの話に戻ろう。
上柴とおるの『ポップス再前線』」(「芽瑠璃堂マガジン」で検索すると出てくる)」に、ボブ=ディランが初の中国公演を無事開催したと書いてあったので、(ボブはきっと中国に一回来てみたかったに違いない)と先を読んでみた。
 読むと上柴さんは、ボブ=ディランの中国公演そのものではなく、それを報じた朝日新聞の記事について書いてはったのだった。以下、部分的にコピー&ペーストで抜粋させていただくと…。

 今朝(4/12)の朝日新聞/国際面(10面)の左肩の記事を見て「あんれま?」と呆れたっちゅうか「おいおいお~い」と。ボブ・ディランが初の中国公演を無事開催したことを報じとりましたが見出しが‘ボブ・ディラン妥協の中国公演’‘検閲受け入れ 反体制封印’って。。。「戦争や社会矛盾に対するメッセージ性の強い曲を発表し続けてきたボブ・ディランさん(69)。。。(中略)ただ、中国当局の検閲を受け入れた形で、代表的なプロテスト・ソングは封印。失望も広がった」ってあんたねぇ。。。まぁええわ、続けよか。
「6日の北京公演では5千人の観客を前に約2時間演奏した。だが、体制側の人々を痛烈に批判した『時代は変わる』や、反戦歌『風に吹かれて』は披露しなかった」と。「ディランさんは(新聞の報道記事でアーティストにさん付けってなんかヘンやと思うけど)昨春も、中国公演を企画したが、許可が下りず断念。今回は『承認された範囲の内容』を条件に許可されたもようだ」てなことで「当局と妥協した『フォークの神様』への厳しい声が聞かれる」(笑)。書いた記者の署名も入ってるけどまぁ堪忍しといたろか。
今は1960年代やのぅて2011年やでしかし。ディランさん(笑)はデビューしてもう50年近くになるし今も現役で新譜も出していろいろな種類の音楽を楽しませてくれてます。レパートリーはヤマほどあるし、当人がいま歌いたい曲っちゅうのもあるやろし、それを歌わんかったらディランじゃない!っちゅうこともないやろし。本人にしたら「当局にごちゃごちゃ言われるんなら別にそれ歌わんでもええし。中国へ来て歌うっちゅうことに意義があるんやからねぇ」てなとこかも知れまへんしね。ディランさん自身のコメントもとらんと‘妥協した’とか‘検閲を受け入れた’とかあれするのは如何なもんかいなと。そうすると何でっか?ディランさんは中国当局に屈した‘ヘタレ歌手’っちゅうことでっかぁ?イメージ・ダウンさせたいわけ?もうちょっと書きようっちゅうもんがあるんとちゃうかい?


 この朝日新聞の記事書いたの誰?
これを書いた人はボブ=ディランを『フォークの神様』の鋳型にはめて、
「これがボブ=ディランですよ。」
「ボブ=ディランはこうあるべきなんです。」
と得々と語っているだけだ。
 上柴さんが書いてはるように、ボブは何百曲というレパートリーを持っている。昨年3月「ゼップ大阪」の4日間ライブでは、昔のお馴染み曲を全く歌わなかった日もあるし、懐メロオンパレードの日もあったという。私が行った日は「ほぼ歌わなかった日」で、もっぱら70年代以降の曲を楽しませてもらった。

 ボブが、アコースティック=ギターをいわゆるエレキ=ギターに持ち替えて登場したとき「お前はボブじゃない!」「『風に吹かれて』を歌え!」と罵る聴衆がいたそうだ。朝日新聞の記事を書いた人はそれと同じ事をしている。ボブが何を考えて、何を歌ったのか、決めつけずにもっと謙虚に受けとめるべきだ。
 ボブ=ディランが「ぼくは『プロテスト=ソング』なんか歌ったことないし~。」と若い頃(1970年頃のイギリスでのインタビュー)言っていた意味が分かる気がする。「No Direction Home」「I'm not There」とか、見るとボブの周りには、ボブというアーティストを「かくあるべし」と制限する人たちがファンも含めて大勢いたことが分かる。4/12の朝日新聞の記者は、それをド厚かましくも踏襲しているのだ。

 なぜこんなに腹立たしいかと言うと、昨日、斉藤和義の「ずっとウソだった」に対する、あまりにも決めつけた勝手な書き込みがてんこ盛りあるのを、つい読んでしまい、そのときの吐き気がするほどのいらだちと増幅しているのだ。書き込んだ人たちは、事実と違うことを書き込んでも、それを「事実と違う」と指摘されても、謝りもしない人達だらけ。

 あの「書き込み」というのは、ものすごい暴力性を持っていることが最近ヒシヒシと分かってきて、気をつけて、読まないようにしていたのだが…。話題に挙げられた斉藤和義とか、大丈夫なんだろうか。私なら、あっという間に世の中が嫌になり、半年は引きこもるだろうな。
 知らんクセに人の悪口書くやつの神経ってどうなってんの?
コメント
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