オーディオ彷徨録~JBL4331AからALTEC620A~

今までのオーディオの改良や音楽の遍歴に、今後の改善も紹介。いい音に繋がる方法を色々模索したことや、好きな音楽を紹介する。

菅野邦彦さん

2017-01-26 09:57:40 | ジャズ
 今回は、大好きなピアニスト 菅野邦彦さん(仲間内では、スガチン)のお話をしてみます。

 前に、BLOW UPの所でも、お話したのですが、菅野那彦さんを知ったのは、BLOW UPを聴いた時、ビーンと感じました。こいつは、凄い。それから、菅野さんのアドリブを楽しむようになりました。先ずは、ウィッキペディアから一部改変して経歴を紹介。

 ■1)アバウト 菅野 邦彦さん
 ”大学在学中、吉屋潤のバンドで、演奏活動をはじめる。卒業後は、サラリーマンになるが、一年で再び音楽の道へ戻る。1960年ころより、鈴木勲(仲間内ではオマスズ)、ジョージ大塚とトリオで演奏開始、来日したトニースコットに見込まれ、グループごと参加。
このメンバーが、そのまま1963年~64年ころ、松本英彦カルテットとして活動。解散後は、ソロピアニストとして、またリーダーとして活動し、LPレコードも発表。一時ボサノバに傾注して、プラジルヘと旅立った。そしてブラジル滞在の後はニューヨーク、ヨーロッパなど都合7年半にも及ぶ放浪の生活を送った。菅野邦彦はあまりにもの繊細さからコンサートホールでの演奏は苦手だった。しかしながら、菅野のブルースフィーリング溢れるピアノ演奏は当時日本ならず世界のJAZZ界でも認められた。自分のピアノを誰かが触ると「誰か触れたね?」と分かってしまうほど繊細・神経質な人物。”

以下が、所有のアルバムです。LPが、左から順に”ライブ!”、”ミュージック/菅野邦彦の世界”、”シャイニー・ストッキングス”、下段は、CDで”フィンガー・ポッピング”と、”慕情”です。
 因みに、ミュージック/菅野邦彦の世界に、当時買ったレシートが残っていました。大学の”レコードショップ セブン”という店で、77年5月に、定価2800円を、2520円で買っていますので、1割引で買えました。貧乏学生にとっては有難かった。

 ■2)菅野さんのライブでの思い出
 BLOW UPの所でも、少し触れましたが、2015年11月7日の菅野さんのブルーノート京都でのLIVEに行ってきました。その時、上の写真の”ライブ!”、”ミュージック/菅野邦彦の世界”、”フィンガー・ポッピング”に日付入りサインを貰いました。その時、3時間位ライブがあったのですが、曲の合間も菅野さんは、Tpの藤井さんやbの小野さんやファンの我々と和やかにお話をしてくれました。若い頃は、余りに繊細でライブで鬼神さながらの迫真のアドリブをすると思えば、スタジオ録音では緊張の余り全く乗らない演奏したりと、神経質なせいで、LPには彼の本当の凄さが残らないと言われていた人の面影はありません。きっといい年のとり方をされているのだと思います。
 その時に、色々とお話をしました。以前、菅野さんのHPで書いていた武勇伝についても聞いてみました。突然ブラジルに旅立ってしまったことについても、聞いたのですが、”ピアノを辞める決意で行った”のだそうです。(これは、信じてはいけません。)ブラジルからボリビアに入って、駅でブラジル人と2名下車して中心街へと荷物を持ってすり鉢を下り始めた時にその時いきなり追剥の一団があらわれブラジル人の荷物を強奪した。荷物を失ったブラジル人はほうほうの体ですり鉢の上の方に逃げた。菅野は難をのがれたが、追剥は荷物を奪うとニコニコと笑いそれ以上は追いかけなかった。この時は、事なきを得たとのことですが、次はやばかった。それは以下HPから抜書きします。
 ”ある日、彼(ブラジルのサンタナのバンドから流れてきたパーカッショニスト(コンガプレイヤー)でドラッグをやっている気配)からラパス郊外にサンペドロをためしにいこうと誘われ彼のジープに乗って出かけた。(サンペドロはサボテンの一種。当時は合法で幻覚、高揚感が得られるという。)いちめん砂漠のなかを砂ぼこりを立てながらドライブしていた時、後方から軍隊のジープが迫ってきて、彼がスピードを上げたためか、いきなり銃撃がきた。乾燥した高地の砂漠の中おもちゃのようなパンパンパンと高い乾いた音だったという。何発かが彼に命中、即死し、コントロールを失ったジープは路肩の瓦礫と砂の中に横転し、彼の死体はジープの下敷きに、菅野は砂漠のなかに砂まみれに抛り出された。菅野はとっさに死んだふりをする以外にないと覚悟を決めた。砂を踏みしめる多数の足音が近づいてきて菅野は軍靴にかけられ転がされたが死んだふりを続けた。掠奪者はジープを探り、コカインをみつけたのか数分で立ち去った。しばらくして立ち上がった菅野はかぶっていた麦わら帽子に弾丸のあとの穴があいているのに気付き九死に一生を得たのだと悟った。”
 これ以降(死体の処理とか)を知りたい方は、HP(Behind the sceneのタブ)を参照下さい。私は、”本当に帽子に穴が開いたのか?”と質問した所、”開いた。この帽子は守り神が付いているので、今でも大切に持っている”と答えてくれた。確かにお守りとして持っていたい気持ちはわかります
 彼が、六本木にあった伝説のジャズクラブ「ミスティ」(彼が、初代ピアニストで、2代目は、山本剛)のピアノの買い付けに行ったこともHPで書いてあったので、その時のことも聞いてみた。HPからそこのさわりの所を以下抜書きします。
 ”1970年代はじめ、実業家、三木プーリ(株)の三木氏とその奥方はジャズのライブの洒落たお店をひらきたいと熱望し所有する六本木のお店の改造を計画した。ご両人とも菅野の大ファンで、当時「ネロビアンコ」で演奏していた菅野に声をかけた。菅野はニューヨークスタンウェイのピアノを買い付けること、その折の菅野の世界旅行の費用を負担することの二つの条件を付けた。それを快諾したご両人は、菅野の気にいるピアノを見つけてほしいと、ピアノ代金、経費、支度金をあわせて一千万円を菅野に手渡した。”
 この話を聞いてみた時、ファンの方から”一千万円を貰って世界旅行しただけやろ”などと野次が飛んだんですがが、ご本人は”いやいや、ついでにスタンウェイも買い付けたよ”と飄々と返していました。BLOW UPで紹介した、ライク・イット・イズの話といい、クラッシック論といい、本当にどこまで本当にしていいか判らないような、スケールの大きい人です。

 ■3)”フィンガー・ポッピング”
 では、最近お気に入りで聞いている”フィンガー・ポッピング”について少し紹介します。尚、私の大のお気に入りの①の2曲目、3曲目は、上記ブルーノートのライブでリクエストしてみたら、やってくれました。勿論ライブで貰ったサインもジャケット表に入っています。
  
 フィンガー・ポッピング 68年の初リーダー作 録音は、SIDE BY SIDE2もやった兄の菅野沖彦 【パーソネル】菅野邦彦(p)、池田芳夫(b)、山崎弘 (山崎比呂志) (ds)
1. フィンガー・ポッピング《FINGER POPPIN BLUES》
  最初から、ガガ、ガガーンとパンチを繰り出すように打つミディアムテンポの何かを期待させるようなテーマで出だすが、後はひたすら菅野のアドリブの世界に誘われる。テンポ・タッチの良い軽快なアドリブに身を委ねるそんな曲です。
2. フォー・カール《FOR CARL》
  一転して、物悲しい華麗で気高いテーマで始まるバラードというか、エレジーというか、没落していく貴族が昔の栄華を懐かしむそんな曲です。少しイントロ(これが出る時は、調子抜群)があり、その後テーマを繰り返し、重厚に華麗にアドリブを展開していきます。このテーマで、コロコロアドリブを回してくタッチが美しい。最後に近い途中の、4バースもタイミングベスト。尚、2曲目と4曲目は、フィニアス・ニューボン・JRの重要なレパートリーであり、フィニアスのLPは何枚も持っていて、昔はよく聴きました。
3. ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビムス《POLKA DOTS AND MOONBEAMS》
  皆さんご存知のスタンダードナンバーです。上記ライブでは、藤井さんのトランペットソロが、何かを懐かしむように、心にしみました。オーソドックスで素直なアドリブでした。私は、チェット・ベイカーの”イン・ニューヨーク”でのこの曲も大好きです。もちろん、菅野さんのアドリブも切々と夜の四十万に煌くようなタッチの美しいアドリブです。
4. バルバドス《BARBADOS》
  アップテンポの軽快な曲。ドラムの山崎弘 さんと菅野さんの丁々発止をお楽しみ下さい。
5. ブルース・フォー・ジロー《BLUES FOR JIRO》
  ジャズ評論家の久保田二郎(元はドラマーで和ジャズ伝播に貢献)に捧げた菅野さんのオリジナル。ブルースフィーリングが心の底から湧き出るかのようなプレイは、ハンプトン・ホーズ(菅野さんが敬愛する)に通じるドライブ感に溢れている。
6. 言い出しかねて《I CAN'T GET STARTED》
  スタンダード。BLOW UPでもやっていましたが、もち、こちらの方がピアノは良いです。チャーミングでタッチの美しいピアノと途中少し短いですが、乗っている池田さんのベースのアドリブをお楽しみ下さい。
7. バイ・バイ・ブラックバード《BYE BYE BLACKBIRD》
  これも、スタンダード。アップテンポのグルービィで飛び跳ねるようなアドリブです。

 ■4)”慕情”

 慕情 1974年3月22日録音 TBM-26
 ピアノの魔術師と謳われる菅野邦彦がTBMに残した唯一のリーダー作品(TBM主催 いソノてルヲ司会5DAYS IN JAZZコンサート録音盤)。エロール・ガーナー直系の“天才クニ”ここにあり。 菅野邦彦 (p)小林陽一 (b)高田光比古 (ds)小川庸一 (conga)

1. 慕情
 ①の2曲目と同様奇抜なイントロで始まるが、今回は長い。この間に緊張を解すため、自分の音楽のペース設定まで彼が、ピアノ弦を指で弾いたりして奏でたものと解説にある。最初はゆっくりとしたテンポのテーマから、快調にスイングするが、途中からギヤを2段位あげて、最高速までフル回転で加速し、最後に減速して終了。
2. 枯葉
 これも1曲目と同様奇抜なイントロで始まる。これは、皆さんご存じのメロディであるが、敬愛するエロール・ガーナー風ではあるが、菅野さんらしい解釈の美しいアドリブが堪能できる。
3. ブルース・フォー・ウィントン・ケリー
 菅野さんのオリジナルで、敬愛するウイントン・ケリー(この録音の3年前に他界)へのデディケイション・ナンバー。色々なキーで転調してイントロを弾き、ついにFからリフになる。ケリー同様気持ち良くスイングしている。
4. パーディド
 ミディアムテンポでガーナー張りのアドリブが楽しめる18分の長い曲。

最後に、両方とも音に厳しい方により録音されていますので、ピアノトリオ・カルテットのオーディオチェックにも十分耐えます。

 PS.所有CDを1枚忘れていました。以下のCDは、上記ブルーノートでのライブで、菅野さん自身から談笑代として対価5千円で頂いたものです。制作は、菅野邦彦後援会となっています。尚、ライブ当日、菅野さんから、”今晩は、ここ(ブルーノート)に泊まるんだが、泊まっていく?”と聞かれたのですが、畏れ多いのでご辞退しました。翌日仕事ですが、泊まっとけばよかったかな?
コメント
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