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matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

家康誕生の城、岡崎城

2018-04-01 10:48:32 | 日本100名城




 岡崎

 3月中旬、岡崎城を訪ねました。

名鉄東岡崎駅から歩いて15分です。

15世紀中頃(室町時代)、三河国守護
代西郷氏が、龍頭山の砦として築城した
のがはじまりです。

1531年に松平清康(家康の祖父)が
城主となり、1542年に城内で徳川家
康が誕生しました。


  (産湯の井戸)

家康は6歳で織田信秀(信長の父)、8
歳で今川義元の人質となり、少年期を他
国で過ごします。

1560年の桶狭間の合戦で、今川義元
が戦死したことを契機に自立します。と
きに19歳。岡崎城を起点に天下統一へ
の道が始まりました。

1570年には、本拠を遠江の浜松城へ
移し、子の信康が岡崎城に入りました。



江戸時代に入ると、「神君出生の城」と
して神聖視され、本多氏(康重系統)、
水野氏、松平氏、本多氏(忠勝系統)と
家格の高い譜代大名が城主となりました


三河武士とは、家康に仕えて江戸幕府創
業に貢献した譜代の三河出身の家臣の総
称です。

三河出身の親藩、譜代大名は279藩の
うち123藩を数えたそうです。

城郭の大部分は明治6~7年に取り壊さ
れましたが、天守閣は1959年(昭和
34年)、ほぼ昔どおりの外観で復興さ
れました。


  (しかみ像)

1572年、武田信玄は遠江に侵入し、
浜松城に迫りました。
三方ヶ原に家康を誘い出し大敗させ、城
に逃げ帰った家康は、将としての冷静さ
を失い多くの家臣を失った自分を反省し
ます。

家康が描かせたと伝えられる、顔をしか
めて苦渋の表情をあらわした珍しい肖像
画を基に、この石像は製作されました。


  (神代桜)

家康像の近くにある神代桜がきれいに
咲いていました。


  (遺訓碑)

天守への入口付近には、有名な家康の
遺訓が碑になっています。

「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが
ごとし。いそぐべからず、不自由を常と
おもえば不足なしこころに望おこらば困
窮したる時を思いだすべし、堪忍は無事
長久の基、いかりは敵とおもえ勝事ばか
り知りてまくる事をしらざれば害其身に
いたる、おのれを責て人をせむるな、及
ばざるは過ぎたるよりまされり。」



岡崎公園は、日本さくら名所100選に
選ばれた桜の名所です。ちょうど今頃が
見頃でしょうね。

  (撮影日は3月19日)







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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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今月も先月同様に宜しくお願いしま~す! (ひろし爺1840)
2018-04-02 09:26:47
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家康誕生の城・岡崎城~ (ひろし爺1840)
2018-04-06 07:58:40
◆(^_-)-☆Matasaburo3さん、お早うございま~す!
爺のブログにお越し頂き心温まるコメントや応援をありがとうございます!
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