matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

 矢田寺 あじさい寺

2019-06-27 11:10:54 | 奈良散歩

奈良の旅の続きです。

 

奈良に一泊して、翌朝近鉄線「大和郡山」

駅に向かいました。

 

駅近からバスに乗り約20分、さらに

バス停から登り道を15分程歩きました。

 

 

矢田寺は正式には矢田山金剛山寺といい

ます。

 

飛鳥時代の680年頃、大海人皇子(=

後の天武天皇)が戦勝祈願のため矢田山

に登り、即位後智通僧正が開基しました。

 

智通僧正は遣唐使として唐に渡り、玄奘

三蔵から法相宗を学び、日本に伝えまし

た。

 

 

当初は十一面観音を本尊としていました

が、平安時代地蔵信仰が盛んになると、

地蔵菩薩が本尊となります。

 

現在は高野山真言宗別格本山となって

います。

 

アジサイは1960年代半ばから植え

はじめ、今や1万株。約2万5千平方

メートルに及ぶ境内の至るところで咲き、

「アジサイ寺」と呼ばれています。

 

 

開山当初は七堂伽藍四十八ヶ坊が造営さ

れていましたが、今は四つの塔頭から成

り立っています。

 

本堂は平成の大修理を経て、平成15年

に落慶しました。

 

 

  (本堂)

裏山(地藏山)には四国八十八ヶ所霊場

にならって石仏をめぐる遍路道も敷かれ

ています。

 

 

森閑とした境内に青や紫、ピンクなど

色とりどりのアジサイが咲き乱れてい

ます。

 

アジサイの花はまるでお地蔵様の化身

のようです。

 


法隆寺夢殿~中宮寺

2019-06-20 11:48:16 | 奈良散歩

 

 

 6月上旬、奈良を訪ねました。

 

JR法隆寺駅で下車、20分程歩くと

法隆寺東院です。

 

 

「日本書紀」によれば、聖徳太子こと

厩戸皇子は605年(推古13年)、

斑鳩宮に移り住みます。

 

法隆寺東院の所在地が斑鳩宮の故地で

あり、斑鳩宮に接して建立された斑鳩

寺が法隆寺です。

 

  (夢殿)

 

八角堂の夢殿を中心とする東院伽藍は、

738年(天平10年)ごろ、行信僧都

が太子を偲んで建立しました。

 

本尊は聖徳太子等身と伝わる秘仏救世観

音像(飛鳥時代)。

 

  (絵殿・舎利殿)

 

絵殿には太子一代の事績を描いた障子絵

が納められています。

 

  (東院鐘楼)

 

袴腰と呼ばれる形式の建物で、内部には

「中宮寺」と陰刻された奈良時代の梵鐘

が吊るされています。

 

法隆寺東院の隣りが中宮寺です。

 

中宮寺はもともと太子の斑鳩宮を中央に

して、西の法隆寺と対照的な位置に創建

された尼寺でした。

 

火災のため焼失し、現在の場所へ避難。

 

飛鳥時代より続いている尼寺は中宮寺だ

けとなっています。

 

  (半跏思惟像のポスター)

 

本尊は半跏思惟像(如意輪観世音菩薩)。

 

黒みを帯びた木質が静謐な美しさを称え

ていますが、当初は彩色が施され、装飾

部のオプションも付いていたと考えられ

ています。

 

  (会津八一の歌碑)

 

本堂で、やや距離がありますが、

この飛鳥彫刻の最高傑作に対面す

ることができました。

 

  (本堂)

 

和辻哲郎の「古寺巡礼」より引用します。

「わたくしたちはただうっとりとして

ながめた。心の奥でしめやかに静かに

とめどもなく涙が流れるというような

気持ちであった。ここには慈愛と悲哀

との杯がなみなみと充たされている。

まことに至純な美しさで、また美しい

とのみでは言いつくせない神聖な美し

さである。」

 

7世紀後半の作と考えられていますが、

作者も記録は残されていません。当時は

仏教の伝来とともに百済から仏師や仏教

建築を建設する木工が渡来した時代です。

 

この姿勢の仏像は、紀元1~3世紀頃の

ガンダーラ美術にすでに見られるそうで

す。

 

本年5月11日にNHK「シルクロード・

美の回廊Ⅱ・微笑みがきた道」が放映され

ました。

 

飛鳥時代の御仏がたたえる不思議な微笑み

のルーツを追ってシルクロードを西へ、黄

河上流・敦煌・アフガン・バーミヤンさら

にローマまで旅は続きます。


多摩川散策路を歩く

2019-06-12 09:53:30 | 東京散歩




 多摩川

 東急線「多摩川」駅の西側に、多摩川
台公園があります。



多摩川沿いの丘陵地に約750mにわた
って広がっています。

アジサイ園には7種3000株のアジサ
イが植えられています。


  (アジサイ園)

すぐ隣りの水生植物園では、スイレンが
美しく咲いていました。


  (水生園)

見晴らしの良い展望台の近くには亀甲山
(かめのこやま)古墳があります。



荏原台古墳群中最大の前方後円墳。4世
紀後半頃の築造と考えられ、当時この地
方に勢力のあった首長の墓と推定される
そうです。



港区芝公園内にある芝丸山古墳とならん
で、都内を代表する古墳とのことです。


公園を下り、多摩川沿いに「岸辺の散策
路」を歩きました。

野球グラウンドでは少年野球の歓声が、
あちこちで響いています。

東京都市大グラウンドの先で、土手を昇
り、多摩堤通りを渡ると、上野毛の閑静
な住宅街に出ました。

二子玉川駅まで1時間半の散歩です。




江戸城外郭巡りその3-飯田橋~四谷

2019-06-01 10:24:10 | 東京散歩



  (牛込橋)

 牛込(飯田橋)から赤坂(赤坂見附)
へ続く江戸城外堀は、1636年(寛永
13年)に仙台藩伊達家をはじめとする
東国52家の大名により開削されました。

自然の台地に深さ15m、幅100mに
もなる人工の谷をつくる巨大工事でした。

外堀普請は、約30年にわたる江戸城建
設を締めくくる大規模なもので、外堀予
定地やその周辺の多くの寺院や町屋が移
転しました。

 飯田橋

 JR飯田橋駅西口を出て左に行くと交
番があり、その背後に巨大な石垣の石組
みがあります。


  (牛込見附跡)

「牛込見附」の跡です。

牛込見附は江戸城内郭の田安門から始ま
る上州道(いまの川越街道)が通る道で、
重要視されていました。

牛込見附から先は外堀に沿って土手があ
り、春には桜の名所となります。

土手は城外から城内の人の動きが見えな
いようにすると共に、防火帯の役割も果
たしました。


  (市ヶ谷橋)

牛込見附の次の門は市ヶ谷見附です。

桝形門がありましたが、跡形もありませ
ん。


  (江戸城の石垣)

メトロ南北線市ヶ谷駅構内に、「江戸歴
史散歩コーナー」があり、発掘された石
垣が移築再現されています。

石垣は九段下そばの雉子橋(きじばし)
付近から移したものです。



市ヶ谷門の外には尾張家の大きな屋敷が
あり、防備を固めていました。

さらに市ヶ谷から四谷に向かい歩きまし
た。

四ツ谷駅に着くと、主婦会館前のロータ
リー脇に、石垣の一部が残っています。


  (四谷見附跡)

四谷見附は半蔵門から始まる甲州街道が
通る重要拠点。

江戸城の西の玄関口として、江戸城防御
のための城門でした。


  (真田堀跡)

さらに赤坂方面に行くと、真田堀と呼ば
れていた堀はすっかり埋め立てられ、上
智大学のグラウンドになっています。

この部分は江戸城の背後にあたり、敵が
攻めてくると一気に内部に迫られる恐れ
があり、巨大な堀を設け攻めにくくした
そうです。