matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

柴又で忘年会

2016-12-29 08:41:37 | 東京散歩




 柴又

 今年の締めくくりは、葛飾柴又
です。
学生時代の仲間たちとの忘年会です。

京成柴又駅を降りると、寅さん像が
出迎えてくれます。

この像は地元のひとたちの寄付で建て
られたそうです。

来年には「さくらの像」が隣に建つとの
ことです。



メイン通りの帝釈天参道を歩きます。

「とらや」は「男はつらいよ」シリーズ
第1作から第4作までが撮影された場所
です。



通称柴又帝釈天、正式には経栄山題経寺
(きょうえいざんだいきょうじ)という
日蓮宗の寺院です。

創建は1629年(寛永6年)。



1783年(天明3年)には、住職日敬
(にっきょう)が板本尊(日蓮が自ら刻
んだとの伝承)を背負って、江戸の町を
歩きました。

天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませた
ところ、不思議な効験があったため、
信仰が広まり、多くの参詣人を集める
ようになったそうです。

江戸近郊の流行寺の一つとなりました。



駅近くのもんじゃ焼きの店「とろく」で
小宴会です。



もんじゃをつまみにビールを飲みました。




帝釈天から江戸川堤防を上ると「野菊の
墓」で知られる矢切の渡しがあります。

柴又と千葉県松戸を結ぶ、江戸川の渡し
舟です。



都内で唯一残る渡し舟で、約150mの
風情ある舟旅を楽しみました。



最後は「寅さん記念館」です。

「くるまや」の撮影スタジオ、寅さん
名場面集、昭和30年代の帝釈天参道
の模型などがあります。



1969年の第1作から1995年の
第48作までに登場するマドンナたち
です。

当時一番の輝きを誇っていた女優たち
です。


皆様、今年一年どうも有難うございまし
た。
どうぞ良いお年をお迎えください。

晩秋の奈良その3-談山神社

2016-12-22 07:32:26 | 奈良散歩




 奈良その3

 談山(たんざん)神社へは、近鉄桜井
駅で下車してバスに乗りますが、本数が
少なく次のバスがくるまで、喫茶店で
過ごしました。

談山神社の創建は678年(天武天皇
7年)。
祭神は中臣鎌足です。

神仏分離以前は寺院で、多武峯妙楽寺
(とうのみねみょうらくじ)といいま
した。


(十三重塔)

鎌足の長男定恵と次男不比等によって
建立されました。

現存の塔は1532年再建で、木造十三
重塔としては、世界唯一のものです。

唐の清涼院宝池院の塔を模して建てられ
たと伝えられます。

高さは約17m。


(西宝庫)

談山の名の由来は、中臣鎌足と中大兄皇
子が、大化元年(645年)5月に大化
改新の談合を、この多武峯で行ったこと
によります。


(本殿)

同じ藤原氏縁の寺院でありながら、宗派
の違う興福寺とは争いが絶えず、鎌倉時
代から室町時代にかけて領地などを巡り
争っていたとのことです。


(岩くらと龍神社)

古神道の信仰の姿を今に残す霊地です。

この瀧は大和川の源流の一つです。

岩上のやしろは、飛鳥時代に大陸から
龍神信仰が入ってきて、わが国の水神
と集合し、龍神社と呼ばれるようにな
りました。


(むすびの岩座)

古来より、縁結びの信仰あった境内には
いくつかの祈願場所が残っています。

むすびの岩座(いわくら)は、妙楽寺の
講堂を建てるとき、光る石が発見され、
神の宿る磐座として祀られました。


(鏡女王像)

明治2年神仏分離令により、僧徒は還俗
、談山神社と改称されます。

寺は廃し神社のみとなりましたが、建物
は寺院建築をそのまま使用しているため
、独特の雰囲気があります。

紅葉と桜の名所です。

晩秋の奈良その2-奈良公園と春日大社

2016-12-15 11:42:46 | 奈良散歩




 奈良その2

 奈良公園内にある興福寺は藤原氏の
氏寺で、古代から中世にかけて強大な
勢力を誇りました。

最盛期には百か院以上の寺院が建って
いたそうです。

比叡山延暦寺とともに「南都北嶺」と
称されました。

現在は寺に塀が無く、公園の中に寺院
がある状態です。

一乗院跡は現在奈良地方裁判所、大乗
院跡は奈良ホテルです。

明治時代の廃仏毀釈の嵐の中で、一時
は廃寺同然となり、五重塔さえ売りに
出る始末でした。

その後、廃仏政策の反省から再興が許可
され、徐々に寺観が整備されて現在に至
ってます。



五重塔は730年(天平2年)、光明皇
后の発願で創建されました。

現存の塔は1426年頃に再建されたも
のです。

高さ50mで、木造としては東寺五重塔
に次ぎ2番目の高さです。



春日大社は全国に約1000社ある春日
神社の総本社です。

藤原氏の守護神が白鹿に乗ってきたとさ
れることから、鹿を神使としています。


(一ノ鳥居)

春日大社の創建は768年(神護景雲
2年)。

主祭神は四柱を総称して春日神と呼ばれ
藤原氏の氏神です。

藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺と
の関係が深く、神仏習合が進むと、春日
大社と興福寺は一体のものとなっていき
ました。


(中門・御廊)

明治4年、春日神社に改称され、「官幣
大社春日神社」となります。

昭和21年、近代社格制度の廃止により
単に「春日神社」とすると、他の多くの
春日神社と混同する為、「春日大社」に
改称されます。




現在は式年造替(20年に1度の社殿の
修築事業)中です。

古代より連綿と行われてきました。

今次造替は平成19年の一ノ鳥居より始
まり、平成28年の本殿の正遷宮をもっ
て完了します。

色鮮やかな朱の御殿や諸社殿を往古と変
わらぬ姿で見ることが出来ます。


  (続く)



晩秋の奈良その1-正暦寺

2016-12-08 12:35:38 | 奈良散歩




 奈良その1

 11月末、奈良を訪れました。

近鉄奈良駅前からバスに乗り、のどかな
田園地帯を約30分走ると、山の中に
正暦寺(しょうりゃくじ)があります。


(本堂)

正暦寺の創建は992年。菩提山真言宗
の本山。

往時には86坊の堂塔伽藍が、菩提仙川
の渓流をはさんで建ち並ぶ大寺院、「宗
教都市」でした。

平家による焼き打ちやたび重なる兵火に
より、殆どの堂塔は失われました。

現在は江戸時代建立の福寿院客殿と大正
時代再建の本堂などがわずかに残るのみ
です。

古来より「悟りの山」を意味する「菩提
山寺」と呼ばれ、深山幽谷のような趣が
あり、静かな宗教空間に包み込まれます。



ちょうど訪ねた時は、秘仏薬師如来像
(白鳳時代)の特別公開中でした。



福寿院客殿は1681年建立の数寄屋風
建築。

自然風景式庭園は、四季折々の景色を見
事に演出してくれます。



正暦寺で造られていた僧坊酒は、現在の
清酒造りの原点ともいわれます。

本来、寺院での酒造りは禁止されていま
したが、神仏習合の形態をとる中で、鎮
守や天部の仏へ献上する御酒として自家
製造されていました。

正暦寺で創製された酒母(もと)、「菩
提もと」は、酸を含んだ糖液で培養する
ため、その酸によって雑菌が殺され、ア
ルコールが防腐剤の役割を果たすという
巧妙な手法で、日本酒造史上の一大技術
革新といわれています。



1582年5月、織田信長は安土城に徳
川家康を招き、盛大な宴を設けました。
奈良から献上された僧坊酒「山樽」は、
「比類無シトテ、上一人ヨリ下万人称美
」したと記されています。
(「多聞院日記」)


 (続く)

大山の紅葉

2016-12-01 11:06:33 | 日記




 大山(伊勢原)

 11月中旬、大山の紅葉が見頃を迎え
ていました。

大山ケーブルに乗り、大山寺駅で途中下
車しました。



大山寺は真言宗大覚寺派の寺院。

本尊「不動明王像」は、成田・高幡と
並ぶ関東三大不動のひとつです。



色づいたもみじが、本堂や石段を彩り
ます。

再びケーブルに乗り、終点阿夫利神社
まで。



大山は別名「あふり山」。「雨を降らす
山」の意で、阿夫利神社は江戸時代より
庶民の雨降り信仰を集めました。



青い空に紅葉のコントラストが鮮やかで
す。

阿夫利神社下社から、二重の滝を通って
見晴台まで歩くこと約40分。

思ってたより息切れしました。

大山は標高1252m。古くから国を護
る山・神の山として、あがめられてきま
した。

修験道は日本古来の山岳信仰が仏教に取
り入れられた日本独特の宗教です。

1590年に徳川家康方が小田原を攻略
した時には、大山の修験道の勢力は北条
氏に与して、激しい戦いを繰り拡げまし
た。

明治時代になると神仏分離令がだされ、
修験道も禁止されました。



見晴台は細長く開けた稜線上の台地で、
大山を見上げるには絶好のロケーション
です。