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matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

松田町のロウバイと河津桜

2018-02-26 11:13:39 | 日記




 松田町

 2月中旬の冬とは思えないポカポカ
陽気の日、松田町を訪ねました。

小田急線新松田駅から、バスで30分
余り終点「寄(やどりき)」で下車し
ました。
無料送迎車で「寄ロウバイ園」へ。



寄ロウバイ園は11年前に、標高380
メートルの荒廃農地を整備し、寄中学校
卒業生が250本のロウバイを記念植樹
したのが始まりです。

今では2万本、1万3千平方メートルと
日本最大級のロウバイ園となりました。



ロウバイの花は、蝋細工の梅のように
見えたため蝋梅(ロウバイ)と名付け
られたそうです。

一旦駅まで戻り、今度はJR松田駅から
シャトルバスに乗り、西平畑公園での
「まつだ桜まつり」に向かいました。



松田山の斜面にある公園では、早咲きの
河津桜360本がピンクの花を咲かせま
す。

この日はまだ3分、4分咲きといった
ところです。


  (縄文時代の屋外炉)

平成1年から2年の東名高速道路拡幅
工事中に、松田山の根石台地で発掘さ
れた、縄文時代の住居跡群にあった
「炉」を移築したものです。

約4000年前、山の獲物や川の魚を
この炉で焼いたり煮たりしていたので
すね。



「まつだ桜まつり」は3月11日まで
開催中です。

又、近くにあるあぐりパーク嵯峨山苑
では、3月18日まで「菜花まつり」
が開催され、菜花と桜と紅梅の競演が
見られます。


「シルクロード文明館」と「一會庵」

2018-02-19 11:09:33 | グルメ




 会津旅の続きです。

鶴ヶ城の見学を終えて、バス停まで歩く
途中、鶴ヶ城の内堀のほとりのカフェに
入りました。

冷えた身体(この日の最高気温はマイナ
ス4度)がやっと少し温まりました。



レンガ造りの建物は、老舗菓子処「会津
葵」が営む、シルクロードがテーマの異
文化空間。



2階展示スペースにはシルクロード関係
の美術品・工芸品が集められ、1階は
茶房ですが軽食メニューも豊富です。



パスタランチで遅めの昼食。
美味しい珈琲に「ラム酒入りの会津葵」
が添えられていました。店主のさりげな
いサービスです。

ほっと一息ついて、いつまでもここに
座っていたい気分です。



夕方、駅近くのホテルにチェックイン。

駅ナカのおみやげ売り場の向かいにそば
酒房を見つけました。

「郷土料理 一會庵」とありました。



地酒「国権 辛口純米」を飲みながら、
郷土料理こづゆと天ぷらをいただきま
した。

雪見酒でほんのりした気分になってき
ました。

会津十割手打ちそばも申し分ないうま
さです。

会津は水がいいのでしょう。酒もそば
も実においしい。

雪の会津は郷愁を誘いながら、静かに
暮れていきました。

雪の鶴ヶ城

2018-02-12 11:23:06 | 日本100名城




 東北旅2日目は仙台から会津若松へ
向かいました。

 会津若松

 駅に着き周遊バスを待ちますが、雪の
為大幅に遅れてます。

やっと来た「あかべぇ」に乗り、「鶴ヶ
城入口」で下車。

若松城は地元では鶴ヶ城と呼ばれていま
す。



14世紀、蘆名直盛が築城した東黒川館
が始まりとされています。

蘆名氏は、関東の名族三浦氏からの分流
で、室町期に会津守護として現れ、戦国
期には伊達氏と並び称されるほどの勢力
を誇りました。

しかし1589年、伊達政宗が蘆名氏を
滅ぼし、黒川城を手にします。

政宗は秀吉に臣従し、会津を召し上げら
れます。



蒲生氏郷は天守閣を設け、近世城郭に改
造。城下町を整備し、町の名を黒川から
「若松」へと改めます。

一時上杉景勝が120万石で入封するも
、家康は西軍に加担した景勝を30万石
に下げ、米沢に移封します。

1643年に保科正之(家光の弟)が
23万石で入封、以後会津松平家の居城
とまりました。


  (白虎隊十九士のおもかげ)

1868年(明治元年)の戊辰戦争では
、5千人の老若男女が1ヶ月間籠城しま
したが、ついに降伏、開城しました。



現在の天守閣は、1965年に造られ、
内部は博物館になっており体験型の学習
ができます。


  (天守閣最上階から)

1990年には茶室「麟閣」が移築復元
されました。

蒲生氏郷は千利休が自害したのち、利休
の茶道が途絶えるのを惜しんで、その子
少庵を会津に匿い、家康と共に千家復興
を秀吉に働きかけました。

その後、3人の孫によって裏・表・武者
小路の3千家が興されました。

「麟閣」は氏郷少庵ゆかりの茶室です。


  (麟閣)

「麟閣」の南側に「荒城の月」の歌碑が
あるとのことで探しましたが、雪が深く
てあきらめました。

土井晩翠が詞を構想したとされる、仙台
の青葉城址とここ鶴ヶ城址に歌碑が設置
されているとのことです。

話がいささか脱線しますが、ジャズピア
ニストのセロニアス・モンクは「荒城の
月」を「Japanese Folk
Song」としてとりあげているそう
です。

映画「ラ・ラ・ランド」ではこの
バージョンが使用されています。

政宗の夢、瑞巌寺

2018-02-05 11:05:04 | 古刹・名刹




 日本列島がすっぽりと大寒波に覆われ
た1月下旬、東北を旅しました。

仙台まで新幹線で行き、仙石線に乗り換
えて松島海岸駅まで。

 松島

 駅から徒歩5分で瑞巌寺です。

瑞巌寺は臨済宗妙心寺派の禅寺。

仙台六十二万石の祖、伊達政宗が
1609年(慶長14年)完成させ
ました。


  (庫裡)

政宗は、奥州藤原氏の築いた平泉の
一大栄華の再現と、北条時頼が熱意
を注いだ松島円福寺の復興を意思し
ました。

浄土往生の祈念の場「菩提寺」を
瑞巌寺としました。

寺伝によれば、平安時代の初め828
年、円仁(最澄の弟子)により開創さ
れた、天台宗延福寺が前身と伝えられ
ます。


  (法身窟)

鎌倉時代中期に、北条時頼が法身性西
を開山とし、円福寺と改称、臨済宗建
長寺派の禅寺に改めました。

法身窟(ほっしんくつ)は、時頼が
法身性西と出会った場所と伝えられ
ています。


  (本堂)

瑞巌寺本堂は仙台城大広間と同じ構造
を持ち、桃山美術の粋を集めた仙台城
を彷彿させます。

本堂の大空に駆け上がるような屋根構え
は見る者を圧倒しますが、この日は雪に
覆われていました。

本堂内部の金碧障壁画は、長谷川等胤ら
京の一流絵師に描かせました。
(見学しましたが、撮影禁止でした。)


  (五大堂すかし橋)

すかし橋は五大堂への参詣に身も心も
乱れないよう、脚下をよく見るとの配
慮といわれています。


  (五大堂)

円仁が延福寺開創の際、坂上田村麻呂
に由来する毘沙門堂に五大明王像を安
置したことから、五大堂と呼ばれます。

現存建物は政宗の建立で、東北地方最
古の桃山建築だそうです。

五大堂からは、松島がよく見渡せます。



1689年(元禄2年)旧暦3月、
松尾芭蕉は「奥の細道」の旅を始め
ます。

旧暦5月(新暦6月)に松島に着き、
瑞巌寺を訪れました。その後、平泉の
毛越寺・中尊寺そして山形の立石寺へ
と向かいました。