![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/50/c065d6b57b9f023877c9259b7cbe61f5.jpg)
現存12天守巡りの11城目は丸亀城
です。残すは宇和島城のみとなりました。
(撮影は11月中旬です。)
丸亀
丸亀城はJR丸亀駅から徒歩圏内の丸
亀中心街にあります。
標高66mの亀山に築かれた平山城で別
名亀山城。「石の城」と形容されるとお
り、石垣の名城として有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/4d/338931cca7e3f735553492afe0ac8b25.jpg)
(大手一の門・二の門)
生駒親正は1587年(天正15年)播
州赤穂から17万石の領主として讃岐に
入り、高松城を築き、次いで西讃の鎮め
として、1602年(慶長7年)丸亀城
を築城しました。
その後一国一城令で丸亀城は廃城となり
ますが、1641年(寛永18年)山崎
家治が西讃岐5万石の領主となると丸亀
城を再築します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/48/d3c1f0f738163bf2128a128d6ff9d208.jpg)
(一の門)
一の門は楼上に太鼓を置き、城下に刻を
知らせたことから、太鼓門とも呼ばれて
います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/68/c8e25cbbadb8f33dde9e288998a667df.jpg)
(三ノ丸北側の石垣)
三の丸北側の石垣は、丸亀城の石垣のな
かで最も高く、20m以上の城壁が続き
ます。隅角部の石垣は美しい曲線美から、
「扇の勾配」と呼ばれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/0d/941f912989ce3d14df36255b488fe0e9.jpg)
(天守)
1658年には京極高和が丸亀藩主とな
り、天守を完成させます。
3層3階の現存木造天守です。高さ約
15m、日本一小さな現存木造天守で
す。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/0f/48c9d1da35f1651f93d370d3e38dc465.jpg)
(天守内部)
天守からの視界には、丸亀の町並みが広
がり、遠くに海や山が見え、見晴らしを
堪能できます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/f5/cd7b6de6f11b5ed27f542b8c758e72d7.jpg)
(讃岐富士)
見返り坂を登った三ノ丸からは、飯野山
(讃岐富士422m)を正面に望めます。
石垣にかかわる悲しい伝説があります。
羽坂重三郎は、常に仕事をするときは裸
になって一生懸命働くことから「裸重三」
と呼ばれ、丸亀城の石垣を完成させた功
労者です。
殿様は「さすがは重三の築いた石垣だけ
あって完璧だ。これでは空飛ぶ鳥以外に
この城壁を乗り越えるものはあるまい。」
とご満悦でした。
ところが、重三郎は「私に尺余りの鉄棒
を下されば、容易に登ることができます。
」と言って、鉄棒を使いすいすいと城壁
を登ってしまいました。
殿様は、重三郎を生かしておけば来敵に
通じた場合、恐ろしいことになると考え、
城内の井戸の底を重三郎に探らせて、そ
の隙に石を投じて殺してしまいました。
その伝説の井戸が二の丸井戸です。
(「丸亀城ものがたり」永田照雄より)
皆さま、今年1年どうもありがとうござ
いました。どうぞ良いお年をお迎えくだ
さい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます