matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

四国の名城ー高知城その1

2018-11-16 11:24:07 | 日本100名城



  (山内一豊の妻の銅像)

 現存12天守巡りの10城目は高知城
です。

 高知

 徳島に1泊して、翌朝JRで高知へ向
かいました。高知駅から路面電車に乗り
「高知城前」で下車しました。

高知城は高知平野の中心、大高坂山(標
高44.4メートル)に築かれた平山城
です。

南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦
を築いて、南朝方に味方して戦った記録
があります。


  (詰門)

戦国時代の1588年(天正16年)、
土佐の国主であった長宗我部元親がここ
に築城して、岡豊城から移りましたが、
城下が低湿地のため水難に悩ませられ、
3年程で浦戸に移りました。

関ケ原の戦いにおいて元親の子、盛親は
西軍に与して改易され、代わって山内一
豊が掛川城から転入し、大高坂山の地に
新城を築き始めました。


  (三ノ丸石垣)

三ノ丸は1601年の築城開始から10
年を要して最後に完成。出隅部分の石垣
の高さは約13メートル。穴太衆(あの
うしゅう)が、安土城の石垣で始めたと
される自然石の形を活かした野面積みで
多くの面が構築されています。


  (天守閣)

外観四重(内部3層6階)高さ18.5
メートルの望楼型天守で、創建当初の様
式を踏襲して1749年に再建。


  (本丸御殿=懐徳館内部)

本丸には天守閣・本丸御殿・納戸蔵・東
多聞・西多聞などの建造物が残っていま
す。

現存12城のなかでも、本丸御殿を残す
のは高知城のみです。


  (山内一豊像)

山内一豊の妻(通称千代)は、幼い頃父
を失い、17、8歳の頃一豊と結婚、貧
しい暮らしの中で家を守り、戦いに明け
暮れる一豊の出世を助けた逸話が残され
ています。

結婚の時持参した10両の金を出して一
豊に名馬を買わせ、それが織田信長の目
にとまって出世の糸口になった逸話は有
名です。

司馬遼太郎「功名が辻」は妻の千代を主
役とした作品です。


  (続く)



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