matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

栗林公園の秋

2018-11-29 11:20:41 | 旅行



  (掬月亭)

 11月中旬、高松・丸亀を旅しました。

 高松

 高松空港から高松駅へ向かうバスの途
中、「栗林公園前」で下車しました。



栗林公園は紫雲山を背景に、6つの池と
13の築山を配し、400年近い歴史を
有する大名庭園です。

面積は約75ヘクタール(東京ドーム
16個分)で、文化財庭園では国内最大
の広さ。

四季折々の景観は、「一歩一景」とされ
ています。


  (商工奨励館)

香川県博物館として1899年(明治
32年)に開館。平等院を模した左右
対称の木造建築。純和風建築に見えま
すが、西洋的技法も採用されています。


  (鶴亀松)

110個の石を組み合わせて亀を表現し、
その背中に鶴が舞っているような姿をし
た黒松を配しています。園内で最も美し
い姿をした松といわれます。

園内には約1400本の松があり、その
うち約1000本が職人が手を加えてい
る手入れ松だそうです。


栗林公園の起こりは、16世紀後半、当
地の豪族佐藤氏によって築庭されたこと
に始まり、1625年頃に讃岐国領主生
駒高俊によって、紫雲山を背景に南湖一
帯が造園され、現在の原型が形づくられ
ました。


  (日暮亭)

その後初代高松藩主・松平頼重(水戸
光圀の兄)に引き継がれ、1745年
5代頼恭の時に園内六十景命名をもって
完成しました。

明治維新に至るまで、松平家11代の下
屋敷として使用されました。

江戸時代に「日暮亭」と称する茶屋があ
り、1898年(明治31年)、石州流
の茶室として再建されたものです。


  (鳳尾蕉)

薩摩藩島津家より贈られた琉球産のソテ
ツが植えられてある築山で、樹齢300
年以上。


  (掬月亭と南湖)

唐詩の一句「水を掬すれば月手に在り」
から命名された掬月亭(きくげつてい)
は庭園の中心的な建物。

南湖を望む景観は見事で、歴代藩主が
大茶屋と呼び、こよなく愛した建物です。

栗林公園は2009年版「ミシュラン観
光ガイド」で3つ星に選定されています。
又2012年版アメリカの庭園専門誌「
ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガー
デニング」では、足立美術館、桂離宮に
続く3位を獲得しています。


四国の名城ー高知城その2

2018-11-22 11:22:56 | 日本100名城




 高知その2

 築城当初の一時期、山内一豊夫妻が
暮らしたといわれる本丸御殿は典型的
な書院造りです。


  (本丸御殿内部)

藩主専用の座敷「上段の間」は一段高く
なっています。床(トコ)、違棚、府書
院などを備え、格式の高い座敷。


  (上段の間)

江戸中期の1727年(享保12年)の
大火でそのほとんどが焼失しましたが、
その後24年かけて修復し、1753年
(宝暦3年)までに創建当初の姿で再建
されました。


  (天守内部)

土佐藩は当初、「一領具足」と呼ばれた
半農半兵の長宗我部氏旧臣が、山内氏に
馴染まずに反乱をくり返しました。

郷士は在郷武士であり、下士の上位に位
置づけられ、一領具足の系譜を引く者が
多いといわれます。


  (天守内部)

幕末には15代山内容堂が、吉田東洋を
起用して改革を断行。しかし革新的な改
革は土佐勤王党との政治的対立を生み、
1862年東洋は武市半平太の指令によ
り暗殺されます。

東洋の門下より後藤象二郎、板垣退助、
岩崎弥太郎ら明治を代表する人物が生ま
れます。

坂本龍馬や後藤象二郎を通じて容堂から
徳川慶喜へ献策された大政奉還により、
江戸幕府の歴史は閉じられます。


  (天守からの眺め)

追手門は石垣の上に渡櫓を載せた櫓門で、
城の大手(正門)にふさわしい堂々たる
構えです。

追手門をくぐると板垣退助銅像がありま
す。


  (追手門と板垣退助銅像)

板垣退助は土佐藩上士、乾正成の嫡男。
乾家は武田信玄の重臣、板垣信方を祖と
した家柄です。

後藤象二郎とは竹馬の友、坂本龍馬とは
親戚です。上士としては珍しく武力倒幕
を一貫して主張。

戊辰戦争で活躍、旧武田家家臣の末裔で
あることを示し、甲斐国民衆の支持を得
て、甲州勝沼の戦いで新選組を撃破しま
す。

一方旧幕側の名誉回復にも尽力し、明治
政府の要職を歴任するも、征韓論争で下
野、自由民権を唱える契機となります。


四国の名城ー高知城その1

2018-11-16 11:24:07 | 日本100名城



  (山内一豊の妻の銅像)

 現存12天守巡りの10城目は高知城
です。

 高知

 徳島に1泊して、翌朝JRで高知へ向
かいました。高知駅から路面電車に乗り
「高知城前」で下車しました。

高知城は高知平野の中心、大高坂山(標
高44.4メートル)に築かれた平山城
です。

南北朝時代には大高坂松王丸がここに砦
を築いて、南朝方に味方して戦った記録
があります。


  (詰門)

戦国時代の1588年(天正16年)、
土佐の国主であった長宗我部元親がここ
に築城して、岡豊城から移りましたが、
城下が低湿地のため水難に悩ませられ、
3年程で浦戸に移りました。

関ケ原の戦いにおいて元親の子、盛親は
西軍に与して改易され、代わって山内一
豊が掛川城から転入し、大高坂山の地に
新城を築き始めました。


  (三ノ丸石垣)

三ノ丸は1601年の築城開始から10
年を要して最後に完成。出隅部分の石垣
の高さは約13メートル。穴太衆(あの
うしゅう)が、安土城の石垣で始めたと
される自然石の形を活かした野面積みで
多くの面が構築されています。


  (天守閣)

外観四重(内部3層6階)高さ18.5
メートルの望楼型天守で、創建当初の様
式を踏襲して1749年に再建。


  (本丸御殿=懐徳館内部)

本丸には天守閣・本丸御殿・納戸蔵・東
多聞・西多聞などの建造物が残っていま
す。

現存12城のなかでも、本丸御殿を残す
のは高知城のみです。


  (山内一豊像)

山内一豊の妻(通称千代)は、幼い頃父
を失い、17、8歳の頃一豊と結婚、貧
しい暮らしの中で家を守り、戦いに明け
暮れる一豊の出世を助けた逸話が残され
ています。

結婚の時持参した10両の金を出して一
豊に名馬を買わせ、それが織田信長の目
にとまって出世の糸口になった逸話は有
名です。

司馬遼太郎「功名が辻」は妻の千代を主
役とした作品です。


  (続く)


四国の名城ー徳島城

2018-11-08 11:03:13 | 日本100名城



  (竜王さんのクス)

 10月下旬、四国の徳島・高知を
旅しました。

 徳島

 「竜王さんのクス」は、城山で最大の
クスノキの古木で、樹齢600年くらい。
近くに竜王神社があったことから、こう
呼ばれました。昭和9年の室戸台風で倒
れました。

徳島城は、JR徳島駅の北側、標高61
メートルの城山に築かれた山城と周囲の
平城からなる平山城です。

城跡は徳島中央公園として整備されてい
ます。


  (鷲の門)

鷲の門は蜂須賀氏が正門として建てまし
た。明治維新の廃城令により、鷲の門を
除くすべての建築物が撤去されました。

鷲の門も昭和20年の徳島大空襲により
消失し、現在の門は平成元年に復元され
たものです。



この地は、鎌倉時代より伊予国の河野氏
が支配し、室町時代に細川頼之が城山に
小城を築きました。

戦国時代になると、阿波の地は群雄割拠、
城主が入れ替わります。



1582年(天正10年)、土佐国の
長宗我部元親が侵攻し、阿波が平定さ
れます。


  (蜂須賀家政の銅像)

1585年の豊臣秀吉の四国攻めで蜂須
賀家政が入城、中世に築造された城を修
築して徳島城としました。以後、江戸時
代を通して、徳島藩蜂須賀氏25万石の
居城となりました。

阿波踊りの起源について、徳島城が竣工
した際、家政が城下に「城の完成祝いと
して、好きに踊れ」という触れを出した
ことが発祥という説もあります。


  (本丸跡)

徳島城の山城は連郭式であり、いくつか
の曲輪が段差を持って連続していました。
西から順に、三の丸、西二の丸、本丸、
東二の丸です。

1588年に天守が築かれますが詳細は
不明。元和年間(1615-1624年)
に取り壊されたとされます。

城山では、夏になると阿波踊りの有名連
がここで練習している風景が目立つそう
です。


  (城山の貝塚)

城山の貝塚は、約4000~2300年
前の縄文時代後期~晩期の遺跡です。


「赤い靴」など作詞した野口雨情は、昭
和11年2月この地を訪れ、歌を詠みま
した。

「むかし忍んで徳島城の
   松に松風絶へやせぬ」

徳島駅から城跡へ向かう歩道橋の近くに
歌碑が建っています。



花菜ガーデンの秋バラ

2018-11-01 10:42:19 | 日記




 平塚

 平塚花菜ガーデンで「ローズフェスティ
バル」が開催中です。11月4日までです。

平塚駅からバスで約20分。秋バラ
1100品種、2100株と関東有数
の品種数です。





イスラム世界では、白バラはムハンマド
を表し、赤バラが唯一神アッラーを表す
とされました。

十字軍以降、中近東のバラがヨーロッパ
に紹介され、ルネサンスのころには人々
の愛好の対象となりました。



ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」
においてもバラが描かれ、美の象徴とさ
れています。



バラ園ガイドツアーに参加すると、説明
付きでバラの香りを嗅ぐことが出来ます。

コキア、サルビア、クレマチスなどの
秋の草花も見ごろです。


「盆栽展」も開催されていました。



盆栽は中国で唐の時代に行われていた
「盆景」が平安時代に日本に入ってきて
始まったそうです。

今では世界各地に広まり、4年に1度
「世界盆栽大会」が開かれるほどです。

色とりどりに咲き誇るバラの群れと
植木鉢の中に切り取られた自然の模写
の盆栽とは対照的です。

どちらも高度の技と手間がかけられた
逸品ですが。