matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

奈良の春その1-長谷寺

2017-04-27 10:47:09 | 奈良散歩




 4月中旬、再び奈良を訪れました。
1日目は「ぼたんまつり」が始まった
長谷寺へ行きました。

 初瀬

 長谷寺は桜井市初瀬にある、真言宗
豊山派の総本山です。

大和と伊勢を結ぶ初瀬街道を見下ろす
初瀬山の山麓から中腹にかけて伽藍が
広がっています。


 (仁王門)

創建は奈良時代の8世紀前半と推定され
ています。

平安時代中期以降、観音霊場として貴族
の信仰を集め、中世以降は武士や庶民に
も信仰を広めました。


 (登廊)

1588(天正16)年、豊臣秀吉によ
り根来山(根来寺)を追われた新義真言
宗門徒が入山したことにより、真言宗豊
山派が大成されました。


 (五重塔)


 (本堂)

本堂には本尊の十一面観音が安置されて
います。

現存の本堂は、徳川家光の寄進により
1650年に建立されたものです。



初瀬山は牡丹の名所として知られ、5月
上旬には7000株の牡丹が満開になる
そうです。

古くから「花の御寺」と称され、「枕草
紙」「源氏物語」など多くの古典文学に
も登場します。



芭蕉の句碑です。

「春の夜や こもり人床し 堂のすみ」

(堂内に点じられた一穂の灯明の光に
浮かんだ床しげな人の影、如何なるお
方であろうか。)

境内には、紀貫之・小林一茶・高浜虚子
など多くの歌碑、句碑が見られます。


 (本長谷寺)

686年、天武天皇の勅願により、道明
上人がここに精舎を造営したことから、
本長谷寺(もとはせでら)と呼ばれます。

長谷寺は平安時代から大正時代までの長
い間、1夜交代で奈良と初瀬を念仏を唱
えながら行き来する修行を、1000日
以上続ける「隔夜参り」の信仰対象とな
りました。

この修行をする者を隔夜僧、隔夜聖など
と称したそうです。

隔夜僧は空也上人を開祖とする隔夜堂(
高畑町)を宿坊としたと伝えられていま
す。

春爛漫の新宿御苑

2017-04-20 10:14:35 | 東京散歩




 新宿

 早くも初夏の陽気となった日曜日、
新宿御苑で花見をしました。

約65種1100本の桜を植栽した
都内有数の桜名所です。



イチヨウ、カンザンなどの八重桜が見頃
を迎え、ツツジも咲き初めています。

桜の樹の下で、家族連れや外国人観光客
などが、お弁当を広げながら楽しそうに
談笑しています。



新宿御苑は、徳川家康の家臣・内藤氏の
江戸屋敷の一部がそのルーツといわれて
います。



明治39年(1906年)に皇室の庭園
となり、昭和24年(1949年)に国
民公園として一般に公開されました。





御苑の桜は、2月早春の桜に始まり、4
月下旬晩春の桜でクライマックスを迎え
ます。

鎌倉の春ー建長寺と妙本寺

2017-04-13 10:51:29 | 鎌倉散歩




 鎌倉

 4月初め、桜咲く鎌倉を訪ねました。

1.建長寺

 建長寺の創建は1253年(建長5年
)。
鎌倉幕府5代執権の北条時頼が創立しま
した。

鎌倉五山の第一位です。

当時の日本は承久の乱(1221年)の
後、北条氏の権力基盤が安定し、鎌倉が
事実上、日本の首府となっていた時代で
す。

山ノ内は北条氏の本拠地で、幕府のある
鎌倉中心部から山一つ隔てた所に位置し
、北の出入口の護りに当たる要衝の地で
した。


 (法堂)

昔は、建長寺全体が修行道場で、法堂に
集まり説法を聞き修行の眼目としました

鎌倉最大級の木造建築で、内部には千手
観音坐像が安置されています。


 (法堂天井画)

鎌倉に住んでいた日本画家小泉淳作の筆
による「雲龍図」です。


 (唐門)

方丈入口の門。芝増上寺の徳川秀忠夫人
崇源院霊屋から移築したものです。


 (竜王殿)

方丈(竜王殿)は京都から移築されまし
た。

建長寺創建時の建物は地震や火災により
失われましたが、江戸時代に徳川家の援
助で、主要な建物が新築または他所から
移築されました。


2.妙本寺

 妙本寺のある谷は比企谷(ひきがやつ
)と呼ばれます。

鎌倉時代、源頼朝の重臣・比企能員一族
の屋敷がありました。
2代将軍頼家の後継者争いで北条氏に敗
れ滅亡しました。

生き残った末子能本が、日蓮上人に帰依
し、1260年法華堂を建立したのが、
妙本寺の始まりといわれています。



日蓮の弟子・日朗が妙本寺を継承し、
日蓮宗の重要な拠点となりました。



祖師堂の前の海棠も咲き始めていまし
た。

小林秀雄が中原中也と妙本寺境内で、
海棠の花を眺めたときの情景が、「中
原中也の思い出」に記されています。

一部を抜粋します。

「晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠
の散るのを黙って見ていた。花びらは死
んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断な
く、落ちていた。樹陰の地面は薄桃色に
べっとりと染まっていた。あれは散るの
じゃない。散らしているのだ、・・・・・」

芝公園ー増上寺から愛宕山へ

2017-04-06 12:01:09 | 東京散歩




 芝公園

 3月末、芝公園周辺を散策しました。

増上寺は浄土宗7大本山の一つです。
江戸時代には、徳川家の菩提寺として
興隆を極めました。

明治維新後は神仏分離政策によって、
境内の敷地の大部分が芝公園となりま
した。


 (旧台徳門霊廟 惣門)

増上寺には、徳川将軍15代のうち、6
人が葬られています。

昭和20年の2度の空襲で建造物群のほ
とんどが焼失しました。

台徳院(秀忠)霊廟惣門は、焼け残った
数少ない建築の一つです。


 (いぬき門)

鋳抜門(いぬきもん)の左右の扉は青銅
製で五個ずつの葵紋を配し、往時の姿を
今に伝える数少ない遺構です。

霊廟跡地は、東京プリンスホテル、ザ・
プリンスパークタワー東京となっていま
す。

秀忠夫人(お江の方)の旧崇源院霊牌所
の一部は、鎌倉建長寺に移築され現存し
ています。




 (大殿 本堂)

東京タワーを背景にたたずむ大殿(本堂
)は、昭和46年から4年をかけて再建
されました。

三解脱門を出て御成門から愛宕通りを進
むと愛宕山があります。



愛宕神社へ上がるための急な石段は「出
世の石段」と名付けられています。



愛宕神社は徳川家康の命により、江戸の
防火の神として創建されました。



江戸時代には桜の名所とされていました。

帰りは東京タワーを横目に見ながら、赤
羽橋駅まで歩きました。

春の日差しを浴びながらの約5kmの散
歩です。