足利
足利学校は室町時代から戦国時代
にかけて、関東における事実上の
最高学府でした。
創建については、奈良時代説、平安時代
説、鎌倉時代説など諸説あり定まって
いません。
室町時代の1432年、足利領主の上杉
憲実が再興に尽力します。
鎌倉円覚寺の僧快元を能化(校長)に招
きます。
北は奥羽、南は琉球にいたる全国から
学徒が集まりました。
学校門(1668年創建)
教育の中心は儒学でしたが、易学、兵学
、医学なども教えました。
教員は禅僧などの僧侶でしたが、教育
内容から仏教色は排されました。
方丈(講義、学習、接客等に使用)
戦国時代には、足利学校の出身者が易学
等の実践的な学問を身につけ、戦国武将
に仕えることがしばしばあったそう
です。
学費は無料、学生は入学と同時に僧籍に
入り、近在の民家に寄宿しました。
盛況期には学生数は3千人と記録されて
います。
1549(天文18)年には、
フランシスコ・ザビエルにより
「日本国中最も大にして最も有名な
坂東のアカデミー(坂東の大学)」
と海外にも紹介されました。
ザビエルによれば、国内に11ある大学
及びアカデミーの中で、最大のものが
足利学校アカデミーとのことです。
孔子廟(聖廟)は、1668(寛文8)
年将軍家綱の時に造営されました。
孔子坐像です。
江戸時代になると易学、兵学などの
実践的な学問は好まれなくなり、次第に
衰微していきました。
明治維新後の1872(明治5)年
廃校となります。
平成2年、方丈、庫裡(台所、食堂)
が復原されました。
(続く)