Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

ラスト・コンサート

2024年08月16日 06時30分00秒 | Weblog
M.ラヴェル
「マ・メール・ロワ」
「ダフニスとクロエ」より 第2組曲
G.フォーレ
「レクイエム」op.48
<アンコール曲>
G.フォーレ
「ラシーヌ讃歌」

 フランスの指揮者:ミシェル・プラッソンは、御年90歳。
 これが日本でのラスト・コンサートとなる。
 選曲はラヴェルとフォーレというフランス音楽の巨匠二人。
 ラスト・コンサートで「レクイエム」というと、何だか「生前葬コンサート」のようで、小椋佳を想起させる。
 もっとも、プラッソン氏は、終始笑みを絶やさず、上機嫌であった。

第6曲:Libera Me(私を解き放ってください)
私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。
(中略)
永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ、 
そして絶えることのない光が、輝きますように、彼らに。
私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。 

 私見では、フォーレの「レクイエム」で特徴的なのは、この第6曲 リベラ・メ<私を解放してください>である。
 最初と最後は、

私を解き放ってください、主よ、永遠の死から。

となっているものの、中間部では、

永遠の安息を、与えてください、彼らに、主よ、

などと、「彼ら」(死者)に救済としての「永遠の安息」を求める歌詞となっている。
 このくだりからは、「私」は、最終的に「私」が永遠の死から解放してもらうため、神に対し、「彼ら」のために祈りを捧げているように読めるのだが、ここにプロテスタントとの大きな違いを感じるのである。
 というのも、カルヴァンの予定説によれば、神による救済は、
 「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対の権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠の生命にあずかるもの、永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている
 したがって、「彼ら」のために「私」が救済を求めるというのは、意味がないどころか、神をもおそれぬ行為ということになるはずだからである。
 もっとも、私はクリスチャンではないので、プロテスタントの人が「レクイエム」をどう解釈しているのかは分からない。
 それはともあれ、ミシェル・プラッソンさん、ありがとうございました。
コメント
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