「親元を離れて、中高6年間は愛光学園の寮で過ごしたという。同級生の一人が当時を振り返る。
「さいちゃん(齋藤氏)とは寮で一緒にご飯を食べたし、お風呂にも入った仲ですけど、いい奴としか言いようがないですよ。頭も良かったし、スポーツも全般的にできました」(中略)
「旧自治省系は警察の次に上意下達の縦社会。組織自体がパワハラの塊です。加えて、総務省にカネを握られているものだから、各県庁の職員は中央から派遣されてくる総務官僚に文句を言えない雰囲気がある。若くして地方で重要なポストを務めることで、勘違いしてしまう人がいるんです」
総務省の独特な土壌が齋藤氏を形作ったと示唆するのだ。」
パワハラ問題で話題の兵庫県知事は、中高時代の同級生によれば、「いい奴としか言いようがない」人物だったらしい。
つまり、彼は、高級官僚に多いとされている、もともと自己愛性人格障害を抱えている「パワハラ加害者予備軍」(職業と人格障害)ではなかったようなのである。
それが、知事就任に伴い”恐竜”への変貌を遂げたらしいのだが、その原因は、やはりこれまでの職業生活にあったと思われる。
おそらく、想像を絶するような”シゴキ”を受けてきて、それを長年抑圧してきた結果、彼のサディスト的本能が覚醒してしまったのではないだろうか?(抑圧されたものの行方)
もっとも、これは決して珍しいことではない。
サラリーマン社会でよく見かけるのが、
「鬼上司の”シゴキ”を受けた部下が、管理職になった途端に同様の”シゴキ”を実践する」
というやつで、こうなると殆ど部活と同じであるが、いずれも「攻撃者(あるいは攻撃そのもの)との同一視」 のカテゴリーに入るだろう(抑圧されたものの行方(2))。
こうした攻撃性はおそらく多くの人が隠し持っているものであり、かく言う私も例外ではない。
ごく稀ではあるが、かつて私に恥辱を与えたり嫌がらせを行ったりした人物の顔が脳裏に浮かぶと、とある国の「第一書記」に就任し、その権力を使って、憎い人物を”粛清”してしまいたくなる衝動が、心の奥底に潜んでいるのを感じることが全くないわけではないからである。
・・・こうやって見て行くと、やはり、”シゴキ”は害悪でしかないという気がする。
”シゴキ”を受けて、それを抑圧してきた人物の中には、それを他者に転嫁してしまう人物がいるのだが、この攻撃をまともに食らった人は、心身に変調を来したり、自死したりしてしまうのである。